Short & present!
オリジナル中編
スタンドボーイ
2048.10.11 午前中
ハガネの足は砂煙を巻き上げ、出来た足跡はすぐに消えてなくなる。彼女の顎から、脇から、額から汗が飛び散り、ようやく瓦礫の日陰の中に走り込めば、息を止める作業の始まりだ。一瞬、ハッ、と短く息を吸い込み、汗の音も砂塵の中で止まるよう祈る。十分は走り抜いた足は震え、服に砂が入り込むのでさえ気にも留めず、うずくまって体を抱えた。
祈らなければ、死ぬ。祈っても、運が悪ければ死ぬ。
陽向に、巨大な影が落ちて、ハガネの目も震えた。いつだったか、図鑑で見た、クマとかいう生き物よりも、ひと回りは大きい。鈍い黄色の歯から滴った唾液が砂を濡らし、じわり、と黄色い煙をあげた。長くは吸うな、と警告するような臭いが立ち込める。息を止めていても臭ってくるそれに、ハガネの目から涙が零れた。
大きなげっぷをするような音が、大きな影から轟く。そのまま、うろうろする。探している。体中についた砂粒が、音と臭いと存在を消してくれることを、ただひたすら祈る。あの、毒の牙。噛みつかれたら、先は長いだろう。
果たして祈りは。
通じた。巨大な影はのっしのっしと重たげな音を立てて、ハガネのいる瓦礫の陰の傍から離れて行った。油断は禁物。ハガネは前髪一本揺らさずに、そのまま数分を凌ぎ、まともに息が出来たのは、生き物が行ってしまってからに十分後だった。瓦礫から出たのは、さらに十五分後。痒い砂粒を落としながら瓦礫から怖々と出てみる。至近距離で毒の唾液の臭いがし、思わず鼻に皺を寄せた。
「天敵……102種かな……」
ポツリ、と独り言を呟いて、手首に巻いた、柔軟性のある古いタブレットを起動した。向きを整え、今まで本などで見た画像と、目撃情報や死亡被害のメモを確認する。黄色い毒の唾液に、体高は2~3m。毛色は砂色で、分布地域も一致。やはり102種だ。
『……うちの方に来なきゃいいんだけど』
帰り道に出くわさなければ尚いい。しかし天敵に一匹たりとも出会わず、この道のりを往復できるなんて実際は無理だろう。砂利の混じった唾液を砂の上に吐いて、ハガネは瓦礫と僅かな枯れ木と草しかない荒野を踏みしめた。
荒野の少し向こう。廃墟の街中。十数年前までは建物としてのプライドを保っていたものでさえ、錆びたり、物理的破壊を受けたり、腐食したり、散々な目にあってきた。多くの建物がそうであるなか、少しだけ原型を留めているガソリンスタンドがある。とはいえ、そのガソリンスタンドでさえ瓦礫の街の中では廃墟と化していた。
割れたコンクリートの上、どんな生き物が捨てて行ったかもわからない黒い糞の上に集った羽虫を、一匹のトビトカゲが食らう。ひたひた、と満足げに歩いて、主人に食事の報告をしに行く。ガラスもだいぶ割れた休憩室のドアの隙間から侵入し、ギシギシと軋むテーブルの上に集ったふたつの人影に向かう。
「いいぞ……ドリス……あ、馬鹿、そこはちゃんと描けよ」
「描いたら奥ゆかしさが足りないとか言うじゃないですか、絶対」
「ううむ、それもそうだな。俺のツボをよくわかってるじゃないか、お客様」
「わかりたくもなかったですけど……」
「そのまま……いいぞ……そこはニーソじゃなくって、網タイツの方が――――――ああ、注ぎてえ……」
グレーのツナギを着た男が恍惚の顔を浮かべて自らの肩を抱きすくめた頃、事もあろうかそのトビトカゲは、その喉からまったく似つかわしくない、可愛らしい声で『にゃあ』などと鳴いた。
途端に、鳴き声に驚いた人影は、跳ねるようにトカゲに視線を刺した。
「しししシンバル! びっくりすんだろが!」
床を這っていたトビトカゲを掴み、ツナギの男は大きく振った。トビトカゲはにゃあと鳴きながら、必死になって男の手を抜けようとする。
「スタンドボーイの為に、じゃないですか?」
「なんだと!?」
まだら模様にも近い白髪をたくさん抱えた少年に向かって、ツナギの男は人相をこれでもかと言わんばかりに悪くして睨む。少年はあまりのその視線の鋭さに、思わず後に続ける言葉を見失った。
「で、ですから、スタンドボーイが、道を踏み外すのを……」
「道!? 知るか! 人が! 折角! 正当な報酬をいただいてるっつー時に! 邪魔されたんだぞ!? ドリス! シンバル! わかるか!?」
「正当な報酬……」
テーブルの上に残された、描いた本人でさえ目を逸らしたくなるほど卑猥な絵。これが正当な報酬とやらになる日が来るなんて、一年くらい前には思ってもみなかった。少年ことドリスは残された絵を折り畳み、今まで描いた絵をとっておいてあるらしい棚に差し込んだ。
「また描きますから、今日の補給分は用意してくださっていますか?」
「ん? ああ、そっちに」
男が顎でしゃくる方には、ここに来た時にはなかったはずのワゴンがあった。中には黒パンから新鮮そうな野菜、そして涎が出そうな程色艶のいいベーコンがある。ドリスがここに来るのも一週間ぶりで、突然空腹を思い出し彼自身の耳に自分の腹が鳴る音が届いた。
「本当に、奇跡なんですね。魔法は」
「俺からすりゃ、ありがた迷惑な力ってトコだな」
「滅多な事言うもんじゃないですよ。よっと」
持つとふらつく程重いその食料は一週間分にはなるだろう。この男が自分の居住の近くに住んでいるのは奇跡と言ってもいい。この男――――スタンドボーイがいなければ、そしてドリスが彼に正当な報酬を与える事が出来なければ、こんな食料なんて手に入らない。現にスタンドボーイの満足する報酬を渡せなかった近所の住人は、みんな他の地区に去って行った。
「じゃあ、スタンドボーイ、また来週……」
「おう。早めにガツガツ食って、俺の欲望の丈を満たしに来い」
「その機会が少なくなることを祈ってます」
今までに渡した報酬がぎっしりと詰まっている本棚の上の段を見ると、何を描いてきたかを思い出して虚しくなった。
ため息ひとつ吐いて、ドリスは廃墟じみたガソリンスタンドから出て行こうとした。が、廃れた街の向こうに、砂塵が舞っているのが見える。
「げっ」
「ん? ああ、77種じゃねーか。ラッキーセブン」
「ラッキーじゃありませんよ。避難がてら、もうちょっといさせていただきます」
「親御さんは大丈夫か、お前」
「天敵と一緒にお散歩する趣味はないはずです」
「ふーん」
砂塵の中に潜む、アリジゴクのような77種。通常はこのガソリンスタンドの天井にも届くほどのサイズのはずだが、僅かに見えた影からして体躯は比較的小さいからおそらく幼生だろう。
「っかー。住みにくい世の中になったな」
「昔っからです」
世界に【天敵】が生まれてから、もう―――――
「……?」
砂塵の中に、77種の節足動物に似た脚の他に、もうひとつ、影が見える。
「スタンドボーイ!」
「なんだ、突然絶叫しやがって。砂ん中にピンヒールの美女でもいたか?」
「お、女の子が!」
「はあ?」
目を凝らすと確かに、女性のシルエットが浮かぶ。
「助けてあげなきゃ……!」
「あームリムリ。俺、ガソリンスタンドのバイトだから営業中は離れるとかムリだわー」
「馬鹿な事言ってんじゃないですよ!? 天敵に襲われてんですよ!? 助けてあげてくださいよ!!」
「弱肉強食の世の中なんて昔っから見慣れてるだろ、お客様?」
「見慣れてますけど!! ああもう! なんでも描きますから!」
「よくぞ言ってくれた! 羽振りがいいぞ、ドリス! 今参りますお客様ァアア!!」
「…………」
ドリスに白けた目で見られたなんてつゆ知らず、スタンドボーイは管の切れた古いガソリンの給油ノズルを片手にガソリンスタンドから駆け出して行く。
砕けたアスファルトに、苔むした地面。ひび割れたコンクリートの瓦礫をウサギのように猛進し、砂塵の中心に走った。偏光ゴーグルをかけ、もうもうと舞う煙の中に飛び込む。
煙たい砂塵の中、硬い毛の生えた6本脚と、触覚、そしてその脚の中心に鎮座する、ほぼ口だけの体を確認する。77種の幼生だ。急に表れた新たな餌に、77種が形容し難い、甘い香りのする口を開ける。給油ノズルをその口に向け、ニッと笑った。
「おう、たっぷりくれてやる」
ガチ、と指に力を込めると、真っ赤な光がノズルに浮かび、一瞬でそれは真っ白な強烈な光になって砕けた。
かなり離れて見ていたドリスも、強烈な閃光に目が眩む。人に聞こえる波長の声を持たない77種も強烈な光にひくひくと痙攣し始めた。
「我ながらモーレツだな、クソッ」
ゴーグルを外し、スタンドボーイは収まりつつある砂塵の中で砂を吐きだした。ぐるり、と見渡すと、瓦礫の小さな破片を背中に大量に浴びた、うつぶせの、鋼色の髪の少女がいる。
「おい、嬢ちゃん、目ぇ見えるか?」
スタンドボーイの声が耳に届くと、微かに身じろぎして、起き上がる。
「眩しかったら悪かったな。77種は強烈な光に弱いヤツだから、あーすんのが一番いい」
「……誰?」
少し目に光を受けたのか、少女は焦点の定まらないようなこげ茶色の目をスタンドボーイに向けた。グレーのツナギに、見知らぬ金属器具を持った男は、彼女の背中に乗っていた瓦礫片を拾って投げ捨ててぼやく。
「こんなトコにいるなら、嬢ちゃん、お客様だろ?」
「……じゃあ、あなたが――――」
喉に入った砂塵に咳き込む少女の手を引き、男は得意げに告げた。
「スタンドボーイ。ガソリンスタンド【I&O】のバイトだ」
時給悪くないぜ? と彼は続けていた。
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プロフィール

- 奏 Euph
- 割となんでもやる、活動的な魚類。
狐狸・二ノ宮翼・塵芥・ラピなど、名前がたくさんあります。
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