キリ番
『優柔不断の典型例』
キリ番4900
リク主:ARFFIさん リク :『葛藤』
関連
『この世界にひとつだけの色』
「いらっしゃいませー」
いつもの声で迎えてくれる、いつもの店になんだかほっとする。
この辺りには安くて美味しい店はいくつかあるけれど、僕が一番気に入ってるのはこの味山亭だった。あまり綺麗とか品が良いとかそんな店ではないけれど、むしろそこがいい。
客受けとかそんなことよりも味で勝負。そんないさぎ良い姿勢に惹かれたのかもしれない。
カウンター席の左から四番目に腰を下ろす。別に意識しているわけではないけれど、厨房の作業が良く見える、いつもの席だ。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」
カウンター越しに水のコップだけを置くと、店長は厨房の作業へと戻っていった。馴染みだから……かどうかはわからないけれど、決して急かして来たりはしない。
僕は壁に貼られたメニューへと目を向けた。
今日は味噌ラーメンを食べようと思ってきたのだけれど、実際に店に入ってみると迷ってしまう。
ここの味噌ラーメンは絶品だ。これでもかと言わんばかりに濃厚な味噌スープに、それに負けない太縮れ麺が良く合っている。縮れている分スープが良く絡み、その濃厚さを更に強調する。お互いが自己主張しているけれど、決して喧嘩しているわけではない。お互いを目標に更に高めあう、そんな良いライバルのような関係。
暑苦しいとも言えるそんな味付けが、女性受けはしないかもしれない。でも店構えからしてそういうところなのだ。おしゃれな料理なんてものを望んでいるならそういう店にいけばいい。
しかし味噌の濃厚さとは裏腹に、塩ラーメンはあっさりとした上品な味に仕上げてある。どんぶりの底まで見える程に透き通ったスープが、塩のみで味付けされている。麺は存在を主張しすぎない細麺。スープを落として噛み締めれば、ゆっくりと、しかし確実に小麦の香りが口に広がっていく。そんな淡い味わいの麺。
全体的にみて、はっきり言ってしまえば素材の味しかしない。しかし、これを薄すぎると言ってしまうヤツはいないだろう。あっさりしながらも、必要なところはキッチリと押さえてある。これ以上は何も足せないし、何も引けない。そんなギリギリのところで踏みとどまっている、そんな絶妙なラーメン。
どうやっても家で出せる味ではない。味噌なら麺とスープを貰って帰れば家で作る事も出来るだろう。しかしこの塩ラーメンでは、それが出来るとは到底思えない。お湯の量と温度、麺を茹でる時間、湯きりの加減など、何かひとつが微妙にずれただけで味が全く変わってしまう。そんな職人技のラーメンなのだ。
お腹いっぱい食べた、という満足度では味噌ラーメンの方が上だろう。しかし、外でしか食べられない……外食をした、という実感は塩ラーメンの方が勝る。
さらに叉焼の問題もある。ここの叉焼は、箸で切れるほどに柔らかく煮込まれた厚切りのものなのだけれど、これはどうみても味噌に合うように作られている。塩に合わないわけではない。無いのだけれど、絶妙なバランスで作られた塩ラーメンには、この叉焼すら異物になってしまうのだ。
塩ラーメンのスープにつけた叉焼は美味しいのだけれども、叉焼の浸かった塩ラーメンは味が変わってしまう。そんな贅沢な悩み。
他に醤油ラーメンもあるけれど、それは選択肢に入っていない。もちろん醤油ラーメンも美味しい。しかし他のふたつと比べると、どちら付かずの印象がしてどうしても見劣りしてしまう。最初から醤油味が食べたい時以外に注文を入れるのは勿体無い……そんな可愛そうな位置にいる。
どちらを食べても満足できるだろう。どちらもはずれが無い。どちらも食べたい。だからこそ、どうしたって悩んでしまう。
しかしそう考えると麻婆豆腐定食も捨てがたい。ここの麻婆豆腐には絹ごし豆腐が使われている。滑らかで甘みを感じさせる豆腐が、少し緩めで辛味を強く作られたあんと渾然一体となってハーモニーを奏でている。そこに、カリカリにいためられた挽肉としゃきしゃきした歯ごたえの長葱がアクセントを加えている。これをご飯にかけて食べるのがまたウマイ。柔らかいあんと滑らかな豆腐とそれを受け止めるしっかりしたご飯の存在感。最高の組み合わせと言って過言ではない。
いや考えてみれば、麻婆豆腐が食べたいなら麻婆飯もある。
麻婆豆腐とご飯がご飯に麻婆豆腐がかけられている麻婆飯と、それぞれが別になっている麻婆定食とでは、定食の方が量があるし見栄えもする。その上、他の定食と同様に日替わりの小鉢が付いている。その分多くの味を楽しめるし明らかに豪華なのだけれど、もちろんそれだけ値が張る。
それならば、麻婆飯にして他に何か一品付けるという選択もある。
だとすれば、やはり餃子だろうか。ここの餃子は全て手作りだ。この席に座っていると、厨房で餃子を作っている様子が見える。
美味さの秘密は煮凝りらしい。煮凝りにしたスープを、餡と一緒に包み込んでいるのだ。火が通ることで溶け出した煮凝りが融け、餃子を噛んだ時にスープがあふれ出る。それがまた絶品だ。
しかし、餃子を食べるなら麻婆飯との相性はイマイチかもしれない。辛い麻婆豆腐は、どうしたって他の料理の味を殺してしまう。餃子だって例外ではない。
これだけ美味い餃子は、最初のひとつは何もつけずに素で食べて、二つ目は酢のみ付ける。それから酢醤油で味わって、最後にラー油を入れて、段階的に味を濃くしていって楽しむべきだ。それを麻婆豆腐と一緒に食べてしまえば、最初から辛味が加わってしまう事になる。それでは折角の餃子を充分堪能する事が出来ない。
餃子と一緒に食べるのなら、やはり炒飯だろう。ここの炒飯は薄味に作られている。もちろんそれだけでも美味しいのだけれど、他のものと一緒に食べた時にこそ最大の力を発揮する。特に餃子との相性は完璧だ。きっと、炒飯を食べたら餃子も注文しないではいられなくなるようにしているに違いない。売り上げを伸ばすための企業努力というヤツだ。ある意味あざとくもあるけれど、それだけ美味しいのだから文句をつけるのは筋違いだろう。
餃子を食べるとエビスが欲しくなる。酢だけ付けた餃子を齧って、あふれ出したスープを味わったところで、グラスに霜のつくほどに冷えたエビスを煽る。想像しただけでよだれが出そうだ。
しかし、エビスを飲むとなると炒飯の存在が微妙になってくる。餃子をつまみにエビスを飲むとすると、炒飯はただお腹を膨らませるだけの存在になってしまう。炒飯はエビスのアテに出来るほど濃い味付けではない。
お腹を膨らませるためだけに食べるなら、白飯にするという手もある。やはり炒飯と白飯では値段が違う。そこを節約できるならありがたい。
いや、白飯でいいのであれば、家で食べる方が安く上がる。ここでは餃子とビールだけにして、その味を思い返しながら家で白飯を掻き込めば良い。更に突き詰めれば、エビスもここで飲むより量販店で買った方が安く上がるのだから、ここでしか買えない餃子だけ買って、家に帰って食べるという手もある。
……いや、何を考えているんだろうか。家で食べた方が安いくらい、最初からわかっている。外食すれば、どう安く上げても五百円、少し贅沢しようと思えば千円はかかる。それだけあれば優に三日、マヨネーズライスやバター醤油ご飯の割合を増やせば一週間はいける。それをあえて出てきているのは、週に一度くらいは贅沢をしようという気持ちからだ。
今日は贅沢をする。そう決めているのだ。こうして偶に贅沢が出来る、生きるだけで精一杯なんて生活ではない。そう実感して感謝する日なのだ。
だから、安く上げようなんてことは考えない。いや、値段のことも少しは考えなくてはだけれど。
味噌ラーメンにして食べたという満足感を得るか、塩ラーメンで外食したという充足感を得るか。いや、ボリュームという点ではやはりご飯もの、麻婆飯も捨てがたい。或いは餃子をつまみにエビスを飲んで、勢いをつけるのもいい。
こうして悩んでしまうのは、やはりたまにしか外食出来ない貧乏性故だろうか。
もちろん悩むことが出来るというのもしあわせなのだけれど、たまの贅沢なのだ。それではいけない。
ぱっと見て食べたいと思ったものをそのままバーンと注文する。それが贅沢というものだろう。
よし決めた。店長に声をかけて、返事があるまでの間に決めたものを注文する。
「お願いします」
「はいよ!」
早過ぎだ。
店長は、まるで待ち構えていたかのように返事をしてきた。店員としては褒めるべき態度なのかもしれないし、悩んで時間をかけ過ぎている自分のせいかもしれない。
でもまだ何にするか決めて……
「何にしましょう?」
「……いつもの」
ああ、僕はなんて意思が弱いんだろう。
あれだけ悩んで、決断すると決めて、結局は『いつもの』だなんて。自分の情けなさに眩暈すらする。
「はいよ。いつもの激辛獄楽らーめん10丁目」
なんだか妙に早く出てきたラーメンに手をつける。
辛いだけの料理ならどこででも食べられる。なんなら一味を持ち歩いて、好きなだけかけまくったっていいだろう。
でも、ここの獄楽らーめんはただ辛いだけではない。コクや旨味などがしっかり付いていて、ちゃんと『美味い』。きちんと他では食べられない味に鳴っている。
「はい、サービスの半ライスです」
ここではラーメンを注文すると、半ライスが無料になる。ご飯ものの場合は無料で大盛りに出来る。
そのライスは残ったスープに放り込んで食べるので、最初は手をつけない。
「しかしお客さん。自分で作っといて言うのもなんですけど、こんなの辛くないんですか?」
妙なことを聞く人だ。
「辛くなかったらわざわざ注文しませんよ」
というか、激辛が売りの料理が辛くなかったら詐欺だろう。
「ははは、違いないね」
納得した風に厨房に戻っていく店長の後姿を見送りながら考えた。
それにしても、僕はどうしてこんなに優柔不断なのだろう。このラーメン程にとまでは言わない。でも、もう少し強い意志とか決断力とかがほしい。
せめて人並みの忍耐力だけでも、なんとか身に付けられないものだろうか。
続き
『この世界にひとつだけの色』
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- 未田 尚(まだ なお)
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