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とある日常のクラス風景。

 

「じゃあ、次の問題を……大野、前に出てやってみろ」 ああ、やはり穂積さんは美しい。黒板に向けられる眼鏡越しの真摯な視線、そして癖のひとつすらなく真っ直ぐに流れる黒髪。そのどちらも彼女の真っ直ぐで真面目な性格をあらわしている。その頬にかかる髪をかきあげるしぐさも美しい。清楚で可憐でおしとやかで、まさに大和撫子。まるで人知れずひっそりと咲く、控えめな野菊のようだ。その物憂げな視線は、いったい何を考えているのだろう。古典文学を好む彼女のことだ。きっと平安の王朝文化の時代に思いを馳せているに違いない。そうしている穂積さん自体が王朝絵巻の中の存在のようだ。伝え聞くに、小野小町はあまりに美しすぎて、顔の見えない後姿しか描かれなかったというが、それはきっと理由の半分に過ぎないに違いない。きっと絵師たちは描きたくなかったのだろう。この美しさを他の男に見せたくない、独り占めにしたいというのは男の本能だ。わかる、わかるぞその気持ち! 穂積さんはこの世界のどんなものよりも美しい。美しさを表現するのに天女のようだなどというが、それでは穂積さんに失礼だ。天女などより穂積さんの方が美しいに決まっている。心無い連中は、穂積さんのことを『化粧気もない地味な黒縁眼鏡の野暮ったい女』などと嘯いているが、それは断じて違う。脱色など欠片もない黒髪、レンズの奥の瞳と同じ黒い縁の眼鏡、不自然に剃ったりなどしていない自然な太さのままの眉。古来より、日本の絵画の基本は水墨画だ。黒の濃淡のみで表現された、どぎつい極彩色ではないからこその美しさがそこにある。色彩豊かならなんでもいい、色がしっかりしていればそれでいい、なんてのは本物を見る目のないヤツが言うことだ。黒一色だからこそ、想像力が刺激されるものなのだ。まして、黒髪に落ち着いた黒縁のメガネが清楚さを弥増しているではないか。今の世では、髪を脱色してチャラチャラしたアクセサリーだらけの、口を開けばオトコとファッションの話しかしない、きゃいきゃい騒くだけしか能のない女どもがもてはやされているが、そんなのは間違っている。ごてごて塗りたくって作りあげた特殊メイクじみた顔が、どれだけおぞましいことか。美しさとは本来自然の中に存在するものなのだ。過度に飾り立てないことこそ真の美しさ。それを正しく理解し、実践している心根こそがまさに究極の美といえよう。自然のままのものこそが最良、天然ものこそが最上なのだ。曲がった胡瓜は売り物にならない? 土の付いたままの大根は値段が下がる? 否、断じて否だ。養殖は天然に勝るか? 加工品は自然食品に勝るか? 人工イクラが本物より価値があるなどと聞いたことが無い。養殖物や加工品は、大量生産が可能という以外に天然物に勝てる要素は無いのだ。女性も同じ。男どもに飼われて化粧品をごてごて塗りたくってアクセサリーなどで飾り立てる養殖の加工品が、誰の色にも染まっていない自然そのままの天然物に勝てるわけがない。世の男どもはそんなこともわからないボンクラばかりだ。いや、今は、そんなこともわからなバカどもに、穂積さんが標的にされないことを喜ぶべきだろう。貪欲な男どもに穂積さんの価値を気付かれたら、純情可憐な穂積さんは食い物にされて身も心もボロボロにされてしまうに決まっている。そんなことは俺が許さん。それには俺が穂積さんの恋人になるのが一番だ。それしかない、いや、むしろそれが必然なのだ。それこそが宇宙開闢以来定められた真理。しかしそこに至るまでの過程には自由意志の介在する余地がある。同じ結果に至るなら、それまでの経緯は最高のものにしなくてはならない。そのためにはまず告白からだ。告白の言葉は、やはり基本を抑えておくべきだろうか。スタンダードに『好きです、付き合ってください』から始めるべきか。いや、それでは普通すぎる。彼女ほどの女性を射止めようというのだ、それに相応しい言葉が必要だろう。それに『好き』なんて安っぽい言葉では、俺の燃え滾る穂積さんへの想いは表現しきれない。『愛してます』『アイラブユー』『ジュテーム』。確かに『愛』という言葉は必要だが、それだけではいかん。この愛が一時的なものではないということをアピールせねば。『石が巌になって、苔が生すまで愛し続けます』。悪くないが、もう少し近い将来のことも織り込んでおくべきではないか。しっかりと現実の未来見据えているのだということを伝えた方が、穂積さんも安心するに違いない。だとすれば、内容がしっかり伝わるように、基本に帰るべきだ。そもそも、わざとらしい美辞麗句を並べ立てるのは、かえって想いを伝える邪魔になりかねん。今の気持ちをそのまま、しかも二人の将来を想像させる言葉が望ましい。だとすれば、『結婚を前提につきあってください』というのはどうだろう。ありふれているところは気に入らないが、だからこそ意味が伝わりやすいし、しかも真剣な気持ちと将来の展望の両方が一度に伝えられる。結婚を口に出すことで将来をきちんと見据えていることを伝え、更に『前提でつきあってください』で、だからといって現在をないがしろにしているわけではないということを理解して貰うことが出来る。本当は『同じ墓に入ってください』まで言いたいが、あまり先のことを言いすぎて足元がおろそかになっていると思われても逆効果だ。間をとって結婚の話程度で済ませるくらいがちょうどいいだろう。なに、口にしなくても、俺と穂積さんが結婚するなんてのは既に自明の理。なにしろ俺と穂積さんとは、結婚後に些細なことからすれ違い、不仲になっていく両親に反発した娘が非行に走り、娘を守るために単身不良グループのところに乗り込んだ俺は、ぼろぼろにされながらも娘を取り戻し、その姿を見た穂積さんとの関係も修復させ、夫婦円満のまま年を重ねて同じ墓に入るところまで頭の中でシミュレーションが済んでいるんだ。穂積さんをしあわせに出来るのは俺しかいない、いや俺以外とつきあったら不幸になってしまう。彼女をみすみす不幸にするわけにはいかん。早速放課後に呼び出して……まて、今日はクラス委員の仕事で居残りするよう言われていたはずだ。仕事をサボっては真面目な穂積さんに嫌われてしまう。そうしている間にも穂積さんに男どもの魔の手が迫っているというのに。くそう、これが逆境か。もし穂積さんがクラス委員だったなら、夕暮れの赤く染まった教室の中、二人で協力して仕事を進めているうちに資料を取ろうとした手がふれあい、そのまま見詰め合う……なんてシチュエーションが使えたのに。そう、クラスの女子の中で、穂積さん以上にクラス委員に相応しいものは存在しない。頼まれたらイヤといえない優しさ、一度始めた仕事は決して投げ出さない真面目さ、全てがクラス委員になるために設えられた才能。そしてメガネ。何よりメガネ。飾り気のない黒縁眼鏡こそクラス委員の象徴といえよう。まさに穂積さんこそクラス委員オブクラス委員、クラス委員になるために生まれた存在。穂積さん以外の誰がクラス委員になるというのか。だから俺が立候補すれば、男女のクラス委員同士が仕事を通じて惹かれあっていくという黄金パターンが繰り広げられるはずだった。それなのに、あの女がでしゃばってきたせいで当たり前に存在した筈の未来が歪められてしまった。断じて許すまじ。しかしあんな女でも穂積さんの友人、邪険に扱うわけにはいかん。心優しい穂積さんのことだ、自分の友人と未来の夫である俺が仲たがいしているなどと知ったら心痛めるに決まっている。穂積さんを悲しませることだけは絶対に出来ん。ならばせいぜい利用させてもらおう。穂積さんの友人という立場は使い道がある。俺と穂積さんのしあわせの礎になって貰おう。しかし、そうやって接触を重ねているうちに、あの女も俺の魅力にやられてしまうかもしれんな。俺に惚れてしまうのは女として仕方の無いことではあるが、俺には穂積さんという人がいるのだ。尤も、遊びでなら相手をしてやらんことも無いが。俺と穂積さんのクラス委員生活を邪魔したあの女を弄んでやるのは、この上なく痛快なことであろう「ふははははははっ! これは全くもって愉快愉快!」 「よし。大野、お前とりあえず廊下に立ってろ」
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未田 尚(まだ なお)
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