犬島(完結)
3章
宿舎に着くと、部員達は、それぞれ割り振られた部屋に入って行った。宿舎は三階建てから成り立っている。その内、勇也達剣道部は二階を占領していた。幸い他に宿泊客がいなかったため、剣道部の貸しきり状態になっていた。部屋は和室が主であり、六畳から八畳間にて構成されている。そこに三、四人ずつ寝泊りできるようになっていた。勇也の部屋は二階に上り、廊下を突き当たった所にある205号室だった。非常階段がすぐ横にあった。
「……ところで、なんでこの三人が同室なんですか?」
勇也は少し憮然として尋ねる。本来なら部屋割りの構成上、ニ回生の葉山と勇也は同室になるはずであった。しかし、部屋の中には葉山の代わりに須藤と橋本がいた。
「はっはっは、面白いからに決まっているじゃないか」
剣道部の問題児は晴れやかに笑った。部屋割りを決めるのは副主将の仕事だった。
「葉山はどうしたんですか?」
須藤がここにいるのは勇也にも理解できた。一回生の男子は五人いる。そのため、部屋に入りきれなかったのだろう。
「あー、あいつ? 俺と部屋を交換」
「だから、なんで!?」
魂の叫びだった。
「いやぁ、葉山がどうしても部屋を交換してくれって言うからな。しかたなく換わってやったんだよ。良い事をした後は気持ちいいな」
橋本の目は泳いでいた。
「まあ、まあ、勇也さん。決まってしまったものは……しょうがありませんよ」
見兼ねたのか、須藤が助け舟をだした。しかし、天災に遭った人間が、お互い諦めが肝心だよと悟っているようで、勇也は何故か情けな気分になった。
「まあ、しょうがないか……」
「そうですよ……」
二人から疲れたような溜息が漏れでた。
「おし、じゃあ話も決まったな。んじゃ、稽古の時間まで遊びに行くか!」
橋本は一人元気だった。
階段を三人で降りている途中、勇也は忘れ物に気づき立ち止まった。
「あっ、携帯忘れちゃったんで、ちょっと、取ってきますよ。玄関で待っててください。すぐ戻りますから」
階段をすぐさま元の場所へと向けて駆け上る。後ろから「健忘症」、「若年性痴呆症」とか聞こえてきたが、きっぱり無視した。
勇也が部屋に戻ると机の上に携帯電話が、充電器にささったままの状態であった。それをすぐさま取り、部屋を出る。
出て来ると、先程までいなかった陽子と梢が、階段横の自動販売機の前にいた。梢が勇也に気づく。
「勇也君、ちわーす」
「あれ? どこいくの?」
遅れて陽子も気づいた。
「先輩に連れられて、島の探索」
「稽古まで、あんまり時間ないよ」
夕刻までの自由時間は、宿舎の手続きや各自の部屋移動、その他雑事で半分は消費されていた。
「わかってるよ。まあそんなに遅くなることはないだろうし、先輩もその辺の所は考えているさ。……たぶん」
「ふーん」
陽子は考え込むように俯いた。隣の梢は、相変わらず悩みのなさそうな顔をして、一生懸命缶ジュースを飲んでる。
(相変わらずだな)
若干苦笑が混じりながら勇也は思った。
「じゃあ、私達もいくよ」
「うん、行く行く!」
陽子と梢はやる気満々だった。
「……なにを期待しているのか知れないけど、たぶんこの暑い中を歩き回るだけだと思うぞ」
勇也としては二人のことを思っての忠告だった。しかし、それはかえって逆効果だったようだ。
「もうっ! 勇也は相変わらず若さがたりないなぁ。そんなことじゃ、すぐにおじいさんになっちゃうぞ!」
「そうだ、そうだ」
見事な波状攻撃だった。ぴったり息があっていた。
「それにせっかく島に来たんだし、見て回らないともったいないでしょ」
「そうなのか?」
「そうなの?」
梢まで首を傾げている。
「もうっ、男が細かい所を気にしちゃダメだよ。そんなの男らしくないぞ」
陽子は頬を赤らめていた。何か照れる事があるんだろうか。勇也は疑問に思った。
「んじゃ、決定! わたし、お財布とって来るね」
梢も心持うれしそうに駆けだした。部屋に入っていく。
(あっ出て来た)
どうやら部屋を間違えたようだ。
「いいけど、あー、あと須藤も行くから」
「えっ?」
陽子が固まった。
「ん? どうした?」
「……ううん、別に」
黒髪の麗女は、長い髪をいじりながらどこか拗ねているようだった。
「あのね、勇也、須藤君のことなんだけど」
「うん……」
陽子は、言いにくそうに口ごもった。
「ちょっと、相談があるんだ、後で時間、いい?」
「……別にいいけど」
「……うん」
陽子は深々と溜息をついた。
「まあ、あんまり悩まずに、行こうぜ」
梢がちょうど戻ってきたので、勇也は話を打ち切った。陽子は最後まで浮かない顔をしていた。
結局、五人に膨れ上がった一同は島の探索に出かけることになった。勇也、橋本、須藤、陽子、梢、の面々である。
「先輩、どこに行くんですか?」
宿舎前の道を歩きながら話す。しばらく行くと分岐点が見えてきた。特に計画もない勇也達は、つかの間途方にくれる。
「うん、そうだなぁ。海は明日の自由時間に行くとして、山にでも行ってみるか」
「なぜ、山に!?」
「そこに山があるからだ」
某登山家の有名なセリフを橋本は呟いた。
「というのは冗談だけどな。宿舎の裏手の山に鳥居が見えただろ? そこに行こうと思ってな」
「へえ、そんなもの有りましったっけ?」
須藤が首をかしげる。
「あったんだよ。見晴らし良さそうな場所だったからな。島内が一望できるぞ。それに、小さな島にある神社。その存在にロマンを感じないか!?」
橋本は拳を振り上げ熱弁を振るった。
「いや別に」
「あんまり感じませんよ」
「私、興味ない」
しかし他の人間の反応はいまいちだった。その中で一人、能天気娘が橋本にエールを送った。
「先輩、わたし感じます! ロマンですね」
「おお! 分かってくれるか藤井! 神という存在にまつわる伝承、神話の世界と歴史の奇妙な符号。時の政府によって歪められた歴史の有り様。それらが神社という媒体を通して語られるんだ。これをロマンと言わず、なんと言おう」
「ああっ、先輩、素敵!」
「がはははははは」
二人だけの世界に入っていた。
「でも、意外ね」
陽子が何故か幸せそうな梢を見ながら呟いた。
「何がだ?」
「橋本先輩って専攻は経済でしょ。なんで、そんなことに興味あるのかしら?」
「陽子、あの人に関して、不思議と思うことは時間の無駄だぞ」
勇也はどこか悟ったようだった。
「そうなの?」
「ああ、この前も俺の家に来たと思ったら、ギターを一曲引いて帰っていった。その間、終止無言」
「それは……」
「ああ、ある意味、紙一重な人なんだ。あの時は、さすがの俺も焦ったぞ。たぶん、思いつきで行動しているだ。他にも、真夜中の学校に侵入して、シンクロナイトスイミングを一人で踊っていたという伝説まである」
勇也は橋本の行状を思い出して苦い顔をした。
「他にも例を上げればきりがない。俺はもうあの人が何をしようと気にしないようにしているんだ」
一人の男をここまでの境地に押しやった男。橋本宗次、侮れない男だった。
陽子はどこか遠い目をしている勇也に冷や汗をかいた。
「勇也さん、よっぽど辛い目にあったんですね」
須藤の同情的な言葉に、勇也は上を向いた。
涙がこぼれそうだったからだ。
「お前ら、何やってんだ! いくぞ!」
橋本と梢は既に山道を登り始めていた。
太陽は若干、中天から傾いてきた。しかし、その日差しの猛威は、収まる事を知らないかのように、ぎらぎらと輝き地表に降り注いでいた。山道を上る勇也達を歓迎するように、蝉の声が出迎える。しかし、命を燃やすような蝉の鳴き声も、この気温では風流と感じる余裕もなく、彼らには単に耳障りな音にしか過ぎなかった。
山道は途中から石を敷き詰めた、簡素な階段に変わっていった。ゆるやかな上昇ではなく、急速な縦運動に切り替わる。
見上げると終着点と思われるところはまだまだ遠くにあった。
歩き出して数十分。勇也は早くも後悔し始めていた。
「あーつーい!」
梢の死にそうな声が響く。彼女の額には大量の汗が滴っていた。
勇也の服も汗でずぶ濡れになっており、他の面々も同様である。
しかし、ただ一人全身筋肉男は景色を楽しんでいるようだった。足取りまで軽く、大手をふって先頭を歩いている。
しかも、この炎天下にも関わらず、あまり汗もかいていない。既に人の域を越えていた。
「そういえば、仙石先生。合宿に来ないんですか?」
須藤が汗を拭きながら口を開いた。
「うん? 来るぞ。たしか仕事の関係上、一便遅らせてくるっていっていたけどなぁ」
「じゃあ、もう着いているんじゃないんですか? 見かけませんけど」
「たぶん、あのオッサンの事だから、その辺でうろついてるんじゃないか。まあ、いつもの事だ。放っておいても稽古の時間には顔を会わせるわ」
と最後の言葉と共に橋本は階段の終点にたどり着いた。
「おおぉぉぉ!」
その途端、一同から歓声が上がる。
「……きれい」
陽子がうっとりしたように呟いた。
眼下には犬島の全景が広がっていた。青く輝く海に、遠くの島々がまるでオブジュのように点在していた。波間を走る漁船はどこか牧歌的で懐かしい気分にさせられる。斑雲が青色の澄んだ空をかすかに覆い、一枚の絵画のような光景がそこにあった。自然が作り出す芸術だった。
「これだけでも、ここに来た価値はあるなぁ」
「……ほんとに、そうね」
素直に賞賛の言葉が漏れた。
「なっ! 来てよかっただろ」
橋本は自分の手柄と言わんばかりに笑みを浮かべる。
「先輩、素晴らしいです!」
梢は本当に感動しているようだった。橋本に向ける笑顔は自然なものだった。
「さて、ここで満足して貰っても困るぞ。これから、神社探索だ!」
橋本は鳥居へと向けて歩き出した。慌てて後を追う一同。近づくにつれ、神社の様子は徐々に明らかになってきた。
石造りの鳥居があった。風雪に耐えかねたようにあちこちが欠けている。その上には、願い事の祈願のため、参拝客がやったであろう、不恰好な小石が何個も乗っていた。鳥居の横からは神社を囲う玉垣が伸びていた。
それを潜ると拝殿があった。
「ぼろいですね」
思わず須藤の口から漏れる。慌てて口を抑え、橋本を覗き見た。
少年が言ったように、確かにその神社は年代物であった。屋根は元は瓦葺であったものであろうが、地肌が露出していた。屋根の下には黄ばんだ障子があり、穴だらけでその用を為しているのか知れたものではない。
橋本は沈黙していた。しかし、瞳は少年のように輝いていた。
「これぞ、ロマン!」
どうやら感動しているようだった。叫びながら神社の方へ駆け寄っていく。
『――待っていた』
その時、急に声が聞こえた。
「えっ?」
勇也は周囲を見渡す。勇也達以外に誰もいない。
「どうしたの、勇也」
気づいた陽子が不審そうな顔をする。
「……今、声が」
『――待っていた』
もう一度、声が聞こえた時、感情が爆ぜた。それは、狂おしいまでの愛情。勇也の中に別の人間がいるかのように感情が暴走した。制御が利かない。体が熱を持ったかのように昂ぶり、力が漲る。
『――来て』
それは強制力となって勇也の身体に働きかける。足がふらふらと神社の本殿に向けて歩き出す。橋本を追い越した。
「おお、勇也。お前も興味があるのか、ん? おい!?」
誰かの声が聞こえた。
『――来て』
靴も脱がず、神社に上がりこむ。腐りかけた板が悲鳴のような音を発した。黄ばんだ障子を蹴り倒し、道を作る。
「おいっ、勇也!」
勝手知ったるかのように勇也は、拝殿を通り越し、正殿へ向かう。本来中枢にあるべきそこは、襖によって隔てられただけの簡素なものであった。
板間の先には色あせた玉、錆びた剣、そして古びた鏡があった。その内、鏡を手に取ると勇也は覗き込んだ。
勇也とは違う顔が映る。
それは――夢の中の男。
彼は笑っていた。
『――待っていた』
次の瞬間、勇也の目の前に青白い靄のようなものが出現する。実体のないもの。しかし、それは、確かな存在感を持ってそこにあった。靄は徐々に形を確かなものに変えていく。靄が集まり、密度が濃くなると一つの形を形成していった。
――女
幻想的までに美しい女の裸体だった。まるで、絵画の住人のようだった。この世の美を結集しても作れそうにない浮世離れした美貌。陶器のような白く滑らかな肌。豊かな乳房。引き締まった腰。艶やかな黒髪は腰まで届くほど長く、それが風もないのに揺れていた。
女は目を閉じたままだった。勇也は切にその瞳を見たいと願う。それが通じたのか、女の瞳は開いた。
燃えるような赤。
瞳を通して、どこか違う世界――異界に接続したかのようだった。女が近寄ってくる。その顔にはなんら感情が浮かんでいない。だが赤子が母親を求めるように、あるべき場所に帰るように、勇也の元に近づいてきた。
勇也は魅入られたように動けない。いや、動こうとは思わなかった。
「……あんたは」
震える声を絞り出す。女は勇也の元にたどり着く。そっと彼の頬に手を添えた。同時に流れる涙。
「……えっ」
『やっと……。やっと……』
急に女に生気が吹き込まれる。人形が生を得たかのように、その変化は唐突だった。ただそれは先程までよりも数段美しかった。人形には持ち得ない、人間だけが持ちえる美。女は愛しげに微笑んだ。その笑みに勇也も陶然となる。
――カエッテキタ
心の底から感情が込み上げてきた。
女の手を取る。その途端すり抜けた。女は酷く悲しそうな顔をした。
何か声をかけなくてはいけない。この女にそんな表情はさせてはダメだ。今度こそ守らなくてはならないのだ。
勇也の中で何かチガウモノが蠢いた。
「――何をしているのかね」
誰かの声が聞こえてきた。その瞬間、切なげな表情を残して女の姿は掻き消えた。急に夢から覚めたように、現実感が戻ってくる。勇也は埃の積もった、板間にへたり込んだ。周りには目を丸くした一同。
そして、もう一人。
声をかけた人物――剣道部顧問、仙石智弘は出口の辺りで中を睥睨していた。それは、どこか呆れた視線だった。
年齢は30代後半だろうか。細面の紳士然とした男だった。成人した男性にしては珍しく、髪は長めに伸びている。瞳は猛禽類ように猛々しく、鋭かった。
「君達は一体何をしているのだ? 公共物である神社を荒らして。どういうつもりなんだ」
「いや、べつに……そんなつもりはなかったんだが」
橋本がどこか歯切れの悪い口調で答える。
「君に聞いているのではない。私は近藤君、きみに聞いているんだ」
仙石の問いに勇也は答える言葉を持たなかった。
何をしている――それは聴かれるまでもなく、勇也自身にさえもわかっていなかった。急に意識が持っていかれるように白くなったと思えば、神社の本殿まで来ていたのだ。
「どうしたのかね、なんとか言いたまえ!」
その声音は糾弾するかのようであった。
「待って下さい!」
陽子は勇也をかばうかのようにその前に立った。
「理由も聞かずに一方的に糾弾するなんて。横暴です!」
「理由? 理由が必要なのかね。この有様を見て」
仙石は壊れた障子や、踏み荒らされた床を指した。
「で、でも、これには訳があって……」
「どんな訳だね?」
「この部屋の真中に女の人の幽霊が出てきて……」
仙石は馬鹿にしたように笑った。
「幽霊? よりにもよってそんな言い訳をするか。話にならんな」
「嘘じゃありません! ねえ、みんな」
陽子の言葉に皆、あいまいに頷く。
「ふむ、そこまでして隠したい理由があるのだな。となると、お前らみな同罪だな」
「どうしてそんな風になるんですか!?」
納得がいかないとばかりに陽子は仙石に噛み付いた。
「では聞くが、お前が第三者だとする。いきなり、そのような事を言われて信じるか? 一笑にふして終わりだ」
「でも、自分の受け持つ部活の生徒なんですよ。少しは信じてくれてもいいじゃないですか!」
「だからこそだ。組織というものは外部からは分かりにくい。その分、身内をかばわず公正な判断が必要なんだ。この場合、どんな理由をつけようと、勝手に公共施設に侵入し、器物を破壊したのはおまえ達だ。それはどんな理由をつけようと変えようがあるまい。違うか?」
「違いませんけど……でもっ!」
「もういい、陽子」
勇也は立ち上がると陽子を脇に押しやった。
「勇也……、でも……」
陽子は悔しさをこらえるように、その瞳を潤ませていた。
「ほんとに、いいんだ。ありがとう」
陽子の頭をぽんぽんっとなでる。
「…………勇也」
勇也は仙石に向き直った。
「すいません、お騒がせして。これは俺が全部一人でやった事です。他のみんなは関係ありません」
深々と仙石に頭を下げる。
「ほうっ、罪を認めるわけだな」
「……はいっ、……申し訳ありません」
仙石は感情のこもらない、爬虫類のような目で勇也を見据えた。
「皆は関係ないと? お前一人でやった事だというんだな」
「……はい」
「わかった」
沈黙がおちた。勇也は頭を下げたまま仙石の言葉を待つ。固唾を飲んで見守る一同。
「では、近藤君。君は退部だ」
「先生! それはあんまりでは!?」
須藤が悲鳴のような甲高い声を出した。
「オレもそう思う。仙石先生、ちょいと処分がきつすぎやしませんか?」
橋本も憤りを隠せないようだ。梢に至っては緊張の余り、涙目になっている。
「確かに処分はきつい。では、どうして私がそんな処分をするのかと考えられないだろうか? 剣道とはなんだ。それは剣という媒介を通して道を探求する事に他ならない。道とは礼節、忠孝、つまりは仁の境地に至ることだ。私が顧問をしているのも、その境地に皆を導く為だ。しかるに近藤君、君にはその資格がたった今なくなった。道を外れたものが剣道をやる資格などない」
仙石は厳しく断罪した。
「待って下さい! 例えそうでも、道を外れたら戻れるよう導くのが指導者なのではないんですか!」
「佐藤君、私は君に話をしているわけじゃない。近藤君に言っているんだ。」
「わかっています。でも、そんなのおかしいです!」
陽子は悔しさのあまり、涙がこぼれていた。
「近藤君、君は合宿に参加しなくていい。即刻荷物をまとめて、今日の便で帰りたまえ」
「それは、決定事項ですか?」
罰は甘んじて受けるつもりでいた。正座を何時間でも、どんな辛い稽古でも受けるつもりでいた。しかし、その資格まで奪われるとは勇也は思わなかった。
「そうだ、君は必要ない」
「つぅっ!?」
梢が引きつったような声を発した。
「…………………分かりました。お世話になりました」
仙石に向かって勇也は一礼する。ここまではっきり言われては続け様もなかった。
それが終わると外へ向けて歩き出す。陽子がついて来た。
「ちょっと、勇也! 本気!?」
「ああ」
正殿を抜ける。勇也が壊した襖が目に入った。見事に中ほどから壊れていた。板間には足跡。それらは、全て勇也が為したものだった。
「あんなの、納得できないわよ!」
「俺もだ」
屋外に出た。太陽は海の向こうに沈もうとしていた。オレンジ色の光が周囲に振りそそぎ、鳥居の細長い影が伸びる。
それを追い越し、鳥居を潜る。その頃に陽子の手が勇也を掴んだ。動きを止められた。
「待ってよ。……勇也。……待ってよ」
「なんだよ!?」
勇也は振り返った。
「冷静になって! どうしたいいか考えようよ」
「俺はこれ以上ないほど冷静だよ!」
「嘘、怒ってるわ!」
「そりゃあ、怒るさ! 自分に過失があるとはいえ一方的だぜ。理由の『り』の字も聞いてくれない。そんな相手に一体どうしたら良かったんだよ!」
勇也は荒々しく振り払った。陽子がひどく悲しそうな顔をした。胸がちくりと痛んだ。
「……うん、そうだね。どうするのこれから? 本当に帰るの?」
「……ああ、もうこの島にいる理由がなくなったからな」
「そっか……。じゃあ、私も帰るよ」
これには勇也も血相を変えた。
「なんで陽子が帰る必要があるんだ!?」
「だって、勇也拗ねてるもん。自分を見失ってるよ。それに、私も納得できない。抗議の意味も兼ねて、帰ってやるわ」
「……陽子まで退部になっちゃうぞ?」
「かまわないわ。理屈が通じないとこなんて居たくないもの」
陽子はぎこちなく微笑んだ。それが勇也の中に形成されていた、冷えて硬くなったものを溶かした。自分が、いかにみっともない態度を取っているかということに急速に気がついた。
見れば、他の面々も神社から出てきているようだった。今更ながら醜態を見られた思いで、恥ずかしさがこみ上げてくる。
「……サンキュウ。お前って、いいやつだなぁ。……でも、やっぱ、いいわ。二人で一緒に帰ったら、あの二人の間には一体に何があったんだろうっって邪推されるぞ?」
勇也は冗談めかして笑った。このみっともない自分を笑い飛ばしてやりたかったからだ。しかし、今度こそはっきりと陽子は傷ついた顔をした。
「そう……、余計なお世話だった?」
眉をハの字にして、ほとんど泣きそうな顔で尋ねてくる。
罪悪感が込み上げてきた。
「わあぁ、そっ、そんな事はないぞ」
「……ほんとう?」
「むしろ、感謝してるぞ」
背中までびっしょり汗をかきながら勇也は答える。
「私と……誤解されるのは嫌?」
陽子が涙で潤んだ目で問い掛けてくる。橋本がにやにや笑っているのが目の端に映った。
「嫌、とか嫌じゃないとか、そういうのではなくて」
「なくて?」
「陽子は俺の大事な友達である事に変わりないんだから」
「だから?」
「ああー! もうどう言ったらいいか、うーん」
「その辺にしといてやれよ」
勇也が本格的に追い詰められた時、精悍な声の主が助け舟をだした。
「えへへへ」
陽子は一転して笑顔になった。
「へっ?」
勇也は訳がわからず間抜け面をしてしまう。
「ごめん、ごめん。軽いジョークだよ。キミの気分を和ませようと思って」
陽子は勇也の肩を叩くと、笑いかけた。
「うーん、私ちょっと色っぽかった? 勇也クラって来ちゃった?」
ここに至ってからかわれていた事に勇也は気づいた。
「まったく、人が落ち込んでいるのに」
「だからだよ。少しは元気になったでしょ?」
確かに言われてみれば勇也の中からもやもやとした不快感が消えていた。苦笑が漏れる。他人に気をつかわれないと自分の状態が分からないとは、よっぽど戸惑っていたようだ。しかし、勇也としてもやられっぱなしは性に合わない。勇也はニヤっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「クラってきたよ。正直、陽子のこと、ちょっとだけ女性として意識してしまった」
「えっ!」
黒髪の麗女はゆでだこみたいに一瞬で赤くなった。
「でも……なんだ、冗談だったのか。少し惜しい気がしたよ」
「あっ、あのね、勇也!」
「なに?」
「私もね、あのね……」
陽子は言葉に困っているように俯いた。
「なーんて俺も冗談だよ。仕返し、仕返し」
その瞬間、陽子の目に怒気が宿った。
「キ、キミはぁぁぁぁ!」
「うわ、なんだよ! 陽子だってやったじゃないか」
「うるさい! 私は女だからいいんだ! 男がそんなことするなんて、このスケコマシ!」
「どうして、そうなるんだよぉ」
コブシを振り回しす陽子から必死に逃げる勇也であった。
「勇也に一ポイントだな。負けてられないな、須藤」
目の前でじゃれ合う二人を見ながら、橋本は須藤の肩に手を置いた。
「……何の事ですか」
須藤は言葉とは裏腹に羨ましそうに勇也を見つめていた。彼はほんの少し涙目になっていた。そして、歪んだ口元。梢の角度からはそれが見えたが、夕焼けのせいにしておこうと、一人で納得して見て見ぬ振りをした。
プロフィール
- ニックネーム
- ケイロン
- 性別
- 男
- 血液型
- A型
- 生年月日
- 19○○年5月23日
- 現住所
- 岡山のどこか
- 所在地
- 岡山のどこか
- 職業
- 教師っぽいこと
- 自己紹介
- 小説を読むのも書くのもすきなのでHPを立ち上げました。
お時間が許すのなら、作品を読み、感想でもいただけたら嬉しいです。
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