小説
竹芝道場
(二)
道場では二人の門人が、夜の稽古の準備のために集まっていた。
吉田が楽しそうに話している。
「いやもう、胸がすきました。坂上の、あの泣きっ面といったらなかった。先輩たちにお見せしたいくらいでしたよ」
古参の門人の一人、石川という、がっちりした体格の男が、
「しかし吉田、肥溜めに落とすというのは、ちとやりすぎではないのか。俺の聞いた話では、坂上組は大先生と何か関係があるらしいぞ」
「どんな関係ですか?私は聞いたことがないですよ」
「ううむ……俺も詳しくは知らんが」
「ほれ、ごらんなさい。そんなもの、ありゃあしませんって。だいたい、近在の者が何と言っているかご存じでしょう」
「まあ、知らん事もないが」
「坂上に、大先生が自分の妾(めかけ)を差し出したなどと、不遜極まりないことを言うやつもいるんです。そんな、大先生が妾などと……そんな話を聞いて黙っていられますか」
吉田は、話すうちに顔が紅潮してきた。
「だいたい、先輩たちが良くない。石川さんも、藤野さんも、林田さんだって、どうして坂上に、何も言ってやらないんですか」
「む、む……そうは言ってもなあ。相手はヤクザでもあるし、仕返しでもされたらどうする?」
「あははは。これは石川先輩らしからぬご発言。なんの、仕返し大歓迎じゃないですか。その時こそ、合気柔術の技を、嫌というほど味わせてやりますよ」
「しかし吉田よ」
石川は少し声を潜めて、
「坂上組といえば、この北関東じゃ、ちょいとした侠客だぜ。何でも、アメさんの横流し物資も扱い、ピストルだって持ってるらしい。いかにお前とて、飛び道具にや勝てんだろう」
「ふん、ピストルがなんです。あんなもの、戦地で使った機関銃じゃあるまいし。怖くなんかありゃしませんぜ」
実際、吉田は、戦争でピストル相手に、合気柔術で勝った経験があった。
ピストルは、出して、狙って、引き金を引く、という三つの動作が必要なので、抜いてさえいなければ、それほど怖くない。
仮に、ピストルを抜いていても、吉田は、素早く低く横に逃げて、相手がこちらを狙ってから打つまでの、ほんのわずかな時間に、さっと懐に飛び込むことができた。
ピストルを持つ相手には、ピストルの持つ手の外側へ低く両手を突いて飛び込めば、初弾はまず当たらないことも、そして、初弾が当たらなければ、相手は焦り、惑い、ますます当たらなくなっていくことを、経験から知っていた。
機関銃のように、数秒間で何十発も打たれたらどうしようもないが、そうでなければ、十分に制することができる技術を吉田は戦争で体得していたのである。
「大丈夫です。相手が何を持ってこようと、たかだか田舎ヤクザに屈する合気柔術ではありませんよ」
この時、道場の入り口で何か音がした。
吉田が楽しそうに話している。
「いやもう、胸がすきました。坂上の、あの泣きっ面といったらなかった。先輩たちにお見せしたいくらいでしたよ」
古参の門人の一人、石川という、がっちりした体格の男が、
「しかし吉田、肥溜めに落とすというのは、ちとやりすぎではないのか。俺の聞いた話では、坂上組は大先生と何か関係があるらしいぞ」
「どんな関係ですか?私は聞いたことがないですよ」
「ううむ……俺も詳しくは知らんが」
「ほれ、ごらんなさい。そんなもの、ありゃあしませんって。だいたい、近在の者が何と言っているかご存じでしょう」
「まあ、知らん事もないが」
「坂上に、大先生が自分の妾(めかけ)を差し出したなどと、不遜極まりないことを言うやつもいるんです。そんな、大先生が妾などと……そんな話を聞いて黙っていられますか」
吉田は、話すうちに顔が紅潮してきた。
「だいたい、先輩たちが良くない。石川さんも、藤野さんも、林田さんだって、どうして坂上に、何も言ってやらないんですか」
「む、む……そうは言ってもなあ。相手はヤクザでもあるし、仕返しでもされたらどうする?」
「あははは。これは石川先輩らしからぬご発言。なんの、仕返し大歓迎じゃないですか。その時こそ、合気柔術の技を、嫌というほど味わせてやりますよ」
「しかし吉田よ」
石川は少し声を潜めて、
「坂上組といえば、この北関東じゃ、ちょいとした侠客だぜ。何でも、アメさんの横流し物資も扱い、ピストルだって持ってるらしい。いかにお前とて、飛び道具にや勝てんだろう」
「ふん、ピストルがなんです。あんなもの、戦地で使った機関銃じゃあるまいし。怖くなんかありゃしませんぜ」
実際、吉田は、戦争でピストル相手に、合気柔術で勝った経験があった。
ピストルは、出して、狙って、引き金を引く、という三つの動作が必要なので、抜いてさえいなければ、それほど怖くない。
仮に、ピストルを抜いていても、吉田は、素早く低く横に逃げて、相手がこちらを狙ってから打つまでの、ほんのわずかな時間に、さっと懐に飛び込むことができた。
ピストルを持つ相手には、ピストルの持つ手の外側へ低く両手を突いて飛び込めば、初弾はまず当たらないことも、そして、初弾が当たらなければ、相手は焦り、惑い、ますます当たらなくなっていくことを、経験から知っていた。
機関銃のように、数秒間で何十発も打たれたらどうしようもないが、そうでなければ、十分に制することができる技術を吉田は戦争で体得していたのである。
「大丈夫です。相手が何を持ってこようと、たかだか田舎ヤクザに屈する合気柔術ではありませんよ」
この時、道場の入り口で何か音がした。