キリ番
『子供の夢』
キリ番1500
出題者:ライムさん お題 :『子供』がでてくる夢のある感じ(?)
月明かりの病室のベッドの上で、その女の子は一人力尽きかけていた。
「やだよ……恐いよ……苦しい、よぉ……」
生まれてからずっと入院と退院とを繰り返してきたその女の子──##留美##にとって、死は近しいもののはずだった。
いつ死ぬかわからない。いつ死んでもおかしくない。
事実、今まで幾度となく死を覚悟してもきた。
それでも、……いや、そうだからこそ、今回のこれは今までとは全然違うものだということは分かっていた。
分かってしまっていた。
そして、自分にはもうこれに耐えるだけの体力が無いことも。
「やだよ……死にたく……ない、よぉ……助けて、##ぴえーる##……」
何かに縋ろうと、ぬいぐるみを抱く手に力を込める。込めたつもりだった。
でも、その手はもう、わずかにでも動くことは無かった。
もう、自分は助からない。
今度こそ本当に終わりなのだという事実は、まだ七年しか生きていない##留美##にとってあまりに重すぎた。
本当なら、一歳の誕生日まで生きられないと言われていた##留美##が、七歳まで生きられたという事を奇跡だと喜ぶべきなのかもしれない。
でも、そんなことは関係なかった。
今、##留美##の命が潰えようとしていることに変わりはないのだから。
咳をする。その時だけ身体が揺れるけれど、身を縮まらせて口を手で覆うことすら出来ない。
咳をするそのたびに体力が奪われていく。
それはまるで、息と一緒に口から魂が漏れ出てしまうように。
真夜中の急な発作に、誰も気付いていない。
毎日の事ですっかり覚えてしまった見回りの時間まで、まだしばらくある。
その時には全てが終わってしまっているだろう。
誰かを呼ぼうにも、もうナースコールを押すだけの力も無い。
それ以上に、ナースコールをしたからといってどうにもならないことを、すでに##留美##は悟ってしまっていた。
このまま誰にも看取られる事なく一人で寂しく死ぬんだ。
そのあまりの絶望に、いっそ早く終わりにして欲しいと願った、まさにその時だった。
もう瞳しか動かす事のできない##留美##の視界の中に、ひとつの人影が写ったのは。
ベッドの脇に、誰かが立っている。
音も気配もなかった。
発作に苦しんでいたとはいえ、##留美##一人しかいないこの深夜の静まり返った病室に、誰かが入ってきて気付かないのはあまりに不自然だった。
でも、苦しむ##留美##にとってそんな事はどうでもいいこと。
「助……け、て」
掠れる声で懇願する。もう、誰にも助けられないのだということをわかっていても。
それでも懇願せずにはいられなかった。
「私に死の定まった命を繋ぎとめる力はない。物となった死体に仮初めの命を与える事は出来るが」
何かを期待して言ったわけではない。だから##留美##は、その言葉に絶望しなかった。
せめて自分を看取ってくれるその相手が誰なのか確かめようと、近寄ってきたその人影に目を凝らす。
その人は、あまりに美しすぎた。
いや、人ではないのかもしれない。それほどに美しい。
まだ幼い##留美##ですら、一瞬苦しみを忘れるほどに。
その瞳には何の感情も映してはいない。今にも息絶えようという##留美##を前にして、それでも何も感じてはいないようだった。
「私を……連れに、来た……の?」
苦しい息の下、どうしても聞きたくて##留美##は口を開いた。
死の直前にある少女にとって、漆黒のスーツに身を包み、無感情に自分を見下ろすその姿は死神にしか見えない。
「いや。お前の死に興味はない。ここに来たのは、あまりに強すぎる想いが私を呼んだからだ」
その人──形代の視線が##留美##に向けられた。
正確にはその胸元に。
「……?」
それを追って##留美##も視線をおろす。
布団が、もぞもぞと動いていた。##留美##にはもう手を動かすだけの力もない。動くものなどあるわけがない。
その布団の隙間から、ぴょこんと顔を出したものは。
「##ぴえーる##……?」
ぬいぐるみだった。いつも##留美##が抱いて寝ている男の子のぬいぐるみ。
寝る時だけではない。##留美##と##ぴえーる##は、昼も夜もいつも一緒だった。
「そうだよ、##留美##ちゃん。やっとお話出来るね」
##ぴえーる##はもぞもぞと布団から這い出すと、##留美##の枕元にちょこんと座った。
##ぴえーる##の大きさだと、ちょうど##留美##の顔を覗き込む格好になる。
もう頭を動かす事も出来ない##留美##にとって、一番楽な位置。
「##ぴえーる##……? どう、して……」
「その人に魔法をかけて貰ったんだ」
##ぴえーる##の視線を追って、##留美##は脇に立つその人に視線をやった。
何も言わず、ただ無表情にそこにいる。その人が##ぴえーる##に何かしたようには見えなかったけれど。
「まほ、う……すごい、ね……」
「いいから、そいつの話を聞いてやれ」
冷たくそう言われても、##留美##は別に傷付いたりはしなかった。
それよりも、##ぴえーる##が動いて喋っているということで頭が一杯だったから。
「僕ね、今までずっと、一度でいいから##留美##ちゃんとお話がしたいって思ってたんだ」
「わた……しも、##ぴえーる##と、おはなし、できたら……いいな、って、おもって、た……」
喋り方は苦しそうだったけれど、##留美##の顔には笑顔が浮かんでいた。
今までずっと一緒だった##ぴえーる##と話をしている。それ以上に重要なことなんて、なかったから。
「初めて##留美##ちゃんと会ったのは、##留美##ちゃんの三歳の誕生日だったね」
「うん……おとうさん、が……買って、くれた……の」
「##留美##ちゃんとても喜んでくれて、その日からずっと抱いて寝てくれたよね」
「##ぴえーる##と、いると……安心して、眠れる、から……」
##留美##は優しい瞳で##ぴえーる##を見詰めた。
初めて出会った時の事を思い出しながら。
プレゼントの包み紙を丁寧に開き、開けた箱の中から##ぴえーる##が出てきた時の喜びをまだ覚えている。
まだ、たった四年前なのだから。
それでも七歳の##留美##にとって、人生の半分よりも長い時間。
「##留美##ちゃん、覚えてる? 僕たちが始めて二人揃って出かけたのは、動物園だったよね」
「うん……動物園で、いっぱい……動物さん、見た……の……」
あの頃は体調も落ち着いていて、##留美##は自分の足で歩いて動物園を回った。
##ぴえーる##を抱えて、気に入った動物の前に来た時は##ぴえーる##にも良く見えるように、高く掲げてあげたりしていた。
「お猿さん、が……ね、高いところ……の、ロープに、ぶら下がって……こうやって、渡って、たの……」
布団の中で、##留美##の手が僅かに動いた。きっと、手を上に上げて綱を渡る猿の真似をしたかったのだろう。
それは果たせなかったけれど、##留美##の顔は楽しそうだった。
「また入院しなくちゃいけなくなった時、##留美##ちゃん怒って僕を看護婦さんに投げつけたよね」
「ごめん、ね……##ぴえーる##、痛かった……よね……」
「僕は柔らかいから痛くはなかったよ。でも、看護婦さんは凄くびっくりしてたから、看護婦さんにはちゃんと謝らなくっちゃ」
「うん……私も、謝らなくちゃ、って……ずっと、思ってた……。看護婦さん、ごめん……な、さい……」
##留美##は##ぴえーる##に言われるまま、目を閉じて謝った。
そんなことあってからも、その看護婦さんは##留美##にとても優しくしてくれた。
そのことを謝る事が出来なくて、##留美##はずっと気にしていたのだ。
「去年の秋には一緒に公園に行ったよね」
「いちょう、の、木が……黄色く、染まってて、……とっても、キレイ……だった、の……」
外出許可を貰って、それでも##留美##にはもう遠出は出来なくなっていた。
それどころか、もう自分で歩く事も出来ない。
だから車椅子を押して貰って、それで公園を散歩した。
その膝の上にいるのは当然##ぴえーる##。
「いちょうの、葉が……##ぴえーる##、の……頭に、乗っかっ……て、おもしろ、かった……」
「##留美##ちゃんすごく笑うんだもん。ひどいよ」
小さくふふっと##留美##は微笑んだ。大きく笑うだけの体力もない。
でもその時と同じ、本当の心からの笑顔。
「ごめん、ね……##ぴえーる##……でも、とっても、可愛かった……あの、はっぱ……まだ、とって……あるんだ、よ……」
「うん、知ってる。##留美##ちゃんあのはっぱをしおりにして、よく本を読んでるよね」
##ぴえーる##は##留美##の枕元に移動すると、そこにあった本を手に取った。
そこに挟まれてるしおりを取り出す。厚紙にいちょうの葉を貼り付けただけの手作りのしおり。
##留美##が一生懸命作ったものだ。
「うん……本、好き……な、の……ベッドの中に、いても……いろんなこと、出来る……気に、なる……から」
本を読みながらこのしおりが目に入ると、その時のことを思い出して心が温かくなる。
##留美##が本を好きなのは、それも理由のひとつだった。
しおりの挟まれていた本に視線をやる。
『二年の国語』
##留美##の一番のお気に入りは教科書だった。
教科書を読んでいると、自分も学校に通っている気になれるから。
でも、##留美##は学校というものを知らない。
小学生になる直前は体調が良くて、そのままいけば入学出来るはずだった。
大きな発作を起こし、幾度目かの入院をすることになったのは入学式の三日前。
もう四月に入って、『小学生』になってからだった。
だから、看護婦さんにぬいぐるみを投げつけても仕方がない。
六歳の女の子がそうしてしまっても、誰にも責める事は出来ない。
「そうだ、##留美##ちゃんは学校に行って、運動会でかけっこするのが夢だったよね」
「うん……運動会、出たい、な……」
学校に行くこと。元気に走ること。
そのどちらも、##留美##にとっては到底叶わない、憧れの対象。
だからその両方である運動会に出ることは、##留美##の一番の夢だった。
「じゃあね、僕がかわりにかけっこするよ!」
「ほん、とう……?」
いつも一緒にいる##ぴえーる##は、##留美##の分身といっていい存在だった。
動けない##ぴえーる##に、自分の身体もまともに動かせない##留美##自身を重ねていたのかもしれない。
だから、その##ぴえーる##が自分の代わりに走ってくれるという事は、##留美##にとって自分が走る事と大差ないことだった。
「うん。##留美##ちゃん、リボン貸してね」
##ぴえーる##は##留美##の髪を縛るリボンを解き始めた。
入院生活では、髪は短い方が楽なのに決まっている。
お風呂にだってまともには入れない。
手入れだって簡単ではない。
それでも、##留美##は決して髪を切ろうとはしなかった。
女の子なのだから。
そのリボンの端を、##ぴえーる##はベッドの手すりに縛り付ける。
指が分かれていない手で、おぼつかないながらもなんとかやり遂げた。
「ほら、##留美##ちゃん。これがゴールテープだよ」
反対側の端を##留美##の手に掴ませる。
「これが……ゴール、だ……ね……」
力の入らない手で、##留美##はリボンを掴んだ。
決して離さない。自分の役目を絶対に果たしてみせる。そう決意して。
だって、##留美##は生まれて初めて運動会に参加しているのだから。
でも、ゴールテープを掴んでもその手を上げる事は出来なかった。いくら気力を振り絞っても、それだけの体力が残っているはずがない。
すっ、と背後から手が伸びて来る。
細くしなやかで、それでも力強い指が##留美##の手首を掴んで引き上げた。
ちょうど##ぴえーる##の胸の高さ。
##留美##はその手の先へと視線を動かした。
何も言わず、形代が##留美##を見詰めている。
「ありが……と、う……」
「かまわない」
相変わらずの無表情。
何を考えているのか分からない視線。
それでも##留美##は嬉しくて顔を綻ばせた。
「##留美##ちゃん、よーいどんして!」
その間にベッドの足の方に移動していた##ぴえーる##が言う。
足を前後に開いて、腕を構えて。
スタンディングスタートの体勢。もう準備は出来ているようだった。
「じゃあ……いく、よ……よーい……どん」
##留美##の掛け声で、##ぴえーる##が走り始める。短い手足で不恰好に。柔らかいベッドに足を取られながら。
ふらふらして、とてもかっこよくはなかったけれど、でも一生懸命に。
その姿はまるで、生まれてから一度も走ったことが無い子供が、必死に、でも楽しそうに走っているようだった。
最後の最後。布団のしわに足を取られて、##ぴえーる##はバランスを崩す。
「あ……」
##留美##のびっくりした声。
##ぴえーる##は無理な体勢から、それでもなんとか最後の一歩を踏み出して。
ゴール。
##ぴえーる##の身体にひっぱられて、##留美##の手からリボンのゴールテープが離れた。
「すご、い……##ぴえーる##、いっとう、しょう……だよ……!」
つかまれたままだった手を下ろして貰いながら、##留美##はすごいすごいと何度も繰り返した。
手が動けば何度も何度も拍手していただろう。でも、それが出来ない事も気にならないくらい、##留美##は大喜びしていた。
「速かった、よ……##ぴえーる##……ごほんっ、ごほっごほっ!」
「だめだよ、##留美##ちゃんっ!」
興奮のあまり咳き込み始めた##留美##に##ぴえーる##が駆け寄る。
「だいじょうぶ、だよ……##ぴえーる##……ごほっ……とっても、いい気持ち、だから……」
真っ青な顔で咳き込みながら、それでも##留美##は心から嬉しそうに微笑んでいた。
「だめだよ、##留美##ちゃん。ほら、ちょっと休もう?」
「うん……そうする……ね、##ぴえーる##……手を、握ってて……」
「わかったよ、##留美##ちゃん。ほら、手」
ゴールテープを握った時に布団から出ていた手を##ぴえーる##が握る。
両手を添えて、しっかりと。
「えへへ……##ぴえーる##の手、あったかいね……」
それは##留美##の手が冷たくなってるからだ、とは言えなかった。
体温のないぬいぐるみの手が暖かく感じるほど、##留美##の手が冷たくなっているからだ、なんて。
「ありがとう、ね……##ぴえーる##。……おやすみ、なさ……い……」
ゆっくりと、##留美##が目を閉じる。その様子をゆっくりと見守ってから。
「お休み、##留美##ちゃん。ゆっくり休んでね」
返事を返してからも、##ぴえーる##はずっと##留美##の手を握っていた。
涙は出ない。
一時的に命を得たからといって、涙を流す機能までは出来ていないから。
「……それで、どうする。私がここから去れば、お前は元のぬいぐるみに戻る。一緒に来るなら連れて行くが」
##留美##の髪を梳き、リボンで結びながら形代が言った。
発作で苦しんで乱れていた時よりも、ずっと綺麗に整えられている。
『女の子』として恥ずかしくない姿になっていた。
「……##留美##ちゃんは、僕がいないと寝られないんです」
「そうか」
感情のない声でそう言って、最後に布団を整える。
##留美##は、まるでただ眠っているようにしか見えなかった。
自分のやるべきこと、出来ることが終わって、形代はドアに向かい……ふと、振り向いた。
「お前はこれで満足したか」
「はい。##留美##ちゃんがこんなに穏やかな顔で眠って、もう真夜中に苦しんで眼を覚ます姿を見なくていいんですから。こんなに幸せなことはありません」
今まで、##ぴえーる##が##留美##のところに来てからずっと##留美##の苦しむ姿を見てきた。
今、初めて平穏な時間が訪れたのだ。
「おやすみ」
ただひと言、それだけを言い残し、形代は部屋を後にした。
その前で、手を触れる事もなくドアが開き、通り過ぎたところでまた閉じる。
別に不思議でもなんでもない。
「ありがとうございました」
その後姿に##ぴえーる##は頭を下げた。
出来るだけのことをして、一番良い結果になった。
これだけの終わり方は、望むべくもない。
でも、最後にひとつだけ。##ぴえーる##に仮初めの命が残っている間にしなくてはいけないことがある。
整えられた布団をめくり上げ、##ぴえーる##はそこに潜り込んだ。
その中で##留美##の左手を持ち上げ、そこに身体を挟み込む。
僕にも持ち上げられる重さしかない腕を、##留美##ちゃんはもう持ち上げられなかったんだな。
それだけで、##留美##がどれだけ苦しかったのか想像できる。
「お休み、##留美##ちゃん。……もう、苦しまなくて大丈夫だからね」
だんだん、##ぴえーる##の意識も遠くなって来た。
もう直ぐ仮初めの命が尽きるのだろう。
もう一度、最後に##留美##の顔を見上げた。
一緒に眠ろう。
こうやって、##留美##の腕の中で。
今までも、これからも。
天国に行っても、ここが##ぴえーる##の定位置なのだから。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
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