短編小説
探偵日記
「もしもし…、そちらは橋本探偵事務所でしょうか…?」
受話器を取った俺を衝撃が駆け抜けた。耳を通り過ぎていったのは鈴を思わせる美声。気品があり、耳に心地よく、いつまでも聞いていたいと思わせる。まるで天上の調べだ。
(これは……、美人に違いない)
俺はそう確信した。もしこの声でブスだったら明日から俺の価値観は崩壊する。声を聞くだけで、その人の容姿を当てることができるは、俺の108の特技の1つだ。心の中で気合を入れなおしながら答える。
「はい、こちら安心と丁寧をモットーの橋本探偵事務所です」
さりげなく宣伝を織り交ぜながら余所行きの声で対応する。声の一つで印象とは決まるものだ。某CMでもいっていたが、こんなことにも注意を払うことができるのも一流探偵の条件ともと言えるだろう。
「えっと、少しばかりご相談にのっていただきたいことがございまして……、後ほど伺ってもよろしいでしょうか。場所の方は地図があるので存じております」
「もちろん、いつでも来てください。当社はお困りのお客様の味方です」
間髪いれず答えた。誰がこの美声の君の依頼を断ろうか。いや断るなんて、あまりにもったいない。うまくいけば、あんなことやこんなことになるかもしれない。俺は受話器を押し付けながら、顔がだらしなくにやけるのがこらえきれなかった。
〈あんなこと〉
「いけないわ…、探偵さん。私たち出会ったばかりよ」
「ふふ、そんなこと言っても、もうすっかりその気じゃないか」
「そんな、ああっ。こんなところで……やめてください」
「だめだよ、君の美しさが私を狂わしたのだ」
「ああっ、探偵さん……」
〈こんなこと〉
「探偵さん……、一目見たときからからあなたのことが好きでした」
「ふふ、困るな。特定の人は作らないようにしているんだが」
「それでもかまわないんです、ただ私はあなたのことを…」
「そこまでいうのなら、おいで…」
「探偵さん…」
「では、一時間後でよろしいですか」
涼やかな声が俺を現実に引き戻した。口元にたれるよだれを拭うとさわやかに了承する。しかし好都合だ。今の格好は、シャツにトランクス(シマシマ)だけのおっさんスタイル。急いで準備しなければ間に合わないな。俺はクローゼットの中からアルマーニのスーツを取り出した。こいつは以前、デートのためだけに購入したものだ。赤のカラーシャツを着て、ネクタイをする。そして髪の毛をワックスでセットすると、おもむろにスーツを羽織った。鏡の前でポーズをきめる。すると、そこには1人のダンディすぎる男がいた。
「おいおい、誰だよ、このいい男は?」
うっとりと見つめてしまった。右から見ても、左から見ていい男。鏡の中の自分にほれてしまいそうになる。特にいいのが右斜め四十五度。この状態で流し目を送ろうものなら誰でもいちころになるに違いない。
だが、いつまでも鏡の前にいるわけにはいかない。
自制心――これも探偵にとって大事な要素だ。とてもなごりおしかったが鏡の前から離れることにした。
そこで気づく。
しまった! あと10分しかない。鏡の前で30分以上もいたのか。なんて時間が経つのが早いのだろう。鏡と言うのは、探偵の癒しであり、敵でもあるのだな。ふっ、世の中は手ごわい敵だらけだ。
あの声の感じからして、依頼人は律儀なタイプだと予測される。これは一刻の猶予も無いかもしれんな。俺は飾ってあった造花を一本抜くと胸のポケットに挿した。そしてもう一度確認のために鏡を見る。
「おいおい、誰だよ、このいい男すぎるやつは?」
俺が気合を入れなおしていると事務所のドアが静かにノックされた。
「入ってよろしいでしょうか?」
その声を聞くや否やドアに飛びつきそうになる。いやまて、あせるのは禁物だ。探偵と言うやつは沈着冷静じゃなきゃいけない。クールだ、クールになるんだ俺。第一印象こそ大事だ。人の印象は最初の5分できまる。それを覆そうと思ったら、その20倍以上の時間を一緒に過ごさなくてはならないのだ。ここは大きく深呼吸して気持ちを落ち着け、最高の笑顔を作り、ドアを開けるんだ。
はっはっふーー、はっはっふー(ラマーズ法)
「いらっしゃいませ、橋本探偵事務所にようこ…」
俺はにこやかな笑顔のまま凍りついた。
そこには、人外魔境の人物がいた。顔はつぶれた豚のよう。体型は俺が二人並んだよりふとい。おまけに編みタイツをはいてるせいか足はボンレスハムみたいだ。
(だまされたああああああああああああぁぁぁぁぁ!)
魂からの叫びだった。声と外見のギャップがひどすぎる! あの声だとどう考えても特A級の美人だろうが! 神様はそんなにも俺のことが嫌いなのか。少しぐらい甘い夢を見させてくれてもいいじゃないか。俺はこいつ相手にあんなことやこんなことの妄想を膨らましていたと思うと………。
ちぃきしょう、バカヤロウー! 俺の青春を返せー!
「あの、入ってもいいですか」
そのブスには連れがいた。ひょろとした背の高い人の良さそうな男だ。なんだ、連れがいたのか。俺の中にかすかな安心感が生まれた。美人に連れがいるとむかつくがブスに連れがいると妙に安心する。人間とは不思議で罪深い生き物だ。
「もちろん、いいですよ。ぜひ、あなただけ入ってください」
ことさら、ブスを無視しようとつとめる。だが、俺を押しのけるように事務所に入るとドガっていう音ともにソファーに腰をかけた。それにつられるように困った笑みを俺に向けながら男も一緒に入ってきた。
「わたし、ストーカーにつきまとわれている気がするんです……」
事務所に入ってきた女は川上良美、男は高田孝一と名乗りソファーに座った。そしてその第一声がこれである。良美は物憂げにため息をついた。背景にアンニュイなフランス貴族のおば様が浮かんだように見えた。
(ぜってー、うそだ!!)
まってくれ、誰がこの女をストーキングするのだ。世の中には変わった趣味の奴が大勢いるが、こいつに手を出そうなんて奴が早々いてたまるわけが無い。もしそんな奴がいるなら、早まったことをする前に精神科を紹介するぞ。俺が不信のまなざしを向けるが、良美は自己陶酔の世界からかえってこない。
「なるほど、それは大変ですな。ところで、何か実質的な被害はありましたか?」
ざれごとを言う女はほっといて、少しは話が通じそうな男、高田に聞いてみる。
「いや、被害といえるほどの事かどうかわかりませんが、確かに下着を盗まれたことはあるらしいんですよ。ほんとに、そんなものどうするつもりなんですかねぇ」
困ったように高田は首をふった。その瞳の中には確かに呆れの色が見えた。そうかこいつも被害者なんだ。俺と高田は見つめあう。
(君も大変だね)
(いえ、慣れましたから……)
アイコンタクトが終了すると同時にうなずく。友情が生まれた瞬間だった。
「探偵さん、わたしの話信じてくれますよね」
マスカラでばっちりでカールした目をきらきらさせながら、いやに真剣な顔でこちらを見つめてくる。その顔にはわずかだが憂いがあった。俺は良美を見つめた。
(もしかして、本当なのか?)
脳裏にかすかだが疑問が生じた。続きの言葉を待つ。俺は気持ち悪さを抑えながらも、懸命に良美の顔を直視しようとつとめた。室内に緊迫した空気が流れる。街の喧騒が消え去り時計の音がやけに大きく響く。そして、しばらくして女は口を開いた
「……いやっ、そんなにみつめないでください。照れてしまいますわ」
ポッと良美が頬を赤らめる。
(だめだこいつ、はやくなんとかしないと)
俺が殺意を覚えたのは言うまでも無い。
三人で事務所から出ると、良美のマンションに向かう。都内の一等地にあり、オートロックと監視カメラつきの一流マンション。これは一見、もっとも安全そうに見えるが、事件をおこそうと思う奴ならこの程度の対策は目をつぶってでもできる。好美の部屋はそこの最上階にあり彼女の資金の豊富さがわかる。高速エレベーターで登りカード式の鍵で部屋を開けると、早速調査を開始した。俺の流儀は美人はまったりと、その他は迅速に終わらせることにしている。今回の場合は特に時間をかけてはならない。一秒同じ空間にいるだけで生命力が吸い取られそうな心地がするからだ。
なによりあの目だ。
不意に女の方を向いても必ず俺のほうを見ている。特にお尻のほうに熱い視線を感じるのは気のせいか。歌舞伎町で声をかけてきたゲイな兄貴とおんなじ目をしている。
(……怖いよーーー)
俺は今、猛烈に貞操の危機を感じていた。
とりあえず、調査をしてみることにする。やるだけ無駄と思いながらも盗聴探知機をカバンから取り出した。そしてイヤホンをつけて電源を入れる。
そのとたん、けたたましいワーニング音がした。盗聴器の所在をしるす警告音だ。
(まじかよ!?)
俺は瞬時に雑念を捨てプロの意識に切り替える。全神経を音の出る方向に集中する。額に脂汗がにじむ。だがそんなことにはかまっていられない。部屋の中をまんべんなく捜すために服が汚れるのもかまわず這いずり回る。
するとコンセントに一つ、電話に一つ発見できたのだ。コンセントに仕込まれていた物は電力を供給されているので故障しなければかなりの年数持つ物で、電話の方は電池式だが二三年は優に持つ。
(ずいぶんと本格的だな……)
盗聴器が発見されるまで正直半信半疑だった。だが、仕事があるのならプロとして行動するまでだ。良美の方を振り向く。
「どうやら、あなたが言ったことは本当のことのようだ」
俺の言葉を聞き、良美がかすかに笑ったように見えたのが妙に気になった。
その日から、俺は調査を開始した。まず、良美の身辺調査。一日のタイムスケジュールを調べてみた。そうすると、驚くべきことに彼女の行動パターンのほとんどに男が関わってくることがわかったのだ。散々、追い詰めて相手が根を上げたところで手の平を返す。ほとんどの関係がそうだった。
(こりゃ、恨まれて当然だよな)
このことからも、俺は怨恨の路線で調査を進めることにした。しかし、あんな女にだまされてしまう男っていったい……。地球上のどこを探せばあいつに欲情するという男がいるのだろうか。いや、別に俺は太った女を否定するわけじゃないぜ? ただなあぁ、やはり女は抱きしめたら、こう腕の中に納まるぐらいな華奢な感じがいいだろう。蓼食う虫も好き好きとは言うが、男女間の愛情は永遠に謎だ。
調査方針を決めると俺は早速、良美にひどい目に遭わされた男達の近況を調べてみた。しかし、ある者は彼女がいたり、また違う者でも幸せな環境にいたりする。俺はある機会があり容疑者の一人と話すことになった。しかし、良美の名前を出したとたん「聞きたくない、帰ってくれ」と大の男が顔を青ざめたのだ。あまり興奮が激しかったので深くは聞けなかった。しかし、漠然とした不安が残った。
証言その一
「良美?…ヨシミ…………? よしみぃぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃ!?ひいぃぃぃぃぃぃぃ!! その名前だけは聞きたくないんだぁぁぁ!」
男は髪をかきむしり、部屋の中に入っていった。
証言そのニ
「僕なんてもういいんですよ…。汚されてしまったんです。あの日はもう帰ってこないんです。ああ、思えば若かったな、想像もできないことが世の中にあるなんて知らなかったなあ……ふふふふふふ」
妙にさわやかに青年は笑った。
証言その三
「あんた……悪い事は言わない、諦めな。だれだって犬に噛まれる事はあるだろ? そう思えば我慢できるさ。きっと……たぶん……。へへっ、みっともないとこ見せちまったな。大の男が涙を見せるなんてよ……」
酒瓶片手に人生疲れていた。
(ふざけんなぁぁぁぁぁぁ!)
何があきらめなだよ。人間にはな、落ちちゃいけない限度っていうものがあるんだ。奴に屈する事は人の道を踏み外す事に等しいし、俺はまだ現役をやめるつもりなんてない。
しかし――奴が関わった男達は軒並み怯えていた。また、彼らのやられたやり口と今回の依頼が良く似ていた。たいていの場合は、怖い人に言い寄られてるのとか、下着盗まれちゃったとか言って男の同情心をかきたて、油断したところガブリといくのが主なやり口だ。被害者は多岐にわたっているが皆、真面目な人達で容姿にも好感が持てる。職業もきちんと持っている人が多かった。
(しかも、俺と同じ探偵までいるだと!?)
このことから推測できる事は一つ。依頼が自作自演であり、次の標的が俺だという事だ。
(一刻の猶予もない!)
俺は事務所への帰りながら早速対策を練ることにした。あんな人外魔境な生物に迫られた日には俺の繊細なハートはぼろぼろになってしまう。自慢じゃないが俺はかっこいい。そして、女性関係では華やかな戦績を持っている。そのキャリアも奴と言う存在に一気に崩されそうな気がする。きれいな色の画用紙ににごった灰色を塗りたくるのは誰だっていやなはずだ。
しばらく、熱海ででものんびりするか。湯治客の女性とロマンスも悪くない、と考えていると事務所に着いた。
そして、ドアの鍵を開けようとする。しかし、おかしな反応があった。
(開いている?)
おかしい、確かに閉めたはずだ。職業柄この手のことに関しては神経質すぎるほど注意を払っている。それなのに開いていた。俺はこの事実からも慎重な行動を選択せざるを得ない。ゆっくり、ドアを開けて隙間から中を覗き込んだ。
すると、良美の後ろ姿が見えたのだ。
(なんでやねん!!)
思わず関西弁モードだ。なんて、非常識な奴だ。しかも、俺の愛用の椅子ワトソン君に深々と腰をかけている。探偵と椅子は一セットだと考えている俺にとってこの行為は挑戦に等しい。絶対、許さん! 怒気が俺の胸を焦がした。それに、いい機会だ。良美にきつく灸をすえておけばこの後つきまとわれる可能性もなくなるはずだ。
俺は一つ深呼吸をすると部屋に飛び込んだ。しかし、その瞬間なにか甘い匂いがしたと思ったら俺の意識は急激に闇にのまれていった。最後に見たものはごっついガスマスクを着けた良美の笑みであった。
「うっ…、どこだここは…」
目がさめたら俺は真っ暗な部屋にいた。ちなみにご丁寧に体はベッドにくくりつけられている。
「お目覚めかしら…」
天上の音楽かと思わせるほど心地よい声がした。俺は声のするほう見る。そこにはボンテージルックに身を包んだあの女がいたのだ。
(ひょぇぇぇぇぇぇぇ!!)
ムチを片手にヤバゲに微笑んでいる。
「貴方のことは前に見かけたときから気に入っていたのよ」
女がよだれをたらさんばかりに俺を見てくる。背中を悪寒が駆け抜けていく。やばい、非常にやばい。このままでは俺は豚女に好きなようにもてあそばれてしまう。何か助かる手段はないのか!? とあたりを見渡すと壁際に高田がぼんやりとつったっていた。
「たすけてくれ!」
俺は精一杯、声を張り上げて助けを求めた。しかし高田は微塵も動かなかった。そして少し申し訳なさそうにするとニヘラっと笑った。俺達には小さな友情が芽生えたはずだろ、そう必死にアイコンタクトを送るがあの日みたいに明確な答えが返ってこない。
「無駄よ! あの男はわたしの下僕九号。ふふふ、わたしの言うことなら何でも聞くわ。さあ、あなたは記念すべき十号にして、あ・げ・る♪」
「いやじゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」
俺はどこに眠っていたのか火事場のバカ力を出し拘束から抜け出した。そして、一目散にそこから逃げ出した。
「やれやれ、ひどい目にあった…」
日付が変わった街を、事務所めがけてとぼとぼ歩いていた。あれから散々追い掛け回されたが何とか逃げ切った。何度もめげそうになった。もう少しで、もういいじゃないか、お前は十分がんばったよとわけもなく自分を慰めたくなった。しかし、俺は勝ったのだ。あんなやつに屈することだけは俺のプライドが許さないという信念の勝利だった。それは小さな、いやだからこそ大きな勝利だった。
事務所につきドアを開けようとする。
(また開いている?)
いぶかしげにそっと中を覗きこむ。するとあの女の後ろ姿が見えた。ゆっくり何事もなかったようにドアを閉める。額に浮かぶ脂汗をそっとぬぐった。
(おっかさん、熱海の温泉っていいよね……)
心の中にドナドナドーナと聞き覚えがあるフレーズを流れてきた。しかし、俺は慌てて頭を激しく振る。
(負けない、俺は負けない、負けるもんかぁぁぁぁあああ!!)
そう誓い俺はその場から駆け出していった。
終
簡単な後書き
この話に登場する「良美」さん。管理人がリアルに大学時代に遭遇した人物をモデルにしてます。お話として、デフォルメしてあるはずなのに、どうしてこんなにそっくりなのだろうか。事実は小説より奇なりというが、ほんとにあるとちょっと困ってしまうので、遭遇したら皆さんもご注意を(笑)
追記 モデルとなった人物はもうちょっと破壊力があります。
受話器を取った俺を衝撃が駆け抜けた。耳を通り過ぎていったのは鈴を思わせる美声。気品があり、耳に心地よく、いつまでも聞いていたいと思わせる。まるで天上の調べだ。
(これは……、美人に違いない)
俺はそう確信した。もしこの声でブスだったら明日から俺の価値観は崩壊する。声を聞くだけで、その人の容姿を当てることができるは、俺の108の特技の1つだ。心の中で気合を入れなおしながら答える。
「はい、こちら安心と丁寧をモットーの橋本探偵事務所です」
さりげなく宣伝を織り交ぜながら余所行きの声で対応する。声の一つで印象とは決まるものだ。某CMでもいっていたが、こんなことにも注意を払うことができるのも一流探偵の条件ともと言えるだろう。
「えっと、少しばかりご相談にのっていただきたいことがございまして……、後ほど伺ってもよろしいでしょうか。場所の方は地図があるので存じております」
「もちろん、いつでも来てください。当社はお困りのお客様の味方です」
間髪いれず答えた。誰がこの美声の君の依頼を断ろうか。いや断るなんて、あまりにもったいない。うまくいけば、あんなことやこんなことになるかもしれない。俺は受話器を押し付けながら、顔がだらしなくにやけるのがこらえきれなかった。
〈あんなこと〉
「いけないわ…、探偵さん。私たち出会ったばかりよ」
「ふふ、そんなこと言っても、もうすっかりその気じゃないか」
「そんな、ああっ。こんなところで……やめてください」
「だめだよ、君の美しさが私を狂わしたのだ」
「ああっ、探偵さん……」
〈こんなこと〉
「探偵さん……、一目見たときからからあなたのことが好きでした」
「ふふ、困るな。特定の人は作らないようにしているんだが」
「それでもかまわないんです、ただ私はあなたのことを…」
「そこまでいうのなら、おいで…」
「探偵さん…」
「では、一時間後でよろしいですか」
涼やかな声が俺を現実に引き戻した。口元にたれるよだれを拭うとさわやかに了承する。しかし好都合だ。今の格好は、シャツにトランクス(シマシマ)だけのおっさんスタイル。急いで準備しなければ間に合わないな。俺はクローゼットの中からアルマーニのスーツを取り出した。こいつは以前、デートのためだけに購入したものだ。赤のカラーシャツを着て、ネクタイをする。そして髪の毛をワックスでセットすると、おもむろにスーツを羽織った。鏡の前でポーズをきめる。すると、そこには1人のダンディすぎる男がいた。
「おいおい、誰だよ、このいい男は?」
うっとりと見つめてしまった。右から見ても、左から見ていい男。鏡の中の自分にほれてしまいそうになる。特にいいのが右斜め四十五度。この状態で流し目を送ろうものなら誰でもいちころになるに違いない。
だが、いつまでも鏡の前にいるわけにはいかない。
自制心――これも探偵にとって大事な要素だ。とてもなごりおしかったが鏡の前から離れることにした。
そこで気づく。
しまった! あと10分しかない。鏡の前で30分以上もいたのか。なんて時間が経つのが早いのだろう。鏡と言うのは、探偵の癒しであり、敵でもあるのだな。ふっ、世の中は手ごわい敵だらけだ。
あの声の感じからして、依頼人は律儀なタイプだと予測される。これは一刻の猶予も無いかもしれんな。俺は飾ってあった造花を一本抜くと胸のポケットに挿した。そしてもう一度確認のために鏡を見る。
「おいおい、誰だよ、このいい男すぎるやつは?」
俺が気合を入れなおしていると事務所のドアが静かにノックされた。
「入ってよろしいでしょうか?」
その声を聞くや否やドアに飛びつきそうになる。いやまて、あせるのは禁物だ。探偵と言うやつは沈着冷静じゃなきゃいけない。クールだ、クールになるんだ俺。第一印象こそ大事だ。人の印象は最初の5分できまる。それを覆そうと思ったら、その20倍以上の時間を一緒に過ごさなくてはならないのだ。ここは大きく深呼吸して気持ちを落ち着け、最高の笑顔を作り、ドアを開けるんだ。
はっはっふーー、はっはっふー(ラマーズ法)
「いらっしゃいませ、橋本探偵事務所にようこ…」
俺はにこやかな笑顔のまま凍りついた。
そこには、人外魔境の人物がいた。顔はつぶれた豚のよう。体型は俺が二人並んだよりふとい。おまけに編みタイツをはいてるせいか足はボンレスハムみたいだ。
(だまされたああああああああああああぁぁぁぁぁ!)
魂からの叫びだった。声と外見のギャップがひどすぎる! あの声だとどう考えても特A級の美人だろうが! 神様はそんなにも俺のことが嫌いなのか。少しぐらい甘い夢を見させてくれてもいいじゃないか。俺はこいつ相手にあんなことやこんなことの妄想を膨らましていたと思うと………。
ちぃきしょう、バカヤロウー! 俺の青春を返せー!
「あの、入ってもいいですか」
そのブスには連れがいた。ひょろとした背の高い人の良さそうな男だ。なんだ、連れがいたのか。俺の中にかすかな安心感が生まれた。美人に連れがいるとむかつくがブスに連れがいると妙に安心する。人間とは不思議で罪深い生き物だ。
「もちろん、いいですよ。ぜひ、あなただけ入ってください」
ことさら、ブスを無視しようとつとめる。だが、俺を押しのけるように事務所に入るとドガっていう音ともにソファーに腰をかけた。それにつられるように困った笑みを俺に向けながら男も一緒に入ってきた。
「わたし、ストーカーにつきまとわれている気がするんです……」
事務所に入ってきた女は川上良美、男は高田孝一と名乗りソファーに座った。そしてその第一声がこれである。良美は物憂げにため息をついた。背景にアンニュイなフランス貴族のおば様が浮かんだように見えた。
(ぜってー、うそだ!!)
まってくれ、誰がこの女をストーキングするのだ。世の中には変わった趣味の奴が大勢いるが、こいつに手を出そうなんて奴が早々いてたまるわけが無い。もしそんな奴がいるなら、早まったことをする前に精神科を紹介するぞ。俺が不信のまなざしを向けるが、良美は自己陶酔の世界からかえってこない。
「なるほど、それは大変ですな。ところで、何か実質的な被害はありましたか?」
ざれごとを言う女はほっといて、少しは話が通じそうな男、高田に聞いてみる。
「いや、被害といえるほどの事かどうかわかりませんが、確かに下着を盗まれたことはあるらしいんですよ。ほんとに、そんなものどうするつもりなんですかねぇ」
困ったように高田は首をふった。その瞳の中には確かに呆れの色が見えた。そうかこいつも被害者なんだ。俺と高田は見つめあう。
(君も大変だね)
(いえ、慣れましたから……)
アイコンタクトが終了すると同時にうなずく。友情が生まれた瞬間だった。
「探偵さん、わたしの話信じてくれますよね」
マスカラでばっちりでカールした目をきらきらさせながら、いやに真剣な顔でこちらを見つめてくる。その顔にはわずかだが憂いがあった。俺は良美を見つめた。
(もしかして、本当なのか?)
脳裏にかすかだが疑問が生じた。続きの言葉を待つ。俺は気持ち悪さを抑えながらも、懸命に良美の顔を直視しようとつとめた。室内に緊迫した空気が流れる。街の喧騒が消え去り時計の音がやけに大きく響く。そして、しばらくして女は口を開いた
「……いやっ、そんなにみつめないでください。照れてしまいますわ」
ポッと良美が頬を赤らめる。
(だめだこいつ、はやくなんとかしないと)
俺が殺意を覚えたのは言うまでも無い。
三人で事務所から出ると、良美のマンションに向かう。都内の一等地にあり、オートロックと監視カメラつきの一流マンション。これは一見、もっとも安全そうに見えるが、事件をおこそうと思う奴ならこの程度の対策は目をつぶってでもできる。好美の部屋はそこの最上階にあり彼女の資金の豊富さがわかる。高速エレベーターで登りカード式の鍵で部屋を開けると、早速調査を開始した。俺の流儀は美人はまったりと、その他は迅速に終わらせることにしている。今回の場合は特に時間をかけてはならない。一秒同じ空間にいるだけで生命力が吸い取られそうな心地がするからだ。
なによりあの目だ。
不意に女の方を向いても必ず俺のほうを見ている。特にお尻のほうに熱い視線を感じるのは気のせいか。歌舞伎町で声をかけてきたゲイな兄貴とおんなじ目をしている。
(……怖いよーーー)
俺は今、猛烈に貞操の危機を感じていた。
とりあえず、調査をしてみることにする。やるだけ無駄と思いながらも盗聴探知機をカバンから取り出した。そしてイヤホンをつけて電源を入れる。
そのとたん、けたたましいワーニング音がした。盗聴器の所在をしるす警告音だ。
(まじかよ!?)
俺は瞬時に雑念を捨てプロの意識に切り替える。全神経を音の出る方向に集中する。額に脂汗がにじむ。だがそんなことにはかまっていられない。部屋の中をまんべんなく捜すために服が汚れるのもかまわず這いずり回る。
するとコンセントに一つ、電話に一つ発見できたのだ。コンセントに仕込まれていた物は電力を供給されているので故障しなければかなりの年数持つ物で、電話の方は電池式だが二三年は優に持つ。
(ずいぶんと本格的だな……)
盗聴器が発見されるまで正直半信半疑だった。だが、仕事があるのならプロとして行動するまでだ。良美の方を振り向く。
「どうやら、あなたが言ったことは本当のことのようだ」
俺の言葉を聞き、良美がかすかに笑ったように見えたのが妙に気になった。
その日から、俺は調査を開始した。まず、良美の身辺調査。一日のタイムスケジュールを調べてみた。そうすると、驚くべきことに彼女の行動パターンのほとんどに男が関わってくることがわかったのだ。散々、追い詰めて相手が根を上げたところで手の平を返す。ほとんどの関係がそうだった。
(こりゃ、恨まれて当然だよな)
このことからも、俺は怨恨の路線で調査を進めることにした。しかし、あんな女にだまされてしまう男っていったい……。地球上のどこを探せばあいつに欲情するという男がいるのだろうか。いや、別に俺は太った女を否定するわけじゃないぜ? ただなあぁ、やはり女は抱きしめたら、こう腕の中に納まるぐらいな華奢な感じがいいだろう。蓼食う虫も好き好きとは言うが、男女間の愛情は永遠に謎だ。
調査方針を決めると俺は早速、良美にひどい目に遭わされた男達の近況を調べてみた。しかし、ある者は彼女がいたり、また違う者でも幸せな環境にいたりする。俺はある機会があり容疑者の一人と話すことになった。しかし、良美の名前を出したとたん「聞きたくない、帰ってくれ」と大の男が顔を青ざめたのだ。あまり興奮が激しかったので深くは聞けなかった。しかし、漠然とした不安が残った。
証言その一
「良美?…ヨシミ…………? よしみぃぃぃぃぃぃっぃぃぃぃぃ!?ひいぃぃぃぃぃぃぃ!! その名前だけは聞きたくないんだぁぁぁ!」
男は髪をかきむしり、部屋の中に入っていった。
証言そのニ
「僕なんてもういいんですよ…。汚されてしまったんです。あの日はもう帰ってこないんです。ああ、思えば若かったな、想像もできないことが世の中にあるなんて知らなかったなあ……ふふふふふふ」
妙にさわやかに青年は笑った。
証言その三
「あんた……悪い事は言わない、諦めな。だれだって犬に噛まれる事はあるだろ? そう思えば我慢できるさ。きっと……たぶん……。へへっ、みっともないとこ見せちまったな。大の男が涙を見せるなんてよ……」
酒瓶片手に人生疲れていた。
(ふざけんなぁぁぁぁぁぁ!)
何があきらめなだよ。人間にはな、落ちちゃいけない限度っていうものがあるんだ。奴に屈する事は人の道を踏み外す事に等しいし、俺はまだ現役をやめるつもりなんてない。
しかし――奴が関わった男達は軒並み怯えていた。また、彼らのやられたやり口と今回の依頼が良く似ていた。たいていの場合は、怖い人に言い寄られてるのとか、下着盗まれちゃったとか言って男の同情心をかきたて、油断したところガブリといくのが主なやり口だ。被害者は多岐にわたっているが皆、真面目な人達で容姿にも好感が持てる。職業もきちんと持っている人が多かった。
(しかも、俺と同じ探偵までいるだと!?)
このことから推測できる事は一つ。依頼が自作自演であり、次の標的が俺だという事だ。
(一刻の猶予もない!)
俺は事務所への帰りながら早速対策を練ることにした。あんな人外魔境な生物に迫られた日には俺の繊細なハートはぼろぼろになってしまう。自慢じゃないが俺はかっこいい。そして、女性関係では華やかな戦績を持っている。そのキャリアも奴と言う存在に一気に崩されそうな気がする。きれいな色の画用紙ににごった灰色を塗りたくるのは誰だっていやなはずだ。
しばらく、熱海ででものんびりするか。湯治客の女性とロマンスも悪くない、と考えていると事務所に着いた。
そして、ドアの鍵を開けようとする。しかし、おかしな反応があった。
(開いている?)
おかしい、確かに閉めたはずだ。職業柄この手のことに関しては神経質すぎるほど注意を払っている。それなのに開いていた。俺はこの事実からも慎重な行動を選択せざるを得ない。ゆっくり、ドアを開けて隙間から中を覗き込んだ。
すると、良美の後ろ姿が見えたのだ。
(なんでやねん!!)
思わず関西弁モードだ。なんて、非常識な奴だ。しかも、俺の愛用の椅子ワトソン君に深々と腰をかけている。探偵と椅子は一セットだと考えている俺にとってこの行為は挑戦に等しい。絶対、許さん! 怒気が俺の胸を焦がした。それに、いい機会だ。良美にきつく灸をすえておけばこの後つきまとわれる可能性もなくなるはずだ。
俺は一つ深呼吸をすると部屋に飛び込んだ。しかし、その瞬間なにか甘い匂いがしたと思ったら俺の意識は急激に闇にのまれていった。最後に見たものはごっついガスマスクを着けた良美の笑みであった。
「うっ…、どこだここは…」
目がさめたら俺は真っ暗な部屋にいた。ちなみにご丁寧に体はベッドにくくりつけられている。
「お目覚めかしら…」
天上の音楽かと思わせるほど心地よい声がした。俺は声のするほう見る。そこにはボンテージルックに身を包んだあの女がいたのだ。
(ひょぇぇぇぇぇぇぇ!!)
ムチを片手にヤバゲに微笑んでいる。
「貴方のことは前に見かけたときから気に入っていたのよ」
女がよだれをたらさんばかりに俺を見てくる。背中を悪寒が駆け抜けていく。やばい、非常にやばい。このままでは俺は豚女に好きなようにもてあそばれてしまう。何か助かる手段はないのか!? とあたりを見渡すと壁際に高田がぼんやりとつったっていた。
「たすけてくれ!」
俺は精一杯、声を張り上げて助けを求めた。しかし高田は微塵も動かなかった。そして少し申し訳なさそうにするとニヘラっと笑った。俺達には小さな友情が芽生えたはずだろ、そう必死にアイコンタクトを送るがあの日みたいに明確な答えが返ってこない。
「無駄よ! あの男はわたしの下僕九号。ふふふ、わたしの言うことなら何でも聞くわ。さあ、あなたは記念すべき十号にして、あ・げ・る♪」
「いやじゃぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」
俺はどこに眠っていたのか火事場のバカ力を出し拘束から抜け出した。そして、一目散にそこから逃げ出した。
「やれやれ、ひどい目にあった…」
日付が変わった街を、事務所めがけてとぼとぼ歩いていた。あれから散々追い掛け回されたが何とか逃げ切った。何度もめげそうになった。もう少しで、もういいじゃないか、お前は十分がんばったよとわけもなく自分を慰めたくなった。しかし、俺は勝ったのだ。あんなやつに屈することだけは俺のプライドが許さないという信念の勝利だった。それは小さな、いやだからこそ大きな勝利だった。
事務所につきドアを開けようとする。
(また開いている?)
いぶかしげにそっと中を覗きこむ。するとあの女の後ろ姿が見えた。ゆっくり何事もなかったようにドアを閉める。額に浮かぶ脂汗をそっとぬぐった。
(おっかさん、熱海の温泉っていいよね……)
心の中にドナドナドーナと聞き覚えがあるフレーズを流れてきた。しかし、俺は慌てて頭を激しく振る。
(負けない、俺は負けない、負けるもんかぁぁぁぁあああ!!)
そう誓い俺はその場から駆け出していった。
終
簡単な後書き
この話に登場する「良美」さん。管理人がリアルに大学時代に遭遇した人物をモデルにしてます。お話として、デフォルメしてあるはずなのに、どうしてこんなにそっくりなのだろうか。事実は小説より奇なりというが、ほんとにあるとちょっと困ってしまうので、遭遇したら皆さんもご注意を(笑)
追記 モデルとなった人物はもうちょっと破壊力があります。
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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