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流れない、涙

 

前   『失恋バレンタイン』   『純愛ホワイトデー』 「あああああ!」  休み時間の教室に、真琴さんの素っ頓狂な叫びが響く。  クラスメイトの何人かが、何が起きたのかと僕たちの方を振り向いた。残りは無視を決め込んでいる。 「先輩だどどどどうしよう!」  痛む耳を押さえて苦しんでいる僕の様子になんて気付きもせずに、真琴さんは僕の肩をがくがくと揺さぶった。  仕方なく、真琴さんが指差す方向を見てみる。  その先に先輩がいた。校庭でサッカーをしている。この夏の暑い最中、外でサッカーなんて、僕なら耐えられないと思う。  でもその場所は遠すぎて、ここからでは個人の区別なんて簡単には付かない。僕にとっては、そう言われて見れば先輩に見えるかもしれない、と言う程度。  この距離で見つけられて、しかも見つけただけでここまで興奮出来る。  部活で毎日会っているはずなのに。もっと近くで、話だって出来るはずなのに。それなのに、こんな遠くから見かけただけで、ここまで動揺出来るなんて。  真琴さんは、それくらい先輩のことが好きなんだ。  その時の僕の目は、きっと死んでいたと思う。 「えっと、えっと、ここから声かけても聞こえないだろうし……えいっ、先輩に届け、好き好きテレパシー!」  大胆に窓から身体を突き出して、真琴さんは両手を伸ばしてナントカ波みたいな格好をした。  その体が窓からずり堕ちそうになって、慌てて支える。  ……ほんの一瞬。わずかに、本当にちらとだけ、脳裏に『このまま手を放してしまえ』という言葉が過ぎった。 「えいっ、まだまだ! それ、もういっちょ、ビビビビ!」  もういいから。もう、やめてくれ。  これ以上僕が、自分を嫌いになってしまう前に。 「ね、届いたかな!?」  瞳をキラキラさせて、純真な笑顔を僕に向けてくれる。僕がどんな気持ちかなんて、推測する事も出来ないという表情で。 「私の『好きだっ!』っていう気持ち、先輩に届いたかな!?」 「うん、勿論だよ。こんなにがんばってるんだもの。届いたに決まってるよ」  もう、気が狂いそうだった。 「あの……大丈夫ですか?」  放課後、なんとか笑顔で真琴さんを部活に送り出した後、僕は机に突っ伏していた。  もう、何をする気力も残っていない。このまま溶けて消えてしまえればどんなにか楽だろう。  でも、そうはいかなかった。 「ああ、友香さん……」  僕を心配してくれているのか、友香さんはいつもの泣きそうな表情をしていた。  僕は、溶けてしまうわけにはいかなかった。少なくとも、今はまだ。  真琴さんが先輩と付き合えるようにして、それに協力してくれた友香さんにちゃんとお礼をして、それからでなくては。 「うん、大丈夫だから。それより、急に呼び出してごめんね」  だから、もう少しだけ無理をしなくちゃいけない。 「えっと、真琴さんたち、そろそろデートまでこぎつけるんじゃないかって思うんだけど……」 「その前に、直博さん」  喋っている僕を、友香さんは手を上げて遮った。  僕たちの会話は、僕がどうしたいという意見を話して、それを聞いた友香さんが助言してくれたりダメ出しをしたり、というのが基本的な流れだった。  友香さんの方から話を始めることすら、ほとんどない。友香さんが僕の話を遮るのなんて、初めてのことだったんじゃないかと思う。 「私、このままじゃいけないと思うんです」 「いけないって……何が?」  多分、計画は順調に行ってるはずだ。  真琴さんは、僕たちが調べた『先輩の好みのタイプの女の子』に大分近付いていると思う。実際に、真琴さんからは、先輩の反応も良かった聞いている。 「私、真琴にとって一番のしあわせは、やっぱり直博さんと一緒にいることだと思うんです」  ぐ、と胸の辺りを握り締める。  ああ、本当にそうなのなら、どんなに良いだろう。 「もし直博さんが、真琴に先輩のことを諦めさせようというのなら、私も協力します。直博さんの気持ちを知れば、真琴だって直博さんのことを好きになるはずだし、そうすれば直博さんだって……」 「うん、ありがとう。でも、僕は真琴さんの想いを遂げさせてあげたいんだ」  真琴さんの恋人になれないなら。  せめて、真琴さんの一番の友達でいたい。僕がいたからしあわせになれたんだって、真琴さんにそう言って貰いたい。  握り締めた掌を無理やりに開く。その関節の部分は、血の気が引いて白くなっていた。  無理に、だけれど、多分上手く笑えていたと思う。  協力してくれて、僕のことを思ってくれている友香さんに、みっともない表情なんて見せられないから。 「そう、ですか……。そうですよね。ごめんなさい。おかしなことを言いました」  おかしなことなんかじゃない。僕のことを考えて言ってくれたんだってわかっているから。  ぺこりと頭を下げてから、まだ立ったままだった友香さんは、僕の隣の席に腰を降ろした。  そういえば。表情といえば、以前から気になっていた事がある。 「ね、友香さん」 「はい、なんですか?」  こんなことを聞いたら、失礼かもしれない。でも、そのことがどうしても気になってしまっていた。 「なんでいつも泣きそうな表情をしてるの? 悲しい事でもあった?」 「……生まれつきです」  目が怖かった。友香さんでも怒ることがあるんだと、僕は初めて知った。 「うん、生まれつきなら仕方ないよね」  きっと、コンプレックスか何かなんだろう。だから、そのことについてはもう触れるのはやめることにした。  なんとなく色っぽい感じがして、個人的には結構好きなのだけれど。 「あれ、直博くんと友ちゃん? 二人っきりでどうしたの?」  真剣に話し合っていたのも悪かったのだろう。  僕たちは、開け放たれたままの扉から真琴さんが覗き込んでいることに、しばらく気付かなかった。  誰も居ない教室で、違うクラスの男女が二人きり。傍から見れば、ただならぬ関係と思われても仕方がない。  まずい。誤解されてしまったら困る。  ……困る? 何が?  僕が誰が好きで、誰と付き合っていようが、真琴さんには何の意味も無いのに?  僕が好きな人が誰なのか、真琴さんに知って貰っても、それで何かが変わるわけでもないのに?  硬直する僕に代わって口を開いたのは、友香さんだった。 「本当は内緒にしようと思っていたのですけれど……真琴と先輩を付き合わせる計画に、私も協力させていただいているんです。今日は、真琴と先輩をデートさせる方法を考えていたんですよ」 「そっか。友ちゃんありがとう! やっぱり友ちゃんは一番の親友だよ!」  真琴さんが、友香さんにぎゅっと抱きついた。  そうだ。それはそうだ。当たり前だ。僕は、いったい何を考えていたんだろう。 『真琴さんの、一番仲の良い友達』。  それは、僕なんかじゃない。友香さんだ。  決まってるじゃないか。知っていたじゃないか。そんなことは、一年の時に、二人と同じクラスになった、その瞬間から。 「そんなに応援して貰ったら、本当に頑張らなくちゃいけないね! 先輩を、世界で一番私のことを好きな人にしてみせるっ!」  そうか。  僕が、世界で一番真琴さんのことを好きでいることすら迷惑なのか。 「それはそうと、どうしたの? 部活は?」 「うん、忘れ物しちゃって。これがないと試合が始められないから」  今は友香さんが座っている自分の席まで来ると、真琴さんは鞄を開いた。  取り出したのはクリップ式下敷きだった。よく見えなかったけれど、何かスコアボードのようなものが挟んであるらしい。 「ありがと、二人とも。無事に先輩と付き合えるようになったら、何かお礼するね!」 「うん、期待しないで待ってる。それより、部活に戻らなくていいの?」  まるで、自分ではない誰かが僕の口を動かしているみたいだった。どうしてまともな会話が出来ているのか、自分でも全くわからない。 「うん。早く戻って、少しでも長く先輩と一緒にいなくちゃ!」  部活に戻っていく真琴さんに手を振る。 「それじゃ、頑張ってね」  僕は、ただ笑っていた。バカみたいに、へらへらと。他にどんな表情をしていいかわからなかったから。  ふと、視線を感じて振り返る。  友香さんは、いつものように泣きそうな表情をしていた。  真琴さんが先輩と付き合うことになる、あのバレンタインの日から、半年とちょっと前のある日のこと。  流れる汗が涙みたいに見える、ある暑い夏の日のこと。 続き   『貝の中の真珠』
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未田 尚(まだ なお)
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