短編小説
境界線の向こうへ
いつからそうだったかは、分からない。ただ、都は、今日も暑かった。
朱雀大路を抜け、男は側道を歩いていた。太陽は、その猛威を振い、じりじりと地を照りつける。大気には潤いがなく、草木は褐色に変わっていた。来年の収穫が心配だった。
いつから居るのだろうか。目の端に移る物乞いは動こうともしない。生きているのか死んでいるのかも、彼らの態度からでは分からない。男は何度となく座ったまま逝ったものどもを見た気がした。ただ、彼らの前に置かれた一片のひび割れた碗が、何かをこわだか声高に訴えていた。
それが何かは、男にはわかりたくはなかった。
ここ数年の飢饉、強盗、強姦、止まぬ戦乱。都は落ち着く気配すら、見せようとしなかった。花であった都は散り、後の実は熟れすぎ、朽ちるだけ。そのことを都の住人は何よりも理解していた。それでもいちる一縷の希望を託し、今日を生きるしかなかった。
――いつからこうなってしまったのか
男は考える。都中を歩き回り、警備を糧とする男にとって現状は憂うべきものであった。取り締まれど取り締まれど雲霞のごとく湧きでる咎人たち。男の神経はどうしようもないほど磨り減っていた。
夕刻になり、男は家路についていた。宮の近辺に住むことは許されていないが、都の中に住居はあった。職業上必要だとはいえありがたい。立派な家ではないものの帰れば妻と子がいる。気立てのよい妻と器量の良い娘は男にとって何よりの宝であった。
夜の都は魑魅魍魎の世界である。どのような怪異が起ころうとなんら不思議ではない。最近では大型の獣に襲われた思われる者も見ることができた。肩から首までかけて大口で食い破られているのだ。同僚ともども心胆さむからしめられた。
家が見えた。粗末ながらも門があり、年老いた舎人どもが勤めていた。今頃は夕餉の支度をしているころだろう。たしか、ウナギ売りが今朝がた来ていたな。
門を目指していた足がわずかばかり軽くなる。神経を体の隅々まで張り巡らし、常に気を張っている男に生じたわずかな隙であった。
「――っ」
次の瞬間、何かが見えた。同時に体に灼熱が通りすぎる。右半身に焼けた鉄を押し込まれたような熱があふれた。慌てて左手で抑える。ヌルリとした感触。だが、あるべきものがなかった。男の右腕は永久に失われてしまったのだ。
もれ出そうな声を押し殺す。何かがまた迫ってきた。頭上から何かが押し寄せる。その場から転がるように距離をとった。顔をあげ、見た先には異形があった。月明かりがその正体を暴く。
全身は輝くしらがね白銀の毛につつまれていた。尾は蛇、翼が生え、顔はしゅうあく醜悪なさるめん猿面だった。ニタリとそいつが笑った。
「馬鹿な!?」
それはこの世にあってはならないものであった。
――鵺(ぬえ)
かの源頼政が退治した傾国の大妖怪である。月明かりに照らされてその威容を明らかにする。
鵺は再び飛び掛ってきた。太刀を抜こうとして、右腕がないことに気づく。慌てて、飛びすさ退る。その鋭いツメが体をな薙いでいく。
男は必死の思いで体を動かしていた。どうしてこんな事態におちいったのかは分からない。ただ、動きを止めた瞬間死ぬのだ。血が止まらない。自分の中から確実に命が零れ落ちていく。だが、今は足を止めるわけにはいかないのだ。
瘧(おこり)にかかったように震える体を鞭打ち、家の中に転がり込む。妻子が心配だった。絶望的なまでに不吉な予感を意志の力で押さえ込む。
暖かな夕餉の代わりにそれはあった。妻と娘の首。体はなかった。どこか冗談のようにお盆の上に据えられていた。
世界が音を立てて壊れた。何かが決定的に間違っている気がした。そもそも何故このようなことが起きるのだ。妻と子が何をした。我がいったい何をしたというのだ。
「ケケケヶヶケケケケケケケケケケケケヶヶけけ」
背後から声が聞こえる。鵺が笑っていた。醜悪な面を真っ赤にして笑っていた。男は左手で苦心して太刀を抜く。入れる端から抜けでる力を振り絞り、歩みだした。
あれからどのくらい時間がたったのかは分からない。ただ、鵺は男を嘲笑い去っていった。片腕で妻と娘の頭を抱き、男は微動だにしない。涙は流していない。抜け殻のようであった。
―終―
不意に男がこちらを見た。
鬼気迫るものが感じられた。尋常な様子ではなかった。
『おい、おまえ』
男が私を見た。見えるはずがないのに確かに視線を感じる。
『なぜ、我をこのような不幸に追い落とす』
男は立ち上がり幽鬼のように歩みだす。太刀を咥え、妻子の首をぶら下げたまま。
『我が何をした。妻が何をした。娘が何をした。平穏な日常を送ることも許されないのか。お前が生み出したものなら、自由にしてもよいというのか。』
男が一歩、また一歩と近づく。私にはそれは見えないはずである。それなのに、確かな視線を感じる。小説を書く手が止まらない。
『このような事は許されない。許すわけにはいかない。我から奪ったものを、お前の身であがなえ!』
私の手はやっと止まってくれた。何故このような最後を付け加えてしまったのだろうか。当初の構成ではそんな予定はなかったのに。私は大きく伸びをするとWindowsを終了させた。こんな日は眠るに限る。ベッドに潜り込もうと振り返った。
不意にズルリと部屋の扉が開く。そして次の瞬間大柄な男が部屋の中に飛び込んでくる。何かを投げつけられる。よく見ると首だった。頭の中がマッシロになる。
ナンダコレハ
白濁する意識の中、男が何かを振りかぶったのが感じられた。
-了-
朱雀大路を抜け、男は側道を歩いていた。太陽は、その猛威を振い、じりじりと地を照りつける。大気には潤いがなく、草木は褐色に変わっていた。来年の収穫が心配だった。
いつから居るのだろうか。目の端に移る物乞いは動こうともしない。生きているのか死んでいるのかも、彼らの態度からでは分からない。男は何度となく座ったまま逝ったものどもを見た気がした。ただ、彼らの前に置かれた一片のひび割れた碗が、何かをこわだか声高に訴えていた。
それが何かは、男にはわかりたくはなかった。
ここ数年の飢饉、強盗、強姦、止まぬ戦乱。都は落ち着く気配すら、見せようとしなかった。花であった都は散り、後の実は熟れすぎ、朽ちるだけ。そのことを都の住人は何よりも理解していた。それでもいちる一縷の希望を託し、今日を生きるしかなかった。
――いつからこうなってしまったのか
男は考える。都中を歩き回り、警備を糧とする男にとって現状は憂うべきものであった。取り締まれど取り締まれど雲霞のごとく湧きでる咎人たち。男の神経はどうしようもないほど磨り減っていた。
夕刻になり、男は家路についていた。宮の近辺に住むことは許されていないが、都の中に住居はあった。職業上必要だとはいえありがたい。立派な家ではないものの帰れば妻と子がいる。気立てのよい妻と器量の良い娘は男にとって何よりの宝であった。
夜の都は魑魅魍魎の世界である。どのような怪異が起ころうとなんら不思議ではない。最近では大型の獣に襲われた思われる者も見ることができた。肩から首までかけて大口で食い破られているのだ。同僚ともども心胆さむからしめられた。
家が見えた。粗末ながらも門があり、年老いた舎人どもが勤めていた。今頃は夕餉の支度をしているころだろう。たしか、ウナギ売りが今朝がた来ていたな。
門を目指していた足がわずかばかり軽くなる。神経を体の隅々まで張り巡らし、常に気を張っている男に生じたわずかな隙であった。
「――っ」
次の瞬間、何かが見えた。同時に体に灼熱が通りすぎる。右半身に焼けた鉄を押し込まれたような熱があふれた。慌てて左手で抑える。ヌルリとした感触。だが、あるべきものがなかった。男の右腕は永久に失われてしまったのだ。
もれ出そうな声を押し殺す。何かがまた迫ってきた。頭上から何かが押し寄せる。その場から転がるように距離をとった。顔をあげ、見た先には異形があった。月明かりがその正体を暴く。
全身は輝くしらがね白銀の毛につつまれていた。尾は蛇、翼が生え、顔はしゅうあく醜悪なさるめん猿面だった。ニタリとそいつが笑った。
「馬鹿な!?」
それはこの世にあってはならないものであった。
――鵺(ぬえ)
かの源頼政が退治した傾国の大妖怪である。月明かりに照らされてその威容を明らかにする。
鵺は再び飛び掛ってきた。太刀を抜こうとして、右腕がないことに気づく。慌てて、飛びすさ退る。その鋭いツメが体をな薙いでいく。
男は必死の思いで体を動かしていた。どうしてこんな事態におちいったのかは分からない。ただ、動きを止めた瞬間死ぬのだ。血が止まらない。自分の中から確実に命が零れ落ちていく。だが、今は足を止めるわけにはいかないのだ。
瘧(おこり)にかかったように震える体を鞭打ち、家の中に転がり込む。妻子が心配だった。絶望的なまでに不吉な予感を意志の力で押さえ込む。
暖かな夕餉の代わりにそれはあった。妻と娘の首。体はなかった。どこか冗談のようにお盆の上に据えられていた。
世界が音を立てて壊れた。何かが決定的に間違っている気がした。そもそも何故このようなことが起きるのだ。妻と子が何をした。我がいったい何をしたというのだ。
「ケケケヶヶケケケケケケケケケケケケヶヶけけ」
背後から声が聞こえる。鵺が笑っていた。醜悪な面を真っ赤にして笑っていた。男は左手で苦心して太刀を抜く。入れる端から抜けでる力を振り絞り、歩みだした。
あれからどのくらい時間がたったのかは分からない。ただ、鵺は男を嘲笑い去っていった。片腕で妻と娘の頭を抱き、男は微動だにしない。涙は流していない。抜け殻のようであった。
―終―
不意に男がこちらを見た。
鬼気迫るものが感じられた。尋常な様子ではなかった。
『おい、おまえ』
男が私を見た。見えるはずがないのに確かに視線を感じる。
『なぜ、我をこのような不幸に追い落とす』
男は立ち上がり幽鬼のように歩みだす。太刀を咥え、妻子の首をぶら下げたまま。
『我が何をした。妻が何をした。娘が何をした。平穏な日常を送ることも許されないのか。お前が生み出したものなら、自由にしてもよいというのか。』
男が一歩、また一歩と近づく。私にはそれは見えないはずである。それなのに、確かな視線を感じる。小説を書く手が止まらない。
『このような事は許されない。許すわけにはいかない。我から奪ったものを、お前の身であがなえ!』
私の手はやっと止まってくれた。何故このような最後を付け加えてしまったのだろうか。当初の構成ではそんな予定はなかったのに。私は大きく伸びをするとWindowsを終了させた。こんな日は眠るに限る。ベッドに潜り込もうと振り返った。
不意にズルリと部屋の扉が開く。そして次の瞬間大柄な男が部屋の中に飛び込んでくる。何かを投げつけられる。よく見ると首だった。頭の中がマッシロになる。
ナンダコレハ
白濁する意識の中、男が何かを振りかぶったのが感じられた。
-了-
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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