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キリ番

『狐の嫁入り』

キリ番4400

リク主:筑波みかんさん リク  :『●コメディ(笑える話)』『●ファンタジー』      『青空』『腕時計』『御伽噺』『秋』

 秋の空はただひたすらに高い。  宙にまで突き抜けているのではというほどの空は、まさに雲ひとつ無い日本晴れ。これが空の色の見本だと言わんばかりの澄み渡った青。  それなのに、雨が降っていた。  太陽の光と共に降り注ぐ雨が、一面並んだススキの穂を湿らせていく。  いわゆるお天気雨という奴だ。  普通じゃない。秋の陽だまりへと舞い落ちる雫は、ここが日常の空間ではない事を示している。  今のここは、真っ当な人間のための場所ではない。  誠治はゴクリと唾を飲み込んだ。そろそろと左手の腕時計に目をやる。  僅かに水滴の付いた文字盤に映し出されたその時間は二時。夜中の丑三つ時ではない。昼の二時。  アヤカシの出る時間ではない。はず。  ならば、この隣にいるのはなんだ?  ついさっきまで、そこには何も居なかった。間違いない。  誰かが近づいてきた気配はなかった。枯れ草を踏む音も、ススキを掻き分ける音もしていない。  恐ろしくてそちらに視線を向ける事も出来ない。  隣にいる「ソレ」は言葉を発する事もしない。そこにはただ、何者かが存在するという気配だけがあった。 このままでは駄目だ。そんなことはわかっている。いつまでもこうしていられるものではない。このまま何処かに行ってくれるとも思えない。  どうしてもソレを見る事が出来ない。  動かない頭を意志の力でねじ伏せ、無理やり視線を「ソレ」に向けようと…… 「良い陽気じゃな」 「くぁwせdrftgyふじこlp;」  機先を制されて奇声を発した。何を言っているのか自分も解らないが、それは隣にいたソレも同じ事。 「……ふじこ?」  「ソレ」は不審気に柳眉をしかめて、僅かに小首を傾げた。切れ長の細目が誠治を見つめている。  そこにいたのは着物姿の少女だった。年は、誠治より少し若いくらいか。  少女と女とのちょうど中間点。可愛らしさと美しさが微妙に同居しているくらいの年齢。これから齢を重ねていくごとに、より『美しい』に傾いていくのだろう。  そのバランスが釣り合った、もっとも絶妙な時期。 「会って早々他の女の名を呼ぶなど、おなごの扱いがなっておらん」  拗ねた口調で言うその様は、より可愛らしさが強調されている。子供じみた姿だった。 「いや、これは慣用句みたいなもので、女の名前を呼んだわけじゃ……いやそんなことよりも、えっと……どちらさまですか?」 「狐じゃ。決まっておるだろう」  ほれ、と自分の頭を差し出して、少女が言う。 そこには確かに、枯れ穂色の耳がぴこぴこと動いていた。その動きはどう見ても作り物ではない。 「尻尾も見ねば信用出来んか? この助平め」 「いやそんなことも微塵も思っていません。というか何この状況」  ついさっきまでは、抜けるような秋の青空を背景に、一面のススキ野原の情景を趣味の写真に収めていたはずだった。それが不意に天気雨が降り出したと思いきや、見知らぬ少女にからかわれている。  しかもその少女は自分好みの美少女の上にケモ娘さん。微妙にS入っているところもポイント高い。  何この萌えるシチュエーション。 「それで、その狐さんがなんでここに?」 「嫁入りだからじゃ」  確かに天気雨のことを狐の嫁入りというけれど。 「それにしては行列がありませんが」  天気雨を狐の嫁入りと呼ぶのは、確か狐の嫁入り行列が通るから人間は近寄るなという警告だったはずだ。 「昔は家を傾けてでも豪華な行列を作ったらしいが、今は内輪でこじんまりと済ますのが一般的じゃ。婚礼費用も馬鹿にならんしのう」  どうやら狐の世界にも不況の波は押し寄せているらしい。 「しかも天気雨などそうそう降るものではないからの。結納か婚礼のいずれかを天気雨の内に済ませれば良いという事になっておる」 「……おおう。狐の世界も簡略化が進んでいるとは」 「というわけでじゃ。今の内に結納だけでも済ませておかねばならん。次の天気雨がいつになるか、わからんからな」  どう見てもまだ大人になりきっていない年齢だ。むしろ幼なさの残る、子供と言っていい容姿にしか見えない。  結婚するにはまだ早いのではないだろうか。もちろん、狐の世界ではこれが当たり前なのかもしれないのだけれど。 「あれ? 天気雨って、降ってるから嫁入りするのではなくて、嫁入りする時に狐が降らせるものでしょう?」 「天気雨を降らせるには、半端ない額の銭がかかるのじゃ」  世知辛い世の中だ。 「……だとしても、新郎がいないみたいですが」  行列を省略するにしても、最低新郎と新婦が必要だ。ひとりでするのでは、嫁入りなどと呼べるものではないだろう。  「居るではないか。むしろ、わしら二人しか居らん」 「……俺?」 「そう言っておる」  誠治は狐をじっと見詰めた。  細く艶やかな毛並みの髪が、透けるような白い細面を縁取っている。切れ長の奥に隠された瞳は表情を読み取らせないけれど、今は明らかに機嫌よさ気に細められている。  全体的に細い印象がある少女だった。もっとしっかりご飯食べろよ、というほどに。  間違いなく見覚え無い。こんな美少女、一度会えば忘れるはずが無い 「……どうして俺?」  もちろんこんな娘と結婚できるなんて望むべくも無い。というか、この機会を逃したら、間違いなく一生女の子とは縁がないだろう。  そうは思う。思うのだが、だからこそ。  初対面の、それも決してイケメンとは言えない誠治なんかと、いきなり結婚しようというその意図がわからない。  肥溜めの風呂で馬糞の饅頭を喰らう羽目になったとかいう昔話を知っていれば、特に。 「それを汝なれが聞くか。あの夜、何も知らん未通娘じゃったわしを一晩中抱きながら、ずっと一緒じゃと言ったではないか」 「素敵な嘘は止めようよ!?」  そんな経験をしていれば、世界中の人に知ってもらおうと本にして自費出版する。感動スペクタクル巨編、ハリウッドで映画化されて印税でがっぽがっぽ設けて、ちゃんと天気雨つきの婚礼を挙げてやっているはずだ。 「なんと、わしは騙されたのか。畑を荒らす鼠を退治する神の使いじゃと持ち上げていい気にさせておいたところで、人を騙す小ずるいケダモノじゃと貶める……げに人間の恐ろしさよ」  わざとらしく、狐はよよよと泣き崩れた。  この畜生め。演技とわかってても可愛いじゃないか。狐だけに化かされそうだ。 「よいか、狐のわしを嫁にすれば善い事がいっぱいじゃぞ? 信太狐を母に生まれたのが安倍晴明じゃ。わしとお前の子も、霊力の強い良い子になるに違いない」 「子供を陰陽師にする気は無いです」 「金が無くても馬糞を金塊に見せるくらいは簡単じゃし」 「犯罪です本当に(ry」 「我が侭もたまには我慢するかもしれんし、一日のうち半刻までなら傍から離れるのも許すし、家事の一切も汝なれにやらせてやる」 「何その自分に都合の良い条件」 「仕事にかまけてわしを放っておきでもせん限りは腕を引き抜いたりせんし、家のことを放って外をうろついたりせねば足を千切ったりもせんし、他の女を見でもしなければ目玉をくり抜いたりせんし、浮気をせねば喰い殺しもせん」 「死ぬ前提ですか? 俺死ぬ前提なんですか?」 「昼は貞淑な妻で、夜はケダモノになるのだぞ?」 「それはちょっと心を揺振られます。まさか外見までケダモノになるとか言われると萎えますが……何故目を逸らしますか?」 「確かにわしは嫁らしい事は何ひとつ出来んかも知れん。人間の事も学んではおるが、やはり些かの齟齬も無くというわけにはいかんじゃろう。じゃが、出来る限りのことはする。間違った事は教えてくれれば直す。汝なれの嫁として相応しくなれるように努力すると誓う。じゃから、どうかわしを汝なれの嫁にしてくれんか」  細い目がしっかと開かれて、上目遣いで誠治を見詰めて来ていた。まっすぐに向けられたその瞳には、偽りの色など欠片もない。  狐とか関係なく、女の子はずるいと思う。そんな表情をされて抵抗できる男などいるわけがないのだから。  でも……ここで考えなしに頷いたりすれば、それは即生命の危機を示す事になる。  どうする俺。 心の声1『こんなに真摯に愛の告白をされているのです。受け入れてあげるのが誠実な態度というものでしょう(天使の俺)』 心の声2『向こうから告白してきてんだ。棚ボタって奴じゃねぇか。良いから喰っちまえよ(悪魔の俺)』 心の声3『こんな可愛い娘を嫁に出来るなら化かされたって本望だろ(男の俺)』 心の声4『童貞を捨てられるなら死んでも良い(少年の俺)』  満場一致。故に本件は可決されました。 「……憑り殺したりとかはナシね?」  手とか目とかは諦めよう。 「うむ。婿になるのを断らなければ、憑り殺したりはせぬ」  ……どうやら知らず知らずの内に最低防衛ラインを死守していたようです。 「それでな。これでわしらは婚約を交わしたわけだが……その、結納の証の品が……欲しいのだが」  簡略化されているとはいえ、その辺りは譲れないラインなのだろう。人間でも『給料三か月分』はプロポーズの基本だし。 「そのな……人間は、指輪というものの交換をするのであろう?」 「貴女になら、首輪を付けてあげたいですね」  ケダモノだけに。 「それは婚礼の時に交わすものだろう」  お前は俺のペットだ、とか言って。一生飼ってやる、とか言って。  やべぇ。萌える。  「……付けるんですか? 本気で?」 「……付けんのか?」  なにその想像の遥か斜め上行く素敵な未来。  「そうではなくて、結納の話だ」  そうだ。あまりの衝撃に忘れるところだった。 「……指輪なんて持っていませんよ」  自分で指輪を付ける趣味はないし、『こんなこともあろうかと』プロポーズ用の指輪を持ち歩くヤツはイタい奴だ。次からは持ち歩く事にしよう。 「……では、その時計をくれ」  じっと誠治の目を見詰めながら、勇気を振り絞った表情で狐が言った。その指し示す先は、誠治の左腕。  女物の、腕時計。  確かに今持っている物の中では一番指輪に近い。でもこれは…… 「結納とは、わしの全てを汝なれに奉げるという誓いだ。その返礼としては、そのくらい大切な品でなければ相応しくない」  その通りだ。人……ではないけれど、ひとりを貰おうという時に渡す品として、これほど相応しい物はない。  これ以上に大切なものは…… 「……待ってください。どうして知っているのです? これが大切なものだなんて、どうして貴女が知ってるのです?」  この時計のことを他人に教えた事は無い。女物の腕時計を後生大事にしていることについてからかわれたりもしたけれど、そのたびに適当に誤魔化してきた。  でも狐の顔は、誠治にとってこの腕時計がどういう意味を持つのか知っている表情。  間違いなく、これが大切なものだとわかっているからこそ、これが欲しいと言っている表情。 「お前が教えてくれたのではないか」  他人に教えた事はない。だから、知っている人間はひとりもいない。  そう。知っている、人間は。  ずっと昔のことだ。  事故にあった。まだ5歳の時だ。母親と一緒に、買い物に出かけた時だった。居眠り運転のトラックが突っ込んできたのだった。  息子をかばった母親は死に、庇われた息子は一命を取り留めたものの、生死の境をさまよった。意識を取り戻したのは事故の二週間後。  母親の葬式は、すでに終わっていた。  トラックが迫ってきたところで意識を失い、次に意識を取り戻した時には黒額の母親の写真を見せられて。遺体も遺骨も見ずに、母親は死んだなどと言われて。納得など、出来るはずがない。  幼い心は整理をつけたのだ。母が死んだなんて嘘で、何処かに隠れて自分を驚かそうとしているのだと。  そんなことありえないと、きっと自分でも分かっていた。それでも認めたくなかった。  家中を探した。どこにもいない。庭を探した。どにもいない。だから、外に出た。  家の明かりの届かない、集落の外れの道は真っ暗闇。獣道に気が生えた程度の侘しいもの。  すぐに道を失った。  いつの間にか山に入っていた事も気付かない。気付いて猶進んでいたのかもしれない。  雪こそ降っていないけれど、厳しい冷え込みの冬の日だった。  これからどうなるかなんて考えていなかった。それを考えてしまえば、きっと孤独な未来を思い描くしかない事がわかっていたから。  気がつけば、洞窟の壁に背をつけて座り込んでいた。  洞窟というのもおこがましい。崖が少し抉れているだけの、ただの窪み。風が僅かに凌げる程度。冬の冷気を防ぐ事など出来よう筈もない。  その膝に、小さな生き物が乗っていた。  慰めるように、その小さな頭を頬に摺り寄せてくれている。  冷え切った身体にその温もりが沁みこんで来る。それから貰った温かさが胸に届いたその時に……ああ、母は死んだのだ、と腑に落ちた。  涙を流す事が出来るようになったのは、その少し後のこと。  その時は犬だと思っていた。まだ金色になる前の、茶色い毛並みの仔どもだったから。  それから時が過ぎ、記憶が薄くなっていくにつれて確認する機会を失っていった。  今考えてみればわかる。あれは犬などではなかった。  もっと細く、優雅で、しなやかで、華麗な…… 「……あれは狐あなただったんですね」 「……なんじゃ、忘れておったのか」  しょぼんと耳を垂れ下げて、狐が呟いた。  忘れていたのではないと思う。あの時の温もりが心の奥に残っていたからこそ、今までひとりでやってこられたのだから。 「では、嫌がるわしを無理やり抱き寄せて、この幼い身体に自分の匂いを嫌というほど沁み込ませたことも忘れておったのか?」 「その通りですが誤解を招くような表現は避けてください」 「あの日より汝なれのことを想い、胸を熱うして眠れぬ夜を幾夜も過ごしたというのに、汝なれはそれ自体忘れておったというのか」 「それについては謝罪する事しか出来ません」  とゆーか俺悪くないよね? 狐を思って眠れない夜を過ごすとか、変な人だよね?  ……ということは、人間を思って眠れない夜を過ごすのは、変な狐なのだろうか。 「狐が化かされるとはこのことじゃ……」 「だから悪かったと」  そんなことを言われてもどうにもならないと思います。 「……すまんと思うのなら、その時計をわしにくれ」  そういえば、狐はあの時からこの腕時計を気に入っていたようだった。  針が動く様が面白かったのか、文字盤をじっと見詰めて固まっていた。 「わしは汝なれのものだ。そのわしが持っているということは、汝なれが持っているのと同じことであろう?」  母親の死を受け入れられたのは狐のおかげだ。そのおかげでこの腕時計も、母の『形見』にすることが出来た。  それを狐に持たせるのは、ある意味自然な流れなのかもしれない。 「……ま、西洋の方では母親から譲られた婚約指輪を代々贈ったりするらしいですし」  だとすれば、これほど相応しい結納の品はない。  自分の左腕から時計を外す。  あの時から幾度も修理をし、電池を交換してきた腕時計。古い物だから、きちんと動かし続けるにはそれなりの労力がいる。  それも全て、この時のためだったのかもしれない。  差し出された狐の左腕に時計を巻く。ゆっくりとベルトを締める。 「……これで結納は終わりじゃ」  頬を染め、恥ずかしげに視線を落としながら狐が呟いた。  やはり可愛らしい。人間ではないとか関係ない。  この娘が俺の嫁とか。何その夢展開。もう死んでも良い。いや死んじゃ駄目だ。もっと楽しいことをしないと。 「ところでな、人間は婚礼の時にべーぜというものを交わすのであろう?」 「よく知っていますね」  そういえば、人間のことを学んでいると言っていた。それはつまり、こうして誠治の嫁になるために努力を重ねてきたと言う事だろう。  自分のことを一途に思い続けてくれていた、それもこれだけの美少女。  何それしあわせ過ぎてこわい。 「人間である汝なれに嫁ぐのであるからな。人間の様式に合わせた婚礼もしておきたい」 「では……目を閉じてください」  素直に狐が目を閉じる。元々細いので閉じているかどうかいまいち解りにくいが、閉じた事にしておこう。  考えてみれば、誠治にとってもこれが始めてのキスだ。  ファーストキスが婚約のキスとか、悪い夢でも見ているのだろうか。目が覚めた時に絶望するという意味での悪い夢。  ゆっくりと唇を重ねる。  初めての唇はただひたすら柔らかかった。このまま溶けてしまいそうなくらいに。それになんだか良い匂いがする。吐息が頬を撫でてくすぐったくて……  「何をするっ!」 「ぶけらっ」  殴られた。ねこぱんちならぬきつねぱんちで。女の子ならぐーは止めようよ? 「……俺、なんで今殴られたの?」 「いきなり口を塞ぎおって! 息が出来ないではないか。殺す気か」 「いや、こうやって唇を重ねあうのがベーゼというヤツなのですが」  なるほど、狐はキスをしないのか。確かに長い口吻のせいでキスとかしにくそうだけれど。  そういえば、犬も口を舐めたりはするけれど、唇同士を重ねあったりはしない気がする。 「なんと……それはつまり、お互いの口を塞ぎあってどれだけ我慢できるかで愛情の深さを競おうということか。まさに命がけなのじゃな。やはり人間おそろしや」  ずれていた。予想出来ないほど決定的に。こんな調子でこれからやっていけるのだろうか。  将来に不安しかないけれど、でもそれが可愛くもある。  躾の出来ていないペットを、自分の都合の良い様に染めていく喜びとでも言うのだろうか。 「別に命をかける必要はありません。鼻とか口の隙間とかで息すればいいんです」  もう一度唇を重ねる。今度は唇の端を空けてみたり、息がし易いように注意を払って。  本で読んだ知識ですが、何か?  風がさやさやとススキの穂を揺らしていく。  それに合わせて流れていく枯れ穂色の波。狐の耳の毛色と同じ野原の色。それはまるで、大勢の狐の連なった婚礼行列のよう。  目を上げれば青い空。未来に潤いがあるようにと、狐色の一群を祝福するかのように湿らせていく雨の雫。それら世界の全てを照らす、太陽から降り注ぐ金色の光。  本物の御伽噺の中から出てきたかのような光景。  自然の天気雨にしては長く続きすぎている。もしかしたら、本当に狐が降らせているのだろうか。  どちらでも良かった。この腕の中には、確かに狐がいるのだから。  人生で二度目のキスは、気持ちが良くてまだ続けていたかったけれど、流石に息が苦しくなっていた。  名残惜しくも唇を離し、腕の中の妻きつねを見遣る。  頬が上気して、目がとろんと蕩けていた。 「……大丈夫ですか?」  もしかしたら酸欠かもしれない。愛情の深さを競う、とか言っていたから我慢をしすぎたのだろうか。 「……発情した」 「え?」 「冬でもないのに発情した。予定変更じゃ。このまま夫婦の契りまで致すぞ」 「待ってまだ心の準備が!」  結納するのにも勇気が要ったのに、まだ父親になるのは早すぎる。 「嫁入りの天気雨の間に授かった子なら、間違いなく立派な子に育つはずじゃ」 「誇りにかけて言いますが、そんなに早くはありません」  自然の天気雨は、その性質上10分ほど。どう考えてもあと一分も続かない。その前に終わってしまったら男として立ち直れない。 「それはそれでかまわん。とにかく発情した時が子作りの時じゃ」 「ケダモノだけに大自然の中で! 何上手い事言ってるんです俺! お婿にいけなくなっちゃう! 助けてお母さん!」 「残念じゃが、お前の母はここにおる。つまりわしの味方じゃ」 「はめられました! いやはめさせられます! でも時計をはめたのは俺! ああもうわけわかりません!」  普通でない相手を選んだ時から普通の幸福がないことくらいは覚悟している。  苦労が絶えないだろうことも覚悟している。  あと手とか目とか抜かれるかもしれないことも。  でも初めてが青空の下とか、人間としていくらなんでも。 「やめて許して犯されるー」  獣姦くらいはもう覚悟したけれど、というか返って興奮するけれど、野生動物って雑菌とか大丈夫なんだろうか。   ああ、人間の世界がどんどん遠くなって…… 「あ」 続き    『狐の披露宴』    『狐の仲人』    『狐の忘れ形見』
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未田 尚(まだ なお)
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