カサンドラの秘宝(連載中)
プロローグ
風もないのに燭台の火が揺れた。カトレア=フィア=カサンドラは読書中の本から目を離し、部屋の中を不審気な面持ちで見渡した。広く豪奢な室内は、ちろちろと燃える蝋燭の薄明かりに包まれ、ただ一人の主人をことさら際立たしていた。最高の芸術家がその生涯をかけて創りあげてもとどかない造形美。雪のように白く、見るからに麗しい絹の肌。まるで青空が降りてきたような艶やかな髪は腰まで伸びていた。カサンドラの秘宝と呼ばれるだけの魅力を彼女は確かに兼ね備えていた。
カトレアは青の目をしばたきながら、外界へとつながる入り口を点検する。窓はしっかり閉まっており、開いた様子もなければ、風が吹き込んだ様子もない。侍女がいる隣室へと通じるドアも動いた様子はなかった。カトレアは軽く頭を振ると、再び本に向き合った。
気のせいだったのだろうと軽く頭を振った。
「……静かに」
その時、押し殺した声が部屋の中に響いた。同時に喉元に冷え冷えとするような硬い感触が押し当てられる。
「きゃ……」
全身が総毛だった。頭の中が真っ白になり、何も考えられない。生命を奪う鉄の重みがカトレアを見えない力で拘束する。無意識に漏れ出した悲鳴は力強い手で押さえ込まれた。
「……大人しくしておけば命は取らぬ。……だが、余計なことをしようとすれば――殺す」
静かな語気だった。それが余計に侵入者の本気をカトレアに悟らせた。
「わかったのなら、うなずけ。それ以外なら、……死ね」
振り向かされ、初めて侵入者の姿が明らかになる。男であった。その身は黒一色に統一され、闇の中から沸き出た亡者を連想させた。年の頃は不明である。若いのか、年をとっているのか、それさえも分からない。
男は突然の事態の展開に対応できぬカトレアに猿轡を噛ませ、目隠しをして後ろ手に縛り上げた。荷物のように肩に担ぎ上げ、窓を開く。
カトレアは頬にあたる風の感触でそのことに気づいた。身動きできない彼女にとって全てが悪夢のようだった。涙が後から後からこみ上げてきて、止まろうとしない。喉は引きつったようにけいれんし、猿ぐつわのためだけではなく、声が出せない。
何故、どうして。混乱した頭でカトレアは考える。
自分はまだ死ねない。やらなければならないことが山ほどあるのだ。帝国との問題も山済みであるのに、死ぬわけにはいかない。この身はカサンドラの民に捧げたものだ。このまま、死ぬことも、侵入者に好きにさせることも、どちらも許されない。
風の感触が強くなる。不意に足場が消失したかのような浮遊感が襲う。
「……っ」
衝撃を覚悟した。しかし、後に訪れたのは驚くほど小さな音だけだった。それを成し遂げたのは、侵入者の驚くべき技量。カトレアはそれを体験し、自分が助かる確率が限りなく低いことを理解した。王宮に恐らく単身で潜入した手だれ。この国の騎士たちは皆勇敢だが、個々の技量に突出したものはいない。もちろん、戦時ではないため油断もあったのだろうが。
カトレアは、この男に対抗することのできる者を必死で思い描こうとした。だが、考える端から打ち消され、後に残ったのは虚無の塊だった。
白紙を墨で染めるように心に諦めが広がっていく。使命感を恐怖が塗りつぶし、震える手足は力を込める端から抜けていく。
誰しも、満足して死ぬことはないかもしれない。むしろ、そうできる者の方が稀だろう。それでも、もう少しだけ。もう少しだけでいい。カトレアは願う。
時間が欲しい。
カサンドラのためにできる事がある。その後なら、この身などどうなってもいい。
お願い。
誰でもいい、誰か助けて。
お願い誰か……。
誰か……!
カトレアの叫びは夜の闇に吸い込まれていった。
カトレアは青の目をしばたきながら、外界へとつながる入り口を点検する。窓はしっかり閉まっており、開いた様子もなければ、風が吹き込んだ様子もない。侍女がいる隣室へと通じるドアも動いた様子はなかった。カトレアは軽く頭を振ると、再び本に向き合った。
気のせいだったのだろうと軽く頭を振った。
「……静かに」
その時、押し殺した声が部屋の中に響いた。同時に喉元に冷え冷えとするような硬い感触が押し当てられる。
「きゃ……」
全身が総毛だった。頭の中が真っ白になり、何も考えられない。生命を奪う鉄の重みがカトレアを見えない力で拘束する。無意識に漏れ出した悲鳴は力強い手で押さえ込まれた。
「……大人しくしておけば命は取らぬ。……だが、余計なことをしようとすれば――殺す」
静かな語気だった。それが余計に侵入者の本気をカトレアに悟らせた。
「わかったのなら、うなずけ。それ以外なら、……死ね」
振り向かされ、初めて侵入者の姿が明らかになる。男であった。その身は黒一色に統一され、闇の中から沸き出た亡者を連想させた。年の頃は不明である。若いのか、年をとっているのか、それさえも分からない。
男は突然の事態の展開に対応できぬカトレアに猿轡を噛ませ、目隠しをして後ろ手に縛り上げた。荷物のように肩に担ぎ上げ、窓を開く。
カトレアは頬にあたる風の感触でそのことに気づいた。身動きできない彼女にとって全てが悪夢のようだった。涙が後から後からこみ上げてきて、止まろうとしない。喉は引きつったようにけいれんし、猿ぐつわのためだけではなく、声が出せない。
何故、どうして。混乱した頭でカトレアは考える。
自分はまだ死ねない。やらなければならないことが山ほどあるのだ。帝国との問題も山済みであるのに、死ぬわけにはいかない。この身はカサンドラの民に捧げたものだ。このまま、死ぬことも、侵入者に好きにさせることも、どちらも許されない。
風の感触が強くなる。不意に足場が消失したかのような浮遊感が襲う。
「……っ」
衝撃を覚悟した。しかし、後に訪れたのは驚くほど小さな音だけだった。それを成し遂げたのは、侵入者の驚くべき技量。カトレアはそれを体験し、自分が助かる確率が限りなく低いことを理解した。王宮に恐らく単身で潜入した手だれ。この国の騎士たちは皆勇敢だが、個々の技量に突出したものはいない。もちろん、戦時ではないため油断もあったのだろうが。
カトレアは、この男に対抗することのできる者を必死で思い描こうとした。だが、考える端から打ち消され、後に残ったのは虚無の塊だった。
白紙を墨で染めるように心に諦めが広がっていく。使命感を恐怖が塗りつぶし、震える手足は力を込める端から抜けていく。
誰しも、満足して死ぬことはないかもしれない。むしろ、そうできる者の方が稀だろう。それでも、もう少しだけ。もう少しだけでいい。カトレアは願う。
時間が欲しい。
カサンドラのためにできる事がある。その後なら、この身などどうなってもいい。
お願い。
誰でもいい、誰か助けて。
お願い誰か……。
誰か……!
カトレアの叫びは夜の闇に吸い込まれていった。
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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