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ニホン人魚研究レポート


 ニホン人魚研究レポート




 今宵縦浜では、月がとても美しい。海に映るその月の凛とした美しさといったら、ちょうどさっき浜辺で見かけた彼女のようだ。流麗な足に毅然とした表情。隣の友人の言葉に真剣に耳を傾け、言葉を紡ぐ口元。

 どこをとっても素晴らしいとしか言えない。

 ああ、この娘の為に生まれてきたのだと私は思った。
 しかしどうしようもない人種の壁というものがある。私の尾鰭がそれを物語っている。いくら海の中の王族といえども、私が人魚であることは変わりない。
 嗚呼っ、なんて残酷な運命なのだ! 私の涙は宝石となって零れ落ち、海の糧となり―――――
「そろそろいいか?」
「いや、まだ待ってくれ!」
 西条海斗(さいじょうかいと)の冷水のような言葉を浴びながら、ニホン人魚の魦(いさざ)はぶんぶんと手と首を振った。
「待ってくれ、西条の君よ! 今まさに私の中で素晴らしい詩が浮かびそうなのだ!」
「本当に出来るならな」
 イサザの台詞を軽く受け流しながら、海斗はべたべたと彼の尾鰭の鱗に計測器を付けていく。


 五年前に中国で人魚が見つかった。今までずっと隠れていたらしく、そのニュースは海の底でも広まり、実のところ息が詰まっていた彼らが海辺に出没する事も珍しくなくなった。イサザの様子ひとつを見ればわかる通り、伝説との酷いギャップに目を伏せたくなる者も多々現れ、大学などの大きい機関くらいしか人魚の研究には携わらない。
 海斗の通う、縦浜大学海洋生物学部新生物研究学科もそのひとつである。縦浜は世界でも有数の人魚出現スポットであるにも関わらず観光というには人がいないのはもちろん彼ら生来の『おちゃらけている』性格が原因だ。
「それにしても西条の君よ」
「なんだ?」
「私の鱗に電極を付けるのがそんなに楽しいか?」
「楽しい! ……わけないだろ、ニホン人魚『生態観察』なんか」
 それはもちろん、遠慮の欠片もない本音だった。
「どうせなら『歌声が心理に起因するか』とかが花形だし、そっちに行きたかった。駄目なら『真珠化する涙の成分研究』とかも良かった」
「ではどうして?」
 にやにやと笑いながら尋ねてくるイサザ。からかっているのだとわかり、海斗は答える気にもならなかった。それにこんな質問は前にもあった。
「西条の君よ、」
「黙ってくれ」
 厳しくイサザの言葉を跳ねのけて、電極を通じて彼の鱗に電気を流す。僅かに虹色の明滅が観測された。
「……よし、ニホン人魚だと2.2ボルトがやっぱり一番か」
「ホンコン人魚ではどうだ?」
「あれは4ボルトも必要だ」
「ほうほう……それにしても私の鱗がここまで美しく煌めくとは……まぁ、元々美しいが」
「そろそろ口を閉じてほしい」
「世の中の他の人魚は歌えば褒め称えられるらしいではないか。私もこの口を開き、拍手喝采を聞きたいものだ」
「それは止めてほしい」
「なぜだ」
「だってあんたは音痴だ」
「相変わらず歯に衣を着せない言い方だな」
 言ってもイサザには堪えないらしい。クツクツと喉の奥で笑い、口が弧を描く。
「それにしても美しかった」
「まだ言うか」
 ため息をつきながら海斗はイサザを睨んで電極の端子の先端を向けた。
「また幻想だろ?」
「幻想のはずがない!」
 優雅を気取るイサザにしては珍しく声を荒げる。海斗は眉をひそめた。
「私は生まれて二百年経つが、彼女の様に美しい者は見た事がなかった。海の何者よりも美しい! 西条の君とはいえ、彼女を悪く言うようなら私は容赦しない」
「わかった、わかったから」
「なにがわかっただ?」
 さっきとは立場が変わった。イサザの真っ青な目をちらりと見やる。下半身は魚のくせに、上半身は首の窪みに鰓がある以外まるっきり人間だから困る。もちろんその目も魚のように単純なものではない。
「わかったってのはな、そう………………」
「……ちっとも理解していないではないか」
 イサザにため息をつかれると言葉にすらならない苛立ちを覚える。嫌々ながらも少し思案しながら茶髪をかきあげ、ふと思い出した。
「……だけど、さっきあんたが言った詩モドキが本当な「失礼な、素晴らしい人魚流の律詩だったぞ」……どの辺りにそんな要素があったんだか知らないけどな、そっちの言う通り陸と海の生き物には隔たりがある」
 否定が出来ないイサザは口を結ぶように噛んだ。
「あんたは海じゃなきゃ長く生きられないだろ? 残念ながら、陸に住んでいる生き物は――――まぁ、俺も――――海では三分持たない内に離婚だ」
「……哀しいかな、今回も西条の君の正論だ」
「一般論だと思わないのか」
 気付かない方がおかしい気もするが。
「よし、仕方がない……! 私が陸に行こう!」
「…………話を聞いていたのか疑問だな、果てしなく」
「フフフフフ……西条の君には明かしてみせようではないか」
「?」
 イサザが身を乗り出して、電極の端子を鱗から剥がして手を当てる。海斗は少しだけそれを若干遠巻きに眺めた。普段見慣れない行動は警戒するべきだ。
「見たまえ! 我々王族の人魚は特殊な血が流れている!」
「な……っ!?」
 キラキラと鱗が光り始め、肌色が透けるように現れ始めた。
「王族は陸の住人と時には話をしなければいけなかった。そのためこのように人間に変身できる能力を持つのだ!」
 ひと際大きく尾鰭が輝いた後に現れたのは――――流麗で美しい脚線美を持つ足がふたつ。イサザの口は弧を描き、満足そうにその足を撫でた。
「久々だったが、中々のものではないか……どうだ、西条の君?」
「近寄るな」
「うん? 知っている者は少ないと思うのだが」
「とにかく、元に戻れ」
「そういえば西条の君、ワカメでビキニパンツとやらは作れると思うか?」
「わかって戻らないのか?」
「昆布の方が素材としてはいいだろうか?」
「海に帰れ。せめて俺が家からジーパン持ってきてやるから待て」
「スリーサイズは教えてやらないぞ、王族だからな」
「王族関係ないし、ぶっちゃけなんのサイズだか知らないけど知りたくもないからな?」
 イサザの下半身はマッパだった。中心に●が付く勢いで。





「居心地が非常に悪いな。人間というのは不器用なものだ」
「アダムとイヴがマッパを捨てたからな」
 海斗が持ってきたジーパンとパンツを履きながらも、イサザはぶつくさと文句を言った。
「さぁ、愛しい君に会いに行くならやはり昆布で盛装をするべきだろうか、西条の君よ」
「昆布が盛装っていうのは、残念ながら陸上生物に通用しない。少なくとも俺にはな」
「ワカメの方が好みか?」
「Tシャツも持って来てやるべきだったな」
 海斗がどんなに嘆いても遅い。
「で、その『愛しの君』はどこにいるんだ?」
「さっき岩場に着く途中で見かけたのだ。砂浜を歩いていたのだが――――」
「……イサザさん?」
 目がハートになっている。げんなりしながらその視線の方向を見やれば、ポニーテールの高校生くらいの少女とレトリーバー犬が夜の浜辺でじゃれ合っていた。
「最近は物騒だってのにな……」
 特に右で昆布を物色しているニホン人魚が現れるとか。
「あの子か?」
 こくこくとイサザは何度も頷く。
「ど、どうするべきだ、西条の君よ!」
「俺に訊かれても困る」
「まずは話しかけて――――」
「仮にあんたがあの子の元に近寄ったとしよう」
 静かにイサザの肩に手を置き、すうっ、と涼やかな眼でしっかと彼を見据える。
「変態と変質者、どっちになりたい?」
「区別がつかないのだがどうすればいい?」
「諦めろ、って遠回しに言っていたんだけどな」
「もう言ってしまったではないか」
「イサザさんにツッコミが出来るなんて、魚世も末だ」
 無駄に冷たいため息をつくと、海斗は立ち上がって周りの様子をうかがった。
「どうした、西条の君よ。ま、まさか協力してくれるというのか!?」
「いや、手っ取り早く『変態』と言われた方がいいだろうし」
「言われる、の意味が良くわからないが、とにかく君が鬼畜と呼ばれる部類の人間である事はわかった」
「SM診断は全部Sだった」
「えすえむ?」
「あんたは知らなくていい。知ったら恐ろしいからな」
 もしも人魚の間でアブノーマルな趣味が流行り出したら責任を取らされるかもしれない。一瞬想像して、海斗は身震いした。
「……すぅ……はぁ……よし、」
 人魚が深呼吸とは笑えない。
「私は行かせてもらうぞ」
「いってらっしゃい」
「何を言うか! 地上のいろはがわからない私には、西条の君が頼り! お主もちゃんと付いてくるべきだ!」
「俺はレポートを書くのに一生懸命なんだ」
「私のこの気高い好意をレポートするなら大歓迎だぞ」
「困ったなぁ、俺の教授は変態について研究しろとは言わなかったんだ」
「ええい、使えない奴め!」
「……どっちが」
 吐き出すように言って、海斗はメモ用紙を仕舞って立ち上がった。
「お、もしや……」
「ちげーよ。人魚もまだ立場云々があるからな。いざという時にはちゃんと相手を説得しなきゃいけない……って思い出した」
「ふむ、西条の君のような者を『つんでれ』と言うのだろうな」
「SMを知らないくせにどこで覚えた」
 その時の海斗はドン引きという文字がぴったりの表情であった。
「西条の君よ、お主の上司の……あの鱈のような顔の男だ」
『村岡教授ぅううううう!?』
 教授の素行を真剣に問いたくなった。そして鱈のような顔、というだけでわかってしまって申し訳なくなった。
「よし、私は行くぞ!」
「……ちょっと待て、よくあるパターンだと人間になりたての生き物って小説とか漫画だと大抵―――――」



 ずるべっしゃぁああああああああ



 見事な美しさだった。新体操か、はたまた陸上競技の高跳びの部門だったら文句なしの優勝点になるくらいの。月と海を背景に砂の上を鮮やかな流線型を体がしなやかに描く。
 足の向きも美しい。そして表情もある意味素晴らしい。
 それくらいの形容詞の山では足りない程に、イサザは『転んだ』の手本のような転倒を砂浜で繰り広げた。
「やっぱり……」
 ベターにやらかしてくれる奴だ、とため息をついて――――すぐに顔が青くなった。さっきの少女の表情が凍りついている。まずい。
「やばっ……!」
 やっぱりあんな事は無茶だった。岩場から猛烈な勢いで砂にめり込みつつ転んだイサザは砂を払って教訓を全く得ずの勢いで前進していく。
「イサザさん! ちょっと止まれ!」
「黙ってくれ、西条の君よ! 私のこの想いは止められない!」
「色んな意味で止まってくれ!」
 レトリーバー犬だけが無邪気に尻尾を振っているが、傍にいる少女は変態(イサザ)に怯え、足がすくんでいるらしい。表情は凍っているのに、逃げようともしない。
「駄目だ……逃げろ! そいつは変た「美しき君よ!」
 海斗が全部言う前に、イサザの言葉は始まる。
「嗚呼、美しき方よ! 君の漆黒の目は海よりも深く」
 砂浜を跳ねてまた転びかける。海斗は内心ガッツポーズである。
『このまま転び続ければなんとか――――』
「その流麗な体つきはまさに人魚の如く!」
「その形容はどうかと思う!」
 なんてナルシストな。そして前半が変態ときた。
 海斗の願いもむなしく、イサザは華麗に少女と犬の前に躍り出た。鮮やかな目が、うっとりと見とれて細くなる。
「……私の全力の愛を尽くそうぞ……」
『イカン!』
 あんなに『おちゃらけている』とはいえ、伝説の人魚であることには変わりないのだ。人魚といえば、歌を歌って船乗りを惑わしたり、人間を海の中に引き摺り込んで愛したりと『人魚姫』以外ではあまりいい話を聞かない。
 そして、イサザもその一人である。


 あの惚けた、蕩けるような目。
 直感的にマズイ、と思う。


「ッ、イサザさん……!」
「あ、あの……私……」
「どうだ、私の愛を受けてくれるか……?」
 竦む少女の前に手を差し出し――――しゃがんだ。
「へ?」



 す、とイサザが手を差し伸べると、レトリーバー犬は行儀よくお座り、お手のコンボを繰り出した。

「な……なんと……素晴らしい!」
「ワンっ!」

 感動に打ち震えながら、イサザは犬の首元を抱き締めた。
「嗚呼っ! 私の夢はまさに今叶ったのだ! 美しい犬よ! 私と一緒に種族を! 陸と海の境界を越えて愛し合「待てコラ」
 鈍い音と共に、自称感動的なシーンは海斗のレポート用ノートの角に阻害された。
「……散々人に心配かけて……犬だと?」
「西条の君よ! まさか嫉妬か!? この美しい私の愛しい犬は絶対に渡さないぞ!」
「いるかぁああああ!」
「あ、あのぉ……」
「おお、彼女の身内なのだな。どうだ、私とこの御方……仲を認めて欲しいのだが―――――」
 イサザがそこまで言い掛けたが、全てが人魚姫のラストシーンの如く、泡に消える台詞と一瞬が待ち構えていた。



「ラッキーは、雄ですよ?」




「…………おす?」


 雄・オス・おす・牡・♂…………
 呆然とするイサザの足に、ラッキーは足を上げて小便をかけていた。






「残念だったな、イサザさん」
「……あー…ふー…海のー珊瑚ぉお…♪……」
 本日の縦浜では尾鰭を抱えて下手くそな歌を歌いつつ、ぱしゃぱしゃと水を手で跳ねさせているイサザを観測。背を向けながら傷心の様子のイサザを見ると、流石の海斗も少し(パーセンテージで表せば2%くらいの少しだが)声をかけにくかった。
「……イサザさん……」
「ふー…ふーっふっふっふー…♪」
「……イサザさん?」
 声の感じが、傷心じゃない。心なしか、水を跳ねさせる手もリズムに乗っていて嬉しそうだ。
『まさか……』
「……今宵縦浜では、月がとても美しい。海に映るその月の凛とした美しさといったら――――」
 …………また始まった。しかもワンパターン。
「……今度はどこの猫に惚れたんだ」
「何!? 何故猫とわかったのだ、西条の君よ!?」
「いい加減、せめて犬猫から離れろぉおおお!」


 ニホン人魚研究レポートのページを日々確実に加筆しつつ、海斗とイサザの声は今日も縦浜に響いていた……。







 バカイト並変態を書いてみたかったです。書きました。後悔はない。

プロフィール

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奏 Euph
割となんでもやる、活動的な魚類。
狐狸・二ノ宮翼・塵芥・ラピなど、名前がたくさんあります。
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