キリ番以外
『ゲーム』
リク主:Pさん リク :『●シリアス』『ゲーム』
「ゲームをしましょう」
いつも通りの寂しげな微笑みを浮かべながら、イザベラはそう言った。
「あなたが勝ったら、あなたの物になってあげる」
彼女が好きだからその寂しげな笑顔をどうにかしたいと思ったのか、その笑顔をどうにかしたいと思ったから彼女を好きになったのか。今となっては定かではない。
少なくとも、単純に舞台の上の彼女の歌声に魅了されたというだけではないと思う。
「オーケー。そのゲームっていうのは?」
今まで機会を見つけては何度も口説き続けてきたが、こんな前向きな答えが返ってくるのは初めてだった。
思わず興奮して身を乗り出す。
「ルールは単純。……私を殺せたら、あなたの勝ち」
一瞬、自分の息が止まるのがわかった。
「それは、悪い冗談だな。僕が欲しいのは君の全てであって、死体じゃない」
思わずそう言って誤魔化したのは、きっと彼女の微笑みの奥の瞳が真剣だったから。
「そうね。忘れてくれていいわ」
そう言って去って行く彼女の後姿を、僕は黙って見送るしかなかった。
今のは、本気だったのだろうか。
……少なくとも、冗談を言っているようには見えなかった。
「よう兄弟」
不意にかけられた声に振り向く。
見覚えのない男だった。
どこかで会ったことがなかったかと、慌てて記憶をかき回してみる。
「誰だよ、アンタ」
少なくとも、兄弟と呼ばれるくらいの関係の中には、その顔はなかった。
「そんな怖い顔すんなよ。同じ女に振られた同士だ」
それでわかった。
この男も、以前イザベラに振られた事があるのだろう。
それで同じ境遇の僕に近づいてきたのだ。
「……放っといてくれ」
今はあの言葉の意味を考えたい。
もしも冗談でないのなら、そこには必ず意味があるはずなのだ。
「ふてくされんなよ。実際大したもんだぜ。俺もアレを言わせるのに一ヶ月かかったからな」
「……お前も言われたのか?」
自分だけが特別ではなかったという失望と同時に、確信が生まれる。
あれは口先だけの戯れで言ったことではないのだと。
「最初は無視されるんだがな、それでも諦めずに彼女を口説き続ける男は大概言われるらしいぜ。流石にああ言われてまだ付きまとう男はいないが」
本当に殺して欲しがっているのなら。
その心を打ち明けるということは、ある程度でも彼女が心を開いた証ではないのだろうか。
「ま、いずれにしても、彼女には手を出さない方がいいぜ」
「何故?」
この男も彼女を口説いたのだろうに。
「イザベラはな、ボスの愛人なんだよ。あの大劇場だって彼女のために建てたらしいぜ」
それは流石に驚いた。
ボスはこの街のみならず、辺り一帯を取り仕切るマフィアの親分だ。そのボスが街一番の歌姫を愛人にしているというのは、言われてみれば不思議でもなんでもない。
しかし、あの大劇場を彼女のために建てたというのは、流石に突拍子過ぎた。
大劇場は、この街一番の娯楽施設だ。
いや、街どころではない。他の国にまで知れ渡り、観光客が来るほどの大舞台。
そこで繰り広げられるショーをひと目見ようと、毎日国内外から山ほどの客が詰め掛ける。
それを、彼女ひとりのために?
「その彼女に手を出したら、殺されるだけじゃすまねぇだろうな。多分、向こう100年は語り継がれる死に様になるだろうよ」
確かに、この男の言うことが本当ならば、それくらいのことはあり得る。
「もしあの言葉が本当だとしても、ものにしたい女を自分で殺した挙句にボスの怒りを喰うなんてのは、割りに合わないとかいう以前の問題だろ」
その通りだ。
この男の言うとおり、忘れるのが一番いい方法なのだと思う。
でも、彼女のあの言葉の真意は、一体どこにあるのか。
それを知るまでは、僕の心が落ち着くことはありそうになかった。
それから幾日か後。
僕は同じ酒場のカウンターに座っていた。
隣に座った女が、ショットガングラスをぐっと一気に呷る。
首を仰け反らせてあらわになった喉。肉厚の唇。大きく開けられた胸元。
男好きのする美女だ。
劇場でもそれなりに名の通った歌姫であることも、男が放っておかない理由のひとつだろう。
でも、僕にとってはイザベラのことを聞く情報源に過ぎない。
僕も彼女を追うように、グラスをテーブルに叩きつけ、一気に呷った。
彼女から一杯でも遅れれば、そこで話は打ち切りの約束だから。
「確かに、あの子はボスの愛人よ。別に隠すほどのことでもないわ」
だったらいちいち飲ませないで欲しい。
強すぎるアルコールに朦朧としかけた頭でそんなことを考える。
そうしている間にも、彼女は更にグラスを空けた。慌てて僕もそれに倣う。
「ボスの溺愛ぶりも有名よ。人目もはばからずに始めちゃったりね」
何を、とは流石に聞かない。
「彼女の方は、それをどう思ってるんでしょうか? 二人は愛し合ってるんでしょうか」
まず考えたのはそれだった。ボスとの関係が嫌になったのなら、死にたいと思っていても不思議ではない。
「愛は、ないんじゃないかしら」
やっぱり。
でも、それはそれで疑問が残る。
何も死ななくても、他に方法はある。逃げるなり、極論してしまうならボスを殺すとか。
「愛というか、恩よねぇ」
平然とした顔で次のグラスを空ける。
いくらなんでも強すぎる。グラスを持つ手も覚束なくなりながら、僕も何とかその後を追った。
「あの子、小さい頃に身寄りをなくしてるらしくてね。ボスに引き取られて育てられたのよ」
くらくらする頭で聞き流しかけて……その言葉が脳まで届くと同時に僕は愕然とした。
「なんで……どうして、ボスが子供を引き取って育てたりしたんですか?」
ボスの黒い噂なんて、聞きたくなくてもいくらでも耳に入ってくる。
どう考えても慈善事業で子供を引き取ったりするわけがない。
「さあね。好奇心猫を殺すって言うでしょ? 目をつけられでもしたら面倒だし」
それは確かにその通りだろう。
聞けば、案外簡単に答えてくれるかもしれない。
でももしかしたら、それだけで逆鱗に触れて、身の破滅に至る危険もある。
その危険を冒して手に入るのは、好奇心を満足させられることだけ。
危ない橋は渡らない。当然のことだ。
「もしかしたら、最初から『そういう目的』で引き取ったのかもね」
それは、あるかもしれない。
『そういう趣味』ではなくても、若い女が好きなんてのは普通の嗜好だ。
ボスくらいの地位にあれば、自分好みの女を自分で育てるなんて考えも浮かぶのかもしれない。
「でもそうすると、イザベラはボスの養子ってことですか?」
「法的には違うらしいわね。よく知らないけど。本人がそんなようなこと言ってたわ」
育ててもらった恩を、悪く言えば身体で返していると言うことか……?
「それを彼女は嫌がって……」
「それはないわね。あの子、寂しがりだから。そういう過剰なスキンシップはむしろ喜んでたわ。あの年でまだまだ子供なのよ。多分あの子、ボス以外の男は知らないわね」
それもまた意外だった。
彼女ほど美しく、誰にとっても憧れの歌姫。男が放って置くわけがない。
……そうか。当然ボスだって他の男が手を出してくるのを放っておくわけがない。
「ボスとも愛とか恋とか言う関係じゃなさそうだし、きっと本当の恋なんてしたことないのよ。もっとたくさん男を経験しとけばいいのにねぇ」
艶っぽい目で見詰められる。
まずい。心臓がばくばくいっている。
いや、まずくはないのかもしれないけれど。
「えーと、そういえば、彼女は何才なんですか?」
「確か、25ね。82年生まれだから」
「え……じゃあ、僕よりひとつ年下なんですね」
なんだか意外だった。
彼女は大人びていて、年上か、少なくとも同い年だと思っていた。
「むしろ年齢より若く見えるけどね。いまだに白馬の王子様とか言ってる、夢見る乙女だから」
想像がつかなかった。
あの神々しいまでの凛々しさで唄を放つ彼女が白馬の王子様とか。
「ま、白馬の王子様なんて、本当にいるわけないけどね」
好きな相手が出来たなら、死にたいと思うほどに他の男を拒む理由もわからないではない。
でもそうでないのならば、死を望むまでに拒む理由が見つからない。
一生懸命考える。でもそれとは裏腹に、だんだん頭が回らなくなってく。
「おやおや、坊やはもうおねむみたいね」
ぐわんぐわん回る視界の中で、ゆっくりと意識が薄れていった。
「最後まで付き合ってくれたから、いいこと教えてあげる。イザベラの母親の名前はね、マーシャっていうらしいわ。……もう聞こえてないかしら?」
この街の劇場は、イザベラの大劇場だけしかないわけではない。
この街には、歌を目当てに連日たくさんの客が訪れる。
当然、中には希少品である大劇場のチケットを手に入れられない客がいる。
そもそも、高価なチケットを買うことが出来ない客がいる。
そうした「大劇場にふさわしくない客達」を受け入れる、安い小劇場がいくつも存在していた。
「ああ、マーシャは確かにウチにいたよ」
その中のひとつに、イザベラの母親のマーシャは勤めていたらしい。
死を覚悟するほどの二日酔いに襲われたあの日、記憶なんてほとんど残っていなかったけれど、何とかその名前だけは覚えていた。
それ以外全て忘れてしまっても忘れてはいけない、大切な情報だ。
「元々この街に劇場はウチしかなくてね。歌いたかったらここに来るしかなかったからな」
その古びた劇場のオーナーは、いかにも小物然とした男だった。
この街が一大劇場都市になったのは、全て大劇場が出来てから。
大劇場を目当てに集まった客のおこぼれにあずかって、もっと成長を遂げていても不思議はない。
実際、それなりの規模になった劇場のほとんどはそうしてきた。
にもかかわらず、大劇場以前からこの街にありながら、いまだにこんな場末の劇場にとどまっていることからも、この男の小者さがわかる。
「で、あんた何のためにそんなこと聞くんだ?」
その目には、明らかに警戒の色が浮かんでいた。
当たり前だ。見知らぬ男が不意に尋ねてきて、いきなり昔の話を聞かせろ、では。
「実はわが社では、イザベラさんの伝記を発行する計画がありまして。まずは母親のマーシャさんのことについて調べているんですよ」
オーナーには出版社の記者と名乗ってある。
もちろん嘘だ。
「そうなれば当然この劇場のことも紹介することになりますし、あのイザベラのルーツがこの劇場だということが知れ渡れば、この劇場にとってもよい結果になると思うのですが」
知れ渡れば。
伝記など発行されないのだから、ありえないのだけれど。
そんなことも知らず、思ったとおりオーナーは考え始めた。
伝記が発行された時の客の入りの計算でもしているのだろう。
「当然、謝礼も出るんだろうな」
……どうやら、オーナーの方が一枚上だったらしい。
「はい。売り上げがあがれば、当然お礼をさせていただきます」
売り上げがあがれば。
伝記など発行されないのだから、ありえないのだけれど。
「さぁ、なんでも聞いてくれ……おい、さっさと茶を持ってこい。一番いいヤツだ」
ここまで徹底していれば、むしろ気持ちがいい。
「それでは……マーシャさんというのは、どんな方でしたか?」
「そうだなぁ……とにかく歌が上手かった。イザベラの歌も聴いたことがあるが、あれと同じくらいには上手かったな。ただ、歌以外の点じゃ全く地味でな。華っていうか、スター性みたいなもんが決定的にかけてやがった。そのせいで全然売れなくてな」
いや、それよりもこんな場末の小さな劇場にいたせいではないのだろうか。
こんなところにいては、どんなに心振るわせる歌を歌っても、聞いてくれる相手すらほとんどいなかっただろう。
「それでも歌は一級品だからな。そのうち常連客もつくようになってきたわけだ。毎日通ってくる男もいたよ。で、売れねぇ歌手にそんな熱心なファンがつけば、当然意識し始めるよな?」
「それが……イザベラの父親ですか?」
それを聞いて、オーナーはにやりと笑った。してやったり、という表情だ。
「残念。それが違うんだな。その男はな、今のボスだよ」
正直に言って驚いた。
まだイザベラが生まれてもいない時点で、ボスの名前が出てくるのは流石に予想していなかった。
「じゃあ、ボスはイザベラの生まれる前からマーシャと知り合いだったんですか?」
「ああ。だがな、将来有望だったボスは、先代から跡目を譲られることになったんだ。それに比べてマーシャは売れない歌い手だ。足手まといになると思ったんだろうなぁ。ある時姿を消しちまったんだよ」
つまり──二人は愛し合ったまま別れたわけか。
「マーシャがいなくなったのは、いつだったかわかりますか?」
「大騒ぎになったからな、忘れるわけねえよ。80年の夏だったよ」
イザベラが生まれたのは82年。その2年前だ。
ボスの前から姿を消したマーシャは、一年ほど経って他の男の子供を孕み、その娘をボスが引き取った。
そういうことになる。
「つまり、ボスがイザベラを可愛がっているのは……」
「惚れた女の娘だから、だろうな」
なるほど。ボスが子供を引き取るなんて似合わないことをしたのは、昔の恋を忘れられないからか。
当然イザベラは、母親のマーシャに似ているはずだ。
であれば、ボスが成長したイザベラを女として意識してしまうのは、ある意味当然のこと。
「ま、俺が知ってるのはそれくらいだな。マーシャが消えちまった後は、ボスともイザベラともまともに会ったことはねぇ」
確かに、それ以上のことを知っていれば、こんな鄙びた劇場のオーナーなどしてはいないだろう。
それに、知っていることがあれば、自分から勝手に話し出す性格だと思う。
「ありがとうございました」
ここに来た成果はあった。
今聞いた話を早く整理したくて、僕は急いで立ち上がる。
「発売日が決まったら教えてくれよ」
「はい、もちろんです」
伝記など発行されないのだから、ありえないのだけれど。
「まぁまぁ。こんなハンサムが来てくれるなんて、私みたいな年寄りでもなんだかときめいてしまうわ」
ミスアンダーソン。5年ほど前に辞めるまで、50年近くボスの家に仕えていた家政婦だ。
イザベラが来てからは、彼女の世話係も勤めていたらしい。
彼女のことを聞くのにこれほどふさわしい人物はいないはずだ。
「私ももう年ですからね。お嬢様が成人なさるのを期に、お暇をいただいたの。おかげでこうして悠々自適の生活が出来るのだけれど、時間ばっかり余ってしまって。お話相手になって下さる方は大歓迎ですわ」
「いやいやお年だなんて。まだまだお若いですよ」
実際、彼女は70を越える高齢には見えないくらい元気だった。
「まあ。お世辞が上手なのね。あなたみたいな人に20年も早く出会えていたら、こんな年まで独り身でいることもなかったでしょうに」
「いまからでも十分間に合うと思いますよ?」
ころころ笑う様子は、本当にこれから恋愛を始めてもおかしくないように見える。
「本当にお上手だこと。貴方を見ていると昔を思い出すわ。あの青春の日々……」
「貴女なら、さぞかし素敵な出会いを重ねていらしたのでしょうね。今までどんな恋愛をなさってきたのですか?」
齢を重ねた今でも、ひと目見ただけで若い頃はさぞかし美しかったのだろうことがわかる。
あながち話を合わせるだけではない好奇心で、僕はそう聞いてみた。
「いいえ、私は本当に大した恋愛なんてしていなんですよ。でも……そうね、一番心に残るのはマーシャ様のことかしらね」
来た。
こちらから話題を振るまでも無く、向こうから切り出してくれた。
幸いとばかりに話に乗る。
「マーシャさんというのは、イザベラさんのお母さんですよね?」
「ええ。マーシャ様は、元々旦那様の恋人でしたのよ。凛々しい旦那様とお美しいマーシャ様。本当にお似合いでしたわ」
知りたい気持ちを表情に出さないようにして、自然に聞こえるように先を促す。ここまで上手く来ているのに、警戒させるわけにはいかない。
「でも……姿を消したんですよね?」
「あの時はねぇ……旦那様の家は、組織の中ではそれなりの地位だったけれど、ボスなんて全然縁のない末席でしたのよ。それが先代に見込まれて、奥様──先代の一人娘だったのですけれど、その奥様に気に入られて、婿養子として後継者になるように迫られていのです。マーシャ様は、その邪魔にならないように、自ら身をお引きになったのですわ」
なるほど。
出世のために女が邪魔になった。それを知った女は自分から身を引く。
よくある話だ。
「愛ゆえに、ですか。それは美しい話ですね。……でも、見つかったときにはもうイザベラさんが生まれていたんですよね?」
わざと意地の悪い聞き方をする。少しくらい怒らせて平常心を失わせた方が、話してはいけない話を聞き出しやすい。
「なんの身よりもない女が、しかも身を潜めて生きるのですもの。方法なんて、選べるほどはありませんわ」
それなのに、ミスアンダーソンは微笑すら浮かべていた。
強く生き、子供を育て上げたマーシャに対する誇りすら伺える表情。
「お嬢様はお誕生日をお祝いになったこともなかったそうです。そのくらい大変な生活をなさっていたのですよ。実際、誕生日というものがどういうものなのかすらご存知なかったくらいで。生まれた年をマーシャ様から教えられていなかったら、御自分のお年もわからなかったでしょう」
生活が苦しくて誕生日を祝えないというのはわかる。
でも、誕生日自体知らないというのはいくらなんでも徹底し過ぎている。
おめでとう、くらい言われなかったのだろうか。
「……なるほど。素晴らしい女性だったのですね」
それはともかくとしても、女手ひとつで子供ひとり育て上げたのだということは素直に賞賛できる。
「ええ、もちろん。同じ女として、嫉妬も出来ないほどに素晴らしい方でしたわ。ですから旦那様も心から愛していらっしゃいました。奥様とご結婚なされてからも、ずっと行方を捜していらっしゃいましたもの」
それはそうだろう。
ボスは、自分のでもない子供を引き取って、大人になるまで育て上げたのだ。本気で好きでもない相手に、そこまで出来るわけが無い。
「確か、イザベラさんが見つかるまでには6年かかったのですよね。どこにいたのですか?」
「何も無い、平原の中にぽつんとある小さな村です。ほとんど外との交流も無いような。でも見つからなかったのは、奥様の手前堂々と探せなかったせいもあるのでしょうね」
妻がいる身でおおっぴらに他の女を探すわけにはいかない。
婿養子であるなら尚のこと。
「マーシャ様の居場所がわかったのは、奥様がご病気で亡くなるのとほぼ同時でした。でもその時には、マーシャ様はもう……」
そう言ってミスアンダーソンは顔を伏せた。
話を聞いていれば、ミスアンダーソンがマーシャのことをいたく気に入っていたらしいことはわかる。
さぞかし無念だったのだろう。
「マーシャ様は、奥様の道連れにされたのだと、もっぱらの噂でしたわ」
「いくらなんでもそれは流石に。祟りとか呪いなんてあるわけが……」
気持ちの整理の付け所として、誰かのせいなのだと、そう思いたい気持ちはわかる。
でも、いくらなんでもそれは非科学的過ぎる。
「いいえ、比喩でもなんでもありませんの。旦那様の愛情がマーシャ様に向いていても、自分が正妻だと思えば奥様も我慢できたのでしょう。ご病気になって、自分が死ねばマーシャ様がその後釜に座る。プライドの高かった奥様にとっては、我慢ならないことだったと思います」
「それが……何か?」
それはわかる。
最初から愛情はなく、その上正妻の座すら奪われるなど、さぞかし屈辱だったろう。
「奥様には、先代の頃からの子飼いの部下がいました。奥様以外の命令は、例え旦那様の言うことでも聞かない連中ですわ。おそらく……」
「……そいつらが、マーシャさんを?」
元々マフィアのボスの娘なのだ。
冷酷な命令を下すことに躊躇が無くても、不思議なことは何も無い。
「だって、考えてもみてください。奥様とほぼ同時にマーシャ様がお亡くなりになり、その直後に、いくら探しても見つからなかったイザベラ様が見つかったのですよ? 死期を悟った奥様がマーシャ様を探させて始末して、その動きに気付いた旦那様が助けようとしたけれど、間に合わなくてイザベラ様だけお助けした……一番筋の通った考えだと思いません?」
確かに、それなら辻褄が合う。
それにこの人は、僕なんかが知らない詳しい内情を知っているのだろう。
なにより、僕が知りたいのはその辺りの真実ではない。
「でも、好きな人が他の男との間に作った子供ですよ? つらく当たったりしなかったんですか?」
「いいえ、いいえ。旦那様はマーシャ様が御自分のために身を引かれたことをよくわかっていらっしゃいました。それに御自分にはお子様がいらっしゃいませんでしたから、その可愛がりようったら、目に入れても痛くないというのはああいうことを言うのでしょうね」
「ですが、それだけ可愛がっている子供に、その……」
流石に言い澱む。
しかし、それで言いたいことはわかったのだろう。
「確かに、娘同然の相手と関係を持つというのは、世間一般から言えば非常識なのかもしれません。ですが、本当に血が繋がっているわけでなし、後ろめたいようなことではありません」
何年も育ててきた娘を女として見ることについてはよくわからない。
でも、結ばれることの出来ない相手に、その人によく似た肉親がいたら。
もしも、イザベラにそっくりな妹などがいたら。
少なくとも、僕は意識しないではいられないと思う。
「引き取られてしばらくしてからも、お嬢様はずっと申し訳なさそうになさっていました。娘として可愛がってもらえば貰うほど、血の繋がっていないことに後ろめたさを感じていらっしゃったのでしょうね。それが旦那様と男女の関係になってからというもの、それまでの余所余所しさがすっかりなくなりました。肉体的に結ばれることで、違う価値観を見つけた──そういうことなのだと思います」
母親を通じてしかなかった関係が、自分自身とのつながりに変わった。
それはきっと、イザベラにとって歓迎すべきことだったのだろう。
「おそらくお嬢様は、旦那様を異性として愛してはいないと思います。ですが、お二人はそれ以上の関係で結ばれていて、そのことにお嬢様は幸せを感じていらっしゃいます……ですから、お二人の間に割り込もうなどと、意味のない努力だと思いますよ?」
そうか。こちらから聞きもしないうちに話してくれると思ったら、それが言いたかったのか。
「はい。彼女が嫌がることは、僕もしたくないですから」
嘘じゃない。
本当に彼女がボスの愛人でいることを嫌っていないのであれば、僕は黙って身を引くつもりだった。
でも、どうしてもあの悲しげな笑顔が忘れられない。
本当に幸せなのだったら、あんな顔をするわけがない。
僕が知らなければならないことは、彼女が本当に望んでいることは一体何なのかということだった。
その村は、思ったよりもずっと活気があった。
寂れた寒村であることには間違いないけれど、話に聞いていたよりは人通りも多い。
「これはまた懐かしい名前を聞いたの」
そうつぶやきながら、老医師は手土産替わりに渡したリキュールをぐいとラッパで呷った。
まだ診察時間内だというのに。
「もちろん覚えておるよ。マーシャとイザベラの母子じゃろ? 婆のしなびた身体ばっかり見なきゃならんかったわしには一服の清涼剤……ごほんごほん」
誰だこいつを医者にした奴は。
医療現場は、聞いた以上に危機に瀕しているらしい。
「最近は人口も増えたが、あの頃村にいたのは死にかけた爺婆ばかりじゃった。生きているものはもうほとんどおらんよ。マーシャがいた頃の思い出話も、今じゃする相手もおらん」
聞けばこの辺りでも開発が始まり、すっかり様変わりしているのだという。
「この村に来たのはいつ頃でしたか?」
「80年の……冬になる前じゃったな、確か」
姿を消してから半年くらいでこの村に来たことになる。
イザベラが生まれる一年半ほど前。
それなら、イザベラの父親はきっとこの村の男だ。
「……それで、二人はどんな生活をしていたんですか?」
「どうもこうもないわい。この寂れた村から更に奥の野っ原に二人だけで住んでおった。まるで身を隠すようにしてな」
まるでではなく、本当に身を隠していたのだろう。
それは多分、ボスに見つからないために。
「そんな生活じゃから、マーシャは時々身体を壊してな。わしゃ親切じゃから時々往診してやっとったんじゃ。もちろん無償でな」
ただ若い女に触りたかっただけだ。賭けてもいい。
「その家がまたひどかった。隙間風だらけの掘っ立て小屋で家具などほとんどない。帰ろうと時間を聞いても時計どころかカレンダーすらありゃせんかった。こんな田舎は時間がゆっくり流れるもんじゃが、あの家では全く時が止まったような気がしたもんじゃ」
いくら身を隠していたとはいえ、そんな生活がつらくないわけが無い。
本当に、マーシャはボスのことを愛していたのだろう。
「あの時のまま、時間が止まった気でおったが……もう20年も経ったんじゃな」
しみじみと老医師はつぶやいた。
それはとても長い時間。
僕の今までの人生よりも、僅かに短いだけなのだから。
「しかし考えてみれば、あのちびっこかったイザベラももう26才になるんじゃな。いい女になっとるだろうなぁ」
「……は?」
今、何か聞こえた。
何か、とてつもなく違和感のある言葉が。
「先生、今なんて言いました……?」
僕の声が震えているのに気付いたのだろう。
老医師が不審気に眉をひそめた。
「いい女に……」
「じゃなくて! 何歳になるって……いいました、か?」
「わしゃ医者じゃぞ? いくら酔っていても、計算くらい出来るわい。81年生まれじゃから、26才じゃろうが」
知らないうちに、手が震えていた。
僕が知っているのとは違う数字。
「間違いないですか?」
「この村に来たときはもう臨月も近くてな。慌ててわしが取り上げたんじゃ。間違えるわけがない」
そうか。
そうだったのか。
カレンダーもない家。
外界から切り離された母子。
誕生日がなんなのかすら知らない子供。
そういう、ことか。
「どうしたんじゃ、変な顔して。前に同じこと聞いた女も同じ顔しとったが」
「女……?」
愕然としていた意識が一瞬で戻る。
「その人は、もしかして……マーシャさんに、似てませんでしたか?」
だとしたら、その人はきっと。
「ああ、そういえば似ていた気もするな。胸しか見とらんかったからよくわからんが」
それを最初に疑うべきだろう。
マーシャとイザベラ親子のことを聞く、おそらくは20代半ばの女性。
彼女しかありえない。
「それは……いつ頃の、ことですか?」
「よく覚えとらんが……一年くらい前じゃな、多分」
もう、間違いなかった。
今日も、劇場は満員だった。
ゆっくりと、堂々と。楽屋裏を歩く。
忙しい本番の最中、関係者然として歩く僕を見咎める者はいない。
『私を殺せたら、あなたの勝ち』
その言葉は、どういう意味だった?
もう一度、考える。間違いが無いように。
むしろ、そんな馬鹿な考えは間違いだったと知りたくて。
何故、ボスを殺すのではいけないのか?
イザベラにとって大恩有る相手だ。
恩を返しこそすれ、仇で返すわけにはいかない。彼女自身がそれを望んでいない。
何故、逃げるのではいけないのか?
マーシャは、ボスの元から去った。それがボスを思う故の行為であることは、ボスもイザベラもわかっている。
でも、結果としてボスの前からマーシャが去ったことは間違いない。
そして再会した時、マーシャはもう生きてはいなかった。
おそらく、自分の妻が手を下したのだ。
それがどれほどボスの心に傷を残したのか。
同じようにその娘であるイザベラが逃げればどうなるか。
治ったはずの古傷をえぐることになる。それはどれ程の痛みなのだろうか。
何故、自ら命を絶たないのか?
自ら命を絶つということは、死を選ばなくてはならないほどの不満があるからだ。
イザベラの世界には、ボスしかいなかった。
ならば、その原因は自分にあると、ボスにはわかるだろう。
自分のせいで命を絶ったのだいう事実は、ボスの心を激しく傷付けるだろう。
それは、恩を仇で返すということ。
そしてなにより。事実を告げるわけにはいかない。
当たり前だ。
どんな顔をして言えばいい?
──貴方が抱いているその女は、貴方の実の娘なのですよ──
ガン、と壁に頭を叩きつける。
近くにいた男がぎょっとした顔をしたが、そんなことはどうでもいい。
わかった。
わかってしまった。
彼女が、何故殺して欲しがっているのか。
逃げることは出来ない。
罪を刻んだ自分の身体から、逃げられるわけがない。
唯一、身体を捨てる以外の方法では。
それが自殺以外の理由でも、イザベラが死ねばボスは悲しむだろう。
でも、自分で選んだ死で無いのならば、それは『イザベラが死んだ』という事実へだけの悲しみだけで済む。
不必要な傷を負わせずに済む。
そのためには事故死か病死すればいい。
でも、そんな都合よくいくわけがない。
死にたいと思ったら都合よく病気になるなどと。
事故を装うのも難しい。
この町の裏を知り尽くしたボスが、最愛の相手の死因に気付かない可能性は低すぎる。
かくして残された選択肢はただひとつ。
助けてくれる白馬の王子様を待つこと。
その人にお願いすること。
──私を、殺して
ぎり、と唇を噛む。
血が流れるのもかまわず、壁を殴りつけた。
イザベラが悪いわけじゃない。
自分を愛し、育ててくれた相手に報いたかっただけだ。
ボスが悪いわけじゃない。
愛した人の娘に、同じように愛をそそいだだけ。
その愛の形が、あくまで自然の摂理通りに変わってしまっただけ。
マーシャが悪いわけじゃない。
ボスの将来のために、小さな嘘をついただけ。
『あなたと私は関係ない』。そう示そうとしただけ。
全員が優しすぎた。
愛しすぎた。
それだけのこと。
舞台の袖に着く。
あせらないように自分に言い聞かせながら、僕はポケットの鉄の塊を握る手に力を込めた。
この選択が間違っているなんてことはわかっている。
本当の正解は、現状を解決し、彼女に寄り添ってその傷を癒してあげることなのだと思う。
でも、僕はこれ以上彼女の苦しみを引き伸ばしたくはなかった。
彼女の望みをかなえてあげたい。
今すぐに楽にしてあげたい。
それが、彼女の望む結末なのだから。
誰もいないところで、二人だけで静かにとも考えた。
でも、それが間違っていることはすぐに気付いた。
彼女は歌姫なのだ。
誰もいないところで、なんて彼女にはふさわしくない。
それに。
ゲームに勝った相手の物になりたい。
助けてくれた白馬の王子様と本当の恋がしたい。
きっと、それも紛うことなき彼女の願い。
それならば、出来るだけたくさんの人間に知らせなければならない。
この女は僕のものだと。
すう、と息を吸う。
確かに、これはゲームだった。
情報を集め。
相手の心理を読み。
最高のタイミングで切り札を切る。
掛け金は自分と彼女の命。
報酬は彼女の心と魂。それから僕の自己満足。
一歩を踏み出し、そのまま僕は舞台の上に立った。
その時になって、ようやく舞台裏がざわめきを始める。
止めるべきなのか、それともこれは演出か何かで、そのままにするべきなのか。
判断に困っている様子が、そのざわめきからわかった。
それでも、彼女は歌を止めない。
僕に気付いていないはずがない。
歌いながら、彼女は僕に向き直った。まるで最初から演出で定められた動きであるかのように。
流石街一番と呼ばれる歌姫。
さすが、僕の心を奪った人。
手を伸ばせば触れあえる距離で、僕たちは向き合った。
ポケットから右手を取り出す。
無骨に光る鉄の塊を握り締めたまま。
もしも、最後の瞬間。ほんの僅かにでも、彼女が自分の望みが現実になることに恐れを見せたのなら。
僕は素直に負けを認めよう。
そう思っていた。
でも。
彼女は、自分へと向けられた、自らを奈落へと引きずり込む銃口を見詰めて。
それから、その視線を僕の顔へと上げて。
確かに笑った。
それは、今まで見ていたあの寂し気な笑顔ではない。
ずっと見たかった、本当の、心からの笑顔。
銃声が響く。
彼女の、そして僕の、全ての終了の合図。
ゲームは、僕の勝ちだった。
でも本当の勝者は、イザベラだったのだと思う。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
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