犬島(完結)
2章
「須藤君、別にいいよ、私の仕事だし」
「いえいえ、ボクだって男ですから」
飲料水の箱達を目前にして、須藤と黒髪の麗女はささいな、言い争いをしていた。須藤の言葉とは裏腹に、遠目からは二人の女性がいるようにしか見えなかった。
黒髪の麗女――佐藤陽子は切れ長な瞳を細め、困ったように笑った。
「うーん、よく分からない理屈だなぁ」
「そうですか、まあ、いいじゃないですか」
箱は四箱あった。確かに先程、橋本が述べたように女性一人が、一度に運べる量ではない。仮に運べたとしても、さらに、救急箱を始めとする、各種雑具があるため、物理的に無理だった。
「じゃあ、運びますから」
須藤はその内の箱三つを持ち上げようとした。しかし、挫折した。二つに減らす。無理だった。一つ。ようやく、ふらふらしながらもかろうじて持つことができた。彼の男の意地であった。
「大丈夫?」
「……まかしてください」
少年の膝が若干震えていたのは、ご愛嬌だろう。
「陽子さん、それにしても、こんなに運ぶのはもともと無理ですよ。主将は何考えて仕事振り分けたのかなぁ」
「うん? 別に二人分担の人がいるんだけどね。来ないなぁ」
陽子は困ったように苦笑した。
「へぇー、誰なんですか?」
須藤が罪を咎めるような顔をした。
「あー、なんか手伝う事あるか」
近藤勇也が来たのはそんな時だった。若干、決まり悪い響きが声に含まれている。
「え?」
陽子が振り返った。長い黒髪がぱっと宙に舞った。
「あぁぁぁあ! やっと来たぁ!」
どうやら陽子はお冠のようであった。
「ど、どうした? 急に」
「どうしたじゃ、ないわよ! 勇也今まで何してたのよ!?」
「い、いや、海見ながらぼーっとしていただけなんだが」
先程の醜態をさらす訳にはいかず、苦し紛れに言い訳する。
しかし、これが完全に麗女の怒りをかった。
「ほほう、私が重い荷物を運ぶのを尻目に、勇也は海と青春。へぇぇぇぇ、いいご身分ねぇ」
「……陽子」
「なによ!?」
取り付く暇がない。
「なんで、怒ってるんだ?」
もっともな疑問だった。
「キミが私に聞くか、それを!」
怒っている人間に理由を求めても無駄だった。火に油を注ぐ結果にしかならない。
「……キミも当番なんだよ」
「なんの?」
「これ!」
陽子が指し示したのは、床にずらりと置いてある荷物。その内一つだけは須藤の手元にあった。
「え……、なんで? 俺いま来たばかり――」
勇也は訳がわからなかった。阿呆のように質問を繰り返す。
「だから、橋本先輩が呼びに行ったでしょ! 彼と私とキミ、三人が当番なの!」
「えっ、そうなんですか?」
これはには須藤もびっくり。意外そうな声だった。
「ボク、橋本先輩に言われてきたんですよ」
「ああ、俺も」
『?????』
首をかしげる三人。どうも話がかみ合っていない。
「あーのー人は!!」
一番最初に立ち直ったのは陽子だった。怒り心頭である。
「どういうことですか?」
「つまり、一人だけサボっているのよ。自分の荷物は後輩が運んでいてくれるし」
「橋本さん、俺の荷物を運んでくれるって言っていたけど?」
「甘いわ、勇也。キミの荷物はとっくに運ばれているわ」
陽子は憤然と足を踏み鳴らす。
「つまり、俺は謀られたのか!?」
バシッ――勇也の頭に陽子のチョップが炸裂する。
「なにすんだよ!」
「だから、キミは最初から決まっていたの! むしろ、被害者は須藤君なの!」
「そうなんですか?」
一人判っていなさそうな須藤。
「でも、別にいいですよ。手も空いていたし。陽子さんも困っているようだし」
「……須藤君。いい人ね」
「ああ、ほんとだ」
何故かしんみりとなる二人であった。
「とにかく荷物運ぶわよ」
「へーい」
「もう、やる気なさそうな声出さない。あっ、須藤君。荷物それだけでいいから。ごめんね手伝ってもらって」
陽子は天使のような笑みで笑いかけ、
「後はこのサボリ魔にやって貰うから」
悪魔のような笑みで勇也に微笑みかけた。
「お前、これ多すぎ」
ビール箱。一箱につき350ml×24本入っている。約9㌔。それが三つあった。
「何いってんの、男でしょ。根性見せなさい。根性」
陽子はにっこり笑うと自分の手荷物を持ち上げた。彼女の荷物は救急箱一個と自分の荷物だけに激減していた。
「差別だ……」
勇也の心の訴えを陽子は横顔で黙殺した。
165cm近くの長身に、切れ長な瞳、そして日本人形のように整った顔。一見、男が放っておかなそうに見える。しかし、ボーイッシュな服装と性格、言動のせいでプラスマイナスゼロになり、結果として彼氏いない歴19年の更新に大きく要因していた。だが一応はモテルのだが本人はあまり作ろうという気はないらしい。しかし、この件について勇也が、からかおうものなら、はっきりいって血を見るまで収まらない。女には禁句があるとよく言うが、陽子のは桁が違って、地雷という言葉がぴったりあった。そのせいもあって、勇也は色気とは無縁な奴だと思っている。せっかく顔が整っているのだから、もっと女らしくすればいいのにとたまに思うが、命が惜しいのでなにも言わないことにしていた。
「ほら、さっさと持つ」
陽子は機嫌が良さそうだった。恨めしそうに見る。
(ん?)
強烈な視線を感じて振り返る。須藤が見ていた。切なそうな顔でぼんやりと佇んでいた。やはり気を悪くしたのだろうか。少し心配になって、
(悪いな)
勇也はジェスチャーで謝る。しかし、須藤はそれに反応しようとはしなかった。それが少し気になった。
フェリー降り場は人で一杯になろうとしていた。盆前のため期間的に込むことはないのだが、今日に限ってはその限りではなかった。降り口の一角には、ずらりと集まった二十人ばかりの若い男女。それがほぼ全員剣道の防具を持っているのだ。合宿か何かだという事は周りも理解していると思われるが、異様な感じを受けたのか、彼らの周りだけ隙間がぽっかりと空いていた。
「全員揃っているか?」
主将の田中一郎が点呼を取り始める。橋本と同学年の田中は一見メガネをかけているせいか神経質そうに見える。たしかに若干神経の細かい所はあるが、長所と短所は表裏一体の存在だと考えればさして気にならない。彼は責任感があり、細かな所までルールをきちんと守る。橋本とは色々な意味で正反対の男であった。
「藤井先輩がいません」
一回生の千堂瑞穂が手を上げた。皆が見渡す。確かに藤井梢の姿はなかった。
「そうか……、また藤井か」
田中は顔をしかめると一回生数人に捜索の指示を出した。
「とりあえず、おまえ達はいてもいなくても十分後には戻って来い。他はそれまで各自待機してくれ。あと日射病にならないようになるべく日陰にいるように。宿舎には全員揃ってから出発する」
眼鏡の位置を直すとそう締めくくった。慌しく一回生数人が出発して行った。須藤も出かけたようだ。
「また藤井さんですね」
勇也は早々と日陰に座り込んでいた。腰掛けるにちょうどいい段差があったからだ。他の誰よりも早くそのスペースを確保した。立っているだけで生気を吸い取られそうな場所に、これ以上いるのはごめんだった。しかし、そこに闖入者がきた。先程手を上げた千堂瑞穂。彼女は勇也の隣に断りもなく座り込んだ。
「うん? そうだなぁ……」
勇也はやる気のない相槌を打った。この島に足を踏み入れてから訳のわからない疲労感があった。それ故、まともな思考がめんどくさく、どうでもよかった。
本日の最高気温は三十三℃。勇也が今朝方見た天気予報では、そう言っていた。その言葉に違いはなく、路面からはゆらゆらと陽炎が立ち昇っていた。太陽は中天にあり、煌煌とした輝きを放っている。瀬戸内海に囲まれた島とはいえ、日中の気温は本土と大して変わらなかった。
「藤井さんって、いつも時間に遅れますよね。団体行動の時は少し迷惑ですね」
瑞穂は勇也に同意を求めるように目を覗き込んだ。しかし、勇也は無反応。それが少し瑞穂には不満だった。少しだけにじり寄り、肌を密着させる。しかし、勇也にはその効果はまったく効いていなかったようだ。
「そうだなぁ」
「ほんとにそうですよね。なにもこんな時まで遅れなくていいのに」
「そうだなぁ」
「田中先輩からの小言、たぶん今日は特大ですよ。その分稽古がきつくなるのかなぁ。あーあ、なんかユーウツ」
「そうだなぁ」
「先輩?」
「そうだなぁ」
「ちょっと勇也先輩!?」
「ん?」
瑞穂が勇也の腕を掴んで揺らしていた。
見下ろすと彼女の顔がすぐ近くにあった。息が届く距離。彼女のコケティッシュな瞳が濡れたように輝いていた。
千堂瑞穂は可愛い。剣道部男子の統一した見解だった。顔の輪郭や目鼻立ちまで、パーツが総べて小作りで整った顔。透けるような真っ白な肌。染めているのだろう、肩の辺りまで伸ばされた亜麻色の綺麗な髪。中でも印象的なのが光の角度によっては、濡れたように見える黒い瞳だった。
それが勇也の目の前にあった。
「なっ、なんだよ」
思わず動揺してしまう。
「なんだよじゃ、ないですよ。人の話をまったく聞いてなくてぼうっとしているから、日射病にでもかかったのかと思って心配したんですよ!」
「そうなのか、ん、悪かった。……んで何の話だったの?」
近すぎた距離を離しながら疑問を口に出す。瑞穂は少し残念そうに身を離した。
「はーぁ、もういいですよ。ただの愚痴ですから。でも気をつけてくださいね」
瑞穂は呆れたように溜息をついた。何かしたっけ、不思議に思う勇也だった。
「でも、ここいい場所ですよね。海があって、なんか空気が澄んでいて。来てよかったって思いますよ」
背伸びをしながら瑞穂は空を見上げた。確かに雲一つなく、空は青々と晴れていた。ただ、風がないため、塩気を含んだ空気は重かった。
「これで、稽古がなかったらな」
勇也は皮肉げに口を歪める。
「ああ、もう! 思い出させないで下さいよ。ただでさえ憂鬱なのに。あぁあ、こんないい天気の日に、海が目の前にあるのに、どうしてあんな重い防具を着込んで、室内で稽古しなくちゃならないんでしょうねぇ。やだなぁ」
「まあ、そういうなって。少なくとも一番暑い午後の時間帯は稽古しなくていいんだから。それに最終日は自由時間もあるし、そこでストレス発散すればいいよ」
「それまでに、ストレスで死んじゃいますよぉ! こんなに若い身空で……よよよ、わたしってかわいそう」
「はいはい、がんばろうね」
半分本気で泣き崩れている瑞穂をあやしながら勇也は、海を見た。砂浜が太陽の光を反射して、黄色く輝いていた。冷たい海に浸かりたい。この暑さから解放されたい。瑞穂程じゃないけれど、勇也も遊びたいという気持ちはあった。
「そうだ、今日ってたしか夕方から稽古でしたよね」
突然、なにか思い立ったように瑞穂が顔を上げた。
「ああ、……確かそうだったけど」
「先輩、二人で海に行きましょう!」
勇也の心を読んだかのように願望を言い当てる。
「ああ、俺もちょうど行きたいと思っていたん――」
「ですよね、ですよね! 行きましょうよ! わー、今から楽しみだなぁ」
瑞穂ははしゃぐ。しかし、勇也には問うべき事があった。
「ちょっと、待て。二人?」
「そうですよ」
「なんで?」
「わたしと先輩以外、誰かいるんですか?」
瑞穂は不思議そうに首を傾げた。
「いや、でもまずいだろ。皆の目もあるし、誤解されるぞ。そしたら千堂、困るだろ?」
意地悪く笑いかけてやる。瑞穂はもてるわりには誰かと付き合っているという噂は聞かなかった。だから、こんな所で変な噂が立つと困るはずだ。
「わたし、かまいませんよ」
瑞穂はきっぱりと言い切った。
「そうだろう、そうだろうって、ええ!?」
予想外の言葉に一瞬固まる。瑞穂はいたずらっぽそうに微笑んで、勇也の耳元に口を寄せた。
「わたし、新しい水着買ったんです」
ほとんどささやくような口調だった。耳にかかる息がくすぐったかった。香水かなにかつけているのか、とてもいい香りがした。
「そうなんだ……」
勇也は他にどう返したらいいのか思いつかなかった。緊張のあまり頭が真っ白になってくる。だくだくと汗をかいた。二人の間にはいつの間にかむず痒い微妙な空気が満ちていた。
「そうなんです……だから、どうしてもぉ、最初は先輩だけに見て欲しいなぁ」
可愛らしい瑞穂の声とその内容にくらくらした。しかし、よくよく考えてみれば瑞穂にそのように言われる理由なんてなかった。
「……こらこら、先輩をからかうもんじゃないよ」
「ちぇっ、ばれたか」
ぺろっと小さな舌を出して、いたずらがばれた子供のように笑った。
「たくっ、心臓に悪い奴だな。俺が信じやすい男だったら、本気にしているところだぞ? あんまりもてない男をからかうのは止めるように」
とりあえず、先程の空気から逃げ出せたのでほっと息をつく。不覚にも胸が高鳴ってしまった。修行がたりないなぁ。
「……別に、全部が全部、冗談っていう訳じゃなかったんだけどなぁ」
瑞穂が小声で呟いた。しかも、勇也の耳に入るようにわざとだ。
「あのー、それは一体どういう意味なんでしょうか?」
何故か瑞穂相手に敬語になってしまった。
「さあ、どういうことなんでしょうねぇ」
瑞穂はいたずらっぽく微笑んだ。少し、頬を染めたその顔はとても色っぽかった。
勇也がほぼ完全に固まりかけたその時、何故ここでこんな話をしているかという原因を作った張本人が、ようやくやって来た。
「ごめんなさーい」
遅れているのにどこか呑気な声だった。
その声の方に勇也は振り向く。
フェリーから慌てて降りてくる人影があった。途中で係員につかまり怒られている。それでもめげずに、剣道部の面々の待つ場所まで駆け寄ってきた。
「藤井、遅い!」
田中の額には青筋が立っていた。ぴくぴくと脈うち別の生き物のように見えて面白い。が当人達はそれどころではないようだ。
「すみません」
藤井梢は死にかけのウサギのようにうな垂れた。小柄な体をさらに小さくして縮こまっている。上目遣いに田中を見上げた。
「集団行動というのは一人がその規律を乱した場合、皆に迷惑がかかるんだ。今回は宿舎に行く前のことだったからいいものの、これが帰りの船だったならどうする。時間オーバーで皆の運賃が無駄になるかもしれない。そうすると遅刻したことによって経済的な負担を皆に与えることになり、その被害は甚大だ。今のは例え話だが、そうなる前にもっと自分の行動に責任を持つんだ。もう二回生なのだから、後輩達にも示しがつかないし――」
「ストッープ。もういいじゃねえか」
放っておけば、いつまでも続いていきそうな小言を橋本が遮った。
「いや、でもな!」
なおも言い募ろうとする田中を宥めるように橋本は肩を叩いた。
「まあ、まあ、本人も反省しているし、そうだろ藤井?」
「はっ、はい! ごめんなさい」
急に矛先を向けられ、梢は脊椎反射のように謝った。橋本に感謝の視線を向けていた。心なしかその瞳は潤んでいた。
「ほらな! 次から気をつければいいんだし。それに、このままお前が話し続けていると宿舎の到着時間が遅れちまうぜ?」
橋本の話に合わせて、皆の視線が田中に集中する。その中には、こんな暑い所にいつまでもいさせるんじゃねえ、と半ば殺意に近いようなものあった。
「……しょうがないな」
一瞬の躊躇の後、諦めたように溜息をついた。田中は苦労人だった。こんな事ぐらいでめげるような事はない。だが、少し世知辛い人生を噛み締めているように見えた。
「じゃあ、出発するぞ」
梢の捜索から帰った者を確認してから、出発を告げる。一行は進み始めた。
日陰から出なければいけないことを嘆きながら、勇也は腰を上げた。
「俺達も行こうぜ」
先程の空気が吹き飛んでいる事に胸を撫で下ろしながら、瑞穂に声をかける。瑞穂はゆっくり立ち上がると勇也に微笑んだ。
「先輩、さっきの話なんですけど……」
「ごめん、お先に」
勇也はさっさと歩き出した。三十六計逃げるに如かずだ。どうもあのような空気は苦手だった。それに、もうからかわれるのはごめんだった。先程の数分間のせいでどっと疲れた気がした。悪戯好きは橋本一人で間に合っている
置いていかれた瑞穂はしばらく呆然としていたようだったが、勇也の後を追いかけるように駆けだした。
「せーんーぱい。待って下さいよぉ!」
「いえいえ、ボクだって男ですから」
飲料水の箱達を目前にして、須藤と黒髪の麗女はささいな、言い争いをしていた。須藤の言葉とは裏腹に、遠目からは二人の女性がいるようにしか見えなかった。
黒髪の麗女――佐藤陽子は切れ長な瞳を細め、困ったように笑った。
「うーん、よく分からない理屈だなぁ」
「そうですか、まあ、いいじゃないですか」
箱は四箱あった。確かに先程、橋本が述べたように女性一人が、一度に運べる量ではない。仮に運べたとしても、さらに、救急箱を始めとする、各種雑具があるため、物理的に無理だった。
「じゃあ、運びますから」
須藤はその内の箱三つを持ち上げようとした。しかし、挫折した。二つに減らす。無理だった。一つ。ようやく、ふらふらしながらもかろうじて持つことができた。彼の男の意地であった。
「大丈夫?」
「……まかしてください」
少年の膝が若干震えていたのは、ご愛嬌だろう。
「陽子さん、それにしても、こんなに運ぶのはもともと無理ですよ。主将は何考えて仕事振り分けたのかなぁ」
「うん? 別に二人分担の人がいるんだけどね。来ないなぁ」
陽子は困ったように苦笑した。
「へぇー、誰なんですか?」
須藤が罪を咎めるような顔をした。
「あー、なんか手伝う事あるか」
近藤勇也が来たのはそんな時だった。若干、決まり悪い響きが声に含まれている。
「え?」
陽子が振り返った。長い黒髪がぱっと宙に舞った。
「あぁぁぁあ! やっと来たぁ!」
どうやら陽子はお冠のようであった。
「ど、どうした? 急に」
「どうしたじゃ、ないわよ! 勇也今まで何してたのよ!?」
「い、いや、海見ながらぼーっとしていただけなんだが」
先程の醜態をさらす訳にはいかず、苦し紛れに言い訳する。
しかし、これが完全に麗女の怒りをかった。
「ほほう、私が重い荷物を運ぶのを尻目に、勇也は海と青春。へぇぇぇぇ、いいご身分ねぇ」
「……陽子」
「なによ!?」
取り付く暇がない。
「なんで、怒ってるんだ?」
もっともな疑問だった。
「キミが私に聞くか、それを!」
怒っている人間に理由を求めても無駄だった。火に油を注ぐ結果にしかならない。
「……キミも当番なんだよ」
「なんの?」
「これ!」
陽子が指し示したのは、床にずらりと置いてある荷物。その内一つだけは須藤の手元にあった。
「え……、なんで? 俺いま来たばかり――」
勇也は訳がわからなかった。阿呆のように質問を繰り返す。
「だから、橋本先輩が呼びに行ったでしょ! 彼と私とキミ、三人が当番なの!」
「えっ、そうなんですか?」
これはには須藤もびっくり。意外そうな声だった。
「ボク、橋本先輩に言われてきたんですよ」
「ああ、俺も」
『?????』
首をかしげる三人。どうも話がかみ合っていない。
「あーのー人は!!」
一番最初に立ち直ったのは陽子だった。怒り心頭である。
「どういうことですか?」
「つまり、一人だけサボっているのよ。自分の荷物は後輩が運んでいてくれるし」
「橋本さん、俺の荷物を運んでくれるって言っていたけど?」
「甘いわ、勇也。キミの荷物はとっくに運ばれているわ」
陽子は憤然と足を踏み鳴らす。
「つまり、俺は謀られたのか!?」
バシッ――勇也の頭に陽子のチョップが炸裂する。
「なにすんだよ!」
「だから、キミは最初から決まっていたの! むしろ、被害者は須藤君なの!」
「そうなんですか?」
一人判っていなさそうな須藤。
「でも、別にいいですよ。手も空いていたし。陽子さんも困っているようだし」
「……須藤君。いい人ね」
「ああ、ほんとだ」
何故かしんみりとなる二人であった。
「とにかく荷物運ぶわよ」
「へーい」
「もう、やる気なさそうな声出さない。あっ、須藤君。荷物それだけでいいから。ごめんね手伝ってもらって」
陽子は天使のような笑みで笑いかけ、
「後はこのサボリ魔にやって貰うから」
悪魔のような笑みで勇也に微笑みかけた。
「お前、これ多すぎ」
ビール箱。一箱につき350ml×24本入っている。約9㌔。それが三つあった。
「何いってんの、男でしょ。根性見せなさい。根性」
陽子はにっこり笑うと自分の手荷物を持ち上げた。彼女の荷物は救急箱一個と自分の荷物だけに激減していた。
「差別だ……」
勇也の心の訴えを陽子は横顔で黙殺した。
165cm近くの長身に、切れ長な瞳、そして日本人形のように整った顔。一見、男が放っておかなそうに見える。しかし、ボーイッシュな服装と性格、言動のせいでプラスマイナスゼロになり、結果として彼氏いない歴19年の更新に大きく要因していた。だが一応はモテルのだが本人はあまり作ろうという気はないらしい。しかし、この件について勇也が、からかおうものなら、はっきりいって血を見るまで収まらない。女には禁句があるとよく言うが、陽子のは桁が違って、地雷という言葉がぴったりあった。そのせいもあって、勇也は色気とは無縁な奴だと思っている。せっかく顔が整っているのだから、もっと女らしくすればいいのにとたまに思うが、命が惜しいのでなにも言わないことにしていた。
「ほら、さっさと持つ」
陽子は機嫌が良さそうだった。恨めしそうに見る。
(ん?)
強烈な視線を感じて振り返る。須藤が見ていた。切なそうな顔でぼんやりと佇んでいた。やはり気を悪くしたのだろうか。少し心配になって、
(悪いな)
勇也はジェスチャーで謝る。しかし、須藤はそれに反応しようとはしなかった。それが少し気になった。
フェリー降り場は人で一杯になろうとしていた。盆前のため期間的に込むことはないのだが、今日に限ってはその限りではなかった。降り口の一角には、ずらりと集まった二十人ばかりの若い男女。それがほぼ全員剣道の防具を持っているのだ。合宿か何かだという事は周りも理解していると思われるが、異様な感じを受けたのか、彼らの周りだけ隙間がぽっかりと空いていた。
「全員揃っているか?」
主将の田中一郎が点呼を取り始める。橋本と同学年の田中は一見メガネをかけているせいか神経質そうに見える。たしかに若干神経の細かい所はあるが、長所と短所は表裏一体の存在だと考えればさして気にならない。彼は責任感があり、細かな所までルールをきちんと守る。橋本とは色々な意味で正反対の男であった。
「藤井先輩がいません」
一回生の千堂瑞穂が手を上げた。皆が見渡す。確かに藤井梢の姿はなかった。
「そうか……、また藤井か」
田中は顔をしかめると一回生数人に捜索の指示を出した。
「とりあえず、おまえ達はいてもいなくても十分後には戻って来い。他はそれまで各自待機してくれ。あと日射病にならないようになるべく日陰にいるように。宿舎には全員揃ってから出発する」
眼鏡の位置を直すとそう締めくくった。慌しく一回生数人が出発して行った。須藤も出かけたようだ。
「また藤井さんですね」
勇也は早々と日陰に座り込んでいた。腰掛けるにちょうどいい段差があったからだ。他の誰よりも早くそのスペースを確保した。立っているだけで生気を吸い取られそうな場所に、これ以上いるのはごめんだった。しかし、そこに闖入者がきた。先程手を上げた千堂瑞穂。彼女は勇也の隣に断りもなく座り込んだ。
「うん? そうだなぁ……」
勇也はやる気のない相槌を打った。この島に足を踏み入れてから訳のわからない疲労感があった。それ故、まともな思考がめんどくさく、どうでもよかった。
本日の最高気温は三十三℃。勇也が今朝方見た天気予報では、そう言っていた。その言葉に違いはなく、路面からはゆらゆらと陽炎が立ち昇っていた。太陽は中天にあり、煌煌とした輝きを放っている。瀬戸内海に囲まれた島とはいえ、日中の気温は本土と大して変わらなかった。
「藤井さんって、いつも時間に遅れますよね。団体行動の時は少し迷惑ですね」
瑞穂は勇也に同意を求めるように目を覗き込んだ。しかし、勇也は無反応。それが少し瑞穂には不満だった。少しだけにじり寄り、肌を密着させる。しかし、勇也にはその効果はまったく効いていなかったようだ。
「そうだなぁ」
「ほんとにそうですよね。なにもこんな時まで遅れなくていいのに」
「そうだなぁ」
「田中先輩からの小言、たぶん今日は特大ですよ。その分稽古がきつくなるのかなぁ。あーあ、なんかユーウツ」
「そうだなぁ」
「先輩?」
「そうだなぁ」
「ちょっと勇也先輩!?」
「ん?」
瑞穂が勇也の腕を掴んで揺らしていた。
見下ろすと彼女の顔がすぐ近くにあった。息が届く距離。彼女のコケティッシュな瞳が濡れたように輝いていた。
千堂瑞穂は可愛い。剣道部男子の統一した見解だった。顔の輪郭や目鼻立ちまで、パーツが総べて小作りで整った顔。透けるような真っ白な肌。染めているのだろう、肩の辺りまで伸ばされた亜麻色の綺麗な髪。中でも印象的なのが光の角度によっては、濡れたように見える黒い瞳だった。
それが勇也の目の前にあった。
「なっ、なんだよ」
思わず動揺してしまう。
「なんだよじゃ、ないですよ。人の話をまったく聞いてなくてぼうっとしているから、日射病にでもかかったのかと思って心配したんですよ!」
「そうなのか、ん、悪かった。……んで何の話だったの?」
近すぎた距離を離しながら疑問を口に出す。瑞穂は少し残念そうに身を離した。
「はーぁ、もういいですよ。ただの愚痴ですから。でも気をつけてくださいね」
瑞穂は呆れたように溜息をついた。何かしたっけ、不思議に思う勇也だった。
「でも、ここいい場所ですよね。海があって、なんか空気が澄んでいて。来てよかったって思いますよ」
背伸びをしながら瑞穂は空を見上げた。確かに雲一つなく、空は青々と晴れていた。ただ、風がないため、塩気を含んだ空気は重かった。
「これで、稽古がなかったらな」
勇也は皮肉げに口を歪める。
「ああ、もう! 思い出させないで下さいよ。ただでさえ憂鬱なのに。あぁあ、こんないい天気の日に、海が目の前にあるのに、どうしてあんな重い防具を着込んで、室内で稽古しなくちゃならないんでしょうねぇ。やだなぁ」
「まあ、そういうなって。少なくとも一番暑い午後の時間帯は稽古しなくていいんだから。それに最終日は自由時間もあるし、そこでストレス発散すればいいよ」
「それまでに、ストレスで死んじゃいますよぉ! こんなに若い身空で……よよよ、わたしってかわいそう」
「はいはい、がんばろうね」
半分本気で泣き崩れている瑞穂をあやしながら勇也は、海を見た。砂浜が太陽の光を反射して、黄色く輝いていた。冷たい海に浸かりたい。この暑さから解放されたい。瑞穂程じゃないけれど、勇也も遊びたいという気持ちはあった。
「そうだ、今日ってたしか夕方から稽古でしたよね」
突然、なにか思い立ったように瑞穂が顔を上げた。
「ああ、……確かそうだったけど」
「先輩、二人で海に行きましょう!」
勇也の心を読んだかのように願望を言い当てる。
「ああ、俺もちょうど行きたいと思っていたん――」
「ですよね、ですよね! 行きましょうよ! わー、今から楽しみだなぁ」
瑞穂ははしゃぐ。しかし、勇也には問うべき事があった。
「ちょっと、待て。二人?」
「そうですよ」
「なんで?」
「わたしと先輩以外、誰かいるんですか?」
瑞穂は不思議そうに首を傾げた。
「いや、でもまずいだろ。皆の目もあるし、誤解されるぞ。そしたら千堂、困るだろ?」
意地悪く笑いかけてやる。瑞穂はもてるわりには誰かと付き合っているという噂は聞かなかった。だから、こんな所で変な噂が立つと困るはずだ。
「わたし、かまいませんよ」
瑞穂はきっぱりと言い切った。
「そうだろう、そうだろうって、ええ!?」
予想外の言葉に一瞬固まる。瑞穂はいたずらっぽそうに微笑んで、勇也の耳元に口を寄せた。
「わたし、新しい水着買ったんです」
ほとんどささやくような口調だった。耳にかかる息がくすぐったかった。香水かなにかつけているのか、とてもいい香りがした。
「そうなんだ……」
勇也は他にどう返したらいいのか思いつかなかった。緊張のあまり頭が真っ白になってくる。だくだくと汗をかいた。二人の間にはいつの間にかむず痒い微妙な空気が満ちていた。
「そうなんです……だから、どうしてもぉ、最初は先輩だけに見て欲しいなぁ」
可愛らしい瑞穂の声とその内容にくらくらした。しかし、よくよく考えてみれば瑞穂にそのように言われる理由なんてなかった。
「……こらこら、先輩をからかうもんじゃないよ」
「ちぇっ、ばれたか」
ぺろっと小さな舌を出して、いたずらがばれた子供のように笑った。
「たくっ、心臓に悪い奴だな。俺が信じやすい男だったら、本気にしているところだぞ? あんまりもてない男をからかうのは止めるように」
とりあえず、先程の空気から逃げ出せたのでほっと息をつく。不覚にも胸が高鳴ってしまった。修行がたりないなぁ。
「……別に、全部が全部、冗談っていう訳じゃなかったんだけどなぁ」
瑞穂が小声で呟いた。しかも、勇也の耳に入るようにわざとだ。
「あのー、それは一体どういう意味なんでしょうか?」
何故か瑞穂相手に敬語になってしまった。
「さあ、どういうことなんでしょうねぇ」
瑞穂はいたずらっぽく微笑んだ。少し、頬を染めたその顔はとても色っぽかった。
勇也がほぼ完全に固まりかけたその時、何故ここでこんな話をしているかという原因を作った張本人が、ようやくやって来た。
「ごめんなさーい」
遅れているのにどこか呑気な声だった。
その声の方に勇也は振り向く。
フェリーから慌てて降りてくる人影があった。途中で係員につかまり怒られている。それでもめげずに、剣道部の面々の待つ場所まで駆け寄ってきた。
「藤井、遅い!」
田中の額には青筋が立っていた。ぴくぴくと脈うち別の生き物のように見えて面白い。が当人達はそれどころではないようだ。
「すみません」
藤井梢は死にかけのウサギのようにうな垂れた。小柄な体をさらに小さくして縮こまっている。上目遣いに田中を見上げた。
「集団行動というのは一人がその規律を乱した場合、皆に迷惑がかかるんだ。今回は宿舎に行く前のことだったからいいものの、これが帰りの船だったならどうする。時間オーバーで皆の運賃が無駄になるかもしれない。そうすると遅刻したことによって経済的な負担を皆に与えることになり、その被害は甚大だ。今のは例え話だが、そうなる前にもっと自分の行動に責任を持つんだ。もう二回生なのだから、後輩達にも示しがつかないし――」
「ストッープ。もういいじゃねえか」
放っておけば、いつまでも続いていきそうな小言を橋本が遮った。
「いや、でもな!」
なおも言い募ろうとする田中を宥めるように橋本は肩を叩いた。
「まあ、まあ、本人も反省しているし、そうだろ藤井?」
「はっ、はい! ごめんなさい」
急に矛先を向けられ、梢は脊椎反射のように謝った。橋本に感謝の視線を向けていた。心なしかその瞳は潤んでいた。
「ほらな! 次から気をつければいいんだし。それに、このままお前が話し続けていると宿舎の到着時間が遅れちまうぜ?」
橋本の話に合わせて、皆の視線が田中に集中する。その中には、こんな暑い所にいつまでもいさせるんじゃねえ、と半ば殺意に近いようなものあった。
「……しょうがないな」
一瞬の躊躇の後、諦めたように溜息をついた。田中は苦労人だった。こんな事ぐらいでめげるような事はない。だが、少し世知辛い人生を噛み締めているように見えた。
「じゃあ、出発するぞ」
梢の捜索から帰った者を確認してから、出発を告げる。一行は進み始めた。
日陰から出なければいけないことを嘆きながら、勇也は腰を上げた。
「俺達も行こうぜ」
先程の空気が吹き飛んでいる事に胸を撫で下ろしながら、瑞穂に声をかける。瑞穂はゆっくり立ち上がると勇也に微笑んだ。
「先輩、さっきの話なんですけど……」
「ごめん、お先に」
勇也はさっさと歩き出した。三十六計逃げるに如かずだ。どうもあのような空気は苦手だった。それに、もうからかわれるのはごめんだった。先程の数分間のせいでどっと疲れた気がした。悪戯好きは橋本一人で間に合っている
置いていかれた瑞穂はしばらく呆然としていたようだったが、勇也の後を追いかけるように駆けだした。
「せーんーぱい。待って下さいよぉ!」
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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