短編小説
出会いは当然に?
雲が透けて見えそうだった。
西川紀行は校舎の屋上で空を見上げていた。少し平べったい薄い雲は風にのり緩やかに流れていた。まるで天空を優雅に散策しているみたいだった。じっと見ると空を泳ぐクジラのように見えなくもない。それに纏わり付く小魚のように鳥達が遊んでいる。
不意に、一羽の鳥が集団から離れ、降下した。
それを追うように他の鳥達もついてくる。それにつられ視点を下界に移せば、校舎の並木道を彩る桜色が見えた。今年の桜前線は随分と早く、二ノ宮高校の卒業生を祝福するかのように、校門を通る生徒たちを包んでいる。少し強めの風のせいか、花がはらりはらりと散っていた。それは薄茶色のブレザーに、チェックスカートの女子制服に取り付き、華やかな雰囲気を色づかせている。門出の日の誇らしさのせいか、どの顔も桜の精が舞い降りたかのように、とてもまぶしかった。
キーンコーンカーンコーン
鐘が鳴った。
卒業生の門出のために鳴らされる祝福の鐘である。ミッション系の歴史ある校舎にふさわしく、鐘も鈍い光沢を放っている。ただ、音色は澄んでいた。
そして同時に別れの鐘でもある。
多くの生徒が感極まったようにハンカチを取り出した。女子の集団は輪になり、卒業後の事を相談して、泣いたり笑ったり、忙しげに表情を変えている。逆に男子の方は今夜の卒業パーティーをいかに楽しく過ごすかを話し合い、中には何を考えているのか人の悪い笑みを浮かべている者もいた。
「楽しそうだなぁ……」
西川紀行はそんな様子を屋上でぼんやり見るとはなしに呟いた。
彼は本来なら学校規定を着用しなければならないのに、真っ白なTシャツを薄茶色のジャケットの下に着ていた。その格好は彼の整った顔にはとても似合っていたが校則違反には変わりはない。
目にかかるほど伸ばしている髪は、むさ苦しさはなく、むしろ知的な雰囲気さえかもし出す役割を果たしていた。一見女性的と思えるほど整った容姿だが、あえて欠点を挙げるとすれば皮肉げに歪められた口元であろうか。その表情さえなければ絵に描いたかのような青年だった。
校舎の屋上、本来なら立ち入り禁止のこの場所に彼がいるのにも訳があった。今年度の卒業生である彼は当然あの輪の中に参加していてもいいはずだが、この場所に一人いる。それには彼の学校生活を語らなくてはならない。
西川紀行は勉強ができた。彼の特技はそれだけで十分と言ってよいほどそれはずば抜けていた。校内はもちろん全国模試でも十番という順位を割ったことはこの三年間一度もない。彼自身勉強は得意と言うよりできて当たり前のレベルであった。だからといって彼がそれ相応の勉強をしていたかというと、そうでもなかった。学校の授業においても予習復習をしたことなく、ただ授業を聞くだけでほとんどの事は理解できた。たまに難関な問題にぶつかっても教科書を見るだけで解決し、テスト前でさえ勉強をする事は皆無であった。それでも彼は校内の誰にも負けたことはなかった。
そんな彼には夢があった。まずは東大に入る。そこで、人脈を広げ一つのネットワークを確立する。日本の官僚で力を持つのは大抵が東大出身者。しかし各省に散らばった彼らは独自の考えで政治というものの歯車になっている。そんな彼らを纏め上げることが出来たならば政界において強大な力を持つことができる。そして、その力を存分に生かし、総理大臣に就任。大規模な改革を行い、この国に巣食う寄生虫どもを駆逐し、他国の顔色を伺わなければ生きていけない国を根本から変えてやる。紀行は常々そう思っていた。
そんな彼が卒業式を終えたからといって、一人屋上でたそがれるはずがない。何故、彼がここにいるのか。それは――
その最初の一歩でつまずいてしまったのだ。
彼にとって意識にも上らなかった不測の事態が起こりえてしまったのだ。
つまり、彼は、東大に落ちてしまったのだ。
「生きるっていったいなんなんだろ……」
彼の呟きはオレンジと赤の絵の具をごちゃ混ぜにしたような空に吸い込まれていった。いつの間にか日が暮れていた。物思いに沈むと時間がたつのが驚くほど早い。紀行は苦笑を漏らした。
少しも挫折を経験してこなかったわけではなかった。それなりに苦しい思いをしてきた。しかし、自分の夢があっさりと破れ、次に何をしていいのか急に分からなくなった。目の前に先も見えない濃霧が生まれ、すべてが曖昧でぼやけて見える。まるで夢の中のように奇妙に現実感がなく、そこに生きているという実感もなかった。自分の体がだれか他の人のものとなり勝手に呼吸して勝手に生きている。そうとしか思えなかった。
両親はもう一年頑張ればいいじゃないか、そう言ってくれた。お前なら大丈夫だとも、励ましてくれた。しかし、彼らは知らないのだ。一年間浪人するということは、同年代の現役で入ったやつらからは格下に見られることを。そうなると紀行の計画である権力への道が途絶えてしまう。いったい誰が格下の言うことを聞くのであろうか
俺の夢は途絶えたのだ。
それに気がついたとき他の夢を探そうとも思った。自分の能力があれば可能性は無限にあると思った。しかし、空っぽなのだ。いくら引出しを開けてもどこも空っぽ。典行の中には何もなかった。やりたい事も、欲しいものも。ひとつの事だけを考えすぎた余り、他のことが必要なくなっていた。だからこそ虚しくなった。生きているのが馬鹿らしくなった。だから――
紀行は屋上のフェンスを越えた。眼下にはいつのまにか誰もいなくなった校庭が、赤く染まっている。こんなに赤いのだ。自分一人濃いシミを加えても問題はないだろう。
「あーあぁ……、ホント……疲れたなぁ……」
紀行は何もない空に一歩踏み出した。
落ちていく体。
そして、空中で止まる体。
「………………へ?」
信じられないことに紀行の体は空中で静止していた。頭の中がパニックになる。絶望の余り自分はおかしくなってしまったのか。なんてこった。俺は狂ってしまったのか。
「ボウズ、命を粗末にするんじゃねえ」
その時、声がした。
「だれだ!?」
反射的に声の方を振り返る。
――カエルがいた。
あの雨を喜んでゲコゲコ鳴くやつだ。しかも、どういう原理なのか空中に浮いている。
「……やっぱり死のう」
「まてまてまてっ!! 人の顔を見て最初に言うことがそれかいっ!」
なにかカエルがわめいている。ああ幻覚だけではなく幻聴まで聞こえてきた。すべては夢、泡沫の夢なのだ。紀行は空中でもう一歩踏み出そうとした。しかし、やはりというか、動かなかった。
「くそっ!? 一体何なんだ?」
「ボウズ、どうしてそんなに死にたいんだ?」
目の前のカエルがのたまった。
「うるせえ、カエル!」
「カエルって言うなぁぁ!」
目の前のカエルはお腹を盛大に膨らませたと思ったら、急に怒鳴りだした。それと同時に紀行を包んでいた不可視の力が消失する。
「うわっ……ぁぁぁぁ………………」
今度こそ本当に落ちてゆく体。現実を思い出したように重力の法則が紀行の身体にかかる。泣き出しそうな喪失感を覚えながら、紀行はどこか安堵を覚えていた。カエルは空なんて飛ばない。話なんかしない。自分はやはり絶望のあまりどこかおかしくなってしまったんだ。最後になって幻覚を見たのがヘンなカエルだなんて、まったく我ながらあきれ果てた奴だ。こんな男が野望を叶えようなんて鼻で笑ってしまう。
瞬く間に地面に近づいてくる。紀行はぎゅっと目を閉じた。覚悟はとっくにできている。
そして、衝撃がきた。
お尻が痛い。
痛い?
恐る恐る目を開けてみる。
「やれやれ、ワシとした事が怒りに我を忘れるとはな」
先ほどと同じ場所にカエルがいた。そしてどこか遠い目をして呟いていた。
紀行は屋上のフェンスの内側に尻餅をついていた。
「……なんで……、どうして……」
急速な変化に頭がついていかない。
「悪い悪い、ちょっと力が抜けちまってな。お前が悪いんだぞ。カエルだなんていうから」
「だって、カエ――」
「あんっ!?」
カエルは壮絶な笑みを浮かべた。時に笑顔は怒りの表情より恐ろしい。それを実感した瞬間だった。しかしなんでカエルに表情なんかがあるんだ。頭の隅で疑問に思った。
「……すいません」
「分かればええ」
紀行はあっさり降参した。
「それじゃあ、あんたの事なんて呼べばいいんだよ」
「ふむ、ワシの名は『ζρψλεб』だ」
その時、紀行の耳をガラスを引っかいたような甲高い音が襲った。音が耳の中に残り頭をかき乱す。
「つぅっ!?」
「おっと、悪い悪い。ワシの真名は人間にはきつかったか……」
カエルはその小さな体を考え込むように俯かせると、急に眼をぎょろっと光らせた。
「そうじゃ、偉大なる先祖の名をとって、わしの事はピョン吉とでも呼ぶがいい」
「……はい?」
それはどう聞いてもカエルの名だった。しかし目の前のカエルは上機嫌に見えた。さかんに頬をぷくぷく膨らませてる。なぜだか紀行にはそれがわかった。
「なんじゃ、知らんのか? 何十年か前にアニメがあっただろ。ほれ、シャツに我らの同朋がくっついた奴」
カエルは紀行が知らないと勘違いしたのか、説明を始めた。そんなことは当然知っている。でもいいのか。
「いや、知ってるけど……それカエルの名前だぜ?」
「バっ、ばっ、ばかもぉぉぉぉぉぉぉん!!」
ピョン吉はぴょんっと空中に浮かぶと巨大化した。人間の成人並のサイズにまで膨張すると、まるでハエを取るみたいにその長い舌で紀行を絡めとった。そして同時にものすごい圧力で締め付けた。
「よりにもよってピョン吉さんを、そんじょそこらの下等生物と一緒にするとは何事だ! 彼はすばらしい根性と機敏な判断力で布地に封印された後も生き続けた。我らがいかに優れた存在と言えでもあの状態で助かるわけがない。それなのに彼は生きた。生き抜いたのだ。あのような人こそ勇者と呼ぶに相応しい。文字通り勇気のあるものなのだ!」
ピョン吉(カエル)は熱弁を振るっていた。どういう声帯をしているのかわからないが、その声はカエルから発せられていた。しかし、紀行にはそれを聞く余裕などなかった。あまりの締め付けの強さに意識が完全に飛びかけていたからだ。息苦しさも峠を越えると、どこか甘美な感覚に変わっていく。紀行は奇妙な感覚を覚えていた。そして、その感覚は徐々に消失していく。
「……つっ、はあはあはあ!!」
急激に意識が覚醒する。空っぽになった体に酸素が染みわたっていく。
「はずみというものはあるものだ。どうも、今日のワシは切れやすいな。カルシウム不足かもしれん」
ピョン吉は苦しがっている紀行の横でのんびり雲を見ていた。そのどこか平和な姿に怒りがこみ上げてくる。ひらたくいうなら切れた。
「カルシウムとか言ってんじゃねえ! はずみで二度も人を殺そうとしやがって。とんでもねえ奴だ。だいたいお前いったい何なんだ。そんななりで話なんかしやがって。この化け物!」
「ふーむ、今の言動は許せんが、なにか誤解が有る様じゃな。だいたい一度目は自分で死のうとしたではないか」
「うっ、それは……」
「それに、ワシは化け物とかではない。宇宙人だ」
ほんの数秒間時が止まった。文字通り、風に流される雲も、空を飛ぶトリの羽ばたきも全てが凍りついた。
「……なんで、カエルが宇宙人なんだよ? 普通は頭がでっかくて小人みたいな奴をなんじゃないのかよ」
紀行は当然の疑問を発した。その前にカエルと話しているという疑問は頭の隅に追いやられている。
カエルはやれやれと短い手を上げて、肩をすくめるジェスチャーをした。
「いかんなぁ。近頃の若い者は。いわゆる一つの固定観念という奴に捕らわれているぞ。だいたい宇宙人なのだから、人類と似た姿をしていないのがいても当然なのだ。それを変と思うのは、自分の小さな世界を人に押し付けようとしているのと同じだぞ」
「そ、そうなのか?」
「うむ、ワシが知っている限りでも甲殻型、軟体型、微細型、まだまだあるぞ。この世界に人類に似た生物しかいないと思うのが、そもそも傲慢な考え方なのだよ」
得意げにピョン吉は胸をそらす。紀行は奇妙だが納得していた。確かに宇宙という広い世界があるのなら、中にはこんなへんてこりんな奴がいるかもしれない。しかし、じゃあなんでカエルの姿をしているのだ。
「じゃあさ、あんたの世界の住人は、みんな地球のカエルみたいな格好をしているんだな?」
ピョン吉は一瞬怒気をあらわにするが、恥じたように顔をしかめた。
「ふむ、ワシもなこの星に来てから、彼らをみて驚いたものだ。ワシらとほぼ同じ姿をしているのに、言葉を操れず、思考もできない。ましてや、身を守るべき念動力や変身術といったモノも使えない。まったくの下等生物だったのだ。悪夢をみているかと思ったぞ」
(あんたがしゃべっている事が、俺にとっては悪夢だ)
紀行は、ちらりと思ったが自分の為にも言うのは止めておいた。
「つまり、あんたはカエルの親戚でも突然変異でもなく、完全なる別種ってわけなんだな」
「うむ、物分りが早くて助かるぞ。今までは、せっかくワシが話しかけてやっても、このワシがだぞ。カエルと間違えて悲鳴を上げて逃げてゆく失礼な奴ばかりだったからな。まあそういう奴らには何をしたかは言うまでもないが。つまり、そういうことなのだ。だから今後ワシのことをカエルと間違えるのは厳禁だぞ」
ピョン吉はにっこり笑みを浮かべた。カエルの笑み、それは世にも気色の悪いものだった。
(今後、今後があるのか!?)
紀行のお尻の辺が薄ら寒くなったのは言うまでもない。一刻も早くこの珍妙な物体と縁を切りたかった。聞くことだけ聞いて早くおさらばせねば。
「ところで結局、一体なんの用だったんだ?」
自分でもおかしな話題の転換だと思ったが、強引に話を進めていく。
「おお、そうじゃった。そうじゃった。いや、偶然ここを通りかかってみれば、若い身空で命を絶とうとしている者がおるではないか。こりゃ、お天とうさまが見逃しても、このピョン吉さまが見逃すわけにはいかねえ。というわけで止めに入ったわけよ」
「………………」
「まあ、今更って事になるかもしれないが、ワシに話してみんか? 悩みは誰かに言う事によって随分楽になるものだぞ」
紀行は別段ピョン吉に言う必要性を感じなかったが、口を開いた。
現在の自分の状態からはじめ、自分の夢、どうしてこんな事をしてしまいそうになったのかを話した。一度話し始めると堰を切ったみたいに言葉の流れが止まらない。知らず知らずの内に自分は話し相手を求めていたのかもしれなかった。ピョン吉は黙って聞いていた。その大きな眼を閉じ、腕組みをしながら黙っていた。それに勇気付けられるように、紀行の言葉は矢継ぎ早に発せられた。
「……というわけなんだ」
紀行はどこかさっぱりした様子で話を結んだ。自分の中で濁りたまっていたものが薄まっていく感じがした。最初はこんなカエルの言う事を聞くのは癪だと思っていたが、本当は話し相手を求めていたのかもしれない。それなのに自分の殻の中に閉じこもり、世間を恨み死んでいこうとするとは、なんて浅はかな事をしようとしたのだろう。道はいくらでもあるはずだ。例え遠回りをしようとも、最終的にはそこにたどり着けばいいじゃないか。そうだ、自分の夢は富や名声なんかじゃない。この国をいかにして良い国にするかということだった。それなのに途中から手段が目標になり、それが全てになっていた。だから、たかが大学を落ちたくらいのことで、あのような考えに行き着くのだ。世間に出れば、勉強ができるくらい大した特技にもならない。そんなことよりも人と人をつなげ、大きな輪にしていくほうがよっぽどすばらしい。今、それに気づいた。もう間違いなんて犯さない。自分にはまだまだやる事があるし、できることがある。いい教訓になったと思えば、今回の事も許せる。
「ありがとう……」
紀行の口からは自然に礼の言葉が漏れ出ていた。今まで、宇宙人という存在など信じた事はなかった。けれど、実際にこの眼で見て、その力を体験した今、疑う必要などない。紀行は良い意味でも現実主義であった。それに、こんなに熱心に自分の話を聞いてくれた奴は今までいなかった。それに感謝したい。
ピョン吉は紀行の話が終わっても眼を閉じたままだった。考え込むように俯いていた。
二人の間をさわやかな春風が流れた。
その瞬間、ピョン吉はかっと目を見開いた。
「甘い!」
大音声でそう叫んだ。その瞳は怖いくらい真剣だった。
「そうだな、俺も今そう思っていたよ。ほんとに浅はかな考えだったと。もっと他に道があるはずだと――」
「そんなことじゃねえ! ワシが言いたいのはな、そんな甘っちょろい事じゃねえ。一度自分で決めた事を貫徹しないで何が男か、何が人生か! 目の前に壁が立ちはだかった。引き返すのも一つの手だろう。ゆっくり迂回していくのも、また一つの手であろう。しかし! それは所詮負け犬がすることなのだ。苦い経験をしたものだけが人の痛みをわかるとはよく言ったものだ。だが、それは所詮傷の舐め合い。本人達はそれでいいかもしれないが、傍から見たらみっともないだけだ。今、お前が述べたような考えはむしろ言い訳に近い。自分はまだまだやれる。挽回できる。こんなものじゃない。口で言うのは優しいが現実本当にそうなのか。致命的ではないのか? 頭の中にチラリともその考えがかすめなかったか? お前は負けたんだ。このままじゃ、お前の夢はかなわない!」
ピョン吉の言葉はぐさりと紀行の胸に突き刺さった。だが同時にほんとにこいつの言う通りなのか、という考えも浮かんでくる。それに過ぎ去ってしまった事はどうしようもない。諦めの感情が浮かんだのもまた事実だった。
「そんなこと、言われるまでもない! でもさ、実際もう取り返しがきかないんだ。俺だってできることなら、自分の計画通りに進めたかったさ。しかし、時間は巻き戻せない。それなら、違う道を探すしかないじゃないか!」
「ふんっ! やはりガキよのう。青い、青すぎるわ!」
「なにぉ!」
「しょうがない? もうダメだ? この大たわけ者めが!! 自分の過失を棚にあげて、考えもせずによく言える。道を全うしようとする時、困難があって当たり前だ。それなのに足掻かずに違う道を探そうとするとはまったく度し難い馬鹿だ! そんなことをやっていれば、何か困難が襲うたびに自分に都合のいい理由をつけ逃げるようになってしまう。それでもいいのか!? お前がやろうとする事、やらなければならない事、それはそんなにも軽い事だったのか!?」
一理あった。正論だった。その分、胸に堪えた。見たくなくて目を瞑っていた部分を、白昼にさらし指摘されたような感じがした。
「じゃぁ、どうすればいいって言うんだよ……」
紀行はいまや完全に打ちのめされていた。声にも力がなく語尾が擦れていた。
「お前は運がいい。目の前にいるのは一体誰だ?」
「カエ――いや、宇宙人のピョン吉っ……さん」
カエルと言おうとして、ものすごい目をして睨まれたので慌てて言い直した。
「そうだ、ワシは地球上の法則、正確に言うのならば人間社会の法則の外にいる存在だ。こうして出会いがあったのも天命といえるであろう。ワシという存在を利用しなくてどうする!? ワシならお前の夢の手助けをする事ができる!!」
紀行の中にかすかな警戒心が芽生えた。都合がよすぎる。
「どうして、そこまで言ってくれるんだ?」
感情を悟られないように慎重に尋ねる。しかし、ピョン吉はそれを見てにやりと笑った。
「なるほど、馬鹿じゃないようだな。当然キブがあればテイクあるのは当たり前だ。お前の夢をかなえる代償に、ワシの夢もかなえて貰おうかということよ」
申し出としては妥当な所であった。むしろ願ったり叶ったりであった。しかし、相手の言い分が分からない内にはうかつな返事はできない。
「……あんたの願いとは?」
紀行はピョン吉を見た。ピョン吉も一瞬、紀行と目を合わせたが視線を徐々に下げていった。それが紀行の真っ白なシャツを着た上半身でピタリと止まった。嫌な予感が這い上がる。
「まさか……体をよこせって言うんじゃないだろうな?」
カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。同時に宇宙人に心臓を切り取られた牛の写真が脳裏に浮かび上がる。俗に言うキャトルミューテイションだ。そんなことをされたら、いくらなんでも割に合わない。
「馬鹿モン! そんなものには興味はないわい。図体ばかり大きくて何の役にもたたない体なぞ、こっちから願いさげじゃわい」
「じゃあ、何を……?」
ピョン吉は笑みを大きくした。同時に綺麗な茜色の空を見上げた。彼の目はどこか遠くを見ているかのようだった。
「あれはワシがまだこの星に来たばかりの事だった。あの頃のワシは同族かと思いきや下等生物でしかないカエルと出会い、意気消沈していた。そんな時だった。彼を見たのは。偶然テレビという媒体に映った彼の姿は輝いていた。苦しい事があろうとも、どうしようもないピンチに遭おうとも彼は光っていた。ワシは彼に魅せられ、憧れた。いつか彼みたいになりたいと。シャツの中に存在したいと」
「もしかして……?」
シャツの中に存在するカエル? 紀行に思い浮かぶのは一つしかなかった。
「そう、ネーミングはすこぶる安易なアレだ」
ピョン吉は重々しい声で託宣を告げるかのように呟いた。
「どうだ、ワシをそのシャツで下敷きにしてくれないだろうか。さすればお前の望みをかなえてやる。悪い条件じゃないはずだぞ」
「いや、まあ、あの……」
紀行はしどろもどろになった。もしアレと同じ状況になるならば自分はこいつと四六時中いなくてはならない。そんなことに耐えられるのだろうか。
「悩む気持ちも良くわかる。お前にとっても大事な事だからな。だが良く考えてみろ。お前は自分の夢を叶えたいのではないのか? 無理だった事が可能になるのだぞ。選んでいる場合ではないのではないか?」
ピョン吉の言い分は言葉巧みに聞こえた。しかし、どうしようもないほど魅力的なのもまた事実であった。だから――
「わかった」
紀行は決断した。これからこいつが共にいるせいで、様々な苦労を味わうかもしれない。時にはこの決断を後になって後悔する事もあるかもしれない。それでも夢には替えられない。男は誰しも女に恋するより、まず夢に恋する。大抵の奴はその恋に破れ散っていくのだが、中には成就する奴もいる。そういう奴は最後まで諦めなかった奴だ。自分の力を信じ、運を味方につけ、突き進む。そういう奴だけに恋の女神は微笑む。微笑まないなら無理やりでも微笑ましてみせる。
ピョン吉は紀行の返事を聞くと小躍りしそうなくらい喜んだ。頬をぷくぷくと膨らまし、その場でピョンピョン跳ねている。
「じゃあ、俺の夢かなえてもらおうか」
紀行は性急に口を開いた。早くかなえて欲しかった。ピョン吉は一瞬気分を害されたような顔をしたが、ニコニコと笑った。
その瞬間、魔法みたいに紀行の手に一通の封筒が出現する。慌てて開封すると東大の合格証書が紀行の名義で入っていた。
「関係者の記憶の操作も済ませてあるぞい。ついでに書類の改ざんもまとめてやっておいた。お前は春から大学生だ。存分とこの世の春を謳歌し、夢をかなえるがいい」
ピョン吉の声が聞こえてきた。感激のあまり、体が震えた。涙が出そうになった。
「さて、浸っているところを悪いが、ワシのも早々にかなえてくれい。長年の夢なのじゃ。遂にかなうと思うと体が震えてくるわい」
「わかった」
紀行は感謝の念を込めてピョン吉を見つめた。ピョン吉もどこか親しげに微笑んだ。
紀行は飛んだ。まるで羽根があるかのように高く飛ぶと、ピョン吉の上に覆い被さった。ピョン吉はそれを期待に満ちた瞳で静かに見つめていた。
「いつっっっ……」
いつの間にか眠っていたようだ。紀行は体を起こした。太陽はまだ中天にあり、桜の花びらが風に乗って流れてきた。
紀行はどうしてこんな所にいるのかわからなかった。今夜は卒業パーティーのはず、それなのに自分はなんで屋上で寝ているのだ。大学にも無事合格したし、心配するような事などなにもない。夢をかなえるための下地は整った。後は高校生活最後の一日を楽しめばいい。
「いてててっ」
さっきからお腹が痛かった。うずくような鈍痛が繰り返す。嬉しくて持っていた合格証書を離し、お腹を押さえた。すると変な感触がした。
「うわっ、きたねぇっ」
紀行の白いシャツには押しつぶされたカエルの死骸が張り付いていた。
西川紀行は校舎の屋上で空を見上げていた。少し平べったい薄い雲は風にのり緩やかに流れていた。まるで天空を優雅に散策しているみたいだった。じっと見ると空を泳ぐクジラのように見えなくもない。それに纏わり付く小魚のように鳥達が遊んでいる。
不意に、一羽の鳥が集団から離れ、降下した。
それを追うように他の鳥達もついてくる。それにつられ視点を下界に移せば、校舎の並木道を彩る桜色が見えた。今年の桜前線は随分と早く、二ノ宮高校の卒業生を祝福するかのように、校門を通る生徒たちを包んでいる。少し強めの風のせいか、花がはらりはらりと散っていた。それは薄茶色のブレザーに、チェックスカートの女子制服に取り付き、華やかな雰囲気を色づかせている。門出の日の誇らしさのせいか、どの顔も桜の精が舞い降りたかのように、とてもまぶしかった。
キーンコーンカーンコーン
鐘が鳴った。
卒業生の門出のために鳴らされる祝福の鐘である。ミッション系の歴史ある校舎にふさわしく、鐘も鈍い光沢を放っている。ただ、音色は澄んでいた。
そして同時に別れの鐘でもある。
多くの生徒が感極まったようにハンカチを取り出した。女子の集団は輪になり、卒業後の事を相談して、泣いたり笑ったり、忙しげに表情を変えている。逆に男子の方は今夜の卒業パーティーをいかに楽しく過ごすかを話し合い、中には何を考えているのか人の悪い笑みを浮かべている者もいた。
「楽しそうだなぁ……」
西川紀行はそんな様子を屋上でぼんやり見るとはなしに呟いた。
彼は本来なら学校規定を着用しなければならないのに、真っ白なTシャツを薄茶色のジャケットの下に着ていた。その格好は彼の整った顔にはとても似合っていたが校則違反には変わりはない。
目にかかるほど伸ばしている髪は、むさ苦しさはなく、むしろ知的な雰囲気さえかもし出す役割を果たしていた。一見女性的と思えるほど整った容姿だが、あえて欠点を挙げるとすれば皮肉げに歪められた口元であろうか。その表情さえなければ絵に描いたかのような青年だった。
校舎の屋上、本来なら立ち入り禁止のこの場所に彼がいるのにも訳があった。今年度の卒業生である彼は当然あの輪の中に参加していてもいいはずだが、この場所に一人いる。それには彼の学校生活を語らなくてはならない。
西川紀行は勉強ができた。彼の特技はそれだけで十分と言ってよいほどそれはずば抜けていた。校内はもちろん全国模試でも十番という順位を割ったことはこの三年間一度もない。彼自身勉強は得意と言うよりできて当たり前のレベルであった。だからといって彼がそれ相応の勉強をしていたかというと、そうでもなかった。学校の授業においても予習復習をしたことなく、ただ授業を聞くだけでほとんどの事は理解できた。たまに難関な問題にぶつかっても教科書を見るだけで解決し、テスト前でさえ勉強をする事は皆無であった。それでも彼は校内の誰にも負けたことはなかった。
そんな彼には夢があった。まずは東大に入る。そこで、人脈を広げ一つのネットワークを確立する。日本の官僚で力を持つのは大抵が東大出身者。しかし各省に散らばった彼らは独自の考えで政治というものの歯車になっている。そんな彼らを纏め上げることが出来たならば政界において強大な力を持つことができる。そして、その力を存分に生かし、総理大臣に就任。大規模な改革を行い、この国に巣食う寄生虫どもを駆逐し、他国の顔色を伺わなければ生きていけない国を根本から変えてやる。紀行は常々そう思っていた。
そんな彼が卒業式を終えたからといって、一人屋上でたそがれるはずがない。何故、彼がここにいるのか。それは――
その最初の一歩でつまずいてしまったのだ。
彼にとって意識にも上らなかった不測の事態が起こりえてしまったのだ。
つまり、彼は、東大に落ちてしまったのだ。
「生きるっていったいなんなんだろ……」
彼の呟きはオレンジと赤の絵の具をごちゃ混ぜにしたような空に吸い込まれていった。いつの間にか日が暮れていた。物思いに沈むと時間がたつのが驚くほど早い。紀行は苦笑を漏らした。
少しも挫折を経験してこなかったわけではなかった。それなりに苦しい思いをしてきた。しかし、自分の夢があっさりと破れ、次に何をしていいのか急に分からなくなった。目の前に先も見えない濃霧が生まれ、すべてが曖昧でぼやけて見える。まるで夢の中のように奇妙に現実感がなく、そこに生きているという実感もなかった。自分の体がだれか他の人のものとなり勝手に呼吸して勝手に生きている。そうとしか思えなかった。
両親はもう一年頑張ればいいじゃないか、そう言ってくれた。お前なら大丈夫だとも、励ましてくれた。しかし、彼らは知らないのだ。一年間浪人するということは、同年代の現役で入ったやつらからは格下に見られることを。そうなると紀行の計画である権力への道が途絶えてしまう。いったい誰が格下の言うことを聞くのであろうか
俺の夢は途絶えたのだ。
それに気がついたとき他の夢を探そうとも思った。自分の能力があれば可能性は無限にあると思った。しかし、空っぽなのだ。いくら引出しを開けてもどこも空っぽ。典行の中には何もなかった。やりたい事も、欲しいものも。ひとつの事だけを考えすぎた余り、他のことが必要なくなっていた。だからこそ虚しくなった。生きているのが馬鹿らしくなった。だから――
紀行は屋上のフェンスを越えた。眼下にはいつのまにか誰もいなくなった校庭が、赤く染まっている。こんなに赤いのだ。自分一人濃いシミを加えても問題はないだろう。
「あーあぁ……、ホント……疲れたなぁ……」
紀行は何もない空に一歩踏み出した。
落ちていく体。
そして、空中で止まる体。
「………………へ?」
信じられないことに紀行の体は空中で静止していた。頭の中がパニックになる。絶望の余り自分はおかしくなってしまったのか。なんてこった。俺は狂ってしまったのか。
「ボウズ、命を粗末にするんじゃねえ」
その時、声がした。
「だれだ!?」
反射的に声の方を振り返る。
――カエルがいた。
あの雨を喜んでゲコゲコ鳴くやつだ。しかも、どういう原理なのか空中に浮いている。
「……やっぱり死のう」
「まてまてまてっ!! 人の顔を見て最初に言うことがそれかいっ!」
なにかカエルがわめいている。ああ幻覚だけではなく幻聴まで聞こえてきた。すべては夢、泡沫の夢なのだ。紀行は空中でもう一歩踏み出そうとした。しかし、やはりというか、動かなかった。
「くそっ!? 一体何なんだ?」
「ボウズ、どうしてそんなに死にたいんだ?」
目の前のカエルがのたまった。
「うるせえ、カエル!」
「カエルって言うなぁぁ!」
目の前のカエルはお腹を盛大に膨らませたと思ったら、急に怒鳴りだした。それと同時に紀行を包んでいた不可視の力が消失する。
「うわっ……ぁぁぁぁ………………」
今度こそ本当に落ちてゆく体。現実を思い出したように重力の法則が紀行の身体にかかる。泣き出しそうな喪失感を覚えながら、紀行はどこか安堵を覚えていた。カエルは空なんて飛ばない。話なんかしない。自分はやはり絶望のあまりどこかおかしくなってしまったんだ。最後になって幻覚を見たのがヘンなカエルだなんて、まったく我ながらあきれ果てた奴だ。こんな男が野望を叶えようなんて鼻で笑ってしまう。
瞬く間に地面に近づいてくる。紀行はぎゅっと目を閉じた。覚悟はとっくにできている。
そして、衝撃がきた。
お尻が痛い。
痛い?
恐る恐る目を開けてみる。
「やれやれ、ワシとした事が怒りに我を忘れるとはな」
先ほどと同じ場所にカエルがいた。そしてどこか遠い目をして呟いていた。
紀行は屋上のフェンスの内側に尻餅をついていた。
「……なんで……、どうして……」
急速な変化に頭がついていかない。
「悪い悪い、ちょっと力が抜けちまってな。お前が悪いんだぞ。カエルだなんていうから」
「だって、カエ――」
「あんっ!?」
カエルは壮絶な笑みを浮かべた。時に笑顔は怒りの表情より恐ろしい。それを実感した瞬間だった。しかしなんでカエルに表情なんかがあるんだ。頭の隅で疑問に思った。
「……すいません」
「分かればええ」
紀行はあっさり降参した。
「それじゃあ、あんたの事なんて呼べばいいんだよ」
「ふむ、ワシの名は『ζρψλεб』だ」
その時、紀行の耳をガラスを引っかいたような甲高い音が襲った。音が耳の中に残り頭をかき乱す。
「つぅっ!?」
「おっと、悪い悪い。ワシの真名は人間にはきつかったか……」
カエルはその小さな体を考え込むように俯かせると、急に眼をぎょろっと光らせた。
「そうじゃ、偉大なる先祖の名をとって、わしの事はピョン吉とでも呼ぶがいい」
「……はい?」
それはどう聞いてもカエルの名だった。しかし目の前のカエルは上機嫌に見えた。さかんに頬をぷくぷく膨らませてる。なぜだか紀行にはそれがわかった。
「なんじゃ、知らんのか? 何十年か前にアニメがあっただろ。ほれ、シャツに我らの同朋がくっついた奴」
カエルは紀行が知らないと勘違いしたのか、説明を始めた。そんなことは当然知っている。でもいいのか。
「いや、知ってるけど……それカエルの名前だぜ?」
「バっ、ばっ、ばかもぉぉぉぉぉぉぉん!!」
ピョン吉はぴょんっと空中に浮かぶと巨大化した。人間の成人並のサイズにまで膨張すると、まるでハエを取るみたいにその長い舌で紀行を絡めとった。そして同時にものすごい圧力で締め付けた。
「よりにもよってピョン吉さんを、そんじょそこらの下等生物と一緒にするとは何事だ! 彼はすばらしい根性と機敏な判断力で布地に封印された後も生き続けた。我らがいかに優れた存在と言えでもあの状態で助かるわけがない。それなのに彼は生きた。生き抜いたのだ。あのような人こそ勇者と呼ぶに相応しい。文字通り勇気のあるものなのだ!」
ピョン吉(カエル)は熱弁を振るっていた。どういう声帯をしているのかわからないが、その声はカエルから発せられていた。しかし、紀行にはそれを聞く余裕などなかった。あまりの締め付けの強さに意識が完全に飛びかけていたからだ。息苦しさも峠を越えると、どこか甘美な感覚に変わっていく。紀行は奇妙な感覚を覚えていた。そして、その感覚は徐々に消失していく。
「……つっ、はあはあはあ!!」
急激に意識が覚醒する。空っぽになった体に酸素が染みわたっていく。
「はずみというものはあるものだ。どうも、今日のワシは切れやすいな。カルシウム不足かもしれん」
ピョン吉は苦しがっている紀行の横でのんびり雲を見ていた。そのどこか平和な姿に怒りがこみ上げてくる。ひらたくいうなら切れた。
「カルシウムとか言ってんじゃねえ! はずみで二度も人を殺そうとしやがって。とんでもねえ奴だ。だいたいお前いったい何なんだ。そんななりで話なんかしやがって。この化け物!」
「ふーむ、今の言動は許せんが、なにか誤解が有る様じゃな。だいたい一度目は自分で死のうとしたではないか」
「うっ、それは……」
「それに、ワシは化け物とかではない。宇宙人だ」
ほんの数秒間時が止まった。文字通り、風に流される雲も、空を飛ぶトリの羽ばたきも全てが凍りついた。
「……なんで、カエルが宇宙人なんだよ? 普通は頭がでっかくて小人みたいな奴をなんじゃないのかよ」
紀行は当然の疑問を発した。その前にカエルと話しているという疑問は頭の隅に追いやられている。
カエルはやれやれと短い手を上げて、肩をすくめるジェスチャーをした。
「いかんなぁ。近頃の若い者は。いわゆる一つの固定観念という奴に捕らわれているぞ。だいたい宇宙人なのだから、人類と似た姿をしていないのがいても当然なのだ。それを変と思うのは、自分の小さな世界を人に押し付けようとしているのと同じだぞ」
「そ、そうなのか?」
「うむ、ワシが知っている限りでも甲殻型、軟体型、微細型、まだまだあるぞ。この世界に人類に似た生物しかいないと思うのが、そもそも傲慢な考え方なのだよ」
得意げにピョン吉は胸をそらす。紀行は奇妙だが納得していた。確かに宇宙という広い世界があるのなら、中にはこんなへんてこりんな奴がいるかもしれない。しかし、じゃあなんでカエルの姿をしているのだ。
「じゃあさ、あんたの世界の住人は、みんな地球のカエルみたいな格好をしているんだな?」
ピョン吉は一瞬怒気をあらわにするが、恥じたように顔をしかめた。
「ふむ、ワシもなこの星に来てから、彼らをみて驚いたものだ。ワシらとほぼ同じ姿をしているのに、言葉を操れず、思考もできない。ましてや、身を守るべき念動力や変身術といったモノも使えない。まったくの下等生物だったのだ。悪夢をみているかと思ったぞ」
(あんたがしゃべっている事が、俺にとっては悪夢だ)
紀行は、ちらりと思ったが自分の為にも言うのは止めておいた。
「つまり、あんたはカエルの親戚でも突然変異でもなく、完全なる別種ってわけなんだな」
「うむ、物分りが早くて助かるぞ。今までは、せっかくワシが話しかけてやっても、このワシがだぞ。カエルと間違えて悲鳴を上げて逃げてゆく失礼な奴ばかりだったからな。まあそういう奴らには何をしたかは言うまでもないが。つまり、そういうことなのだ。だから今後ワシのことをカエルと間違えるのは厳禁だぞ」
ピョン吉はにっこり笑みを浮かべた。カエルの笑み、それは世にも気色の悪いものだった。
(今後、今後があるのか!?)
紀行のお尻の辺が薄ら寒くなったのは言うまでもない。一刻も早くこの珍妙な物体と縁を切りたかった。聞くことだけ聞いて早くおさらばせねば。
「ところで結局、一体なんの用だったんだ?」
自分でもおかしな話題の転換だと思ったが、強引に話を進めていく。
「おお、そうじゃった。そうじゃった。いや、偶然ここを通りかかってみれば、若い身空で命を絶とうとしている者がおるではないか。こりゃ、お天とうさまが見逃しても、このピョン吉さまが見逃すわけにはいかねえ。というわけで止めに入ったわけよ」
「………………」
「まあ、今更って事になるかもしれないが、ワシに話してみんか? 悩みは誰かに言う事によって随分楽になるものだぞ」
紀行は別段ピョン吉に言う必要性を感じなかったが、口を開いた。
現在の自分の状態からはじめ、自分の夢、どうしてこんな事をしてしまいそうになったのかを話した。一度話し始めると堰を切ったみたいに言葉の流れが止まらない。知らず知らずの内に自分は話し相手を求めていたのかもしれなかった。ピョン吉は黙って聞いていた。その大きな眼を閉じ、腕組みをしながら黙っていた。それに勇気付けられるように、紀行の言葉は矢継ぎ早に発せられた。
「……というわけなんだ」
紀行はどこかさっぱりした様子で話を結んだ。自分の中で濁りたまっていたものが薄まっていく感じがした。最初はこんなカエルの言う事を聞くのは癪だと思っていたが、本当は話し相手を求めていたのかもしれない。それなのに自分の殻の中に閉じこもり、世間を恨み死んでいこうとするとは、なんて浅はかな事をしようとしたのだろう。道はいくらでもあるはずだ。例え遠回りをしようとも、最終的にはそこにたどり着けばいいじゃないか。そうだ、自分の夢は富や名声なんかじゃない。この国をいかにして良い国にするかということだった。それなのに途中から手段が目標になり、それが全てになっていた。だから、たかが大学を落ちたくらいのことで、あのような考えに行き着くのだ。世間に出れば、勉強ができるくらい大した特技にもならない。そんなことよりも人と人をつなげ、大きな輪にしていくほうがよっぽどすばらしい。今、それに気づいた。もう間違いなんて犯さない。自分にはまだまだやる事があるし、できることがある。いい教訓になったと思えば、今回の事も許せる。
「ありがとう……」
紀行の口からは自然に礼の言葉が漏れ出ていた。今まで、宇宙人という存在など信じた事はなかった。けれど、実際にこの眼で見て、その力を体験した今、疑う必要などない。紀行は良い意味でも現実主義であった。それに、こんなに熱心に自分の話を聞いてくれた奴は今までいなかった。それに感謝したい。
ピョン吉は紀行の話が終わっても眼を閉じたままだった。考え込むように俯いていた。
二人の間をさわやかな春風が流れた。
その瞬間、ピョン吉はかっと目を見開いた。
「甘い!」
大音声でそう叫んだ。その瞳は怖いくらい真剣だった。
「そうだな、俺も今そう思っていたよ。ほんとに浅はかな考えだったと。もっと他に道があるはずだと――」
「そんなことじゃねえ! ワシが言いたいのはな、そんな甘っちょろい事じゃねえ。一度自分で決めた事を貫徹しないで何が男か、何が人生か! 目の前に壁が立ちはだかった。引き返すのも一つの手だろう。ゆっくり迂回していくのも、また一つの手であろう。しかし! それは所詮負け犬がすることなのだ。苦い経験をしたものだけが人の痛みをわかるとはよく言ったものだ。だが、それは所詮傷の舐め合い。本人達はそれでいいかもしれないが、傍から見たらみっともないだけだ。今、お前が述べたような考えはむしろ言い訳に近い。自分はまだまだやれる。挽回できる。こんなものじゃない。口で言うのは優しいが現実本当にそうなのか。致命的ではないのか? 頭の中にチラリともその考えがかすめなかったか? お前は負けたんだ。このままじゃ、お前の夢はかなわない!」
ピョン吉の言葉はぐさりと紀行の胸に突き刺さった。だが同時にほんとにこいつの言う通りなのか、という考えも浮かんでくる。それに過ぎ去ってしまった事はどうしようもない。諦めの感情が浮かんだのもまた事実だった。
「そんなこと、言われるまでもない! でもさ、実際もう取り返しがきかないんだ。俺だってできることなら、自分の計画通りに進めたかったさ。しかし、時間は巻き戻せない。それなら、違う道を探すしかないじゃないか!」
「ふんっ! やはりガキよのう。青い、青すぎるわ!」
「なにぉ!」
「しょうがない? もうダメだ? この大たわけ者めが!! 自分の過失を棚にあげて、考えもせずによく言える。道を全うしようとする時、困難があって当たり前だ。それなのに足掻かずに違う道を探そうとするとはまったく度し難い馬鹿だ! そんなことをやっていれば、何か困難が襲うたびに自分に都合のいい理由をつけ逃げるようになってしまう。それでもいいのか!? お前がやろうとする事、やらなければならない事、それはそんなにも軽い事だったのか!?」
一理あった。正論だった。その分、胸に堪えた。見たくなくて目を瞑っていた部分を、白昼にさらし指摘されたような感じがした。
「じゃぁ、どうすればいいって言うんだよ……」
紀行はいまや完全に打ちのめされていた。声にも力がなく語尾が擦れていた。
「お前は運がいい。目の前にいるのは一体誰だ?」
「カエ――いや、宇宙人のピョン吉っ……さん」
カエルと言おうとして、ものすごい目をして睨まれたので慌てて言い直した。
「そうだ、ワシは地球上の法則、正確に言うのならば人間社会の法則の外にいる存在だ。こうして出会いがあったのも天命といえるであろう。ワシという存在を利用しなくてどうする!? ワシならお前の夢の手助けをする事ができる!!」
紀行の中にかすかな警戒心が芽生えた。都合がよすぎる。
「どうして、そこまで言ってくれるんだ?」
感情を悟られないように慎重に尋ねる。しかし、ピョン吉はそれを見てにやりと笑った。
「なるほど、馬鹿じゃないようだな。当然キブがあればテイクあるのは当たり前だ。お前の夢をかなえる代償に、ワシの夢もかなえて貰おうかということよ」
申し出としては妥当な所であった。むしろ願ったり叶ったりであった。しかし、相手の言い分が分からない内にはうかつな返事はできない。
「……あんたの願いとは?」
紀行はピョン吉を見た。ピョン吉も一瞬、紀行と目を合わせたが視線を徐々に下げていった。それが紀行の真っ白なシャツを着た上半身でピタリと止まった。嫌な予感が這い上がる。
「まさか……体をよこせって言うんじゃないだろうな?」
カラカラに乾いた喉から声を絞り出した。同時に宇宙人に心臓を切り取られた牛の写真が脳裏に浮かび上がる。俗に言うキャトルミューテイションだ。そんなことをされたら、いくらなんでも割に合わない。
「馬鹿モン! そんなものには興味はないわい。図体ばかり大きくて何の役にもたたない体なぞ、こっちから願いさげじゃわい」
「じゃあ、何を……?」
ピョン吉は笑みを大きくした。同時に綺麗な茜色の空を見上げた。彼の目はどこか遠くを見ているかのようだった。
「あれはワシがまだこの星に来たばかりの事だった。あの頃のワシは同族かと思いきや下等生物でしかないカエルと出会い、意気消沈していた。そんな時だった。彼を見たのは。偶然テレビという媒体に映った彼の姿は輝いていた。苦しい事があろうとも、どうしようもないピンチに遭おうとも彼は光っていた。ワシは彼に魅せられ、憧れた。いつか彼みたいになりたいと。シャツの中に存在したいと」
「もしかして……?」
シャツの中に存在するカエル? 紀行に思い浮かぶのは一つしかなかった。
「そう、ネーミングはすこぶる安易なアレだ」
ピョン吉は重々しい声で託宣を告げるかのように呟いた。
「どうだ、ワシをそのシャツで下敷きにしてくれないだろうか。さすればお前の望みをかなえてやる。悪い条件じゃないはずだぞ」
「いや、まあ、あの……」
紀行はしどろもどろになった。もしアレと同じ状況になるならば自分はこいつと四六時中いなくてはならない。そんなことに耐えられるのだろうか。
「悩む気持ちも良くわかる。お前にとっても大事な事だからな。だが良く考えてみろ。お前は自分の夢を叶えたいのではないのか? 無理だった事が可能になるのだぞ。選んでいる場合ではないのではないか?」
ピョン吉の言い分は言葉巧みに聞こえた。しかし、どうしようもないほど魅力的なのもまた事実であった。だから――
「わかった」
紀行は決断した。これからこいつが共にいるせいで、様々な苦労を味わうかもしれない。時にはこの決断を後になって後悔する事もあるかもしれない。それでも夢には替えられない。男は誰しも女に恋するより、まず夢に恋する。大抵の奴はその恋に破れ散っていくのだが、中には成就する奴もいる。そういう奴は最後まで諦めなかった奴だ。自分の力を信じ、運を味方につけ、突き進む。そういう奴だけに恋の女神は微笑む。微笑まないなら無理やりでも微笑ましてみせる。
ピョン吉は紀行の返事を聞くと小躍りしそうなくらい喜んだ。頬をぷくぷくと膨らまし、その場でピョンピョン跳ねている。
「じゃあ、俺の夢かなえてもらおうか」
紀行は性急に口を開いた。早くかなえて欲しかった。ピョン吉は一瞬気分を害されたような顔をしたが、ニコニコと笑った。
その瞬間、魔法みたいに紀行の手に一通の封筒が出現する。慌てて開封すると東大の合格証書が紀行の名義で入っていた。
「関係者の記憶の操作も済ませてあるぞい。ついでに書類の改ざんもまとめてやっておいた。お前は春から大学生だ。存分とこの世の春を謳歌し、夢をかなえるがいい」
ピョン吉の声が聞こえてきた。感激のあまり、体が震えた。涙が出そうになった。
「さて、浸っているところを悪いが、ワシのも早々にかなえてくれい。長年の夢なのじゃ。遂にかなうと思うと体が震えてくるわい」
「わかった」
紀行は感謝の念を込めてピョン吉を見つめた。ピョン吉もどこか親しげに微笑んだ。
紀行は飛んだ。まるで羽根があるかのように高く飛ぶと、ピョン吉の上に覆い被さった。ピョン吉はそれを期待に満ちた瞳で静かに見つめていた。
「いつっっっ……」
いつの間にか眠っていたようだ。紀行は体を起こした。太陽はまだ中天にあり、桜の花びらが風に乗って流れてきた。
紀行はどうしてこんな所にいるのかわからなかった。今夜は卒業パーティーのはず、それなのに自分はなんで屋上で寝ているのだ。大学にも無事合格したし、心配するような事などなにもない。夢をかなえるための下地は整った。後は高校生活最後の一日を楽しめばいい。
「いてててっ」
さっきからお腹が痛かった。うずくような鈍痛が繰り返す。嬉しくて持っていた合格証書を離し、お腹を押さえた。すると変な感触がした。
「うわっ、きたねぇっ」
紀行の白いシャツには押しつぶされたカエルの死骸が張り付いていた。
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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