楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

その他。


鼠に惹かれる

 <R15>

 うん、いいよ。好きなだけ逃げてね。  どうせここには逃げる場所なんてないんだし。  この建物は、以前は精神病院として使われていた。患者が錯乱しても大丈夫なように防音は完璧だし、逃げられないように窓は無く、出口は万が一にも逃げられない、頑丈なものがひとつだけ。  そこをコンクリートで固めてしまえば、もう私にだって外には出ることはできない。文字通り袋のネズミ。  大山鳴動して鼠一匹って言われるかもしれないけれど、それのどこがいけないの? どうしても鼠が欲しいなら、大山鳴動してでも手に入れるのは当たり前。  ここにいるのは貴方と私の二人だけ。重機でも使わない限り、誰も入ってはこられない。この世界に存在しているものは、私と貴方の二人だけ。  貴方のことが好き。大好き。愛してる。愛してる。意地悪なところも自分勝手なところも鈍感なところも小狡いところもオンナ癖の悪いところも小心者なところも愚かなところも卑怯なところも小物なところも何から何まで髪の毛一本から足の爪の先まで全部細胞のひとつひとつ身体の外側も内側も胃の中のものも腸の中のものも肌に張りついた埃のひとつに至るまで何から何まで全て余すところ無く愛してる、愛してる、愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる  みんなはあんな男のどこが好きなのかと聞いてくる。みんなあんな男最低だって言ってる。  私も同感。いくら考えてみても、思いつく限り良いところなんてひとつもない。どこを好きになったのか自分でもわからない。  でも、好きってそういうことでしょう? 理屈じゃないのが愛だもの。  なのに、貴方はいつもしらんぷり。  話しかけるのも電話するのもメールするのも会いに行くのも全部私からで、話を打ち切るのも電話を切るのもメールが途切れるのも別れるのも全部貴方から。誕生日のお祝いもクリスマスのプレゼントもバレンタインのチョコレートもいつも私からの一方通行で、貴方からお返しして貰ったことなんてほとんどない。  貴方が悪いんだよ? 私の気持ち、わかってるくせに。気付いてない振りして誤魔化して何もないふうを装って普通にしてて私の方なんか見もしないで時々目があったらにっこりと微笑んでくれるのにすぐに目をそらしてまた何もないふりをしてそれでも諦めかけた頃にこっちを見て私の心臓をドキドキさせてやきもきさせてそれなのに私の気持ちに応える素振りなんて全然無くて他の女の子に声をかけるのにその子と付き合う様子なんて少しも無くて私を落胆させてほっとさせて喜ばせてまた私に向かって微笑みかけて。  全部わかってるんだから。全部ぜんぶ、私の気を引くためにやってるんだよね。私にもっともっと好きになって欲しいから、気のないふうを装って私の気を引いてるんだよね。  だから、あきらめないことにしたの。だから、その通りにするの。全部を私のものにするの。貴方の、全てを。  こういうことだよね? 貴方がこうしろって言ったんだよ? 目が合うたびに、無理やり自分のものにしてみせろって。俺のことが好きなら、行動で示して見せろって。  いつも目で訴えてたよね。「殺して♪ 殺して♪」って。  だから、その通りにしてあげる。  右手の感触を確かめる。柄巻はしっかりと私の手に吸い付くようにして答えてくれている。  ソレは私の腕くらいの長さ。天井に埋め込まれた蛍光灯の灯りに、銀色の輝きを返している。  私は詳しくないから良くわからないのだけれど、コレは何かすごいものらしい。どこかの大名家に代々伝えられてきたものだ、とか説明された。でも、そんなことどうでもいい。ひと目見てこれしかない、って決めたものだから。  鉄アレイくらいの重さがあるはずなのに、そんな感じは全然しない。すごく、手にしっくりくる。  当たり前だ。手にする前からわかってた。  これは、私の牙だ。自分の身体の一部を重く感じることなんてあるわけがない。  本当は、刃物を使うのはイヤだった。貴方の身体に私の身体以外のものが突き立って、私以外のものが貴方の身体の中に入るなんて。それが貴方の身体の中をかき回して永遠に消えない傷痕を残すなんて。  でも、これなら大丈夫。だって、これは私の身体の一部なんだから。  ただ、上手く出来るかどうか、それだけが不安だった。自分の身体の一部とは言え、コレを使うのは初めての経験だもの。  いつだって、貴方には最高の私を見て欲しい。それなのにこの一番大事な時に、上手に出来ないでおろおろして無様な姿を見せて貴方に幻滅されてしまったらどうしよう。  本当は、犬とか猫とかで練習しておくべきだったのかもしれない。でも、それはどうしてもイヤだった。  私の初めては、全部貴方のものなんだから。この牙を突き立てるのも殺すのも、私にとって全て貴方が初めての相手。貴方もきっとそう。貴方にとって、殺される相手はきっと私が初めてのはず!  もしかしたら、上手く出来なくてまごついてる間に、逆に貴方にヤラれちゃうかもしれない。  でも、それはそれで嬉しい。苛められることも嬲られることも蔑まれることも蹴られることも殴られることも打たれることも舐られることも甚振られることも、貴方にされることならなんでも嬉しい。  窮鼠猫を噛むっていうよね。だったら、貴方でも私の腕くらいは喰い契ってくれるかな。頚動脈を噛み契られるもいいかもしれない。私の血がぴゅーって出て、貴方の全身を真っ赤に染めるの。  貴方の口の中にも私の血が入り込んで、どんなに吐き出しても絶対に残っちゃう。それは貴方の胃の中に落ちて行って消化されて貴方の身体の一部になってそうなったらもう誰にも私たちを引き離せない。  正に『死が二人を別つまで』!  でも、それはきっと難しいこと。本当は直接貴方の手でそうして欲しいのだけれど、小心者の貴方は、素手でも反抗しようなんてきっと考えない。だからそのために使えそうなものを、ここにはたくさん用意してある。  それに、ここには食べるものなんて何も無い。きっと一週間もすれば、貴方も食べられさえすればなんでもいいって気持ちになるはず。  そうなったら私の左腕をあげるの。食べるのに抵抗が無いように、ちゃんと料理して。  その代わりに、貴方の左手を貰うの。  左手薬指の指輪の交換どころか、左腕の交換。それは、きっと結婚なんか比べ物にならないくらい、深く結ばれるってことだよね。  本当はすぐにでもそうしたいんだけど、しばらくの我慢。  貴方は意地っ張りだから、すぐにそうしたいなんて言ってくれないはず。  だから、今度は私がじらしてあげるの。我慢できない、君が欲しいって貴方に言わせてあげて、それから。  でもその前に殺しちゃったら、それはその時。  だって、私の想いは真剣そのもの。私が貴方にすることに、手抜きも手加減もありえない。いつもどこでも貴方にぶつかる時は、全力じゃなきゃダメなんだから。  だから、本気で逃げないと、さっくり殺しちゃうよ?  必死で逃げて、私から逃げることだけ考えて、私が貴方に対してそうなのと同じように私のことで頭をいっぱいにして、私のことだけ考えてくれるんじゃなきゃ、追いかけっこする意味が無いんだから。部屋の隅でガタガタ震えてるだけなんて、それくらいならそっと寄り添って互い違いに眠ってしまう方がずっといい。  でも貴方のことだから、きっと生汚いぎたなく足掻いてくれるはず。  逃げる貴方の体にこの牙を突き立てて、切って斬って刺して抉って削いで穿って叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いてばらばらにして原形をとどめないくらいにぐちゃぐちゃにして私の全身に塗りたくって私も自分の肉を削ぎ落として混ぜ合わせてかき回して捏ね回してあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは  あ。  しまった、どうしよう。  切ったら血が飛び散っちゃう。貴方のものなら、血の一滴だって無駄にしたくないのに。 だったら、気絶させて風呂桶の中で血抜きした方がいいのかな。でも貴方が気絶している間に終わっちゃうのなんてイヤだし。  あ、そうだ。悩む必要なんてないじゃない。  幸いここは元病院。壁も床もリノリウム製でつるつるになっている。どんなに血を流しても、染み込んじゃう心配はない。  それなら、飛び散った血は全部啜って舐め取ればいいじゃない。  追いかけっこの邪魔にならないように、邪魔なものは全部片付けて、ちゃんとお掃除もしておいてよかった。  ふと、目の前の扉に心惹かれて、私はぴたと足を止めた。  間違いない、この中に貴方がいる。理屈じゃなかった。それはきっと愛の力。だって私たち、過去も現在も未来も今この時も生まれる前も死んでまた生まれ変わってもまだまだずっと永遠に繋がってるんだもの。  ドアノブに手をかける。貴方は恐怖で震えてるのかな。それとも反撃しようと待ち構えてくれてるのかな? ガタガタ震えてるなら優しくしてあげないと。怖くないんだよって子供にするみたいに目線を合わせてにっこり微笑みながら最初は太腿にこの牙を突き立てるのがいいかな? それで逃げられなくして、後はお楽しみタイム。ううん、それでも逃げるんだったら逃げても良いよ。走れなくなった貴方に合わせて、私も走らないで追いかけるから。貴方と私は対等で、同じ条件で、だって私たちは愛で結ばれてるんだもの。  もしも待ち構えてくれてたら、最初の一撃は受け止めてあげるの。だって彼が私にしてくれることだもの。  もしその一撃で私の動きを止めたりできたら、貴方は逃げられてゲームは続行。出来なかったら……今度は私の番。  彼が最初に狙ってくれるのはやっぱり頭かな? それとも、この牙を持ってる右腕か、当てやすいお腹かもしれない。貴方は小心者だから、殺す覚悟がなくて肩とか狙ってくるのかも。それじゃ私は死なないよ? でもそれならそれでいいよね。私も同じように肩を狙って、そしたらすぐには死なないからもっと長く楽しめるんだから。  ドアを勢いよく開け放つ。  ここは事務室だったところだ。ベッドのひとつもない病室に比べれば、色々なものが置いてある。隠れられる場所もたくさんあった。それはそうだよね。貴方は小賢しいから、すぐに見つかるところなんかに隠れないよね。  でも、無駄だよ。二人の愛の力で、この部屋にいることはわかってるんだから。  部屋に一歩踏み込む。どうやら待ち構えてはくれなかったみたい。少し残念だけれど、その方がやっぱり彼らしい。どこに隠れてるんだろう、と部屋を見回そうとした時。  部屋の奥の方でがらんがらん、と音がした。金属質の何かが床に落ちる音。  緊張に耐えられなくなった彼が、手にしてたものを落としたのかな? ほんとに彼らしい。  そう思ってそちらに向かった私の脇を、何かがすり抜けていった。  慌てて振り向く。けれどそれより早く、私の目前で扉が閉まっていた。  そのすぐ脇に糸が落ちている。それは部屋奥の方へと伸びていて……事務机の隙間に鉄パイプが転がっているのが見えていた。  ドアノブを掴み、部屋の外へと飛び出す。でも、ただでさえドアを開けるより閉める方が早い上に、この病院のドアは、逃げにくいように閉め易く開け難く出来ている。  廊下に出た時には、もう彼の姿はどこにもなかった。ドアの開け閉めの音のせいで、彼の足音がどちらに向かったのかもわからない。  まさか、私に向けて貰うために用意しておいたエモノをこんな風に使うなんて。やっぱりネズミのように悪知恵が働く。ちょこまかとすばしっこい逃げ足も、本物のネズミそっくりだ。  やっぱり、思い通りに上手く行ったりはしないよね。でもそれが嬉しい。貴方が一生懸命になって私のことをいっぱいいっぱい考えてくれているということだから。  それに、貴方が頑張ってくれる方が、長く楽しめるもの。だからそれに応えるために、私も貴方と同じくらい頑張らなくっちゃ。  特に考えるでもなく、私は適当な方向へと歩き出した。  うん、いいよ。好きなだけ逃げてね。  どうせここには逃げる場所なんてないんだし。  部屋の中で息を殺しながら、俺は必死であの女の気配を探っていた。  抜き身の刀をぶら下げて歩きまわるあの女。鬼気迫りはしていたものの、こんなことをしでかしているというのに、その瞳はあくまで冷静だった。  しかも見たかあの刀。『虎鉄』なんて銘が入ってやがった。流石に本物じゃないだろうが、騙りも出来ないような乱造刀ではないことだけは確かだ。  鬼に金棒トラに翼。あの女に日本刀。  極めつけはこの場所。こんな場所まで用意しやがって。  出口は内側からコンクリートで固めてあった。つまり、自分も外に出る気はないということ。これから何が起こるにしても、最後は二人ともここで朽ち果てる以外の道はない。  正気じゃない。  そう、初めて会ったあの時からわかっていた。思ったとおりだ。あの女、  最高だ。  本当は、クスリを盛られたあの時点で終わりだと思っていた。そのまま眠るようにか思い切り苦しむかの違いはあっても、それで順当に全ておしまいだなんて、そう思っていた。  甘かった。あの女を見くびっていた。まさか、こんなエクストラステージが用意してあるなんて。思った以上だ。最高だ。  最初から、あの女と俺とは違いすぎていた。  百獣の王はライオンだというけれど、群れを作るライオンよりも、孤高のトラの方があの女には似合っている。  俺なんかには手の届かない高嶺の花。いや、断崖の上のトラ。それをどうしても自分のものにしたくて、自分をそのトラのものにして欲しくて、ずっと胸を掻き毟る思いをしてきた。  今までかかって、俺のいるこの場所まで引き摺り下ろしてきたんだ。結ばれるために命を捨てようという、この場所にまで。  虎穴、虎口というが、それこそが俺の望み。トラの子を捕らえて、そのトラに捕らえられて喰われるなんて、こんなしあわせはない。  俺は掃き溜めの中を這いずり回るだけの、喰っても腹の足しにもならないドブネズミに過ぎない。そのネズミが孤高のトラに、今まで積み上げてきたものもこれからの未来も人生も、比喩でもなんでもなく命までかけて自分を求めさせることができた。  こんな強烈な愛情表現があるか? こんな喜びがあるか?  そうやって喰い殺されることで、本当はあの女とひとつになろうと思っていた。  でもあの女は、口の中に飛び込んできた獲物を、ただ座ったまま喰うなんてのでは満足出来ないらしい。あまりに貪欲。腹だけでなく、心まで満たそうという強欲。  ネズミなんぞにゃ思いつきようがない。やっぱり、俺なんかとは格が違う。  あの女はトラらしく、全力で俺を狩りにかかっている。こんな大掛かりな狩場まで用意して。ならば、俺はネズミらしく無様に逃げ回って見せよう。  そして、ああ、やがて力尽きて喰われるんだ。ネコやキツネなんかじゃない、孤高の……孤高だったはずのトラに。  ネズミに誘われてドブの中に飛び込んできたトラに。  ネズミを追い回して骨の髄まで汚泥が染み込んでしまったトラに。  ああ、ホントウにタノシミだ。
10/35
アクセス数
ページビュー数

プロフィール

名前
未田 尚(まだ なお)
通称
にゃー
お仕事募集ちう。
文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
QRコード
携帯用QRコード