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ススメ☆ラッシー(完結)

2章

小さな出会い

 俺の行動範囲は半径五メートル。それが世界の全てだった。
なぜならいつも奴に阻まれているからだ。
フットワークの軽い体、堅固な強さを持つそいつは少しも隙も見出すことができない。また、工夫を凝らした俺の攻撃をことごとく無効にする。知恵を絞ったここ一番の考えもガラスを割るがごとくやすやすと打ち砕かれる。俺の一日は奴との戦いだけだった。まるで世界中に俺達二人しかいないようだ。自分の全てをぶつけられる相手。せめぎ合いながらも尊敬の念が込み上げてくる。
俺は誇りを込めて今こそ、その名前を呼ぼう。
 そいつの名は……鎖だ。
しかもピンク色の少しキュートなやつ。

(はぁぁぁぁぁぁ)
 知らず盛大なため息が漏れた。犬になってもう三日目。首輪の感触にも慣れてきた。何度も逃れようと、挑戦するのだが一つ問題があったのだ。鎖が外れない。
犬小屋の壁にフック式で引っ掛けているだけのものなのだが、もちろん引っ張るだけでは、外れるはずがない。犬の足では、細かい事はできないため、一回持ち上げて引くという高度な事ができないのだ。さらに犬の基本姿勢は四つん這い。だから長時間二本足で立つ事は、例えて言うなら筋肉痛の状態でスクワットするに等しい。数秒なら平気なのだが、時間がたつに従い、足が硬直してくる。我慢できなくなり足を下ろす。その繰り返し。多分慣れれば平気なのだと思うが筋肉の付き方が二本足の動物と根本的に違うのだ。だから、どうしても前足が下りてしまう。
(ふうっ……どしたもんかねぇ。慣れるまで待ってもいいが、それで外れる保証はないしなぁ。なにかいい方法を考えないとな)
 さすがにいつまでもこのままでいるわけには行かないし。
 あれから考えてみたのだが、犬になる前の事がどうも思い出せない。前日にコンパがあって、そこに出かけて、しこたま飲んだことまでは覚えているのだが、その先は霧に包まれているようにはっきりしない。でも、起きた時、相当頭が痛かったので何かがあったはずだ。じゃないと、説明できない。まあ、始めから説明できるわけではないのだけれど。お酒飲んで、朝起きたら犬でした。まさに超常現象の世界だ
 待てよ、やはりもう一回整理してみよう。俺は大森秀行、十九歳。現在大学の一回生。去年親父が再婚したため、新しくお袋ができた。生みの母は母さんと呼んでいるが、義母の方はお袋と呼んでいる。これは一種のけじめだと思っている。俺にとって母さんは一人だけだ。かといってお袋のことを認めていないわけでもない。だから、呼び方を変えてどちらにも敬意を示しているのだ。そしてまた、新しく変わった妹が一人と賢い犬が一匹、家族になった。妹は、顔は可愛いのだが特異な性格のせいですさまじくマイナス修正され、総合的にかなりマイナス評価になる困ったやつだ。逆に犬の方はとてもいい子で、一緒に散歩するのがとても楽しい。よしここまでは良いな。
 それで、昨日は新歓コンパの一つだったはずだ。それから……、それから……、えーと……。そう酒を飲んで、飲まされて、イッキ飲みして……。
「ラッシー、散歩に出かけましょう」
 唯が相変わらずの無表情のまま歩いてきた。動きやすいジーパンに薄手のTシャツ、その上にパーカーを羽織っている。
ちっ、せっかく考えていたのに。おかえしに悪態をつくようにわざと寝そべる。はたから見たら、俺はさぞやる気がなさそうに見えただろう。まあ、実際やる気がないのだが。
だいたい散歩というのは思ったほど面白くない。俺がまだまとも(注、人間)だった頃、ラッシーを散歩に連れて行っていたのだが、尻尾をちぎれんばかりに振って喜んでいた。だから、まあそれなりにいいものなのかなと思っていたのだが、そんな事は全然ない。鎖があるため思いっきり走ることもできなし、コースもいつもどおり。三日行ったら飽きてしまった。それに、他の犬の匂いづけしたところなんか、嗅ぐ気もおこらない。まあ、人間なんだから当たり前なのだけど。結論としてはここでごろごろ寝そべっておくのが一番なのだ。
(ということで散歩は一人で行ってくれ。有酸素運動はダイエットにいいぞ)
しかし、唯はそんな俺にかまわずぐいっと鎖を引っ張った。
(首が絞まるぅぅー)
 相変わらずの表情でじっとこちらを見つめてくる。鎖はじりじりと引っ張ったままだ。わかったよ。わかりましたよ。行けばいいんだろ。俺は観念して立ち上がった。
唯は満足したのか鎖を外そうとする。前から思ってはいたのだが、こいつ性格悪くないか?
「あっ……」
 その時、外し損ねたのか鎖が音をたてて落ちた。
(今だっ!)
 考えるより先に体が動き出した。チャンスだ。これはまたとないチャンスだ。地面を思いっきり蹴る。人ではありえない瞬発力だ。そう、俺はいま風になる!
 ヒュンッ……ビィィィン。
 何かが耳の横を猛スピードで通り過ぎた。そして目の前の壁に、突然ナイフが深々と刺さって出現する。威力の余波なのかナイフが軽くしなっている。
(はいぃぃぃぃ!?)
 慌てて振り向く。
「ちぇ……、外れちゃった……」
 そこには、残念そうに呟く妹がいた。だが、羽織っていたパーカーの下には幾本もの投げナイフが見えた。しかも、すでに次弾を装填しようとしている。
「次は……外しません」
 無機質な目で俺を見た。殺気というものだろうか、奇妙な威圧感が唯を中心として発せられた。冷や汗がぶわっと毛穴から噴きだした。
(マジだ、こいつマジだ! ていうかなんでそんな物もってんだ!?)
 すさまじいプレッシャーが俺に襲いかかる。鎖はわずかに妹の手から離れている。逃走できるかどうか微妙な距離だ。失敗したらと考えたら身動きがとれなくなる。俺と唯との間に緊張がはしった。ゴクリと喉がなる音がやけに大きく聞こえた。
「5秒あげます……。生きるか、死ぬか……選びなさい。5…4」
 その瞬間、俺は駆け出した。むろん――
「3……お利口さんね」
 妹のすぐ目の前でお座りした。そんな俺の首を唯はやさしく撫でてきた。生命の危機は脱したが、人として何か大事なものをなくしたんじゃないのかなぁと思い、少しブルーになる俺であった。だって怖かったし。
 
 トコトコといつもの散歩コースを歩く。まず家の裏にある池をぐるりと周る。その後、病院の傍にある公園の遊歩道を通って家に帰る。ラッシーを連れて俺もよく通った道だった。あの頃は考えなかったな。まさか自分が散歩させられるとは。
しかし、目線が違うと様々な事が見えてくるなぁ。きれいに見えた遊歩道も、実は細かなごみが一杯落ちていて歩きにくいし。やっぱり、目線を変え物事を見ることは大切だね。普段見えないものが見えるしね。
「ああぁ! ラッシーだぁ!」
 考え事をしていた俺に子供特有の甲高い声が聞こえてきた。それと共にドスンとした重みが加わる。なんだいったい? 声の主を見つめる。そこにはズボンからシャツがはみ出した腕白盛りの子供がいた。しかし、何故かパジャマ姿だった。
「けんちゃん、こんにちは」
 唯が珍しく優しそうな顔をして言った。こいつにもそんな顔ができるんだ。正直意外な気がした。
「こんにちはぁ、ゆう姉ちゃん」
 けんちゃんは前歯の欠けた口でニカッと笑った。元気爆発といった感じの子だ。
「ラッシー、元気にしてたぁ」
 嬉しそうに毛並みに顔をうずめてすりすりと頬擦りをする。その際、鼻水がべっとりついた。なすりつけるから毛の中まで浸透してくる。
(やめてくれぇぇぇぇ)
「クゥゥゥゥゥゥゥン」
 調子に乗ってけんちゃんはさらに俺にまとわり付いてくる。そんな俺達を唯が優しい表情を浮かべる。傍からみたらとても平和な光景に見えたであろう。そしてたぶん、目の前の二人は幸せなのだろう。この俺を除いたら。
「今日は乗ってもいいの?」
 はい?
「ええ。今日のラッシーは凄く元気だから」
 相変わらず優しい表情のまま答えた。
「わぁぁい」
 すぐに俺の体をよじ登ってきた。そして、背中にまたがると俺の耳をいきよいよくつかんだ。根元から千切れそうなほど鋭い痛みが襲う。
(なにさらすんじゃ、このガキ)
「ワンッ!」
 凄みを込めて吼える。見ず知らずのガキにそんな事をされるいわれなどない。
 その瞬間、まるで鈍器にでも殴られた痛みが後頭部に走った。ジンワリとした熱さが首の方まで広がっていく。
(何すんだよ!)
 唯を見る。その長くしなやかな足は蹴り上げたまま固まっていた。そして、しばらく制止していたかと思うと勢いよく降りた。――踵落しだ。
 理解した時には、俺は白い世界を覗いていた。
わぁ、なんか川が見えてきたぞ。あっちでじいちゃんが手を振っている。いま俺も行くよ。長い間待たせてごめんね……。
(ハア、ハア……ハッ!)
 済んでの所で引き返してこれたようだ。危ない所だった。あれが俗に言う三途の川か。危険な匂いがぷんぷんしたぜ。
 ブルブルと頭を振る。どうやら横たわっていたようだ。もしかしたら傍から見たら死んだように見えたかもしれない。(実際死にかけたのだが)
 意識がはっきりしてきたら、お腹の辺りに重みを感じた。見ると、けんちゃんの心配そうな目があった。
「ラッシィー、だいじょうぶ……?」
 瞳に涙をためながら心配そうに見てくる。なんていい子なんだ。しみじみとそう思った。純粋に俺のことを心配してくれている。こんないい子に対して吼えるなんて俺もまだまだだな。少しだけ優しい気持ちになる。手が使えたら撫でてあげたいくらいだった。
「クゥゥゥゥン」
(乗りな、けんちゃん。今日はとことん付きやってやるぜ)
 俺はシッポを振り、身をかがめてやる。
「いいの?」
 心配そうに訊いてくる。黙って頷く。ふっ、言葉はいらねえぜ。
「わーい」
 けんちゃんは満面の笑みを浮かべた。なにかこっちまで嬉しくなってくる。
「雨降って、地固まるですね……」
(お前が言うなっ!)
 ポツリとつぶやく唯に聞こえないつっこみを入れる俺であった。


 夕焼けが公園を淡く包んでいた。一匹と二人のでこぼこな影がその存在を誇示するように長く伸びる。唯は目を細め、その影をぼんやりと追っていた。しかし、俺にはその影をのんびり見つめる時間はなかった。
「ラッシー、つぎはこっちぃ!」
 けんちゃんを乗せ、右に左にうろうろと。俺の背中の感触が気に入ったらしくいっこうに下りようとしない。まあそれは良いんだが、毛と一緒に肉までつかむからとても痛いのだ。ああっ、こんな時しゃべれたらとつくづく思うぞ。
「そろそろ、帰りましょうか」
 唯がポツリとつぶやいた。やっと解放される。おもわずため息がもれる。
「えぇ、やだぁ。もっとあそびたいよぉ」
 案の定、けんちゃんが駄々をこねた。
 さて、唯はどうするんだ。あの奇天烈娘がおろおろするのを見るのもまたよし! 今日は散々いたぶられたから少しは腹いせしないとな。
 しかし、唯は何も言わず目線を公園の入り口の方へ向けた。つられるように俺も向く。そこには一人の女性がいた。夕焼けに照らされてその人は、茜色に染まっていた。
「ああぁっ! みき姉ちゃん」
 けんちゃんは俺から飛び降りると、その女性に一直線に走っていった。そして、体当たりするように抱きつく。あまりの勢いにその人はよろけたが、しっかりと抱きしめた。
「健太がお世話になりました」
 そう言うとその人はぺこりと頭を下げた。
「いえ、そんな事はありません。私もラッシーも一緒に遊べて楽しかったですよ」
 唯はけんちゃんを見ながら、自然な笑みを浮かべた。
「あのね、あのね、ねえちゃん。今日すごくたのしかったんだ。ラッシーと一緒に遊んだんだぁ」
「そう、よかったわねぇ。ラッシーありがとう」
 にっこり微笑んだその顔は、とても優しげだった。
(いやいや、別にたいしたことはしてないよ)
「ワンワン」
 俺は言葉が通じないのを今ほど悔やんだ事はなかった。けんちゃんのお姉さんはとても、きれいな人なのだ。
 地毛なのだろうか、きれいな亜麻色の髪がとても印象に残った。どちらかいえば卵型というよりは丸型の顔は、優しそうな雰囲気をかもし出している。全体にほんわかした感じの人なのだが、
うむ、好みだ。知りあう絶好の機会なのに、なんで俺は犬の姿をしているんだろう。
「じゃあ、行きましょうか」
 けんちゃんとその人は仲良く手をつなぎ、出て行った。
 つないだ手をぷらぷらさせているけんちゃんを見ていると何となくだが懐かしいような、切ないような気がした。なぜだろうか。たぶん、夕焼けのせいなんだろうな。
「さあ、帰りますよ」
 唯が鎖を引く。だけど何となく、あの二人が出て行くのを見守っていたかった。唯もそれをわかってくれたのか、待ってくれているようだった。俺はゆっくり伸びていく影を見つめていた。

プロフィール

ニックネーム
ケイロン
性別
血液型
A型
生年月日
19○○年5月23日
現住所
岡山のどこか
所在地
岡山のどこか
職業
教師っぽいこと
自己紹介
小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。

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