林檎コンビ格納庫
安全日という虚構
白黒印刷された薄っぺらいページが、ジャックの手元で小さい音を立てる。濁った液がこれでもか、というくらい生々しく表現された図が喉の奥の熱をかきたててくる。
『なあ……い、入れていいか……?』
『うん、イイヨ……今日安全日だから、私の中にいっぱい出してぇえええ……?』
「熱中するのは構いませんけれど、」
「そぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」
突然降ってわいたローズの声に、ジャックは思いきりのけぞった。力を込めて読んでいた卑猥な本を閉じると、バタン、と厚い本特有の強い音がする。やや不愉快なその音に眉をひそめるローズを、ジャックは固まった気さえする首をごりごりと動かして見上げる。
「い、いつの間に……」
「熱中するのは構いませんけれど、呼んだら反応していただきたい、というのが本音ですねえ」
やれやれ、と溜息を吐き、ローズは告げる。
「そう……ですね、数分前から君を呼んで、君の後ろから主人公が彼女の下着を剥ぎ取る辺りから上からご一緒させていただきました」
「覗き見かよ!? おいおい、趣味が悪いぜ……」
もう二度とこいつの家のソファで寝転がってエロ本なんて読むもんか。その決断はもっと早くしておいた方がよかったらしい。ローズの目が不愉快そうに細まった。
「趣味がよろしくないのは君の方ですよ」
「んだよ、今月のグラビアが巨乳特集だからって妬いてんのかっていでえええええ!!?」
ゴッ、とローズの手刀が頭に飛んでくる。最近の『ヘイ、ジャック!』はだいぶ進化を遂げたらしい。
「それは知りませんでしたし、知りたくもない情報でした」
「じゃー、なんなんだよ」
「……さっきの、君が読んでいた漫画のくだりですよ」
腕を組んで、嘆かわしい、というようにローズはまた溜息を吐いた。
「あまりそうは見えないかもしれないですが、一人の女性としての立場から言わせていただきますと、そういう本は嘘つきなものです。君が私の部屋に持ち込むまで、あまり触れる機会がありませんでしたが。なんですか『安全日』とか。そんなものはありません。女性を抱くということには責任感を持っていただきたいものです」
「……半分くらい聞き流したけどよ、それ、ひょっとしなくとも説教か……?」
「……全文聞いていただかなくては、困ります。いいですか、ジャック、そもそも――――――」
彼女の口から保健の講義を聞くことになるなんて、このエロ本を買うときには想像していなかった。
懇々と説教をくだしてくるローズの声を、右から左に流しながら、あー、だの、うー、だの、わかった、だのと相槌を打つ。
『セキニンカン……ねー……』
安全日、とか、そんなものがないのは、一応知っている。紙の上では別に誰も困るようなことじゃないから。別にエロ本知識に洗脳されるなんてことは―――――時々するが。
むしろ、セキニンカン、とやらは考えすぎているくらいだ。
ただでさえ仕事が大変なお前を疲れさせたら。
お偉い立場のお前を、万が一にでも孕ませたら。
性欲でナニが我慢できなくなるのは、俺だけだとしたら。
「―――というわけですが、ただしそれを言い訳にして手を―――」
『……エロ本で我慢してんだぞ、わかれよ』
「……聞いていましたか?」
「おー。おわりか?」
「……聞いていませんね……」
「ダイジョーブダイジョーブ、責任感ってのを持って、セックスは程ほどにしろよーってハナシだろ? エロ本に騙されずー……って」
「……やっぱり聞いていませんね。まあ、構いませんよ」
「はー、めんどくせー女……」
こんなに気にかけてんのに。
「……面倒なのは君の方ですよ」
「へー、へー」
「最後にひとつ申し上げますが、」
こほん、というわざとらしい咳払い。嗚呼、彼女の口の端が少しだけ吊り上っている。どんな嫌味だか、皮肉だかのひと言だ、とジャックがようやく目を向けた。
「……私、今日、その安全日とやらです」
小声で、挑発的な笑い声を孕んだローズの言葉に、一歩遅れてジャックの頭上には『!?』が浮いた。
「あ、は……!?」
「まったく……全文聞きなさいと言ったのに……」
ジャックの手の中にまだあった本を取りあげ、床に置いた。じり、と革張りのソファにふんぞりかえっていたジャックに、彼女は身を寄せた。
「おいおいおい、ローズ、お前自分の料理でも食ったのか?」
「失礼な」
ふん、と鼻で笑って、彼女はスカーフを外した。
「『セキニンカンとやらは、頭に入れておきなさい――――ただし、それを言い訳にしないでほしい』……と言いました。その、つまり…………なんというか…………」
そこで、彼女は目を逸らす。照れた顔でも、声音でもないが、口元の笑みは消えていた。
おいおい、ローズ、途中まで強気だったくせに、最後の最後につまるのはやめろよ。
かわいいじゃねえか。
「……お前の事、時々ぜんぜんわかんねーよ……」
「――――私も、君の事となると、自分がわかりません……」
「ヘイ、ローズ。それは反則、ってヤツだ」
ぐっ、と彼女を抱き寄せて、がぶ、とキスをする。
「ソレがわかんねーなら、今度は俺が教えてやるぜ? それっこそ……お前の腹ン中に」
「……ああ、」
爛々と光る君の目が、エロ本じゃなくて自分に向けられている。説教のかいはあった。
くすりと彼女が笑って、口づけを返す。
「どうぞ?」
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プロフィール

- 奏 Euph
- 割となんでもやる、活動的な魚類。
狐狸・二ノ宮翼・塵芥・ラピなど、名前がたくさんあります。
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