その他。
ツギハギの月
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あるいは怖いもの見たさということなのかもしれないけれど。
去年の冬頃。一年の時も委員長をやっていた私は、あの日、先生に用事を言いつけられて遅くまで学校に残っていた。
遅くといっても六時とか七時くらいだったと思うのだけれど、冬のその時間といえば、もう日はすっかり沈み、辺りはすでに闇の帳が降りてしまう時分。作業をしていた教室を出た時には、もう太陽の光はその気配すらも残ってはいなかった。灯りをつけようにも、廊下の電灯のスイッチは階段の傍にしかない。
その日は月が出ていて真っ暗というほどではなかったけれど、月の出ている南側は当然教室が並んでいて、教室越しの月の明かりは廊下をぼんやりと照らす役にしか立っていない。結果、辺りは真っ暗よりも余程おどろおどろしい雰囲気に包まれていた。
鞄が無くては帰れない。わき上がる感情を抑えて、自分の教室へと向かう。
不思議な・・・というよりはむしろ恐ろしい感覚に、自然に足早になる。何かに襲われるような不安に押され、ようやくたどり着いた自分の教室に、助かった気分で駆け込む。
月が、
低い空に浮かんでいた。
教室の南面全てに広がる窓に、空もろとも窓枠と桟とにいくつにも細かく切り取られた月。その一つ一つがありえないほどの存在感を持って、でも全体としては確かに調和が取れている、ツギハギの月。
窓の中の狭い空間に切り取られた月は、遥かな高みにあるときよりもはるかに大きく、もはやあり得ない程に大きく、教室はその圧倒的なまでの光量に、煌々と照らし出されていた。
其れ程迄に見事な月を眺めるでもなく、その大きさに慄くでもなく、ただ淡々と頬杖をついて前を見つめている姿。
抱えるほどの大きな月を背負い、それでもその月には全く頓着しない様子で頬杖をつく少年。
それは、まるで一枚の絵画のように完璧な構図で、現実感が無くて、圧倒的な迫力を持っていた。
まるで月の光の中だけは別の世界のような、足を踏み入れてはいけないような。
ふと、絵画の中の少年の視線が、こちらを向いた。今までこちらにはまったく気づいていなかった様子で、彼は振り向く。
瞬間、世界が壊れる。
月の光はただ寒々とした青白い光となり、その場はただの薄暗いだけの教室になり。
絵画の中から抜け出てきた少年は、少し慌てた様子で立ち上がる。机の脇にかけられた鞄を手にすると、足早に戸口へと駆けて来る。すれ違いざま、目を合わせないようにして、ごめん、とか何とか口にして、そのままの勢いで廊下を去っていく。
私は、失われてしまったものへの名残惜しさに、それを壊してしまったのが自分だということへの罪悪感に、しばらくぼぅっとしていた。
ごめん、と彼は言った。謝らなければいけないのは、こちらの方なのに。あの完璧なバランスを崩してしまって、罪があるのはこちらのほうなのに。
その瞬間のことが心から離れずに、私にとって、「彼」は近づきがたい、でも、他の誰とも違う、特別な存在になっていたのだ。
それが、あの日。
『ちょっと、嫌な事言わないでよ。もう一年一緒のクラスだなんて、冗談じゃないわよ』
照れ隠しが混じっていたのは本当だ。
でも。彼がクラスでどんな扱いをされていたのか知っていた。その彼のことが好きだなどと言えば、どんな表情をされるのかも。
だから、普段からみんなに調子を合わせて来たのだ。つまり、気持ち悪い、近寄りたくない。
本当は違う。あの時の近寄りがたい想いを、あの特別な空間を壊してしまった罪悪感を、未だに覚えているから。
だから、近づけないでいるだけだったのに。
駆けていく後ろ姿が彼だということはすぐにわかった。見間違える訳がない。それを呆然と見送る自分。本当は、追いかけてあれは嘘なのだと、調子を合わせていただけなのだと、本当は貴方のことが好きなんだと、そう言わなければいけなかったのに。
とても乗せられ安くて、その場のノリと雰囲気で、心にもないことを言って割を食うことが何度もあった。今だってそのせいで委員長などさせられているのだ。だけど、まさかこんな最悪の形でしっぺ返しが来るなんて。
一瞬、どうして良いのかわからずに硬直する。が、次の瞬間我に返る。どうしていいのかなんてやはりわかっては居ないけれど、とにかくこのままではいけないことだけはわかる。慌てて、彼の消えていった方へと走る。
けれど、予想外に彼の足が速かったのか、それとも思いの外自失している時間が長かったのか。彼の痕跡さえも捕らえることは出来なかった。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
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