楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

その他。


蜘蛛の糸

 <R15>

 カンダタは三国一と呼ばれた極悪人だ。  男と見れば殺し、女と見れば手篭めにする。  人を人とも思わぬ傍若無人。相手が自分と同じ人間だ等と露程も思いはせぬ。  国に名立たる大店や金持ちの蔵に押し込み、持てる限りの物を持ち出し火を放つ。幾軒もの店が傾き、幾人もが頸を括っても屁とも思わぬ。  故に、捕まったカンダタが磔に合うのは至極当然。  其の骸が晒されて鴉に啄ばまれたのも当たり前。  死して地獄に落ちたのに至っては必然であろう。  自ら現世に地獄絵図を描いてきたカンダタだ。自ら地獄に落ちるなど恐れてもおらぬ。  恐れておらぬ訳だが、矢張り実際に落ちてみると訳が違う。  身体を切り刻まれ、油釜で煮られる位は其の内慣れたが、如何様にしても耐えられぬ事が在った。  何もされぬ時間が在るのだ。  常に責め苦を負わされれば気が狂う。気が狂うとは救いだ。辛い事を辛いと思う事も無くなる、永劫の時の中で唯一得られる救いなのだ。  救われてしまっては地獄の意味が無い。  故に休む時が在る。心を保ち、責め苦を責め苦と感じ続ける為の最悪の責め苦のひとつ。  カンダタは此れが一番の苦痛だと知っていた。  如何な時でも常に寝首を掻かれぬ様気を張っていたカンダタにとって、寝首を掻かれる事の無い、掻かれたとしてもその後直ぐに息を吹き返す只の責め苦のひとつに過ぎぬという此の気の抜けた時が最も辛い。  寧ろいっそ死にたいと思っても其れは叶わぬ。死んだからこそ此処に居るのに、其の上更に死ぬなど出来る訳が無い。  已む無くカンダタは空を見上げた。地獄の釜の蓋の裏しか見えぬ其の視界の中には黒鉄色一色しか在らぬ。  其の釜の蓋の更に上には極楽が在るのであろう。  極楽ではしたい事をして幸せに過ごせるという。  矢張り人など殺し放題なのだろうか。  地獄では人を殺しても直ぐに息を吹き返す。其れを誰も責めぬ。獄卒に至っては責め苦の手伝いご苦労と感謝すらする。  此れ程の地獄は在るまい。  其の時、カンダタの目に何やら輝く物が飛び込んで来た。  天から滴る銀の雫様の其の線一本。糸だとは直ぐに判った。  細い細い、髪よりもまだ細い其の糸。だが、輝きからして只の糸でない事は一目瞭然。  つ、と掴み、くい、と引く。見た目に依らず、或いは見た目通りに丈夫な其の糸は、人ひとり位なら十分に耐えられよう。ふと空を見上げれば、糸の先、遥か彼方に穴が見える。遠くてよく見えぬが、恐らく其処が極楽に違い在るまい。  つい、ついと糸をよじ登る。糸は細く掴みづらい。しかも激しく指に喰い込み居る。  だが其れが如何程の物か。頸を落とされる等毎日であるし、指を落とされる等毎秒の事。  何と言ってもカンダタは、盗みについては右に出る者とて無い大泥棒。力の方も、一度に幾十人も切って棄てる程に余って居る。  とんでもない速さで疲れも見せずにひたすら登る。  そら穴が見えて来た、との所で糸ががくんと揺れた。  ふと見降ろすと、眼下には黒山の人だかり。幾十万かは居るだろうか。  其の者共が一斉に糸を登って居る。上の者を掻き分け蹴落とし引き摺り下ろして、誰もが我先にとよじ登る。  其うするだけの体力の無い者は、落ちた者を踏みつけ少しでも高い処へ至ろうと積み上がる。  其れは正に阿鼻叫喚の地獄絵図。四肢細切れに切り刻まれる等比りよりも、余程浅ましい迄の醜さか。  此れはいかんと手足に更に力を込める。登る早さと殺しの腕に自信は在るが、相手は何分地獄を逃れようと文字通り死に物狂い。追い着かれて縋り付かれでもしたら、間違いなく諸共に地獄の底へと逆戻り。  登り登り登り、気の遠くなると思う程の時間の後に、漸く穴の向こうが視界に入る。  はて、とカンダタは頸を捻った。  有り得ない物が見える。  何故か其処に女が居る。  細い腰。長い脚。白い腕。秀でた額。箸より重い物は持った事が無いのであろうという手弱女が、其れとは似つかわしく無い必死の形相で其処に居る。  糸は其の着物から伸びている。解れた其れを、白魚の様な指が確かに確り握って居る。  掴んだ糸は其の細さ故に指に喰い込み、恐らく其れは骨に達して漸く止まって居るのに違い無い。  喰い縛った口元は、歯が砕けたか血反吐吐いたか真っ赤に染まる。  がくがく震えるその脚は、地面に抉られたか此れも真紅に染まり居る。  何故か。一体何故なのか。  カンダタは必死に考えた。  一体全体此の女は、何故斯様迄必死に此の糸を掴み続けるのか。  血反吐に紅く染まった其の顔に、カンダタの心が揺す振られる。  思い出すも何も、覚えたか如何かも定かでは無い程の、其れはほんに微かな記憶。  彼れはカンダタの死ぬ五年も前か。  何の気無しに三人程の男を斬り殺した事が在る。  終わる迄気付か無んだのだが、其の男共は女を弄んでいた様だ。  身に纏うた衣は既にずたずたに切り裂かれ、身体を隠すという其の目的を果たす役には立って居らぬ。で無くとも絞れば滴る程に汚されて居る。最早触れるも憚られる襤褸に過ぎぬ。  しかし其処まですっかり汚され切っては居るものの、其れは息を呑む様な肌の真白い美しい女。恐らく都から攫われて来でもしたのだろう。其れ迄は恐らく名の知れた貴族の姫で在ったに違い無い。  其れは只の気紛れに過ぎぬ。女と見れば慰み者にしていたカンダタが、其の時だけは女に手を出さなかった。  只単に、女が余りに汚され切っていて、其の気に為ら無かったというだけの事かも知れぬが。  更に気紛れに、カンダタは女に着物を投げ与えた。  蜘蛛の糸と呼ばれる程に細い極上の糸で縫い上げた、此の世にふたつと無い業物の着物。此れひとつで城がひとつ買えると言う。  盗みの帰りで偶々持って居たに過ぎぬ。  元より金に困って居る訳でも無い。そもそも高価な物であるから遣れぬ等という感覚は持ち合わせて居らぬ。もっと欲しければまた適当な相手を殺して奪えば良い。  此の程度、座敷で散財する時に太鼓持ちに銭をばら撒くのと差して変わりはせぬ。  其のまま女を捨て置き塒に帰り、次に盗みの為に其の道を通った時、女は既に事切れていた。  喉をひと突き。其の血が顔を真紅に染めて居る。  着物が目的か、いかがわしい真似をするのが目的か。或いは其の両方であるか。  知る術は無い。カンダタに見つかった其の一呼吸後には、其の場の全員息絶えていたからだ。  血糊に汚れているとはいえ、洗えば着物は売れるだろう。だが、此れから盗みに入るのに、着物など下げていては邪魔になる。  自分の衣を抱く様にして事切れた其の女を、カンダタは其のまま埋めた。埋め終わった瞬間には、そんな事等するりと忘れて居た。  此の五年の間、其の様な事が在った等と、全く思い出しもしなかった。  女は歯を喰い縛る。ぎりぎりと奥歯の擦れる音が聞こえる様だ。  極楽に居て、此の様な責苦を望んで受ける由縁は在りはせぬ筈。何を好き好んで此の様な。  脚の間から下を見降ろす。幾十万だった亡者共が、今は恐らく幾千万だ。  糸の食い込んだ女の指の引き千切れるのが先か、はたまた踏み締めた其の細い脚が折れるのが先か。  或いは足を滑らせて、ひとり加えた皆で仲良く落ちるが先か。  何れにしても、カンダタが登り切る迄保つ道理は無い。  えいとばかりに糸に噛み付く。絹歯を立てるが流石は極上と呼ばれるだけあって、ひと噛みしただけではとても切れぬ。  見上げれば、女の血塗れの口が止めろと動いた。  だが天下に名立たるカンダタは、生まれて此の方女の都合を考えた事など只の一度も無い。  彼の地獄に逆戻りなど想像するのも御免だが、女にこんな表情させる程に落ちぶれたのだ等と思う方がぞっとする。  ぎりぎりと歯を立て噛み締め、もうひと噛みで糸が千切れると思った其の刹那。  ふっ、と女が跳んだ。  途端に糸にしがみついていた身が軽く為る。  宙に浮く此の感覚。落ちているなどとは直ぐには判らぬ。  何と愚かであるか。此の極悪のカンダタでさえ、此れ程に頼り無い糸に縋って迄出たいと願う此の地獄に、自ら望んで飛び込むとは。  辛うじて繋がったままの糸を引く。落ちて居る今は重さ等は差して関係無い。女の身を引き寄せ、其の腕に収める。  女と見れば誰彼構わず抱きまくったカンダタだ。可笑しな所等微塵も無い此の行為。  感極まったかの様に縋り付く女の指が、糸の喰い込んで居た切れ目から折れ飛んだ。  全く、彼の退屈な地獄へ戻ると思うと気が滅入る。  此の高さであれば、地面を汚す血糊以外の何物をも残さず吹き飛ぼう。其れすらも、風が吹けば亦息を吹き返す。  どうせ一度死なねば為らぬので在れば、二人分の重さで微塵に砕けた方が痛みも少なかろう。  自分の身体を女の身体の下に入れる。  全く、面倒になったものだ。  溜息付く間も落ち続ける。篩から弾き飛ばされた籾殻の如き他の亡者共に混じりつつ、二人諸共に落ち続ける。  地獄の釜の底に至る迄、残り僅かに四里程。  あと参里……弐里……壱里……
2/35
アクセス数
ページビュー数

プロフィール

名前
未田 尚(まだ なお)
通称
にゃー
お仕事募集ちう。
文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
QRコード
携帯用QRコード