その他。
四月。バカ、
前
『勘違い。』
今日は四月一日。エイプリルフール。
一年で唯一嘘をついていい日。
わざわざこんな日に学会を開くなんて何を考えているのだろうか。
海外で活躍している有名な教授が参加できるのが今日だけだ、というのは聞いているけれど、もうそれ自体嘘に聞こえてしまう。
でも、嘘だったとしてもどうでもいい。そもそも学会なんかに興味はない。
小難しい内容なんて理解できるわけないし、講義の単位に影響するわけでもない。せいぜい教授の心証が良くなる程度のこと。
すでに留年が決まっているから気楽なもんだ。
「それにしても……榛名さん遅いなぁ」
いや、本当は全然遅くなんてない。開始まであと10分はある。
でも真面目な榛名さんは、このくらいの時間には会場に来ているのが普通だった。
だから、今日ももう来ているだろうと早く会場に来てしまった俺は肩透かし。
あのクリスマスから早三ヶ月。
あれ以来、俺は幾らかは真面目にゼミに出るようになっていた。
別に勘違いしたわけじゃない。ないけれど……まぁ何だ。
実を言えば、今日だって榛名さんが来ると聞いたから出席したのだ。来ないのだとしたら一日を無駄にしてしまうことになる。
もし来ないようなら、始まる直前くらいに出て行こうか。でも始まってから遅刻してくる可能性もあるし。
どうしようかと悩みながら、時計を確認した時だった。
「先輩、すみません。遅くなりました」
榛名さんは、いつも通りカバンを両手で身体の前に提げていた。少し息を弾ませているのは、きっと急いで来たからだろう。
「まだ7分あるから大丈夫だよ」
いつもよりは遅いけれど、遅刻なんかでは全然ない時間。席だってほとんど埋まっていない。
そもそも榛名さんは真面目すぎるんだ。強制ではない今日くらいは、もっと気楽にしても良いと思うのだけれど。
「でも、あまり遅れると一番前の席が取れなくなってしまいますし」
真面目に研究をしている榛名さんにとっては、今日来るという教授は憧れの対象らしい。他にもそういう学生は幾らかいるようで、前の方の席は結構埋まってしまっていた。
「そうだろうと思って、席取っといたよ」
ちらちら、と榛名さんの視線が期待を込めて向けられているのには気付いていた。
ここは真ん中の列の一番前の席。不真面目な生徒の鬼門にして、真面目な生徒の特等席。もちろん俺も、金を貰いでもしなければ絶対に座りたくない席だ。
そんな席を、わざわざ早起きして取っておく。全く、自分の事ながら呆れてしまう。
「先輩、優しいから大好きです♪」
ドキっ、とする。
そういう、重要な意味を込めて言っているのではないとわかっていても。
軽々しく「大好き」なんて言うもんじゃない。そんなだから、勘違いしそうになるんじゃないか。
それを指摘してしまうと、まるで意識しているように聞こえてしまうから、面と向かっては言わないけれど。
「でも、今日は一日がかりだね。途中で飽きちゃいそうだ」
元々興味なんかないのだから、飽きるとかいう問題ではない気がするのだけれど。
「学会ってそういうものですよ。それに、発表する方の顔ぶれを見たら、本当に一日で終わるのか心配になるくらいですから」
なんて言われても、聞いたことのない名前ばかりだ。
ちら、と時計を見る。終了の予定は五時になっている。何かするには中途半端な時間だけれど、少し何処かに寄ってから食事でもしていこうか。
……デートなんかじゃないけど。
バイトの給料が入ったばかりだから、少し贅沢しても良いかもしれない。気を大きく持って、たまには榛名さんに奢ってあげたりしても良い。
デートじゃないけれど、たまたまデートに見えてしまったとしても仕方ない。
そうなると、食事まで奢ったのにその感想がつまらなかった、では余りに救われない。
何か話題が必要だ。食事の間中……出来れば別れるまでずっと持つくらいの、大きな話題が。
今日は四月一日。エイプリルフール。
一年で唯一嘘をついていい日。
好きかどうか確としない、「気になっている」くらいの相手に好きだと嘘を言ってもいい日。
それで大笑いされて盛り上がるのも、明日からは本当にしてしまうのもかまわない。
そんな日。
『えーすみません。そのままで聞いてください』
急なマイクの音に、俺は妄想から現実に引き戻された。
見れば壇上に助教授が立っている。
『今日お招きしました教授が、渋滞に巻き込まれて遅れていると連絡がありました。申し訳ありませんが、開始時間を10分ほど遅らせていただきます』
周囲からがっかりしたような声が漏れた。俺からしたらへーとしか思わないけれど。ただ、それで終了時間が遅れたりするのはちょっと嫌かもしれない。
『あくまで予定ですので、もっと遅れる場合もあります。その場合には、プログラムの順番を変更しますので、ご了承ください』
更に不平の声が上がる。それに紛れて、ジリリリン、と何かが鳴った。
昔懐かしい、黒電話の音に似ている。それは榛名さんのバッグの中から聞こえていて……当の榛名さんはしまったという表情をしていた。
「携帯、切るの忘れてました……」
「朝急いでたみたいだから仕方ないよ。それにまだ始まってないし、騒がしいから周りには聞こえてないみたいだし。出ても良いんじゃないかな」
もちろん、会場の外に出てからだけれど。
「あ、いえ。メールみたいです。……ごめんなさい、ちょっと返しちゃいますね」
相手の名前を確認した瞬間だった。榛名さんはメールを打ち始めた。
少し驚く。礼儀正しい榛名さんは、誰かといる時にメールを打ったりしない。一緒にいる人を無視してメールを打つのは、相手に対して失礼になるからだ。
その榛名さんが、しかも開始が遅くなったとはいえ学会の最中にメールを送るなんて。
余程、大切な相手なのだろう。
「もしかして、男の人?」
心臓がバクバクなっている。何故だか自分でわからないのだけれど、とにかく心臓が痛いくらいに早く打っている。
「はい、サークルの先輩なんです。サークルのこと教えてもらったり、サークル以外のことも色々と」
……そうだ。そりゃそうだ。
週に一度、ゼミの時の数時間の彼女しか知らない俺に、彼女の生活のことなんてわかるわけがない。
俺と一緒に居る時に、俺のことを放ってメールを返すような相手がいることを、知らなくたっておかしくない。
「……メールとかけっこうするんだ?」
「サークルで毎日会ってますから、メールは週に二、三度くらいです。それよりは電話の方が多いかな」
「へー」
平静を装って、俺も自分の携帯を開いた。
バイト関係のメールの中に埋もれて、僅かに榛名さんからの物が混じっている。
『今日はゼミは休みだそうです』
『すみません、今日は都合でゼミにはいけなくなりました。教授に伝えておいてください』
……見事にゼミの関係のみ。
ちら、と榛名さんの様子を窺う。
楽しそうだった。サークルだけの話をしているようには見えない。
そして、榛名さんの入力はかなり速い。それなのに時間がかかっている。それは、長い文章を打っているということ。
メール慣れしているという事は、メールをたくさんしているということ。メールなんてほとんど貰ったことのない、俺以外の人たちと。
彼女が親しい相手とどんな付き合い方をしているのかなんてわからない。
どんな付き合い方をしているのが親しくない相手なのか、なんてわからない。
そして俺がどちらなのか。少し考えてみればわかる。毎日会って、週に二、三度メールして、それよりもたくさん電話している相手と比べてみれば。
俺が、ゼミに行くから……彼女に会いに行くから顔をあわせるだけで。彼女の方から連絡が来たり、会いに来たりすることなんて、ほとんどない。
唯一の例外はクリスマスの時だけ。あの時だって病気の見舞いという目的があったわけだし、そもそもゼミの連中に行かされたという理由があった。俺のため以外の理由があった。
俺に会いたいから、俺の部屋に来たわけじゃない。
勘違いしていたわけじゃない。ただ少し、そんな可能性もあるんじゃないか、なんて。
もしかしたら、彼女が俺のことを好きなのかもしれない、なんて。
週に一度、ゼミでだけ顔を合わせて、ゼミ以外では会うこともない、それ以外のことでは連絡をとることすらない後輩が、俺のことを好きなんじゃないかなんて。
勘違いなんて、していないけれど。
「うわ……俺キモい」
ちょっと親しくしてくれたから? こんなの親しいの内に入らないなんて事、たった今思い知っただろう。
もっと親しくしている人なんていくらでもいる。
自分の事ながら感心してしまう。そんなのでよく勘違いできたもんだ。いやしてないけど。
それは、例えるなら。
毎朝男と仲良さそうに登校している女の子がいるとして。
それを傍から見ているおっさんがいて。
『毎朝同じ電車に乗って、時々目が合って、会釈くらいはしてくれるから、あの子は俺のこと好きなのかもしれない』というのに似ている。
どんな危ない人だよ、ソイツ。
どんなありえない勘違いだよ。
いや、勘違いしていない。していないんだ。
……しないように、気をつけていたはずなのに。
「あはははは」
「先輩? どうしたんですか?」
榛名さんが驚いた声をあげる。無理もない、自分でも驚いた。
「あ、いやなんでもない。思い出し笑い」
あまりにも滑稽で、自分の事ながら面白すぎる。笑いすぎて涙まで出てきた。
いつの間にか、メールは終わっていたらしい。すでに榛名さんは携帯をしまっていた。
榛名さんの不審気な表情はおさまっていない。当たり前だ。隣に座っているヤツが、急に笑い出して涙まで流していたら。
「いや、昨日のお笑い番組で好きな芸人が出ててさ」
「あ、はい。私も見ました。でも最近人気が出てきたせいであんまりネタをしてくれなくて残念なんですよね」
こんなでも話は弾んでいた。いや、俺が一方的に話し続けているだけに近い。榛名さんはほとんど相槌を打つ程度。
それはきっと、喋り続けていないとどうにかなりそうだったから。
多分、榛名さんは恋をしていると思う。鈍感で、勘違いばかりしている俺の勘だから当てにはならないけれど、でもしている気がする。
だからこそ、俺は浮ついていた。
ついさっきまで、その相手は俺だという可能性があるんじゃないかと思っていた。いや、勘違いしていたわけじゃないけれど、あくまで可能性として。
でも、それは違う。たった今わかった。たまたま同じクラスになった奴と、好きな席に座って良いと言われてわざわざ隣に座った奴と、どちらが好きなのか、という違いくらい明らかだ。
だとしたら、相手は今のメールの相手だろうか。
俺にはまともな恋愛経験がないからわからない。
違うかもしれない。榛名さんには、きっと親しくしている人はたくさんいる。
けれど俺から見れば、今のメールをしている様子は、充分好きな相手への態度に見えた。
だったら……
「それで、告白とかもうしたの?」
「……え?」
榛名さんはびっくりした表情をしている。
それは『どうしてわかったの』という表情なのか、『そんなのとても無理』という表情なのか。
頭の中がぐるぐる回り続けている俺には、それを見分ける事なんて出来るわけがない。
「もしかしてまだなの? バレンタインだってあったのに」
ああ、そうだ。
バレンタインの時は、義理チョコを貰うどころか、そのことが話題になりすらしなかった。
好き嫌い以前に、明らかに異性としてすら見られていないのに。
「だったらさ、告白の言葉とか考えよう。相手がどんな人か知らないから、力になれるかどうかわからないけど」
世間一般の男が喜ぶ台詞ならわかると思う。
いや、俺の趣味は結構特殊だから、あまり役には立たないかも知れない。
「いえ、本当にそんなのじゃないんです」
榛名さんの表情は困惑していた。きっと、まだ告白することなんて考えてもいなかったのだろう。
でも、ちゃんと伝えなければいけない。
俺が榛名さんが俺のことを好きなのかも知れない、なんて勘違いし……そうになってしまったのと同じように、相手の男が榛名さんは自分のこと好きじゃないかも、なんて勘違いさせてしまうから。
「気持ちを伝えるっていうのは本当に大変な事なんだから、頑張らなくちゃ駄目だよ。比喩でもなんでもなく、ここまで負けたら終わりってくらい、死に物狂いでやらなくちゃいけない」
一方的な勘違いだった俺は、『みっともない』だけで済んだ。
でも、好きあっている同士が勘違いをし合い続ければ、その先に待っているものは不幸しかない。
時間は永遠ではない。いつ終わりが来るのか、いつ変わってしまうのか、わからない。
俺は、もうずっと昔に。言いたくて、言わなくてはいけないことを、言わなくてはいけない時に言うことが出来なかったから。
榛名さんに、その時のあの気持ちを知って欲しくないから。
「……先輩。怒りますよ?」
榛名さんの瞳は、本気で怒っていた。
それはそうだ。
こんな大切な事、自分の一生を左右しかねない事に、土足で踏み込まれたのだ。
ゼミ以外のプライベートでは何の関係もない、関係を持ちたいとも思わない他人に、そんなことまで干渉されれば、怒って当然だ。
「あーごめんごめん。俺が口出しすることじゃなかったよね」
俺があせってどうするんだ。
当事者なのは、榛名さんと相手の男の二人だけ。俺はあくまで部外者に過ぎないのに。
直接力になれないのなら、後は言葉で励ますしかない。
土足で踏み込みすぎて、榛名さんの心を傷つけないように。榛名さんが、自然な気持ちで勇気が出せるように。
「ま、いずれにしても……」
「優しくて頼りになる」「でも親しくもなんともない」先輩が言える事なんて、ひとつしかない。
今日は四月一日。エイプリルフール。
一年で唯一嘘をついていい日。
「……応援しているよ」
だから、俺は嘘を吐く。今日だけは嘘を吐く。
明日からは、本心にするから。
だから、今日だけは。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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