その他。
くすくす。
今日の彼女は、じっと窓の外を眺めながら、時々くすくすと笑っていた。彼女のことは、本当によくわからない。なにがおかしくて笑っているのかさえ。と言うよりも、本当に笑っているのかどうかさえ定かではない。時々聞こえる声と、その雰囲気から多分そうだろうと思うだけだ。
静まり返った教室の中で聞こえるのは、時々響く彼女のくすくす笑いと、ただ淡々と流れる教師の教科書を朗読する声だけ。
教師に彼女を注意する気配はない。彼女に何か言ったとしても、返ってくるのは訳の分からない、返事かどうかすら全くあやふやな台詞だけ。理解しようとすれば頭の中がぐちゃぐちゃになって、余計訳が分からなくなるだけ。放っておくのが一番だと、もう彼女のことを気にかける教師もいなくなっていた。
なのに、彼女にはそんな事を気にかける様子は全くない。いつもこんな風に窓の外か、あるいは天井や壁の染みをじっと見つめてぴくりとも動かなかったり、くすくす笑ったり、時には不意に立ち上がって、あらぬ方向を不思議そうに眺めていたりする。
その行動と同じように、彼女は外見も周りからは多分に浮いていた。ある種現実感のない美貌に、焦点の合ってなさそうな瞳。ほとんどぴくりともしない表情と、何となく気がつけばいつの間にか消えてしまっていそうな雰囲気。席の並びは等間隔なのに、彼女の周りだけ、ぽっかりと穴が開いてしまっているように見える。
でも、彼女はそんなことには全く無頓着に、今日もいつも通りの彼女だった。多分、あと何年か経って僕やみんなが変わってしまったとしても、彼女だけはこのままでいるのだろう。
などと考えていると、いつのにか彼女の視線がこちらを向いていた。じっとこちらを見つめている。その瞳をじっと見返す。実を言うと、彼女がこちらを見ていることは時々ある。今日のように僕が彼女を見つめているといつの間にか彼女もこちらを向いていたり、ノートを取っているときに視線を感じてふと見てみると、彼女がじっと見つめていたり。最初のうちはいたたまれなくなって視線をそらしたり、手持ちぶさたになって何となく笑って手を振ってみたりしていたのだけれど、彼女からは何のリアクションもない。
多分、彼女にとっては僕は天井や壁と同じ程度のものでしかないのだろう。だから、僕も彼女の視線を気にすることをやめていた。彼女がこっちを見ていようがいまいが気にせず、いつも通りにしている。いつも通り彼女を見つめている。見つめ合っている訳じゃない。お互いがお互いを気にしないで、ただ勝手にながめあっているだけ。いや、多分彼女は僕を見ているのですらないだろう。端から見ると異様な光景だろうなと思うけれど、周りなんてどうでもいい。実際言ってしまえば、僕にとっても彼女の事すらどうでもいいのだと思う。ただ、僕が彼女を見ていたいから見ているだけ。彼女のことが好きだとか、そういうのでもない。
いや全くないかというとどうだろう。
それはともかくとして。ただ、彼女がそこにいてくれて、見つめていることができる。ただ、そうしていたかった。僕なんかよりもずっとこちら側から遠いところにいるはずの彼女が、まだこちらにいる。それこそが、僕がまだ此処にいる一番の理由なのだから。
その日、滅多に行かない屋上に行ったのには、別に理由があるわけでもなかった。ただ何となく、と言うのが一番の理由だろうか。
普段は弁当を広げる学生で賑わっているだろう場所も、真夏の昼の照りつける日差しの下には誰もいなくて、ただ熱を持ったコンクリートが陽炎を立ち上らせているだけだった。誰もいない。ただ、僕と、手足を広げて寝ころんでいる彼女以外は。
太陽の光と彼女という組み合わせが余りにも意外で、あるいはかえって似合いすぎていて、一瞬僕はその場に立ち止まってしまっていたけれど。
「日光浴?」
僕の問いに、彼女は答えず、ただ前髪を風に揺らしていた。彼女の視線が僕を見ていないのはいつものことだ。別に答えが欲しかった訳でもない。だから、いつも通り僕も勝手にすることにする。何も言わず、彼女の隣に腰を降ろした。
「違うよ」
しばらくしてから、それがさっきの答えだと気付いた。
「お日様の光にはね、「いのち」が入ってるんだよ。だから、葉っぱはお日様の光を浴びて、「いのち」を集められるんだね。だから、ひなたの葉っぱは、お日様の匂いがするんだよ。でも、干したてのお布団もお日様の匂いがするね。じゃあ、お布団もお日様の光の「いのち」を集められるんだね。だんだんお日様の匂いがしなくなっていくのは、きっと寝てる人が、お布団の集めた「いのち」、取っちゃうからだよ。だから、寝てるときにお腹が空かないんだね。でも、乾燥機でお布団干しちゃうと、「いのち」が集まんないね。大変だよ、夜にお腹が空いちゃうよ。困ったね」
くすくす。
「葉っぱだけじゃなくて、お布団にも「いのち」集められるんだから、きっと私にも「いのち」、集められるね。でも、「いのち」は強すぎて、肌がちくちくするね。やけどしちゃうかもしれないよ」
確かに、彼女の白い肌は、余り太陽を浴びるようにできているようには見えなかった。彼女の雰囲気自体、余り太陽と相性がよさそうではなかった。
「うん、こんなに日差しが強いと、かえって体に悪いかもしれないね。そろそろ、中に戻った方がいいかも知れない」
「でもね、私の中、空っぽだから、「いのち」いっぱい集めないと。「いのち」がいっぱい集まると、かたまって、きっと「たましい」になるね。だから、いっぱいいっぱい集めないと」
そっと、彼女の表情を盗み見てみる。確かに、日差しがつらいとかそういった素振りは見えない。彼女のことだから、そんなこと感じさせもせずに急に倒れるとかありそうだけれど。でも、肌が赤くなっているとかもないようだ。とりあえずは、彼女のしたいようにさせることにする。
「・・・でも、太陽の光に「いのち」があるんだったら、月の光には何があるんだろう」
何気なく言った言葉だったのに、視線を感じてそちらに視線をやると、彼女は静かにこちらを見つめていた。
「お月さまのひかりには、「想い」がつまってるんだよ」
期待していなかった、彼女の答え。何故だか聞き逃してはいけない気がして、じっと彼女を見つめる。
「・・・想い?」
「そう。想い」
焦点の合っていない視線が、何となく柔らかくなった気がした。
「想いって、見てる人の願い事とか、そういうこと?」
「それもあるけどね」
表情も口調も全く変わっていないのに、雰囲気だけが何となく、おかしそうに笑っていた。
「でもね。みんな、夜がこわいんだよ。だから、一番明るいお月さまに、夜がこわくありませんようにって、お願いするの。おかしいね。夜で一番こわいのは、お月さまなのにね。あ、そっか。一番こわいってことは、一番つよいってことだもんね。だから、一番つよくって、一番こわいお月さまに、これ以上こわいことしないでくださいってお願いするんだね。一番こわいものがこわくなくなったら、なにもこわくない気がするからね。でも、一番こわいものがなくなったら、二番目にこわいものが一番こわくなるだけなのにね」
「・・・それが、想い?」
「それも「ほんとう」だけど、それだけじゃないの。もっといろいろな「想い」が集まって、もっと大きな「想い」になるの。小さな「想い」ひとつだけでも「ほんとう」だけど、いっぱいのちいさな「ほんとう」があつまって、おおきな「ほんとう」になるの。いっぱい集まった大きな「ほんとう」がお月さまになってるんだね。でも、おおきな「ほんとう」になったちいさな「ほんとう」は、ひとつだけのときのちいさな「ほんとう」じゃなくなっちゃうの。でも、ちいさな「ほんとう」がばらばらだと、おおきな「ほんとう」がなくなっちゃう。でも、おおきな「ほんとう」にしないで、ちいさな「ほんとう」にすると、おおきな「ほんとう」がなくなっちゃう。あれあれ、「ほんとう」がなくなっちゃうよ。おかしいね。「ほんとう」なのにね。なくなっちゃうのに「ほんとう」なの?」
かわらず、じっと見つめている彼女の視線。彼女の視線がこっちを向いている? 僕を見ている?
「ね。君は、「ほんとう」なのかな?」
「わからない。「ほんとう」じゃないのかもしれない。でも、なんだか、とても・・・そんなこと、どうでもいい気がする」
なんとなくそう答えると、彼女はくすくすと笑った。いつものように、声と雰囲気だけで。
ちょうどその時、チャイムが鳴った。昼休みの終わりを告げる予鈴。あと五分で本鈴がなり、休み時間が終わる。
彼女を見つめているのに夢中になって、すっかり時間を忘れてしまっていた。ここから教室までは、結構距離がある。走るほどではないが、余りゆっくりもしてられない。
「急がないと授業始まっちゃうよ」
結局、彼女は時間中には帰ってこなかった。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
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