ススメ☆ラッシー(完結)
4章
潜入、真夜中の病院!
「準備はよろしいですか?」
「ワン!」(OKだ)
草木も眠る丑三つ時、俺と唯は病院の前にいた。曇り空でぼんやりとした月の光が俺たちを照らしていた。
夜の病院は昼間と違い、なにか訪れる者に向かって得体の知れない威圧感を与える。を拒むようなそんな雰囲気を漂わせていた。
(しかし、病院というのは薄気味悪いな)
闇夜に浮かび上がるようなシルエットを見ながら、そう感じた。
「何故だかわかりますか?」
(いや、さっぱり)
「病院という場所でほとんどの方が亡くなられるからです。それ故に、気が集まり異界との扉が開きやすいのです」
(へぇぇ、そうなんだ)
「学校とかでも怪談話がいろいろあるのも、人が常に集うからなのですよ」
一つ勉強になった。唯がやはり心霊関係の人だと改めて実感する。
昨日、あれからラッシーの体に戻してもらった後、唯はなにやら遅くまでごそごそやっていた。どうやら、肉体の交換には色々と準備が必要なようだ。
(唯、忍び込むのはいいとして、巡回に見つからないようにしないとな)
なんたって今の俺は犬だ、病院内はペット厳禁。言い逃れも利かないだろう。
「心配要りません。これを見てください」
唯はいろいろ入って膨らんだ背中のリュックからメモを取り出した。白紙だ。一体なんだ?
(まあ、普通にメモ用紙だよな)
「いえ、もちろんそうですが。これから聞くのです」
(誰に……?)
「そうですね……、ああ、ちょうど良い所に。すみません、私、大森唯と申すものなのですが――」
そう言って唯は何もないところに語りかけた。時には、笑みを見せながら。ちなみに手はものすごいスピードで動きメモを埋めていく。俺の目の前で、なにかとてもキテレツで奇妙な光景が繰り広げられていた。
「――どうもありがとうございました。それでは」
唯は何もない所に深々と頭を下げた。そして、辺りはまた静かな夜に戻る。
(……唯さん、どなたと話していたのですかい?)
ここは兄として、いや人として聞いておかなくてはなるまい。しかし唯は例の奇妙な笑みをニヤニヤと浮かべるだけであった。
「とても親切な人でした。兄さんこれを見てください」
そう言って唯はメモ用紙をこちらによこした。
(…………もはや、何もいうまい。んで、どれどれ)
そこには、看護婦の巡回時間から病院の簡単な見取り図まで書かれていた。しかも、俺の部屋がありそうな場所にはなぜかゴールとかかれている。
「行きましょう。兄さんの部屋はA棟の503です」
(おう!)
俺と唯の足音が静寂なる闇夜にそこだけ乱すように響いた。
病院の待合室を問題なく通過する。エレーベーターは使えないから階段だ。ここの病院の場合、階段はナースステイションのまん前。常時待機している看護婦をどうごまかすかが問題だ。
案の定、そこには数人の看護婦が夜勤についていた。
(どうする?)
「はい、見つかるわけにいきません。策をめぐらします」
(どんな策だ?)
「まず、これを見てください」
そう言って、リュックから一体のぬいぐるみを取り出した。ちなみにキティちゃんだ。
(それで、一体どうするんだよ)
疲れたように言う俺。こいつの訳のわからなさは、兄弟になって随分経つがいまだ底が見えない。
「ええ、このままではキュートで愛らしい人形なままです。だから、これを置きます」
(どこに……?)
「ナースステイションに」
(だから、無理だって言っているだろうが。それに、どうやって俺達が行くか話し合っているんだろうが)
唯は鼻でふっと笑った。
「兄さん、私がそんな事考えていないとお思いですか。フフフフフフフ、見ていください。これで女性達の心はいちころです」
そういって唯はキティちゃんを床に置いた。そして、聞いた事のある甲高い息吹を人形に吹きかける。
「行きなさい」
そして、おもむろに人形に命じた。
その途端、人形が歩き出した。デフォルメされたキティちゃんがトコトコと歩いていく。
(あーるーいーてーるぅぅぅぅぅ!)
なんだ!? なにごとだ? 目の前をキティちゃんが可愛らしく歩いて通過する。もしこれがアニメだったら、俺は微笑ましい気持ちで見れたであろう。しかし、これは現実だ。こんなものがいきなり歩いてきたら怖いぞ。
案の定、ナースステイションからは悲鳴が上がった。そして、バタッという倒れる音。
「………………」
(………………)
「……作戦成功です」
(うそつけっ!)
思わず突っ込む。しかし、聞こえていないのか唯は小さなガッツポーズをしている。
「さあ、行きますよ」
キティちゃんを回収していく事も忘れない。
(まあ、いいんだけどね……)
もう、どうとでもなれ。腹をくくるしかない。
同じような手で、五階の階段出口のナースステイションも突破した。大活躍だ。キティちゃん。
そしてついに俺の病室にたどり着いた。メモの地図はゴールを示している。
「着きました……」
(ついに来たか)
病室の前にはAの503号、大森秀行と書かれていた。
(個室……?)
「ええ、こうなる事はわかっていました。だから人のいないほうが都合良いです」
(ほう、やるなぁ)
先読みする唯の感のよさに感心する。
(でも、高かったろう)
「いえ、そうでもありません。我が家の懐具合は少しも痛んでいません」
(へえ、家ってそんなに金あったけ?)
「そんな事ありませんよ。だって出るところから出ていますから」
(どこから……?)
何となくいやな予感がする。
「もちろん兄さんの口座からです。自分の分は自分で払う。これは当然のことです」
(俺の貯金がぁ!)
こつこつと貯めた俺のお金……。免許も取ったから車が欲しかったのに、こんな所でなくなるとは。
(シクシクシクシク)
くそぉ、今夜は泣くぞ。泣いてやる。
「大丈夫です。少しは残っています」
(いくら……)
「…………千円」
(シクシクシクシク)
唯の言葉はとどめになった。いいさ……。なくなったらまた貯めるさ……。
「では、入ります」
廊下の隅でいじけている俺を放っておいて唯は病室に入っていった。負けるな、俺。いつかいいこともあるさ。上を向いて歩こうぜ。気のせいか潤んで見える月に向かって、固く誓う俺であった。
病室に入った。そこには、長年親しんでいた俺の体がベットの上に横たわっていた。
(ああっ、久しぶり!)
思わず駆け寄よろうとする。しかし、唯が行く手を阻むように立ちふさがる。
「ダメです」
(どうして!)
やっと見つけた体なのだ。すこしぐらい触っても良いじゃないか。
「元の魂が触れる事によって体との共鳴が起こるからです」
(何が悪いんだよ)
「いえ、兄さんがそこまで言うのなら良いんですが、不必要な共鳴は体に負担をかなりかけます。その結果、体中の血管が破裂するかもしれません。それでもいいんですか?」
どうだと言わんばかりに見つめてくる。
(うっうっ、俺のからだぁ)
すごすごと引っ込む俺であった。
「では、儀式を始めたいと思います」
俺と体の間に立ち唯が宣言する。
「まず、北海道釧路産のこの荒塩を振りかけます」
唯はリュックの中から『塩』とでかでかと書かれた袋を取り出した、しかも、何故か市販されるものではなく業務用だ。
そして、それを寝ている俺の体にばさっと降りかけた。塩まみれになる体。ああ、哀れな俺。
次にラッシーの体(俺)にも塩が振りかけられる。
「これで、外側は清められました。では、いよいよ魂交の儀を執り行います」
唯は俺の体のほうに向かい正座した。ぴんと伸びた背筋、真っ直ぐ前を射抜く鋭い瞳。それだけ空気が張り詰めた。痛いような静寂が辺りを包む。神剣ロクちゃんで軽く二つの身体を刺す。
「では……始めます!」
大きく息を吸い込むと鳥の鳴き声のような甲高い息吹を上げた。それが繰り返しされていくうちに徐々に室温が上がっていくのがわかる。狭い個室内に唯の息吹のみが響き渡っていた。緊張のせいか、それとも他の要因があるのか俺の手足は少しも言う事を聞かない。空気が強い束縛となり包んでいるようだ。
「高天原之主奉賜今日我望聞真有難黄泉国道彷徨魂呼赦給」
(ツツツッ!)
耳鳴りが急にし始めた。頭の中を直接手で弄り回されているような不快な感触がする。そして、なにやら映像がコマ送りのような速さでフラッシュバックし始めた。俺の記憶? いやラッシーの記憶だ。目線がやけに低い。唯の顔やお袋がしばしば登場する。また、見たこともない映像もあった。白い雲のような物体に突撃する視界。そこには捕らわれて、苦しそうにしている唯の姿があった。今より随分幼く見えるが見間違えようなどなかった。白い物体を噛み砕き、唯を助け出すと背中に乗せた。そこでまた違う映像に切り替わる。ものすごい勢いで流れていくそれらに俺の意識は悲鳴をあげる。
頭痛がさらに酷くなる。意識が白くなる。もう……だめだ―――。
諦めかけたその瞬間、痛みが一気に引いていった。なにかを中断したみたいな不快さが体の芯に残る。終わったのか……。自分の体を確認する。しかし、まだ俺はラッシーのままであった。
(唯、どうしたんだ……?)
失敗したのだろうか。不安で胸がつぶれそうになる。
「違う……」
ポツリと呟く。珍しくその顔色には焦りが伺える。
(何が……違うんだ……?)
不安で胸が激しく上下して息がしにくい。言葉が震えている事を冷静な部分が理解する。
「入っているものが違うんです。確かに入れたはずなのに……」
(だから何なんだ!)
わからない事、それは怒りを掻き立てる。感情が渦を巻く。なんだか泣きそうになった。
「落ち着いてください。ちょっとした手違いです」
唯は何事もなかったように答える。
「どうやら入れておいたモノと違うモノが入っているようです」
開き直っているようにも見えるが、本当にそうなんだろうか。
「そして兄さん、びっくりです。ここにいるモノを私たちは知っています」
(なんだ?)
「けんちゃんです」
(はい?)
なんでいきなりその名前が出てくる。まったく関係ないだろ。だいたい俺は人だった頃にけんちゃんに会った覚えなんかないぞ。
(なにかの間違いなんじゃないか?)
そうであって欲しいという願いを込めて聞く。
「兄さん、友達の顔を見て間違いますか?」
(そんな事はないが……)
「それと同じです。間違いようがないのです。魂の色は個人によって違うのです。これは明らかにけんちゃんです」
唯が言った事は間違いないのだろう。それでも、何故けんちゃんの魂が俺の体の中にいるんだ?
(さすがにおかしくないか。俺はつい最近、けんちゃんにあっているんだぜ。魂って言うのがないと体がないと動かないんだろ。おかしいじゃないか)
唯がわかっていますと頷く。
「ええ、前に会ったけんちゃんは、確かに魂と体に違和感などありませんでした。病気のため、弱々しい生命力しか放っていませんでしたけど、間違いようがありません」
(えっ、けんちゃん病気だったの?)
初耳だ。それに、あんなに元気に遊んでいたのだ。病気だなんて信じられない。まあ、たしかにパジャマを着ているのは変だなって思ったけど。
「言っていませんでしたか。けんちゃんはこの病院に入院する患者さんです。二ヶ月ぐらい前でしたか、ラッシーと散歩している途中に初めて出会いました。けんちゃんは夕暮れ公園で一人寂しそうに遊んでいました。なんだがほっとけなくなり声をかけました。それ以来、私とラッシーとけんちゃんは友達なのです」
(…………)
「兄さん、あの時、けんちゃんを迎えに来た人がいましたよね」
(ああ、たしかけんちゃんのお姉さんだっけ)
「ええ、美樹さんといいます」
(きれいな人だよなぁ)
「ムッ……。まあいいですけどね。彼女達の両親は共働きで忙しく、入院したけんちゃんにほとんど会いにいけてないのです。そのぶん、美樹さんが母親代わりとなって、学校が終わると必ず会いに来ていたそうです」
俺は親に会えない子供の気持ちをよく知っている。求めても届かないのに、それでも諦めきれず足掻いてしまう。普段は平気なのだが治りきらない古傷のように、時々思い出がよみがえる。一緒に遊んだ思い出、叱られた思い出、その時は辛かったり、楽しかったりしたものだが、今思い出すと胸の奥がちくりと痛んでしまう。この先、俺は様々な事を経験して大人になっていくと思う。でもこの胸の痛みはきっといつまでも残っている事だろう。
(そうなんだ……)
「先日、美樹さんと話す機会がありました。その時に、近々手術をすると聞いていました。病気自体は手術すれば直る類のものです。そして、手術自体の成功率も低くはないそうです。なんでも、海外で成功例が何件かあるそうです。ですが――」
(けんちゃんがここにいるということは……)
「ええ、なんらかのアクシデントがあったか、もしくは、失敗してしまったか」
唯の言葉が重くのしかかる。たった一度の出会いだったけど、あんなに良い笑顔をしていたのに……、こんなに、幼いのに死んでしまったのか。
けんちゃんは生まれてきて、何か楽しい事はあったのだろうか。良い思い出を残せたんだろうか。これから何にでもなれる可能性があったのに、こんなところで終わってしまったのか。
死というものは、とても残酷だ。人から全ての可能性を奪う。避けられない運命だけれども、その現実を突きつけられる度に無力感にさいなまれる。
目が潤んでくる。体が震えるのが抑えられない。ちくしょう!
「泣いているのですか……」
(別に……そんなんじゃない……)
唯もまた目を伏せる。長いまつげが震えているように見えた。
「……兄さん」
(なんだよ)
ほっといて欲しい。こんな姿はあまり見られたくない。
「泣くのは良いんですが、けんちゃん死んでませんよ」
(えっ!?)
だってさっき失敗したって……。
「魂は確かに離れていますが、肉体は死んでいません。おそらく仮死状態にあると思われます」
(じゃあ、けんちゃんはまだ助かる見込みがあるのか)
唯の瞳を睨みつけんばかりに見つめる。
「わかりません、身体の状態を見てみないことには……。ただ、生命線が兄さんの身体まで伸びている事から、若干の猶予があると思うんですが」
逡巡するように唯は首を振る。
(行ってみよう)
決断するなら早い方がいい。時間がないことはわかった。後はどう対処するかだ。
(唯、けんちゃんの病室は?)
「生命線をたどれば着くと思います」
(よし、行くぞ)
俺と唯は駆けだした。
途中何度が巡回の看護婦にかちあいそうになった。しかし、敏感な耳で事前に察知して、なんとかやり過ごす。生命線を追うと同時に俺は、犬の鋭すぎる鼻を使っていた。一度しか嗅いだことはないが、大丈夫、記憶している。俺は的確にけんちゃんの居場所を特定してゆく。
(見つけた!)
生命線がとある病室の中に伸びていた。俺の鼻もここを指している。
「間違いありませんか?」
(ああ。……ん!? あれこの匂いは……)
嗅いだ事のある匂いがけんちゃんの他にも部屋の中にあった。
「どうしたのですか?」
(たぶん、美樹さんがこの中にいるぞ)
「こんな時間に?」
唯が驚くのも無理はなかった。はっきり言って、真夜中と言っていい時間だ。面会の時間としては論外だ。
しばらく迷う。肉親がいる中に入っていっていいものだろうか。しかし、その考えをすぐに打ち消した。
命がかかっているんだ。それに優先させる事はない。
(唯、行ってくれ。さすがにこの姿で病室に入るのはまずい。状態を確認してきてくれ)
「わかりました」
唯も俺の意を汲んでくれたのか、すぐに行動を開始した。ドアにノックする。俺は慌てて隠れる。
コン……コン……。
病院の静かな廊下にはやけに大きく鳴り響いた。
「………………はい」
中から躊躇いがちな返事が返ってきた。間違いない美樹さんだ。
唯は返事を確認するとすばやく中に滑り込んだ。そして、後ろ手に扉を閉める。
(しっかりな!)
早く確認したかった。
俺は耳をすませる。様々な音が耳に飛び込んできた。機械が動く音。誰かのイビキ。点滴の落ちる音。そして、話し声。その中から必要なものだけを選別した。
(よし、聞こえてきた)
俺はさらに意識を集中していった。
「唯さん、どうしたんですか。こんな時間に!?」
ひそめた美樹さんの声が聞こえた。
「けんちゃんの様子が気になりまして。失礼ですがこんな時間にお邪魔してしまいました」
唯の声はいつも通りだ。
「そうですか……、健太の手術は今日のお昼に終わりました。特に問題もないし、術後の経過も安定しているの。……でも、なかなか目を覚まさなくて。お医者さまはそのうち目を覚ますと言ってらっしゃるのだけど、どうにも心配で……、それにもし、目がさめたら一人だなんて寂しいじゃないですか」
「わかります。その気持ち。でも、優しいんですね」
「そんなことないです。ただ、目を覚ましたこの子を一番に見たいだけなんです」
「ふふ、私はお邪魔なようですね。では失礼します」
「あっ、唯さん!」
「なんですか?」
「また、来てやって下さい。健太も喜ぶと思います」
軽い笑い声が響いた。そしてパタリとドアが閉まる音。唯が出てきたのだ。
(どうだった!?)
「ここでは少しまずいです。兄さんの病室へ行きましょう」
唯は俺の返事を待たずに歩き出した。気のせいか唯の顔が青ざめているような気がした。それがひどく気になった。
「結論から言います。けんちゃんは長くはもちません。もって朝までといったところでしょう」
病室に入ると唯はいきなり口を開いた。
(おい! いったいどういう事だ!? さっき病室で手術は成功したって、美樹さんが言っていたじゃないか)
あんまりの言葉だった。美樹さんはあれほど弟の事をきちんと考えているのに、そして、手術も成功したのにどうしてそんなことになるんだ。
「私だって、こんなこと言いたくはありません。でも事実、そうなのです。命の残り香が身体からほとんど感じられなかった。あのままでは、だめです。現在、けんちゃんの肉体と魂は離れています。前にも言ったように、訓練していないものが肉体を離れていると、数時間もたたずに成仏してしまいます。つまり、魂が死ぬということは肉体の死と同義のことになるのです。たぶん、けんちゃんが兄さんの体の中に入ったのは、自分を消滅させまいとの無意識行動だと思われます。中に入っていた弱いものを追い出し、自らの身を守っているのです。そして、消耗せまいと眠りについているのです。ですが、それも限界に近づいています。」
矢継ぎ早にいうその口調はどこか悲壮感が感じられた。話す事によって、自分を保とうと言うばかりに、唯は息もつかず話し続けた。その様子がなんだか悲しかった。
(なにか、方法はないのか!? こんなに小さいのにもう寿命だとでもいうのかよ)
人には命の期限があることはわかっている。そして、それは人によって様々だということも。世界にはけんちゃんよりも早くなくなる人はたくさんいる。戦争、飢餓、原因は様々だ。それでも、自分の目の前で消えようとする命に対して、納得できるわけがない。
「はい、あるには……あります。離れている魂に力を与え、活性化させます。そうする事によって生きる力が強くなります。体と魂は切っても切れぬもの。お互いが影響しあう仕組みを利用してやれば……」
(唯、すぐにやってくれ!)
心霊の事なら、我が家の唯さんにお任せだ。よかった、よかった。これでけんちゃんも助かる。
しかし、唯は俺の言葉に今度こそ悲しそうな顔をした。
「無理……なのです……」
ひと言、ひと言、心を搾り出すように苦しげに口を開く。
(唯……)
「私にも……無理なのです……」
何かを我慢するように両手で肩を抱く。
(でも……、なにか方法があるんだろ)
助かる見込みがあると唯は言った。言ったからには何か手があるはずだ。
「あるにはあります。しかし、……」
躊躇するように言いよどむ。
(言ってくれ、やらないで後悔するより、やって後悔したい)
「……………」
(唯!)
「……わかりました。でも、それによって兄さんが、人に戻れなくなる可能性があるとしても……それでも、いいのですか」
唯の言葉が楔のように俺の心を縫い付ける。その厳かな口調は、軽がるしい返事を俺に許さない。
(…………どういうことだ?)
「魂に活力を与えるだけなら、私にもできるのです。しかし今、けんちゃんの魂は深い眠りに就いています。このまま放って置けばそのまま消えてしまいそうなほど深い眠りに……。元々そういったモノを起こすのはラッシーの役目だったのですが、今、ラッシーはいません。だから、ラッシーの体に宿る兄さんに起こしに行ってもらうしかないのです。私には潜る力はありませんから」
(ラッシーもそっち関係だったのか!?)
「ええ、私とラッシーはよくコンビを組んで除霊とかやっているんですよ。何度も助けられています」
(は? ちょ、ちょっとまて……お前……ラッシーをそんなことに……)
「はい、彼は本当によく働いてくれています。少なくとも兄さんよりは」
(ピキッ!)
し、しかしだ。まあ……それでか……なんだかわかるような気がした。ラッシーの賢さは今考えれば異常と言えるほどであった。まるで、人の言葉を理解しているみたいだなと思っていたが、本当にそうだとは。
それに、唯の除霊という言葉は先程見た映像を裏付ける。
(つまり、俺にラッシーの代わりをしろと……。でも俺はそっちの世界の事は何もわからないぞ。それに、起こそうといってもどうやればいいのか見当もつかない)
「大丈夫です。それは私が外からサポートします。やり方を説明します。まず、けんちゃんの魂をラッシーの体の中に入れます。このことによって、二つの魂が一つの体に存在する事になります。たぶん体がばらばらになりそうなくらいの痛みが、兄さんを襲うでしょう。私も力を貸しますが、それでも大変な痛みです。ここで、痛みに耐え切れなくなればそれで終わりです。二人の魂は相互に干渉しすぎて消滅してしまいます。それでもやれますか?」
躊躇うことはない。
(ああ、やる)
「わかりました。次に兄さんはけんちゃんの魂の回廊を行くことになります。ここは迷路のようになっていて間違えば終わりです。ですが、私が外から指示にする事によってなんとかなるでしょう。ラッシーはその鼻で居場所を特定していました。最後にけんちゃんと対面します。たぶん深い眠りに就いていると思いますから、なんとしてでも起こしてください」
予想以上大変そうだった。でも、やってできない事はないはずだ。根拠のない自信だっていい。今は力を与えてくれるものなら何だってすがってやる。
「他にもタイムリミットがあります。人によって違いますが、時間がかかりすぎると、魂に重大なダメージを受けます。取り返しがつかなくなるかもしれません」
(もう決めたことだからな)
命をかける価値があるかどうかはわからない。それでもやると決めたことだ。
「……………聞いていいですか……」
どこかためらいがちに唯は口を開いた。
(なんだ?)
「どうして、一度しか会ったことのない人のためにやろうと思うのですか? 私はたしかにけんちゃんを助けたい。でも兄さんには関係ないはずです」
確かに正論だ。俺もどうしてそうしたいのかわからない。でも、でもな。
(俺は母さんをいきなりの事故で亡くした。俺の力がまったく届かない所でだった。届いたからって何かできたわけじゃない。それでも、死に際になにか一つの言葉をかけたかった。かけてもらいたかった。誰にも、なにも言わずに母さんは逝ってしまったことが、どうしようもなく悲しかった。こんな思いもうしたくない。あの時はなにも手段がなかった。でも、今回は足掻けるだけの余地がある。たぶん、代償行為だとは思うんだ。でも、ここで逃げたら、俺はもう前に進めない。進む事ができない。人生にはそんな時があると思う。俺にとって今がその時なんだ)
自分で言っていて照れてきた。かっこつけすぎかもしれない。
正直に言えば怖い。足元が震え、現実感が希薄になるほど怖い。
だけど、やらなかったら、俺は一生後悔する。
7分の恐怖と3分の勇気をもって唯を見つめる。
しかし、意外にもそんな俺に、唯は優しそうに微笑した。何の含みもない透き通るような笑みだった。
「馬鹿ですね。兄さん……」
(なにおぅ)
なんだが笑い出したくなった。唯も笑っていた。俺もシッポを振った。
さあ、やるか!
「では、送ります。兄さんには意識を失ってもらいます」
(なるべく痛くない方法でな)
「はい、わかりました」
唯は背中のリュックから神剣ロクちゃんを取り出すと、ゆっくり鞘から抜き出した。闇夜にキラリと刃が光る。切られないとわかっていても、やはり怖いものだ。
俺も覚悟決めるように目を閉じる。
思い残す事はない。
思い残す事は……?
……そういえば思い出した。さっき変な事あいつ言っていたな。
(ところで、元々は俺の体に何を入れてたんだ?)
「ええ、人の体は魂を入れておかなければ、自ずと生きる力が弱まっていきます。しかし、そう生きている人間並みに強い魂など都合良く転がっていません。そこで、私は考えました。一体でだめなら、複数つめればよいのではないかと。案の定、この試みは成功しました。近くの浮遊霊さんに協力してもらっただけの事はあります」
(ほほう、つまり唯さん。俺が奇声をあげたり、裸で踊ったりしていたのはその霊達のせいなんじゃないのかな?)
じと目で言う。そして俺は、唯の口が引きつったのを見過ごさなかった。
「そっ、そんな事ありませんわ。大人しくしてくれるよう頼みましたし……」
(でもさぁ、俺、ラッシーの中に入っているけど体自由に使えるぜ。もしかしたらと考えられないか)
さらに引きつる唯の口。もう一歩だ。さあ責任転嫁だ。あわよくばお金を取り戻すぞ。じりじりと近寄る俺。同じく距離を保って下がる唯。
(ふっふっふっ)
「ははははは……」
唯は壁を背にした。もう後がない。
「あっ!」
切羽詰った声で俺とは違う方向に身構えた。完璧に戦闘モードに入っている。今度は何が起こったんだ。
(なんだ!?)
慌てて俺も反応する。すばやく後に振り向き身を低くする。
そこへ衝撃が来た。不意をつかれ首筋にもろに打撃を食らう。視界がカーテンのように揺らいでいく。
「兄さんも、まだまだ甘いですね。いってらっしゃい……、がんばってくださいね」
ああ、なんてお約束な展開、俺ってバカ? 薄れてゆく意識にそう思った。
「ワン!」(OKだ)
草木も眠る丑三つ時、俺と唯は病院の前にいた。曇り空でぼんやりとした月の光が俺たちを照らしていた。
夜の病院は昼間と違い、なにか訪れる者に向かって得体の知れない威圧感を与える。を拒むようなそんな雰囲気を漂わせていた。
(しかし、病院というのは薄気味悪いな)
闇夜に浮かび上がるようなシルエットを見ながら、そう感じた。
「何故だかわかりますか?」
(いや、さっぱり)
「病院という場所でほとんどの方が亡くなられるからです。それ故に、気が集まり異界との扉が開きやすいのです」
(へぇぇ、そうなんだ)
「学校とかでも怪談話がいろいろあるのも、人が常に集うからなのですよ」
一つ勉強になった。唯がやはり心霊関係の人だと改めて実感する。
昨日、あれからラッシーの体に戻してもらった後、唯はなにやら遅くまでごそごそやっていた。どうやら、肉体の交換には色々と準備が必要なようだ。
(唯、忍び込むのはいいとして、巡回に見つからないようにしないとな)
なんたって今の俺は犬だ、病院内はペット厳禁。言い逃れも利かないだろう。
「心配要りません。これを見てください」
唯はいろいろ入って膨らんだ背中のリュックからメモを取り出した。白紙だ。一体なんだ?
(まあ、普通にメモ用紙だよな)
「いえ、もちろんそうですが。これから聞くのです」
(誰に……?)
「そうですね……、ああ、ちょうど良い所に。すみません、私、大森唯と申すものなのですが――」
そう言って唯は何もないところに語りかけた。時には、笑みを見せながら。ちなみに手はものすごいスピードで動きメモを埋めていく。俺の目の前で、なにかとてもキテレツで奇妙な光景が繰り広げられていた。
「――どうもありがとうございました。それでは」
唯は何もない所に深々と頭を下げた。そして、辺りはまた静かな夜に戻る。
(……唯さん、どなたと話していたのですかい?)
ここは兄として、いや人として聞いておかなくてはなるまい。しかし唯は例の奇妙な笑みをニヤニヤと浮かべるだけであった。
「とても親切な人でした。兄さんこれを見てください」
そう言って唯はメモ用紙をこちらによこした。
(…………もはや、何もいうまい。んで、どれどれ)
そこには、看護婦の巡回時間から病院の簡単な見取り図まで書かれていた。しかも、俺の部屋がありそうな場所にはなぜかゴールとかかれている。
「行きましょう。兄さんの部屋はA棟の503です」
(おう!)
俺と唯の足音が静寂なる闇夜にそこだけ乱すように響いた。
病院の待合室を問題なく通過する。エレーベーターは使えないから階段だ。ここの病院の場合、階段はナースステイションのまん前。常時待機している看護婦をどうごまかすかが問題だ。
案の定、そこには数人の看護婦が夜勤についていた。
(どうする?)
「はい、見つかるわけにいきません。策をめぐらします」
(どんな策だ?)
「まず、これを見てください」
そう言って、リュックから一体のぬいぐるみを取り出した。ちなみにキティちゃんだ。
(それで、一体どうするんだよ)
疲れたように言う俺。こいつの訳のわからなさは、兄弟になって随分経つがいまだ底が見えない。
「ええ、このままではキュートで愛らしい人形なままです。だから、これを置きます」
(どこに……?)
「ナースステイションに」
(だから、無理だって言っているだろうが。それに、どうやって俺達が行くか話し合っているんだろうが)
唯は鼻でふっと笑った。
「兄さん、私がそんな事考えていないとお思いですか。フフフフフフフ、見ていください。これで女性達の心はいちころです」
そういって唯はキティちゃんを床に置いた。そして、聞いた事のある甲高い息吹を人形に吹きかける。
「行きなさい」
そして、おもむろに人形に命じた。
その途端、人形が歩き出した。デフォルメされたキティちゃんがトコトコと歩いていく。
(あーるーいーてーるぅぅぅぅぅ!)
なんだ!? なにごとだ? 目の前をキティちゃんが可愛らしく歩いて通過する。もしこれがアニメだったら、俺は微笑ましい気持ちで見れたであろう。しかし、これは現実だ。こんなものがいきなり歩いてきたら怖いぞ。
案の定、ナースステイションからは悲鳴が上がった。そして、バタッという倒れる音。
「………………」
(………………)
「……作戦成功です」
(うそつけっ!)
思わず突っ込む。しかし、聞こえていないのか唯は小さなガッツポーズをしている。
「さあ、行きますよ」
キティちゃんを回収していく事も忘れない。
(まあ、いいんだけどね……)
もう、どうとでもなれ。腹をくくるしかない。
同じような手で、五階の階段出口のナースステイションも突破した。大活躍だ。キティちゃん。
そしてついに俺の病室にたどり着いた。メモの地図はゴールを示している。
「着きました……」
(ついに来たか)
病室の前にはAの503号、大森秀行と書かれていた。
(個室……?)
「ええ、こうなる事はわかっていました。だから人のいないほうが都合良いです」
(ほう、やるなぁ)
先読みする唯の感のよさに感心する。
(でも、高かったろう)
「いえ、そうでもありません。我が家の懐具合は少しも痛んでいません」
(へえ、家ってそんなに金あったけ?)
「そんな事ありませんよ。だって出るところから出ていますから」
(どこから……?)
何となくいやな予感がする。
「もちろん兄さんの口座からです。自分の分は自分で払う。これは当然のことです」
(俺の貯金がぁ!)
こつこつと貯めた俺のお金……。免許も取ったから車が欲しかったのに、こんな所でなくなるとは。
(シクシクシクシク)
くそぉ、今夜は泣くぞ。泣いてやる。
「大丈夫です。少しは残っています」
(いくら……)
「…………千円」
(シクシクシクシク)
唯の言葉はとどめになった。いいさ……。なくなったらまた貯めるさ……。
「では、入ります」
廊下の隅でいじけている俺を放っておいて唯は病室に入っていった。負けるな、俺。いつかいいこともあるさ。上を向いて歩こうぜ。気のせいか潤んで見える月に向かって、固く誓う俺であった。
病室に入った。そこには、長年親しんでいた俺の体がベットの上に横たわっていた。
(ああっ、久しぶり!)
思わず駆け寄よろうとする。しかし、唯が行く手を阻むように立ちふさがる。
「ダメです」
(どうして!)
やっと見つけた体なのだ。すこしぐらい触っても良いじゃないか。
「元の魂が触れる事によって体との共鳴が起こるからです」
(何が悪いんだよ)
「いえ、兄さんがそこまで言うのなら良いんですが、不必要な共鳴は体に負担をかなりかけます。その結果、体中の血管が破裂するかもしれません。それでもいいんですか?」
どうだと言わんばかりに見つめてくる。
(うっうっ、俺のからだぁ)
すごすごと引っ込む俺であった。
「では、儀式を始めたいと思います」
俺と体の間に立ち唯が宣言する。
「まず、北海道釧路産のこの荒塩を振りかけます」
唯はリュックの中から『塩』とでかでかと書かれた袋を取り出した、しかも、何故か市販されるものではなく業務用だ。
そして、それを寝ている俺の体にばさっと降りかけた。塩まみれになる体。ああ、哀れな俺。
次にラッシーの体(俺)にも塩が振りかけられる。
「これで、外側は清められました。では、いよいよ魂交の儀を執り行います」
唯は俺の体のほうに向かい正座した。ぴんと伸びた背筋、真っ直ぐ前を射抜く鋭い瞳。それだけ空気が張り詰めた。痛いような静寂が辺りを包む。神剣ロクちゃんで軽く二つの身体を刺す。
「では……始めます!」
大きく息を吸い込むと鳥の鳴き声のような甲高い息吹を上げた。それが繰り返しされていくうちに徐々に室温が上がっていくのがわかる。狭い個室内に唯の息吹のみが響き渡っていた。緊張のせいか、それとも他の要因があるのか俺の手足は少しも言う事を聞かない。空気が強い束縛となり包んでいるようだ。
「高天原之主奉賜今日我望聞真有難黄泉国道彷徨魂呼赦給」
(ツツツッ!)
耳鳴りが急にし始めた。頭の中を直接手で弄り回されているような不快な感触がする。そして、なにやら映像がコマ送りのような速さでフラッシュバックし始めた。俺の記憶? いやラッシーの記憶だ。目線がやけに低い。唯の顔やお袋がしばしば登場する。また、見たこともない映像もあった。白い雲のような物体に突撃する視界。そこには捕らわれて、苦しそうにしている唯の姿があった。今より随分幼く見えるが見間違えようなどなかった。白い物体を噛み砕き、唯を助け出すと背中に乗せた。そこでまた違う映像に切り替わる。ものすごい勢いで流れていくそれらに俺の意識は悲鳴をあげる。
頭痛がさらに酷くなる。意識が白くなる。もう……だめだ―――。
諦めかけたその瞬間、痛みが一気に引いていった。なにかを中断したみたいな不快さが体の芯に残る。終わったのか……。自分の体を確認する。しかし、まだ俺はラッシーのままであった。
(唯、どうしたんだ……?)
失敗したのだろうか。不安で胸がつぶれそうになる。
「違う……」
ポツリと呟く。珍しくその顔色には焦りが伺える。
(何が……違うんだ……?)
不安で胸が激しく上下して息がしにくい。言葉が震えている事を冷静な部分が理解する。
「入っているものが違うんです。確かに入れたはずなのに……」
(だから何なんだ!)
わからない事、それは怒りを掻き立てる。感情が渦を巻く。なんだか泣きそうになった。
「落ち着いてください。ちょっとした手違いです」
唯は何事もなかったように答える。
「どうやら入れておいたモノと違うモノが入っているようです」
開き直っているようにも見えるが、本当にそうなんだろうか。
「そして兄さん、びっくりです。ここにいるモノを私たちは知っています」
(なんだ?)
「けんちゃんです」
(はい?)
なんでいきなりその名前が出てくる。まったく関係ないだろ。だいたい俺は人だった頃にけんちゃんに会った覚えなんかないぞ。
(なにかの間違いなんじゃないか?)
そうであって欲しいという願いを込めて聞く。
「兄さん、友達の顔を見て間違いますか?」
(そんな事はないが……)
「それと同じです。間違いようがないのです。魂の色は個人によって違うのです。これは明らかにけんちゃんです」
唯が言った事は間違いないのだろう。それでも、何故けんちゃんの魂が俺の体の中にいるんだ?
(さすがにおかしくないか。俺はつい最近、けんちゃんにあっているんだぜ。魂って言うのがないと体がないと動かないんだろ。おかしいじゃないか)
唯がわかっていますと頷く。
「ええ、前に会ったけんちゃんは、確かに魂と体に違和感などありませんでした。病気のため、弱々しい生命力しか放っていませんでしたけど、間違いようがありません」
(えっ、けんちゃん病気だったの?)
初耳だ。それに、あんなに元気に遊んでいたのだ。病気だなんて信じられない。まあ、たしかにパジャマを着ているのは変だなって思ったけど。
「言っていませんでしたか。けんちゃんはこの病院に入院する患者さんです。二ヶ月ぐらい前でしたか、ラッシーと散歩している途中に初めて出会いました。けんちゃんは夕暮れ公園で一人寂しそうに遊んでいました。なんだがほっとけなくなり声をかけました。それ以来、私とラッシーとけんちゃんは友達なのです」
(…………)
「兄さん、あの時、けんちゃんを迎えに来た人がいましたよね」
(ああ、たしかけんちゃんのお姉さんだっけ)
「ええ、美樹さんといいます」
(きれいな人だよなぁ)
「ムッ……。まあいいですけどね。彼女達の両親は共働きで忙しく、入院したけんちゃんにほとんど会いにいけてないのです。そのぶん、美樹さんが母親代わりとなって、学校が終わると必ず会いに来ていたそうです」
俺は親に会えない子供の気持ちをよく知っている。求めても届かないのに、それでも諦めきれず足掻いてしまう。普段は平気なのだが治りきらない古傷のように、時々思い出がよみがえる。一緒に遊んだ思い出、叱られた思い出、その時は辛かったり、楽しかったりしたものだが、今思い出すと胸の奥がちくりと痛んでしまう。この先、俺は様々な事を経験して大人になっていくと思う。でもこの胸の痛みはきっといつまでも残っている事だろう。
(そうなんだ……)
「先日、美樹さんと話す機会がありました。その時に、近々手術をすると聞いていました。病気自体は手術すれば直る類のものです。そして、手術自体の成功率も低くはないそうです。なんでも、海外で成功例が何件かあるそうです。ですが――」
(けんちゃんがここにいるということは……)
「ええ、なんらかのアクシデントがあったか、もしくは、失敗してしまったか」
唯の言葉が重くのしかかる。たった一度の出会いだったけど、あんなに良い笑顔をしていたのに……、こんなに、幼いのに死んでしまったのか。
けんちゃんは生まれてきて、何か楽しい事はあったのだろうか。良い思い出を残せたんだろうか。これから何にでもなれる可能性があったのに、こんなところで終わってしまったのか。
死というものは、とても残酷だ。人から全ての可能性を奪う。避けられない運命だけれども、その現実を突きつけられる度に無力感にさいなまれる。
目が潤んでくる。体が震えるのが抑えられない。ちくしょう!
「泣いているのですか……」
(別に……そんなんじゃない……)
唯もまた目を伏せる。長いまつげが震えているように見えた。
「……兄さん」
(なんだよ)
ほっといて欲しい。こんな姿はあまり見られたくない。
「泣くのは良いんですが、けんちゃん死んでませんよ」
(えっ!?)
だってさっき失敗したって……。
「魂は確かに離れていますが、肉体は死んでいません。おそらく仮死状態にあると思われます」
(じゃあ、けんちゃんはまだ助かる見込みがあるのか)
唯の瞳を睨みつけんばかりに見つめる。
「わかりません、身体の状態を見てみないことには……。ただ、生命線が兄さんの身体まで伸びている事から、若干の猶予があると思うんですが」
逡巡するように唯は首を振る。
(行ってみよう)
決断するなら早い方がいい。時間がないことはわかった。後はどう対処するかだ。
(唯、けんちゃんの病室は?)
「生命線をたどれば着くと思います」
(よし、行くぞ)
俺と唯は駆けだした。
途中何度が巡回の看護婦にかちあいそうになった。しかし、敏感な耳で事前に察知して、なんとかやり過ごす。生命線を追うと同時に俺は、犬の鋭すぎる鼻を使っていた。一度しか嗅いだことはないが、大丈夫、記憶している。俺は的確にけんちゃんの居場所を特定してゆく。
(見つけた!)
生命線がとある病室の中に伸びていた。俺の鼻もここを指している。
「間違いありませんか?」
(ああ。……ん!? あれこの匂いは……)
嗅いだ事のある匂いがけんちゃんの他にも部屋の中にあった。
「どうしたのですか?」
(たぶん、美樹さんがこの中にいるぞ)
「こんな時間に?」
唯が驚くのも無理はなかった。はっきり言って、真夜中と言っていい時間だ。面会の時間としては論外だ。
しばらく迷う。肉親がいる中に入っていっていいものだろうか。しかし、その考えをすぐに打ち消した。
命がかかっているんだ。それに優先させる事はない。
(唯、行ってくれ。さすがにこの姿で病室に入るのはまずい。状態を確認してきてくれ)
「わかりました」
唯も俺の意を汲んでくれたのか、すぐに行動を開始した。ドアにノックする。俺は慌てて隠れる。
コン……コン……。
病院の静かな廊下にはやけに大きく鳴り響いた。
「………………はい」
中から躊躇いがちな返事が返ってきた。間違いない美樹さんだ。
唯は返事を確認するとすばやく中に滑り込んだ。そして、後ろ手に扉を閉める。
(しっかりな!)
早く確認したかった。
俺は耳をすませる。様々な音が耳に飛び込んできた。機械が動く音。誰かのイビキ。点滴の落ちる音。そして、話し声。その中から必要なものだけを選別した。
(よし、聞こえてきた)
俺はさらに意識を集中していった。
「唯さん、どうしたんですか。こんな時間に!?」
ひそめた美樹さんの声が聞こえた。
「けんちゃんの様子が気になりまして。失礼ですがこんな時間にお邪魔してしまいました」
唯の声はいつも通りだ。
「そうですか……、健太の手術は今日のお昼に終わりました。特に問題もないし、術後の経過も安定しているの。……でも、なかなか目を覚まさなくて。お医者さまはそのうち目を覚ますと言ってらっしゃるのだけど、どうにも心配で……、それにもし、目がさめたら一人だなんて寂しいじゃないですか」
「わかります。その気持ち。でも、優しいんですね」
「そんなことないです。ただ、目を覚ましたこの子を一番に見たいだけなんです」
「ふふ、私はお邪魔なようですね。では失礼します」
「あっ、唯さん!」
「なんですか?」
「また、来てやって下さい。健太も喜ぶと思います」
軽い笑い声が響いた。そしてパタリとドアが閉まる音。唯が出てきたのだ。
(どうだった!?)
「ここでは少しまずいです。兄さんの病室へ行きましょう」
唯は俺の返事を待たずに歩き出した。気のせいか唯の顔が青ざめているような気がした。それがひどく気になった。
「結論から言います。けんちゃんは長くはもちません。もって朝までといったところでしょう」
病室に入ると唯はいきなり口を開いた。
(おい! いったいどういう事だ!? さっき病室で手術は成功したって、美樹さんが言っていたじゃないか)
あんまりの言葉だった。美樹さんはあれほど弟の事をきちんと考えているのに、そして、手術も成功したのにどうしてそんなことになるんだ。
「私だって、こんなこと言いたくはありません。でも事実、そうなのです。命の残り香が身体からほとんど感じられなかった。あのままでは、だめです。現在、けんちゃんの肉体と魂は離れています。前にも言ったように、訓練していないものが肉体を離れていると、数時間もたたずに成仏してしまいます。つまり、魂が死ぬということは肉体の死と同義のことになるのです。たぶん、けんちゃんが兄さんの体の中に入ったのは、自分を消滅させまいとの無意識行動だと思われます。中に入っていた弱いものを追い出し、自らの身を守っているのです。そして、消耗せまいと眠りについているのです。ですが、それも限界に近づいています。」
矢継ぎ早にいうその口調はどこか悲壮感が感じられた。話す事によって、自分を保とうと言うばかりに、唯は息もつかず話し続けた。その様子がなんだか悲しかった。
(なにか、方法はないのか!? こんなに小さいのにもう寿命だとでもいうのかよ)
人には命の期限があることはわかっている。そして、それは人によって様々だということも。世界にはけんちゃんよりも早くなくなる人はたくさんいる。戦争、飢餓、原因は様々だ。それでも、自分の目の前で消えようとする命に対して、納得できるわけがない。
「はい、あるには……あります。離れている魂に力を与え、活性化させます。そうする事によって生きる力が強くなります。体と魂は切っても切れぬもの。お互いが影響しあう仕組みを利用してやれば……」
(唯、すぐにやってくれ!)
心霊の事なら、我が家の唯さんにお任せだ。よかった、よかった。これでけんちゃんも助かる。
しかし、唯は俺の言葉に今度こそ悲しそうな顔をした。
「無理……なのです……」
ひと言、ひと言、心を搾り出すように苦しげに口を開く。
(唯……)
「私にも……無理なのです……」
何かを我慢するように両手で肩を抱く。
(でも……、なにか方法があるんだろ)
助かる見込みがあると唯は言った。言ったからには何か手があるはずだ。
「あるにはあります。しかし、……」
躊躇するように言いよどむ。
(言ってくれ、やらないで後悔するより、やって後悔したい)
「……………」
(唯!)
「……わかりました。でも、それによって兄さんが、人に戻れなくなる可能性があるとしても……それでも、いいのですか」
唯の言葉が楔のように俺の心を縫い付ける。その厳かな口調は、軽がるしい返事を俺に許さない。
(…………どういうことだ?)
「魂に活力を与えるだけなら、私にもできるのです。しかし今、けんちゃんの魂は深い眠りに就いています。このまま放って置けばそのまま消えてしまいそうなほど深い眠りに……。元々そういったモノを起こすのはラッシーの役目だったのですが、今、ラッシーはいません。だから、ラッシーの体に宿る兄さんに起こしに行ってもらうしかないのです。私には潜る力はありませんから」
(ラッシーもそっち関係だったのか!?)
「ええ、私とラッシーはよくコンビを組んで除霊とかやっているんですよ。何度も助けられています」
(は? ちょ、ちょっとまて……お前……ラッシーをそんなことに……)
「はい、彼は本当によく働いてくれています。少なくとも兄さんよりは」
(ピキッ!)
し、しかしだ。まあ……それでか……なんだかわかるような気がした。ラッシーの賢さは今考えれば異常と言えるほどであった。まるで、人の言葉を理解しているみたいだなと思っていたが、本当にそうだとは。
それに、唯の除霊という言葉は先程見た映像を裏付ける。
(つまり、俺にラッシーの代わりをしろと……。でも俺はそっちの世界の事は何もわからないぞ。それに、起こそうといってもどうやればいいのか見当もつかない)
「大丈夫です。それは私が外からサポートします。やり方を説明します。まず、けんちゃんの魂をラッシーの体の中に入れます。このことによって、二つの魂が一つの体に存在する事になります。たぶん体がばらばらになりそうなくらいの痛みが、兄さんを襲うでしょう。私も力を貸しますが、それでも大変な痛みです。ここで、痛みに耐え切れなくなればそれで終わりです。二人の魂は相互に干渉しすぎて消滅してしまいます。それでもやれますか?」
躊躇うことはない。
(ああ、やる)
「わかりました。次に兄さんはけんちゃんの魂の回廊を行くことになります。ここは迷路のようになっていて間違えば終わりです。ですが、私が外から指示にする事によってなんとかなるでしょう。ラッシーはその鼻で居場所を特定していました。最後にけんちゃんと対面します。たぶん深い眠りに就いていると思いますから、なんとしてでも起こしてください」
予想以上大変そうだった。でも、やってできない事はないはずだ。根拠のない自信だっていい。今は力を与えてくれるものなら何だってすがってやる。
「他にもタイムリミットがあります。人によって違いますが、時間がかかりすぎると、魂に重大なダメージを受けます。取り返しがつかなくなるかもしれません」
(もう決めたことだからな)
命をかける価値があるかどうかはわからない。それでもやると決めたことだ。
「……………聞いていいですか……」
どこかためらいがちに唯は口を開いた。
(なんだ?)
「どうして、一度しか会ったことのない人のためにやろうと思うのですか? 私はたしかにけんちゃんを助けたい。でも兄さんには関係ないはずです」
確かに正論だ。俺もどうしてそうしたいのかわからない。でも、でもな。
(俺は母さんをいきなりの事故で亡くした。俺の力がまったく届かない所でだった。届いたからって何かできたわけじゃない。それでも、死に際になにか一つの言葉をかけたかった。かけてもらいたかった。誰にも、なにも言わずに母さんは逝ってしまったことが、どうしようもなく悲しかった。こんな思いもうしたくない。あの時はなにも手段がなかった。でも、今回は足掻けるだけの余地がある。たぶん、代償行為だとは思うんだ。でも、ここで逃げたら、俺はもう前に進めない。進む事ができない。人生にはそんな時があると思う。俺にとって今がその時なんだ)
自分で言っていて照れてきた。かっこつけすぎかもしれない。
正直に言えば怖い。足元が震え、現実感が希薄になるほど怖い。
だけど、やらなかったら、俺は一生後悔する。
7分の恐怖と3分の勇気をもって唯を見つめる。
しかし、意外にもそんな俺に、唯は優しそうに微笑した。何の含みもない透き通るような笑みだった。
「馬鹿ですね。兄さん……」
(なにおぅ)
なんだが笑い出したくなった。唯も笑っていた。俺もシッポを振った。
さあ、やるか!
「では、送ります。兄さんには意識を失ってもらいます」
(なるべく痛くない方法でな)
「はい、わかりました」
唯は背中のリュックから神剣ロクちゃんを取り出すと、ゆっくり鞘から抜き出した。闇夜にキラリと刃が光る。切られないとわかっていても、やはり怖いものだ。
俺も覚悟決めるように目を閉じる。
思い残す事はない。
思い残す事は……?
……そういえば思い出した。さっき変な事あいつ言っていたな。
(ところで、元々は俺の体に何を入れてたんだ?)
「ええ、人の体は魂を入れておかなければ、自ずと生きる力が弱まっていきます。しかし、そう生きている人間並みに強い魂など都合良く転がっていません。そこで、私は考えました。一体でだめなら、複数つめればよいのではないかと。案の定、この試みは成功しました。近くの浮遊霊さんに協力してもらっただけの事はあります」
(ほほう、つまり唯さん。俺が奇声をあげたり、裸で踊ったりしていたのはその霊達のせいなんじゃないのかな?)
じと目で言う。そして俺は、唯の口が引きつったのを見過ごさなかった。
「そっ、そんな事ありませんわ。大人しくしてくれるよう頼みましたし……」
(でもさぁ、俺、ラッシーの中に入っているけど体自由に使えるぜ。もしかしたらと考えられないか)
さらに引きつる唯の口。もう一歩だ。さあ責任転嫁だ。あわよくばお金を取り戻すぞ。じりじりと近寄る俺。同じく距離を保って下がる唯。
(ふっふっふっ)
「ははははは……」
唯は壁を背にした。もう後がない。
「あっ!」
切羽詰った声で俺とは違う方向に身構えた。完璧に戦闘モードに入っている。今度は何が起こったんだ。
(なんだ!?)
慌てて俺も反応する。すばやく後に振り向き身を低くする。
そこへ衝撃が来た。不意をつかれ首筋にもろに打撃を食らう。視界がカーテンのように揺らいでいく。
「兄さんも、まだまだ甘いですね。いってらっしゃい……、がんばってくださいね」
ああ、なんてお約束な展開、俺ってバカ? 薄れてゆく意識にそう思った。
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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