短編小説
探偵日記2
探偵日記2
俺は今、熱海の温泉にきている。
追いかけられていたけど大丈夫かだって?
あったりまえさ! 俺は天才探偵だ。どんな敵にも屈することなどないさっ。
ピンチをチャンスに替え、チャンスは確実にものにする。それこそが名探偵橋本の真の姿だ。
(ふっ、自分の才能がこわいな……)
だが、こんな天才な俺にとっても休息の時間は必要だ。適度の休息こそが、この灰色の脳細胞を鋭敏に活動させる。
――カポーン
ししおどしが高らかに鳴り響く。
(……いい湯だ)
「ババンババンバンバン♪ あ~バビバビ」
思わずドリフの歌が飛び出すほど、かの名湯はうわさ以上だった。芯にたまった疲労が氷が解けるようになくなっていく。まるで、春の陽だまりに似た心地よさは、この俺をしてもうならせる。しかし、それ以上に、俺を極楽な気分にさせたのは、ある特質がこの温泉宿にあったからだ。
其は混浴。男の理想と夢を具現化した、理想郷(パラダイス)。俺の目の前には恥らいながら湯につかる女性の姿があった。
(ああ、おっかさん、俺は、俺は……生まれてきて良かった!!)
いかに俺がもてるとはいえ、温泉で見る女性の姿は別格である。服を着ているときはどうと言うことはないが、まるで現世に舞い降りてきた天女のように神々しい美しさを放つ。女性と言うのは罪なものだ。こうも簡単にこの天才の心を惑わす。
「あの、もしや、あなた橋本さんでは……?」
その時、俺の背後から、天上の調べもかくやという美声が鳴り響く。俺の美女センサーが一瞬で振り切れる。
(なんだと!? 温泉街の女性の魅力はバケモノか!?)
しかも、声の主は俺のことを知っているようだ。これはまたとないチャンスだ。今はタオルを巻いているとはいえ、お互いに生まれたままの姿に等しい。うまくいけば、湯から上がったあと、あんなことやこんなことのチャンスが待っているかもしれない。
○あんなこと○
「橋本さん……、私、温泉でのあなたのたくましいお姿を拝見してから、どきどきがとまらないんです……」
「ふっ、私こそそうだ。あなたの姿はどんな花にも例える事ができないほど麗しい」
「そんな……うれしいです。良かったらこの後一緒に……」
「ありがとう。私も望んでいたことだ(とったどぉぉぉおおお!!)」
○こんなこと○
「橋本さんって、探偵さんでしたの? まあ、素敵っ」
「そんなことないさ。所詮探偵など、人の闇を探す仕事。つらいことが多いのさ。……でも、時にはあなたのような素敵な人と出会わせる。それだけで、この仕事は悪くない」
「橋本さん……。私、今夜あなたと一緒にいたいな……」
「私もだ……(いやほおおおおおおおおおおおおおおおい!!!)
よだれを拭う。あまりにも素敵過ぎる未来に無意識によだれがこぼれてしまったようだ。すぐにでも振り向きたい。だが、場所が場所だ。あまりにもがつがつしすぎては興ざめされてもつまらない。やはり、ここは最高の笑顔を作り、さわやかに振りむかなくてはならない。
無意識に飛びつこうとする身体を必死に押さえながら、俺は最高の笑顔を浮かべ振り向いた。
「ああ、私は橋本だが。あなたは……ぇぇぇえええええええええ!?」
――やつだ。
――やつがいた!
潰れた鼻は豚のよう。温泉の湯で上気した肌はまるで、ボンレスハムよりもおいしそうに見えた。動くたびにゆさゆさと揺れる肉塊。やつ――良美の姿がそこにはあった。
(また、だまされたああああああああああああああああああああ!!!!!!!)
これ以上ないほど魂の叫びだった。
これで二度目だ。神様はそんなに俺が嫌いなのか。今回は美女メーターが振り切れたんだぞ! これで美女じゃなかったらうそだというレベルなんだぞ! それなのに……それなのに……あんまりだああああ!!!
「やっぱり、橋本さん。こんなところで奇遇ですね♪」
良美はうれしそうに微笑む。タオルに包まれた良美の肢体がぼよんっと揺れた。
語尾に♪マークをつけるんじゃねぇ! それにうれしそうにすりよってくるんじゃない! うわっ、さぶいぼが出てきた……。
「よ、良美さんこそ、こんなところにどうして来てるんです?」
気持ち悪さを懸命にこらえながら話しかける。もちろん、あの時、俺の家の中に不法侵入していたことなど完全にスルーだ。そうじゃないと、芋づる式に忌まわしい記憶が呼び起こされてしまう。
「実はですね。父の事業の都合でこちらにくることになってしまったんです。我が家は多方面で事業を展開してるため、時には私も派遣されることもあるんです」
良美はさりげなく俺との距離をつめていた。一足一刀の間合い。武道における絶対防衛線を良美は苦もなく簡単に越えてきた。
(くっ、こいつできる!?)
じわりじわりと相手の警戒心の内がわを乗り越える手法は見事の一言に尽きる。気がつけば俺と良美の間は数十センチしか開いていなかった。
(まずい!! まずいぞ俺!? こんな人目が多いところで食べられるわけにはいかない!!)
みんな、俺に元気をくれ! 敵を打ち破る元気を今俺に!!! 俺は前科持ちになろうとこんなところで屈するわけにはいかない!
「そういえば、橋本さん。この温泉には湯治にいらっしゃたのですか?」
俺が悲壮な覚悟を決めた時、急に良美は思い直したかのように距離をとった。
「あ……、ああ。最近は依頼続きで少々疲れてしまったね。たまには休暇をとることも良いかと思ってね」
何にしろ危機はさったのだ。良美の気が変わらないうちに違う話題にしてしまおう。
「まあ、それはちょうど良かった。よかったら私の依頼をまた受けていただけないかしら。もちろん、休暇中ということで、報酬には上乗せさせていただきますわ」
(ぜってぇ嫌だ!!!)
こいつは俺に以前したことを忘れたのか!? あの屈辱。あの恐怖。もう少しで全てを投げ出して屈してしまいそうになった。だが、天才たる俺の機転により、全ての障害を打ち砕き、自由という勝利を手に入れたのだ。それを、また、俺に味合わせようと言うのか!?
「……残念だが。今は休暇中でね。私オンオフをしっかりしている男でね。休暇中はなるべく働かないようにしているのだよ」
俺の言葉に良美が残念そうにうつむく。おし、勝った。依頼さえ受けなければこいつとは無関係だ。
「……それは残念ですわ。今回は父の会社の調査を頼むつもりでしたから、報酬として1000万を用意しようと思ったのに……」
(1000万ですと……?)
現在の俺の事務所の収益が月30万もいけばいいとこだ。えっと、1000万だと……30ヶ月分だと!?
「困ったときは、お互い様です。この探偵、橋本。お客様の頼みとあれば、どのような依頼でもお受けいたしましょう!」
考える前に返事をしてしまっていた。
良美がニヤリと笑った顔を見た瞬間、俺はくもの巣にかかった蝶になったことを知った。
「それで、今回はどのような調査依頼でしょうか?」
あのまま温泉で話しているといろんな意味で危機だったので、場所を変えた。中心地にある豪華なホテルのロビー。ちなみに良美が泊まっているところだそうだ。はじめは彼女の部屋を指定してきたが断固として断らせてもらった。
「実は、私の父の経営する温泉宿に関することなんです」
良美は、そう前置きをして話し始めた。
「老齢の父は、事業に精を出す傍ら、男手一つで私を育ててくれました。どんなに忙しくても、私のことを大切にしてくれていました。あの女が現れるまで……っ!」
良美が机を思いっきりたたきつける。品の良いロココ調の机がミシリっときしんだ。
(こわいよ~~)
俺は、内心の恐怖を押し殺し、真剣な表情をつくり、彼女を見つめる。
「あの女は、老境を迎えた父の心にうまく取り入り、今では女房気取りなんです。周囲からの評判も悪くない、女将の鏡だと言われています。でも、私は聞いてしまったのです」
声だけは美しい女が凄みをこめて話すと壮絶なものがある。俺はゴクリと無意識に喉を鳴らしてしまう。
「よりにもよって、あの女。父と言うものがありながら、若い社員と恋仲になっているそうなんです。しかもかなりのイケメン。私も狙っていたのに……、まあそんなことはどうでもいいですわ。不実な振る舞いをする、あの女の周囲を調べ上げてほしいのです」
そこまで聞いて、大体の話の流れはわかった。
(財産と女か)
建前上は後妻めいた女が許せないという流れだが、この女はそう単純には考えていないはずだ。父親が死んだあと、自分に入る取り分が半減することにきちんと気づいている。老境の父からの遺産を効率よく受け継ぐためには邪魔なものは少なければすくないほどいい。そして、そのことを俺が勘付くことも気づいている。口止め料の意味をこめて1000万と言うことか。そういう意味ではこの依頼料、妥当なところかもしれない。
「ふむ、ではその女性の交友関係を調べればいいということですね。期間は?」
浮気調査など、異性関係を調査するには期間は長ければ長いほど、結果がでやすい。
「一週間でお願いします」
だからこそ、良美の答えは意外だった。
「それでは、結果が出にくいかもしれないが、良いのかい?」
「ええ、大丈夫です。私は明後日、父と共にこの街を離れます。父と私、交互にこの町に滞在していたため、その間密会はできなかったはずです。会えなければ、会えないほど燃えるのが男女の仲。この機会に動かないはずがありません」
良美が嫣然と微笑む。流石はと言ってもいいだろう。数々の男を手玉に取ってきたやつだ。そのあたりのことは良くわかっている。
「わかりました。かならず結果を出しましょう」
「ええ、お願いします。もし決定的な証拠が用意できるようなさらに100万報酬にプラスいたします」
良美は最後にそう締めくくり、伝票を持って消えていった。
俺はすぐに調査を開始した。相手がわの女性の名前を調べる。
(清川玲子。28歳。ほっそりとした美人か)
対象は俺の美女センサーがかなり反応する和風美人だった。着物姿が似合い、楚々とした挙措はまさに立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と言えよう。どのような姿を見ても美しい。
(この人が、あの爺さんのものか)
嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。今ならこの炎で世にはびこるバカップルどもを滅殺できそうだった。
なんにせよ。これだけの美人だ。言い寄る男も多いだろう。それなのに爺さんを選んだってことは、こいつも財産狙いってとこか。
人の能力と性格と性癖は異なる。同じように容姿と性格も異なるのだ。
(美人にはトゲがあるってことか)
このまま考えていても埒があかない。俺は聞き込みをすることにした。
従業員A
「清川さん? いい人ですよ。やさしくって教養があって。僕たち男性職員にとっちゃ憧れの花ですよ。ん? 爺さんとできてるかですって? あはは。面白おかしい噂としてはありますけど、ないですよ。あったら困ります……」
従業員B
「そういえば、清川さん。変な噂があったなぁ。爺さんに囲われてるって。まあ、だれが流した噂か分からないけど悪質なデマだね。たしか、懇意にしている人がいたような」
従業員C
「清川さん。ふふふ。ふふふふふふふ。俺の恋人です。ずっと見てるんです。どこに行っても見てるんです。どこでもついていくんです。拒否されてもへっちゃらです。ふふふふっふふふふふふっふふふ」
最後の証言を除いて、どれも好意的なものだった。いつの世もストーカー的人間はいるものだ。しかし、彼らからの意見を統合すると、一般的には爺さんと清川玲子はできていないということになっている。年齢差もあるだろうが、清川に特定の相手がいそうということも理由として考えられるだろう。
(なんにせよ。良美と爺さんがいなくなる決定的なチャンスを待たなくてはならないな)
考えられる範囲は考察した。あとは物証をそろえてからだ。俺は、しばし望遠鏡を構えを清川を観察することにした。
1日目
清川は職場では働き者だった。てきぱきと様々なことに柔軟に対応し、周囲からの評価も高い。たまに天然なところもあるから、完璧すぎず周囲から妬まれることもないのだろう。しかし、歩いているだけでなんでこけるんだ?
2日目
普段の生活では割りと綺麗好きなようだった。ただ、やはりちょっと天然が入っているのか、好きだというお風呂でおぼれかけていた。
3日目
特に変化なし。仕事は一生懸命しているようだ。
(変化がでるとすれば今日か)
いよいよ、良美と爺さんが去る日になった。俺は特に別れの挨拶はせずに清川の周囲を観察し続ける。その日、清川は化粧をいつも念入りにしていた。これはどう考えても男と会うに違いない。
(ビンゴか……)
美人さんには悪いが、決定的瞬間を撮るだけで多額の報酬を得ることができる。うらむのなら、他の男とくっついた自分を恨むがよい。この天才たる俺にほれていればどんな艱難辛苦からも守ったろうに。俺は気づかれないように慎重に尾行を進めた。
清川は、良美が泊まっていたホテルにウキウキと足取りも軽く来ていた。まるで待ちわびた恋人についに会えるという感じが全身から漂っている。エスカレーターで8階まで上がり、部屋の中に入っていった。
(いよいよか……)
俺はあらかじめ良美から預かっていたマスターキーで鍵を開けると部屋の中に滑り込んだ。できる限り気配を消し、感覚を鋭敏にする。
(頼むから。まだ始めてくれるなよ)
さすがの俺も他人の濡れ場を見る趣味はない。
決定的瞬間さえ、収めればおさらばするつもりだった。
ドアをそっと空け、情事が行われているだろう室内を覗き込む。
(なに!?)
しかし、予想に反して、部屋の中にはだれもいなかった。
(いったい、どこにいったというのだ!?)
慌てて周囲を探る。
ふといつか嗅いだ事のある甘い匂いが鼻についた。
(この匂いは……)
俺の意識は闇に落ちていった。
「……っ、ここは……?」
朦朧とする意識が急激に覚醒する。動こうとするが後ろでに拘束されているため身動きが取れない。
「お目覚めかしら?」
天上の調べを思わせる美声が響いた。
……このシチュエーションは? 俺は恐る恐る声の方に振り向いた。
(ひよぇえええええええええええええええええ!!!!)
良美が例のボンテージルックでたたずんでいる。今度は両手に鞭を持つという徹底ぶりだ。もちろん肉はしっかり余っている。
「よ、良美さん? これはいったい!?」
「ふっ、あなた用に誂えた特別室よ。この前は失敗したけど、もう大丈夫。今度は逃がさないわ」
良美はニタリとわらった。
ここにいたって俺は全てを理解する。
罠だったのだ。全ては周到に用意されていたのだ。
「清川さんのことはいったいなんだったのだ!?」
私はせめての抵抗に叫ぶ。
「ああ、噂を流したのも私だし、ここに呼び出したのも私よ。清川ならそこにいるわ」
そう良美は視線を振るとボーナスと書かれた封筒をもった清川がニコニコとした笑顔で立っていた。給料が入ってうれしいとしかその顔にかかれていなかった。なんて、天然。
「ふふふ、全ては、あなたとこうするため♪ 可愛がって、あ・げ・る♪」
ブチっ――
何かが切れる音がした。
「嫌じゃああああああああああああああああああああ!!!」
俺はどこかに眠っていた火事場の力を呼び出し、また逃走したのであった。
「ふう、今回もまたひどい目にあった」
俺は逃げ出した後、必死に包囲網をかいくぐった。
良美の身内が力を握っているせいか、街全体が敵の勢力化だった。
時には良美にあと一歩まで追い詰められ、あはや貞操の危機ということもあった。
だが、俺は逃げ切ったのだ。やはり、あいつに襲われることなど、俺のプライドが許せん。男というものはプライドに生き、プライドに死ぬのだ。だから、俺はなんとしても逃げ切らなければならなかった。そして、その強い意志の力がこうして勝利をおびき寄せたのだ。
「もう当分、温泉はいいかもしれない……」
湯治に行く前より疲れたような気がした。なつかしの我が家が見える。喜び勇んでドアを開けようとして気づいた。少し、開いている。
そーと、覗き見る。
(また、いるぅぅぅううううう!!)
俺は見なかったことにして、ドアを閉めた。
今度はどこに行こうか。青い空がやけにしみた。べ、べつに泣いてるわけじゃないんだから!
(おっかさん、次は海とかいいよね……)
沈みかける太陽を見てそう思った。俺も星になりたい。
「俺は、負けない! まけない! 負けるもんかああああ!!!」
俺は夕日に向けて走り出した。
-完-
俺は今、熱海の温泉にきている。
追いかけられていたけど大丈夫かだって?
あったりまえさ! 俺は天才探偵だ。どんな敵にも屈することなどないさっ。
ピンチをチャンスに替え、チャンスは確実にものにする。それこそが名探偵橋本の真の姿だ。
(ふっ、自分の才能がこわいな……)
だが、こんな天才な俺にとっても休息の時間は必要だ。適度の休息こそが、この灰色の脳細胞を鋭敏に活動させる。
――カポーン
ししおどしが高らかに鳴り響く。
(……いい湯だ)
「ババンババンバンバン♪ あ~バビバビ」
思わずドリフの歌が飛び出すほど、かの名湯はうわさ以上だった。芯にたまった疲労が氷が解けるようになくなっていく。まるで、春の陽だまりに似た心地よさは、この俺をしてもうならせる。しかし、それ以上に、俺を極楽な気分にさせたのは、ある特質がこの温泉宿にあったからだ。
其は混浴。男の理想と夢を具現化した、理想郷(パラダイス)。俺の目の前には恥らいながら湯につかる女性の姿があった。
(ああ、おっかさん、俺は、俺は……生まれてきて良かった!!)
いかに俺がもてるとはいえ、温泉で見る女性の姿は別格である。服を着ているときはどうと言うことはないが、まるで現世に舞い降りてきた天女のように神々しい美しさを放つ。女性と言うのは罪なものだ。こうも簡単にこの天才の心を惑わす。
「あの、もしや、あなた橋本さんでは……?」
その時、俺の背後から、天上の調べもかくやという美声が鳴り響く。俺の美女センサーが一瞬で振り切れる。
(なんだと!? 温泉街の女性の魅力はバケモノか!?)
しかも、声の主は俺のことを知っているようだ。これはまたとないチャンスだ。今はタオルを巻いているとはいえ、お互いに生まれたままの姿に等しい。うまくいけば、湯から上がったあと、あんなことやこんなことのチャンスが待っているかもしれない。
○あんなこと○
「橋本さん……、私、温泉でのあなたのたくましいお姿を拝見してから、どきどきがとまらないんです……」
「ふっ、私こそそうだ。あなたの姿はどんな花にも例える事ができないほど麗しい」
「そんな……うれしいです。良かったらこの後一緒に……」
「ありがとう。私も望んでいたことだ(とったどぉぉぉおおお!!)」
○こんなこと○
「橋本さんって、探偵さんでしたの? まあ、素敵っ」
「そんなことないさ。所詮探偵など、人の闇を探す仕事。つらいことが多いのさ。……でも、時にはあなたのような素敵な人と出会わせる。それだけで、この仕事は悪くない」
「橋本さん……。私、今夜あなたと一緒にいたいな……」
「私もだ……(いやほおおおおおおおおおおおおおおおい!!!)
よだれを拭う。あまりにも素敵過ぎる未来に無意識によだれがこぼれてしまったようだ。すぐにでも振り向きたい。だが、場所が場所だ。あまりにもがつがつしすぎては興ざめされてもつまらない。やはり、ここは最高の笑顔を作り、さわやかに振りむかなくてはならない。
無意識に飛びつこうとする身体を必死に押さえながら、俺は最高の笑顔を浮かべ振り向いた。
「ああ、私は橋本だが。あなたは……ぇぇぇえええええええええ!?」
――やつだ。
――やつがいた!
潰れた鼻は豚のよう。温泉の湯で上気した肌はまるで、ボンレスハムよりもおいしそうに見えた。動くたびにゆさゆさと揺れる肉塊。やつ――良美の姿がそこにはあった。
(また、だまされたああああああああああああああああああああ!!!!!!!)
これ以上ないほど魂の叫びだった。
これで二度目だ。神様はそんなに俺が嫌いなのか。今回は美女メーターが振り切れたんだぞ! これで美女じゃなかったらうそだというレベルなんだぞ! それなのに……それなのに……あんまりだああああ!!!
「やっぱり、橋本さん。こんなところで奇遇ですね♪」
良美はうれしそうに微笑む。タオルに包まれた良美の肢体がぼよんっと揺れた。
語尾に♪マークをつけるんじゃねぇ! それにうれしそうにすりよってくるんじゃない! うわっ、さぶいぼが出てきた……。
「よ、良美さんこそ、こんなところにどうして来てるんです?」
気持ち悪さを懸命にこらえながら話しかける。もちろん、あの時、俺の家の中に不法侵入していたことなど完全にスルーだ。そうじゃないと、芋づる式に忌まわしい記憶が呼び起こされてしまう。
「実はですね。父の事業の都合でこちらにくることになってしまったんです。我が家は多方面で事業を展開してるため、時には私も派遣されることもあるんです」
良美はさりげなく俺との距離をつめていた。一足一刀の間合い。武道における絶対防衛線を良美は苦もなく簡単に越えてきた。
(くっ、こいつできる!?)
じわりじわりと相手の警戒心の内がわを乗り越える手法は見事の一言に尽きる。気がつけば俺と良美の間は数十センチしか開いていなかった。
(まずい!! まずいぞ俺!? こんな人目が多いところで食べられるわけにはいかない!!)
みんな、俺に元気をくれ! 敵を打ち破る元気を今俺に!!! 俺は前科持ちになろうとこんなところで屈するわけにはいかない!
「そういえば、橋本さん。この温泉には湯治にいらっしゃたのですか?」
俺が悲壮な覚悟を決めた時、急に良美は思い直したかのように距離をとった。
「あ……、ああ。最近は依頼続きで少々疲れてしまったね。たまには休暇をとることも良いかと思ってね」
何にしろ危機はさったのだ。良美の気が変わらないうちに違う話題にしてしまおう。
「まあ、それはちょうど良かった。よかったら私の依頼をまた受けていただけないかしら。もちろん、休暇中ということで、報酬には上乗せさせていただきますわ」
(ぜってぇ嫌だ!!!)
こいつは俺に以前したことを忘れたのか!? あの屈辱。あの恐怖。もう少しで全てを投げ出して屈してしまいそうになった。だが、天才たる俺の機転により、全ての障害を打ち砕き、自由という勝利を手に入れたのだ。それを、また、俺に味合わせようと言うのか!?
「……残念だが。今は休暇中でね。私オンオフをしっかりしている男でね。休暇中はなるべく働かないようにしているのだよ」
俺の言葉に良美が残念そうにうつむく。おし、勝った。依頼さえ受けなければこいつとは無関係だ。
「……それは残念ですわ。今回は父の会社の調査を頼むつもりでしたから、報酬として1000万を用意しようと思ったのに……」
(1000万ですと……?)
現在の俺の事務所の収益が月30万もいけばいいとこだ。えっと、1000万だと……30ヶ月分だと!?
「困ったときは、お互い様です。この探偵、橋本。お客様の頼みとあれば、どのような依頼でもお受けいたしましょう!」
考える前に返事をしてしまっていた。
良美がニヤリと笑った顔を見た瞬間、俺はくもの巣にかかった蝶になったことを知った。
「それで、今回はどのような調査依頼でしょうか?」
あのまま温泉で話しているといろんな意味で危機だったので、場所を変えた。中心地にある豪華なホテルのロビー。ちなみに良美が泊まっているところだそうだ。はじめは彼女の部屋を指定してきたが断固として断らせてもらった。
「実は、私の父の経営する温泉宿に関することなんです」
良美は、そう前置きをして話し始めた。
「老齢の父は、事業に精を出す傍ら、男手一つで私を育ててくれました。どんなに忙しくても、私のことを大切にしてくれていました。あの女が現れるまで……っ!」
良美が机を思いっきりたたきつける。品の良いロココ調の机がミシリっときしんだ。
(こわいよ~~)
俺は、内心の恐怖を押し殺し、真剣な表情をつくり、彼女を見つめる。
「あの女は、老境を迎えた父の心にうまく取り入り、今では女房気取りなんです。周囲からの評判も悪くない、女将の鏡だと言われています。でも、私は聞いてしまったのです」
声だけは美しい女が凄みをこめて話すと壮絶なものがある。俺はゴクリと無意識に喉を鳴らしてしまう。
「よりにもよって、あの女。父と言うものがありながら、若い社員と恋仲になっているそうなんです。しかもかなりのイケメン。私も狙っていたのに……、まあそんなことはどうでもいいですわ。不実な振る舞いをする、あの女の周囲を調べ上げてほしいのです」
そこまで聞いて、大体の話の流れはわかった。
(財産と女か)
建前上は後妻めいた女が許せないという流れだが、この女はそう単純には考えていないはずだ。父親が死んだあと、自分に入る取り分が半減することにきちんと気づいている。老境の父からの遺産を効率よく受け継ぐためには邪魔なものは少なければすくないほどいい。そして、そのことを俺が勘付くことも気づいている。口止め料の意味をこめて1000万と言うことか。そういう意味ではこの依頼料、妥当なところかもしれない。
「ふむ、ではその女性の交友関係を調べればいいということですね。期間は?」
浮気調査など、異性関係を調査するには期間は長ければ長いほど、結果がでやすい。
「一週間でお願いします」
だからこそ、良美の答えは意外だった。
「それでは、結果が出にくいかもしれないが、良いのかい?」
「ええ、大丈夫です。私は明後日、父と共にこの街を離れます。父と私、交互にこの町に滞在していたため、その間密会はできなかったはずです。会えなければ、会えないほど燃えるのが男女の仲。この機会に動かないはずがありません」
良美が嫣然と微笑む。流石はと言ってもいいだろう。数々の男を手玉に取ってきたやつだ。そのあたりのことは良くわかっている。
「わかりました。かならず結果を出しましょう」
「ええ、お願いします。もし決定的な証拠が用意できるようなさらに100万報酬にプラスいたします」
良美は最後にそう締めくくり、伝票を持って消えていった。
俺はすぐに調査を開始した。相手がわの女性の名前を調べる。
(清川玲子。28歳。ほっそりとした美人か)
対象は俺の美女センサーがかなり反応する和風美人だった。着物姿が似合い、楚々とした挙措はまさに立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と言えよう。どのような姿を見ても美しい。
(この人が、あの爺さんのものか)
嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる。今ならこの炎で世にはびこるバカップルどもを滅殺できそうだった。
なんにせよ。これだけの美人だ。言い寄る男も多いだろう。それなのに爺さんを選んだってことは、こいつも財産狙いってとこか。
人の能力と性格と性癖は異なる。同じように容姿と性格も異なるのだ。
(美人にはトゲがあるってことか)
このまま考えていても埒があかない。俺は聞き込みをすることにした。
従業員A
「清川さん? いい人ですよ。やさしくって教養があって。僕たち男性職員にとっちゃ憧れの花ですよ。ん? 爺さんとできてるかですって? あはは。面白おかしい噂としてはありますけど、ないですよ。あったら困ります……」
従業員B
「そういえば、清川さん。変な噂があったなぁ。爺さんに囲われてるって。まあ、だれが流した噂か分からないけど悪質なデマだね。たしか、懇意にしている人がいたような」
従業員C
「清川さん。ふふふ。ふふふふふふふ。俺の恋人です。ずっと見てるんです。どこに行っても見てるんです。どこでもついていくんです。拒否されてもへっちゃらです。ふふふふっふふふふふふっふふふ」
最後の証言を除いて、どれも好意的なものだった。いつの世もストーカー的人間はいるものだ。しかし、彼らからの意見を統合すると、一般的には爺さんと清川玲子はできていないということになっている。年齢差もあるだろうが、清川に特定の相手がいそうということも理由として考えられるだろう。
(なんにせよ。良美と爺さんがいなくなる決定的なチャンスを待たなくてはならないな)
考えられる範囲は考察した。あとは物証をそろえてからだ。俺は、しばし望遠鏡を構えを清川を観察することにした。
1日目
清川は職場では働き者だった。てきぱきと様々なことに柔軟に対応し、周囲からの評価も高い。たまに天然なところもあるから、完璧すぎず周囲から妬まれることもないのだろう。しかし、歩いているだけでなんでこけるんだ?
2日目
普段の生活では割りと綺麗好きなようだった。ただ、やはりちょっと天然が入っているのか、好きだというお風呂でおぼれかけていた。
3日目
特に変化なし。仕事は一生懸命しているようだ。
(変化がでるとすれば今日か)
いよいよ、良美と爺さんが去る日になった。俺は特に別れの挨拶はせずに清川の周囲を観察し続ける。その日、清川は化粧をいつも念入りにしていた。これはどう考えても男と会うに違いない。
(ビンゴか……)
美人さんには悪いが、決定的瞬間を撮るだけで多額の報酬を得ることができる。うらむのなら、他の男とくっついた自分を恨むがよい。この天才たる俺にほれていればどんな艱難辛苦からも守ったろうに。俺は気づかれないように慎重に尾行を進めた。
清川は、良美が泊まっていたホテルにウキウキと足取りも軽く来ていた。まるで待ちわびた恋人についに会えるという感じが全身から漂っている。エスカレーターで8階まで上がり、部屋の中に入っていった。
(いよいよか……)
俺はあらかじめ良美から預かっていたマスターキーで鍵を開けると部屋の中に滑り込んだ。できる限り気配を消し、感覚を鋭敏にする。
(頼むから。まだ始めてくれるなよ)
さすがの俺も他人の濡れ場を見る趣味はない。
決定的瞬間さえ、収めればおさらばするつもりだった。
ドアをそっと空け、情事が行われているだろう室内を覗き込む。
(なに!?)
しかし、予想に反して、部屋の中にはだれもいなかった。
(いったい、どこにいったというのだ!?)
慌てて周囲を探る。
ふといつか嗅いだ事のある甘い匂いが鼻についた。
(この匂いは……)
俺の意識は闇に落ちていった。
「……っ、ここは……?」
朦朧とする意識が急激に覚醒する。動こうとするが後ろでに拘束されているため身動きが取れない。
「お目覚めかしら?」
天上の調べを思わせる美声が響いた。
……このシチュエーションは? 俺は恐る恐る声の方に振り向いた。
(ひよぇえええええええええええええええええ!!!!)
良美が例のボンテージルックでたたずんでいる。今度は両手に鞭を持つという徹底ぶりだ。もちろん肉はしっかり余っている。
「よ、良美さん? これはいったい!?」
「ふっ、あなた用に誂えた特別室よ。この前は失敗したけど、もう大丈夫。今度は逃がさないわ」
良美はニタリとわらった。
ここにいたって俺は全てを理解する。
罠だったのだ。全ては周到に用意されていたのだ。
「清川さんのことはいったいなんだったのだ!?」
私はせめての抵抗に叫ぶ。
「ああ、噂を流したのも私だし、ここに呼び出したのも私よ。清川ならそこにいるわ」
そう良美は視線を振るとボーナスと書かれた封筒をもった清川がニコニコとした笑顔で立っていた。給料が入ってうれしいとしかその顔にかかれていなかった。なんて、天然。
「ふふふ、全ては、あなたとこうするため♪ 可愛がって、あ・げ・る♪」
ブチっ――
何かが切れる音がした。
「嫌じゃああああああああああああああああああああ!!!」
俺はどこかに眠っていた火事場の力を呼び出し、また逃走したのであった。
「ふう、今回もまたひどい目にあった」
俺は逃げ出した後、必死に包囲網をかいくぐった。
良美の身内が力を握っているせいか、街全体が敵の勢力化だった。
時には良美にあと一歩まで追い詰められ、あはや貞操の危機ということもあった。
だが、俺は逃げ切ったのだ。やはり、あいつに襲われることなど、俺のプライドが許せん。男というものはプライドに生き、プライドに死ぬのだ。だから、俺はなんとしても逃げ切らなければならなかった。そして、その強い意志の力がこうして勝利をおびき寄せたのだ。
「もう当分、温泉はいいかもしれない……」
湯治に行く前より疲れたような気がした。なつかしの我が家が見える。喜び勇んでドアを開けようとして気づいた。少し、開いている。
そーと、覗き見る。
(また、いるぅぅぅううううう!!)
俺は見なかったことにして、ドアを閉めた。
今度はどこに行こうか。青い空がやけにしみた。べ、べつに泣いてるわけじゃないんだから!
(おっかさん、次は海とかいいよね……)
沈みかける太陽を見てそう思った。俺も星になりたい。
「俺は、負けない! まけない! 負けるもんかああああ!!!」
俺は夕日に向けて走り出した。
-完-
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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