その他。
勘違い。
ごほごほ、と咳をする。
食事を取らずに飲んだ薬のせいか、胃の辺りがしくしく痛い。
でもそんなことは全く気にもならないくらいに、頭がくらくらしていた。
「シングルペールシングルベール鈴が……ゴホゴホ」
咳をしてもひとり。
今頃は街中にカップルが溢れているんだろうな……と思うと死にたい気分になる。
いっそこのまま風邪が悪化して死んでしまえたらいいのに。
いたたまれなくなってテレビをつける。すぐに消した。
幸せそうな街の様子とか、ハッピーエンドがわかりきったラブストーリーなんて見たくない。
そもそも視界がぐるぐる回っていて、内容が頭に入ってこない。
なんとなく携帯ゲーム機の電源を入れる。
特に考えるでもなく、挿しっぱなしだったRPGを始めた。
頭に響くので音は切っておく。
「あー……レベル上がった」
嬉しくない。というか、意識が朦朧として、自分が嬉しいのかどうかも定かでない。
「あー……死んだ」
頭が動かなくて判断を間違えたのか、それとも指が動かなくて操作を間違えたのか。
そんなことはどうでもいい。というか考えるのも面倒だ。
ゲーム機をぽいと投げ捨てる。
「あー……」
何日もずっと寝込んでいたので全然眠くない。
意識が朦朧としているのに眠れないというのは、ある種の拷問のようだ。
ぴんぽーん。
「……あー?」
それが玄関のチャイムの音だと気付くのに数秒。
頭が回っていない上に、玄関のチャイムを聞く機会もほとんどなかったから。
ぴんぽーん。
「よっ……と」
ふらつく足で立ち上がる。
途端に世界が縦回転を始めたけれど、このまま布団に寝転んでいても拷問を受け続けるだけだ。
だったら玄関へ歩くという拷問に切り替えた方が、気分が変わる分だけマシだろう。
自分がよろよろしていることに気付きながらも、短い廊下を過ぎてなんとか玄関へと出た。
「はいー……?」
ドアを開ける。
覗き窓から相手の確認するのを忘れていたのは、意識が朦朧としていたからなのか、しゃがむだけの体力が無かったからなのか。あるいはその両方なのかもしれない。
無用心にいきなり開けてしまったドアの外に立っていたのは、サンタクロースだった。
「あの、……あの、メリークリスマス……です」
少し見てみれば、サンタクロースというのは間違いだとわかる。
ロングスカートのワンピースの上に、白いファー付きの赤いコート。それと同じ柄の帽子をかぶっている。サンタに見える要素はそれだけ。
煙草は咥えていない。今煙草の煙なんて吸ったら絶対吐く。
「えっと……?」
別に珍しくは無い。この時期限定で、街中に同じような格好の奴がきっとたくさんいる。
「サンタです。あの、クリスマスですから」
確かに珍しいわけではないけれど、それは街中にいた場合の話。
それがウチの玄関先に立っているのはとても違和感がある。
「病気だって聞いて、それでプレゼント代わりに看病するっていうことに……じゃなくて、看病しに来ました!」
「あー……と」
どうするべきか考えようとして、なんだか全てがどうでも良くなってきた。
考えるのが億劫だ。というか、立っているのがツライ。
それに、独り身の心細さに心が折れそうになっていたのも事実。
「んー……とりあえず上がって」
「あ……えとえと、あの、いいんですか?」
いいも何も、それが目的で来たんじゃないのだろうか。
返事をするのも億劫で、そのまま振り返って部屋に戻った。
とてとてと後ろから付いて来ているようだけれど、それに気を使う余裕も無い。
「お邪魔します……。男の人の部屋にしてはキレ……!」
廊下から部屋に入った時点で、サンタは絶句した。
確かに全くキレイではないけれど、そこまで驚くほどのことでもない。
ただ、ちょっと足の踏み場が無いという程度。
「というか寒っ。この部屋、外と大して変わらないですよ!」
こんな安アパートに防寒性なんてものがあるわけがない。
暖房代がもったいないから、布団に入っている間はストーブもつけていない。
「まぁ……適当にどかして座って」
言いながらストーブと炬燵を点ける。
自分ひとりならともかく、女の子をこんな寒いところに居させるわけにはいかない。
「えっと……はい」
しばらく迷っていたようだけれど、サンタは炬燵の周りの物をどかし始めた。
「どうぞ。インスタントだけど」
なんとか炬燵にもぐりこんだサンタに、電気ポットで淹れたコーヒーを渡す。
自分の分はお湯だ。コーヒーなんて刺激物、今の胃には受け付けられない。
「ありがとうございます」
そう言ってサンタ娘は両手でカップを持ち、口をつけた。
洗ったコーヒーカップがあってよかった。
一応ドリッパーや急須もあることはある。でも、寝込んで以来もう何日も洗っていない。それを使ってお茶を出すわけにはいかないくらいの判断力は残っていた。
……ポットの水がいつのだったかは、思い出さなかったことにしておこう。
「それで、えーっと……なんだっけ」
自分用のカップからお湯を飲む。なんだかんだで身体が冷え切っていたらしい。炬燵やストーブも暖まり出して、僅かに人心地がついた気がした。
「あ、はい。あの、病気だって聞いて、それで今日はクリスマスですから、プレゼントの代わりに看病をしようって……」
「へー……」
そういえばそんな話だった気もする。
でも、何日かぶりに動いたせいか、意識が朦朧として記憶が定かではない。
なんかもう何でもいい気がする。
「そっかー。じゃーよろしく……」
「はい! それで、何かして欲しいコトとかありますか、先輩」
……あれ?
何か引っかかる。デジャブだろうか。これと同じ事があった気がする。
どこかで聞いたことがあるこの声で、これと言葉。
『先輩』……
「……榛名さん?」
「え、はい……どうしたんですか、先輩?」
榛名さんは大学のゼミの後輩だ。今年入学したばかりの一年生。
普通、ゼミに入るのは二年になってからなのだけれど、もともとウチのゼミに入るために入学したという榛名さんは、所属ではなく「参加」という形でゼミに出入りしていた。
いつも一生懸命なところが皆に受け入れられていて、男女問わず人気がある。
「あー……そっか、なんだか今日はいつもと違うからわからなかった」
別に隠していたとかではなくて、単に意識が朦朧として気付かなかっただけだろう。
でも、いつもの眼鏡を今日はかけていない。コンタクトにしたのだろうか。髪も下ろして薄く化粧もしている。
というか、ゼミでも挨拶程度で余り言葉も交わさないような関係なのだ。たまに話をする時もずっと俯いていて、まともに顔を見たこともほとんどない。
後輩なのに『さん』付けなのもそのせいだ。
多分、熱が無くても気付かなかっただろう。
「あ、はい! 頑張りました!」
看病なんて、そこまで頑張ってするものでもないと思うのだけれど。
「それで、えっと……どうやってウチに来たの? 場所知ってたっけ?」
もちろん、ここの場所を教えたこともない。
それ以前に、わざわざ看病に来る理由が無い。
「あ、他の先輩から聞いたんです。ごめんなさい、勝手なことしてしまって」
この部屋の場所を知っている奴は限られている。友達が少ないから。
「……ああ、奴らか。見舞いに来るとか言ってたけど、面倒くさくなって榛名さんに押し付けたんだな」
先輩の命令ということで断れなかったのだろう。
全く友達がいのない奴らだ。知ってたけど。
「あ、いえ。病気のことは教えてもらいましたけど、別に押し付けられたとかじゃ……」
「ま、奴らに来られたって風邪が悪くなるだけだろうけど」
「いえ、そんな……」
否定しないということは、きっと同意見なのだろう。
「あの、先輩、それよりもお腹空いていませんか? ご飯はいつ食べました?」
よく覚えてない。でも確か、バイトを休む連絡をした時に『三日も休みやがって』と怒られて、最後の食事したのはバイトの直前だったから……
「多分……三日前……?」
「みっか!? みっかって三日ですか!? そんな食べなかったら死んじゃいますよ!」
大げさだ。一日二日食べ物が無いくらい普通だし、三日食べないくらいじゃ死なない。
むしろ今は無理して食べる方が死にそうだ。
「それじゃ、お粥作りますね。一応ケーキも買ってきたんですけど……無理ですよね」
「ゴメン、ケーキは流石に無理。……それと、多分コメも無理」
お粥でも消化できる自信が無い。
「そうですか……あ、それならパンはどうですか?」
パンならそんなに重くないだろう。明治頃は病人食扱いだったらしいし。
「多分、それならなんとか……」
「これ、私のオススメなんです。……ふんわりメロンパンとミルクメロンパン、どっちがいいですか?」
……メロンパンって軽いんだろうか。
見た目からも、結構重そうだ。特に外側の堅いところとか、かなり消化に厳しい気がする。
「どっちがどうだかわかんない」
でも、好意で言ってくれているのだし、もしかしたら見た目よりはあっさりしているかもしれない。
「それじゃ、半分こしましょう。そうしたら両方食べられます」
そう言うと、普通の形のメロンパンの封を開けて半分に割った。
そのうち、袋に残った方を差し出してくる。
「どうぞ、先輩。……それとも、あーんってした方がいいですか?」
そう言いながら、自分で真っ赤になっている。
「……自分で食べられるよ」
多分、せっかく来たのだから、看病らしいことをしたいのだろう。
でも流石にそれは気まずいので、手を伸ばしてメロンパンを受け取った。
「どうですか?」
濃厚なバターの風味が口の中に広がる。外側のサクサクしたところもしっかりしているし、まぶした砂糖も香ばしく仕上がっている。
これは美味しい。
……普段なら。
今の体調だと、味がしっかりしているところがかえってキツイ。
「こちらもどうぞ」
そう言って差し出された白い方を齧った。
横に割ったメロンパンの中にクリームを挟んであるのだけれど、ミルクと銘打ってあるだけあって、クリームとの相性も良い。
さっき食べた普通のはメリハリが利いている感じだったけど、こちらは外側もやわらかめに仕上げていることもあって、統一感の中で濃淡を使い分けている感じだろうか。
「どっちが好きですか?」
「……普通のかな」
今はこのクリームがキツイ。
いずれにしても、これは健康な時に食べたかった。
でもよく考えてみれば、病気だから看病に来てくれたわけで、健康だったら食べられなかったはずだ。
「じゃあ、次からは普通のにしますね」
「……でも白い方も美味しかった」
どちらが好きかと言うのは、あくまで程度の問題。両方美味しい。
「だったら、次もまた半分こしましょう」
そう言って榛名さんが微笑む。
でも、久しぶりに食事をしたせいか、それとも食欲がないところを半ば無理して食べたせいだろうか。
お腹の辺りがつっぱって、満足なのか痛いのか、よくわからないことになっていた。
「他に何かして欲しいことはありますか?」
そう言われて考えてみる。
「……とりあえず寝たい」
お腹が苦しいこともあって、なんだか無性に横になりたかった。
「あ、そうですよね。それじゃ寝ててください。その間に私、部屋の掃除でもしてますから」
言われて部屋を見回す。
「……いや、そんなことしなくていいよ」
コレを掃除しようだなんて、、どれだけ時間がかかるのか見当も付かない。
彼女とかにさせるのも申し訳ないことを、知り合いというだけの女の子にさせるわけにはいかない。
「いいえ、せっかく来たんですから、何かしたいんです。あ、先輩はどうか寝ててください。私につきあって無理させたんじゃ、何のために看病に来たのかわかりませんから」
「ん……本当に、適当でいいからね」
実を言うと、もう身体を真っ直ぐにしているのもつらい。
申し訳ないと思いつつ、そのままばたんと真後ろの布団に倒れこんだ。
敷きっぱなしでぺちゃんこになった万年床は、さっきまで寝ていたにも関わらず、すでに冷たくなっている。
本当はそのまま寝てしまいたかったけれど、このまま寝ては確実に風邪が悪化する。
ストーブが点いてはいるけれど、このボロアパートでは気休めにしかならない。
動きたくないと泣き言を言う身体に鞭打って、なんとか布団に潜り込んだ。
「せせせ、先輩!」
うつらうつら仕掛けた意識がその声に戻ってくる。
定まらない視線をそちらに送ってみた。
「その、その、……え、えっちな本がいっぱいあります!」
「……男の部屋には大概あるよ」
独り身の男なら尚更だ。
女の子には刺激が強いかもしれないけど。
「えっちなゲームがこんなに!」
「……特価売り場で買いためた奴だな」
なのでほとんどクソゲーなのだけれど、数だけはかなりある。
「せせせ先輩! この人形、裸です!」
……裸だねぇ。
「あー……あうあうあう」
別に驚くようなものはないのだけれど、やっぱり女の子には、独り暮らしの男の部屋は危険過ぎたらしい。
掘り返したは良いけれど、出てきたのは女の子にとっては触ることも出来ないようなシロモノだったようで、片付けるどころかむしろ散らかしただけ。
「……ありがとう、もういいよ」
はっきり言えば、もう何もしなくていいから寝かせて欲しい。
「い、いえ! ちゃんと掃除します!」
流石にその一帯は危険だと学習したのだろう。榛名さんはそこから離れた場所を引っ掻き回し始めた。
また同じになるような気がしたのだけれど、納得しない限り止めそうにない。
「……本当に、もういいから」
ただでさえ頭がぼーっとして考えたり話をしたりが億劫なのだ。
一応そうは言ったけれど、そのまま好きにさせておくことにした。
「あれ……? 先輩、なんでこんなところに空き瓶があるんですか?」
指差す先に視線をやる。そこには、床の間にぽつんと置かれた一生瓶が。
「ああ、中川さんが亡くなった時の越の寒梅」
の空き瓶。
「あー……じゃあ、これは捨てない方がいいですね」
別に捨てて貰っても良いのだけど。
「あ……っと、なにか、先輩……えっと、こっちになんかすごいものが」
「んー……ああ、飼ってた猫に最後にあげた餌だ」
結局口を付けられもしなかったのだけど。
干からびてるので匂いもしないし、隣の水皿もすっかり乾いてしまってるからこぼれる心配も無い。
なので、そのままにしてある。
「……猫のトイレもそのままなんですね」
「あー大丈夫。砂は新しいのにしてあるから」
半年前にだから、下の方がどうなってるかわからないけれど。
「それじゃ、この小さい歯ブラシは?」
「……それも猫用のヤツ」
飼おうと決めた時にすぐに買ってきて、結局一度も磨けたことはなかったのだけれど。
何故か、榛名さんはその歯ブラシをじっと見詰めていた。
「……何をどう片付けて良いのかわかりません」
「だからいいって言ってるのに」
というか、別に全部捨ててしまっても構わないのだけれど。
物など無くても、思い出が無くなってしまうわけではないのだから。
「そうですね。先輩の部屋を土足で踏み荒らすみたいなことは止めますね!」
「いや、靴はちゃんと脱いでるでしょ」
別にそんな風には思っていないけれど、こんな部屋を片付けさせるのはやっぱり申し訳ない。
炬燵へと戻ってきた榛名さんを、俺はそのまま黙って迎えた。
「すみません、お役に立てなくて」
「病気の時に独りは心細いからね。こうやって居てくれるだけで嬉しいよ」
これは嘘じゃない。
少なくとも、独りで居た時のこのまま死んでしまいたいという気分は、もうすっかりと無くなっていた。
「そういえば……先輩、今年卒業ですよね。一年しか一緒にいられなくて残念です」
「いや、どうだろうな。また留年するかもしれないし」
『かも』と言うか、このままなら間違いなく留年だろう。
「またって……先輩留年してたんですか?」
「してたって言うかしまくってるって言うか。確か五回目までは数えてたけど、その先は数えてないな」
もう何年あの大学にいるのかわからない。
計算すればわかるだろうけれど、確認したから何か変わるわけでもない。
それに何より面倒くさい。
「でも、そうなったら来年も同じゼミにいけますね」
「もしかしたら榛名さんの方が先に卒業するかもね」
わりと冗談ではなかった。
最近は真面目に学校に通った記憶などほとんどない。当然ゼミにもあまり出ていなかった。
「なんだか、先輩とはゼミでもあまり会えませんし……アルバイト、忙しいんですか?」
「うん、今日連絡した時も、この忙しいのにって怒られ……バイトしてること教えてたっけ?」
覚えがない。
というよりも、今まで挨拶以上の話はほとんどしていない。ゼミの内容以外を話題にしたことはないはずだ。
「いえ、実は私、あのお店よく行くんです」
「あの店って……ウチの店? 全然気付かなかった」
記憶を辿ってみるけれど、お客さんの中に榛名さんの顔はなかった。
元々他人の顔を覚えるのは苦手なのだけれど。
「仕方ないですよ。先輩はいつも奥の方で仕事してるじゃないですか」
受け持っている仕事はあまり人前に出るものではない。接客はいつも他のスタッフが担当していた。
主にイケメンが。
「ですから、実は志望校を決める前から先輩のことは知ってたんです」
「へー、それは偶然だね」
いきつけの店の店員と言うだけの関係ではあっても、それが同じ大学の同じゼミで会うと言うのはなんだか不思議な気がした。
「えっと……はい。すごい偶然、ですね」
こうして他愛無い会話をしているうちに、いつの間にか僕はうつらうつらとし始めていた。
独りではないという、安心感みたいなもののせいだろうか。
「あの、先輩。アルバイトが忙しいのはわかりますけど、大学にもちゃんと来た方がいいですよ……?」
「んー、でもバイトしないと学費が出ないしなあ。なんかもう、学校通うためにバイトしてるのか、バイトするために学校に行ってるのかわからないけど」
学生アルバイト、という身分で働いているので、卒業してしまうとその後どうなるかわからない。
「でも、ちゃんと卒業して正社員になった方が、色々と有利だったりするんじゃないんですか?」
「あそこは、社員は社長ひとりで後は全員バイトだから。同じバイトでも学生の方が安く済むし、代わりなんて幾らでもいるから、卒業したらクビだろうね」
クビはともかく、それはそれで学費がかからなくて済むから、今より楽になる気もするけれど。
「それじゃ、卒業した後はそっち系の他の会社に入るとかですか?」
「んー……どうだろ。全然考えてないや。俺なんか社会に出たら、何も出来ずに流されるだけじゃないかな」
自分に未来なんてものがあるのかすら実感がわかない。
考えるのが怖いだけかも知れないけれど
「そんなことないです! 先輩はすごいです!」
「……何処が?」
自分で言うのも何だけれど、スゴイと言われる要素なんて何ひとつない。
それだけは胸を張ってはっきりと言える。
「だって、ゼミでも一歩引いたところで皆を見守ってて、皆も先輩を頼りにしてますし」
ゼミではひとりだけ年が離れている上にあまり顔を出さないから、みんな扱いに困っているだけだ。
もしも頼りにされているように見えるのだとすれば、きっと無視するわけにもいかないということで、誰でもわかっているような当たり障りの無い質問をされたりするせいだろう。
「本当に先輩は大人で、私なんてまだまだ全然子供だから……」
「……俺は、ただ無駄に年喰ってるだけだよ。君だって俺の年になれば、俺くらいには大人になる。誰だってそうだよ。別に俺なんか特別じゃない」
大人なのは当然だ。どれだけ年上だと思ってるんだ。……いや正確には知らないけど。
年齢が同じになれば、漫然と年を取ってきた自分なんかよりも、間違いなく榛名さんの方がずっと大人になっているだろう。
というか、真面目にやっている分だけ、ゼミの内容については榛名さんの方が詳しいはずだ。
それに比べて、本当に自分は何をやっているのだろう……
「先輩……? 寝ちゃったんですか?」
その声がなんだかひどく遠く聞こえる。
もう何もかもどうでもいいという気持ちが、眠気を呼び寄せたのだろうか。
それとも、誰かが側にいてくれるという安心感のせいかもしれない。
再びうつらうつらとし始める。
「あのー先輩? 寝るならお布団ちゃんとした方が……」
横を向いて話をしていたせいで、肩の辺りが布団から出てしまっている。
でも、それももうどうでもいい。
明日の朝、風邪が悪化して死んでしまったとしても、それはそれで……
「あ、先輩。おはようございます」
「……おはよう」
ふと見ると、出てしまっていた肩はしっかりと布団の中にあった。
寝ている間に直してくれたのだろう。
部屋を暖かくして寝たせいか、それともちゃんと食事をしたせいだろうか。風邪はだいぶ良くなっていた。
少なくとも意識が朦朧としたりはしていない。
記憶もはっきりしていて、昨日榛名さんがわざわざ家まで来て、看病すると言ってくれたのもちゃんと覚えていた。
まさか現実だなんて思っていなかったのに。
「……もしかして、一晩中看ててくれたの?」
部屋を見渡すと、覚えている風景よりも僅かに片付いていた。
散らかっていた本を積み上げた程度だけれど、少なくとも足の踏み場がないという事態にはなっていない。
「いえ、炬燵をお借りして少し寝ましたから、一晩中ではないです」
普通、それは一晩中と言う。
……はっきりした頭で考えてみる。
すぐにとんでもないことが起こってるのだとわかった。
看病とは言え、女の子と一晩過ごしたなんて。
というか、女の子がこの部屋にいるという時点でありえない。
「えー……と、外泊なんてしたら、ご家族とかが心配するんじゃない?」
しかも男の家だなんてわかったら、俺ならきっと相手の男をぶん殴る。
「いえ、私も一人暮らしだから平気です。ですから、その……たまにくらいなら、泊まっちゃったりとかしても、全然問題ないです」
なるほど、友達の家とかにはよく泊まっているのか。
榛名さんは友達が多そうだからそれはわかる。
でも、よく知らないような男の家に泊まるのは、流石にそれと同じというわけにはいかない。
「それで、お粥作ったんですけど、食べられますか?」
言われてお腹に手を当てた。
昨日メロンパンを食べたからか、胃が動いている感じがする。
「……多分、大丈夫だと思う」
渡されたお粥をレンゲで口に運ぶ。
ふーふーすると言う申し出は、丁重に断らせていただいた。
「うん、美味しい」
食欲を妨げるほどではないのにしっかりと味がついている。
この加減はきっと難しい。
「……あ。もしかして流しの中、水垢とかで凄いことになってたんじゃ……」
台所なんて偶にしか使わないから、確か水桶に浸けっ放しの食器とかがそのままになっていたはず。
「その……水垢よりもすごいものが……」
心当たりがありすぎて、どれのことわからない。
「それはなんと言うか……ゴメン」
「あ、いいえ、私が勝手にやったことですから!」
そうではなくて……そういうところを見られたこと自体が恥ずかしい。
いや、今更なのだけれど。
「それじゃ、今日はお洗濯でもしましょうか。ちょうど天気もいいですし」
確かに寝汗とかで着替えもあまり残ってない。でも。
「いや、それは嬉しいんだけど、やっぱり女の子が男の家に泊まるってのは良くないから、今日は帰った方がいいよ」
「でも、せっかくですし……」
「昨日はちゃんと寝てないんでしょ? 俺の風邪がうつっちゃったら申し訳ないし。家に帰ってゆっくり休めば、発症する前に治るかも知れない」
「……そうですね。ちょっと残念ですけど、そんなことになったら、きっと先輩に迷惑になるでしょうから」
迷惑なんてことはないけれど、看病してもらったお礼が風邪をうつすことなんて自体にはしたくない。
歩く余裕の出来た部屋を横切って、俺たちは玄関に向かった。
「先輩、ろくな看病も出来なくてすみませんでした」
「いや、すごく助かった。ありがとう」
三日寝込んで悪化しかしなかった風邪が、一晩でかなり回復している。
ひとりだったら、間違いなくこうはなっていないだろう。
「それで……さ。看病してもらっておいてこんなこと言うのはなんだけど」
本当は言おうかどうしようか迷ったのだけれど、お世話になったからこそ言っておかなくてはいけない。
「親切からでも、軽々しく男の家に上がっちゃダメだよ。それもクリスマスに、しかも朝帰りなんて。俺だからよかったけど、普通の男なら絶対勘違いするから」
なんだかものすごく驚いた顔をしている。
当然だろう。せっかくの親切心を、そんな風に思われてしまえば。
「大丈夫、俺は勘違いしてないから。でも本当に気をつけないと危ないよ?」
「えっと……はい」
ちょっと大げさなくらいに肩を落としている。
今になって、自分がどれだけ危ないことをしたのかわかったのだろうか。
「それじゃ、ゆっくり休んでね」
手を振ってから、返事も待たずにドアを閉めた。
本当は、見えなくなるまで見送るとかした方が良かったのだろうけれど。
「……危なかった」
へたり込むようにして、床の上に腰を降ろす。
もう少しで勘違いするところだった
榛名さんはゼミでも人気があって、狙っている男はたくさんいる。
ゼミ以外でも大学以外でも、そんな奴はいくらでもいるだろう。
その中から、いくらでも良い男を選べるはず。
そんな若くて可愛い子が、イケメンじゃないどころか不細工の部類で、将来性もないこんな年寄りを好きになんてなるはずがない。
わかっていても勘違いしそうになってしまった。
まったく、女の子は無防備すぎる。
女の子の言動で、いちいち心臓をどきどきさせてしまう男の身にもなって欲しい。
それでも、一応頼りになる先輩くらいには思われていたのかもしれない。
でも、昨日は風邪で気が弱くなっていたせいもあってか、みっともないところを見せてしまった。
きっと幻滅されているに違いない。
でも、心の奥に澱んだ弱音を聞いて貰って、今は何だか気分がいい。
榛名さんにとってはどうしようもなく迷惑だっただろうけれど。
……また、もう少しだけ頑張ってみようか。
「あ」
部屋に戻ろうとして、廊下にぽつんと置かれたケーキの箱に気付いた。
きっと榛名さんが買ってきた奴だ。そういえばそんなことを言っていた気がする。
こんなところに置いてあるのは、廊下の方が涼しいから長く保つと思ったからだろう。
冷蔵庫は物が入れられる状態ではないし。
「……どうしよう」
ケーキなんて、そんなに長く置けるものでもない。
そもそもクリスマスケーキなのだ。今日中に食べなくては意味が無い。
かと言って、あんな風に追い出した榛名さんに、すぐまた来てくれなんて言えるわけがない。
「仕方ない、かな」
このケーキは自分で食べてしまおう。榛名さんには、後で喫茶店ででも奢っておこう。
「うんうん、仕方ない」
勘違いしたわけではなくて、看病してもらったお礼とケーキのお詫び。
そんな当たり前のことをしない方が余程おかしい。
「それじゃ……もう少し寝るかな」
昨日しっかり寝たはずなのに、何故か無性に眠い。
きっと、ドキドキして心臓と心を酷使し過ぎたせいだろう。
それに体調はだいぶ良くなったけれど、看病してもらったのを悪化させたりしたら申し訳ないから。
「それじゃ……お休み」
なんだか、今日は久しぶりに良い夢を見られそうだった。
ただし寝る前にもう一度、勘違いしないように繰り返すのは忘れなかったけれど。
続き
『四月。バカ、』
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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