ユメクイ
【1】
不幸な週末
「香苗~」
陰湿を音声にしたらこんな感じなのだろうな。心の中でそう思っても、声には絶対にならない。じっとりとした声に背筋をこわばらせながら、細谷香苗は帰り支度の手を止めた。
「香苗ちゃぁ~ん」
輪郭が細く、香水臭い三郷麗亜の顔が、にゅっと至近距離に添えられる。甘い臭いに咽ないよう、香苗は最新の注意を払って声を絞った。
「な、何……かな……」
「今日の授業の『修学旅行の事前学習』、香苗のせいで全然進んでないんだけど……?」
「へ?」
「やだ~、忘れちゃったの~?」
忘れたどころか、進まなかったのはあんたが延々と班の男子とお喋りしていたせいだろうが。自分と別のもう一人の班員がいなかったら、先生が指示したところまで進んでいなかったはず。
「ほら、」
「え?」
麗亜はパーツが何もかも細い顔をニコニコさせながら、見覚えのある大きな模造紙を差し出してきた。後ろでは別の女子が悪趣味とも云えそうな笑顔を晒していた。
「香苗、あとはよろしくねっ。ほら、みんな均等にやらなきゃ、先生にも怒られちゃうよ?」
異議を唱えそうになった香苗の口を黙らせるのは、後ろにいる女子の役目だ。冷たい笑顔が消えて、蔑みの視線に変わる事、コンマ1秒。早打ちガンマンも真っ青である。
「は? あんたなんにもしてなかったじゃん」
「太谷のくせにナマイキ」
「ブタがちょっと痩せてもブタだっつの」
「三郷さんかわいそ~」
「ないわー」
次から次へと思考回路をストップさせる言葉が突き刺さる。麗亜を入れて、4人の女子が、いつのまにか香苗の机を取り囲んでいた。
「香苗、」
す、ともう一度、模造紙が差し出された。行動が染みついた脊髄が命令して、香苗の手は震えながらそれを受け取った――――が、少し湿っているのを知る。三郷が手を離した、その部分だけ色が違っていた。
「じゃあ、あとは頑張ってね!」
「麗亜ぁ、B組の大宮君、待たせてるんじゃないの?」
「あ、そうだった、ヤッバ~イ!」
変な伸ばし方をする彼女の声が、香苗の耳の中でネバネバした糸を引く。蜘蛛の糸にも似たそれに、顔を俯かせて、歪ませた。
この湿り方。今日書いたシャーペンの下書きはきっと消えている。どちらにしろ、この濡れ方では全部一からやり直しだ。教室から女子がみんな出て行ったのを確認して、香苗は小さくため息をついた。
「なんでさ……」
泥みたいな言葉が、口から零れる。なんで、自分がこんな目に合わないといけないのだ。香苗は自問した。
一年の頃、ちょうど今より体重がきっかり15キロあったあの秋。食欲の秋を謳歌して、パン屋のセールに乗じていたあの時だって、確かにいじめられてはいたが、今程ではなかった。小さな陰口程度で済んでいたのに。
ちょっとヤバくね? なんて言ってくれた中学以来の友人の言葉が響いて以来、焼きそばパンとも、蒸しパンとも、エクレアともさよならを告げた。先月、履けなくなった去年のジーンズとも別れを告げたし、制服のスカートを新調させて、親の財布を泣かせもした。
『なのに……なんで……』
発案者の友人はいじめの傍観者に回ったのか。見苦しさをダイエットで解消したのに、何がいけないのか。
その理由を思い出す前に、別の事を思い出し、香苗は近所の文具屋に足を向けた。模造紙は先生に頼めば貰えるが、そんな事、麗亜が許すはずがない。
小さな文具屋の割に、なんでもそろっている。隠された消しゴムの代替も手に取り、模造紙を探して―――――いたところで、原因と目が合った。
「あ、細谷さん」
そんな風に微笑むな。香苗は飛田陽平の視線に自分の顔の血色が、常識レベルを既に逸脱したのにも気づかず、さっと模造紙を探すように俯かせた。
勿論模造紙の事なんか知らない彼は、手に取ったノートを抱えて、隣に並んだ。
「細谷さん?」
軽音部に入れば、自然と彼女が出来てリア充出来る。そんな愉快な噂も、彼を見れば本当にそうかもしれない、と一瞬だけ思ってしまう。無論、そこには常人とイケメンとの壁があるわけだが。特に飛田陽平に至っては、絶壁と言っても過言ではない。彼に近づく為、彼のバンドのメンバーと付き合ったという猛者もいる。無邪気な笑顔を向けられ、夢の世界へトリップした女子も後を絶たない。
細身な体に、ちょっと病弱そうな白い肌、校則ギリギリのワックスで流した無造作ヘアーに、なんといっても歯並び抜群の笑顔。春のクラス替えの時はそこらじゅうで女子の悲鳴があがっていた。『ヒダクントオナジクラスー!』などという猿のような鳴き声も聞こえた。実際、香苗も猿になりそうだった。
「ほーそーやーさん?」
「な、ナンデショウカ……」
そんな絶世の王子様の隣にいるという事は、すさまじい名誉であると同時に、それ以上の危険も伴っている。実際、彼の彼女は数日ともった試しがない。その数日だけは、香苗に浴びせられるいじめの火も、強火からとろ火になるのだ。
しどろもどろになりながら答えると、飛田はキョトン、と首を傾げる。
「どうかした?」
「どうって……な、何もない、けど……?」
「細谷さんってそんなキャラだっけ?」
あれだけ女子の波にのまれていながらも、まだ人のキャラクターなんて気にする余裕があるのは、尊敬せざるをえない能力だ。馬鹿みたいな見解をしながら、香苗はようやく親指と人差し指で模造紙をつまみ、引っ張り出した。少しでも、彼の顔が隠れますように。残念ながら、声は消えない。
「この前同じ班だったのに、たった2カ月で席替えがあったから、結構メンタルにダメージきたんだって。折角仲良くなったのにさー。ほら、細谷さん、前に面白そうな本、紹介してくれたじゃん」
「あ、あー……うん……乙一さんね……」
飛田がそんな風に声をかけてきた半年前、香苗の顔がオーバーヒートを起こすと同時に、図書館の利用率が増え、校内の女子全員が自称読書家になったのを思い出し、香苗はしょっぱく笑った。
「また、面白い本があったら紹介してよ」
「そ、それはもう……いくらでも……」
「ん。ありがと」
ニコッ、と笑ってくれた飛田の顔を見ただけで、なんでさっきまで落ち込んでいたのか忘れてしまった。顔を見られる前に、と会計を済ませ、そっと、影のように文具屋を出て行こうとしたのに、あろうことか、彼は店を出るまでついてきた。
「そうだ、細谷さんに言いたいことあった」
「へ?」
麗亜に模造紙を渡された時よりも、さらに幾分か間抜け度を増した声が、喉から飛び出した。至近距離にあるイケメンが眩しい――――が、それよりも問題がある。ちょっとはにかんだように、目を逸らして、早口で、魔法を呟く。
「最近――――可愛いよな」
「…………」
「じゃっ」
素早く自転車に乗って、背中のギターと共に颯爽と去っていく。
カッコイイナー。
イケメンダナー。
ライブイキタイナー。
「…………!?‘A*Q#LKFKW$O$%&‘$*!?」
口から出た言葉は全部文字化けした、と自負できる。香苗は顔を抑え、模造紙を投げ捨てた。くしゃくしゃにする自信があるこの手元より、地べたの方が絶対安全である。その場にうずくまってにやけそうになるが、限界に近い理性がギリギリで引き留めてくれた。
「な、っな、ぐ、ば……私! わたしっ! やば……だ、っは……!」
あのイケメンに! 飛田陽平に!
『がっ、か、っ、かわいいって――――――』
言葉を失い、模造紙を拾い上げ、もう片方の手を強く握った。初めて、真剣に、切実に思った。
「や、痩せて良かった……!」
エクレアも、蒸しパンも、焼きそばパンも、みんなこの為の犠牲になってくれたのだ。いつか再会したあかつきには、最大限の感謝をしてから食べよう。そう決意し、ぐにゃぐにゃに緩んだ顔を戻そうと奮闘する。ぐ、とにやけ交じりに首を振った。
その瞬間たるや、天国から地獄。
イケメンオーラの思い出に浸る目玉は、現実を痛切に伝えた。視界の隅に捕えたのは、香苗と同じ高校のセーラー服。
さっと、顔が信号機に変身した。
麗亜のトモダチだ。しかも、走っている。スマホを持っている。ちら、とこっちを見た。
『きかれた』
にやけていた顔は、その途端に凍りついた。麗亜に知られる。今逃げても変わらないのに、香苗は走り出していた。
麗亜も勿論、御多分にもれず、飛田のファンである。クラス替えで猿になった一人だ。
香苗は震えながら駅へ、逃げるように走った――――が、今日の運は飛田の魔法の言葉で使い果たした。今日どころか、むこう一カ月、使い果たしているのだろう。
スマホで誰かと話している麗亜がいた。
「はあ? デブ谷がなに―――――」
それ以上、知る事はなかった。四段飛ばしで駅の階段を下りる。物影に隠れて香苗は息を整えた。これで、自分の高校生活は終わった。もうおしまいだ。
前例なんていくらでもある。麗亜に限らず、非公認の飛田陽平ファンクラブと名乗る一部女子のせいで、何人不登校になったか覚えていない。自分もその一人になるのを察し、香苗は震えた。
ずる、と柱にもたれたまま、少しうずくまった。目眩がする。
『もうだめだ』
半年前、声をかけられた時、御大層な夢を抱いてしまった自分を張り倒したい。そんな馬鹿な夢を持つなと、叱り飛ばしたいが、そんな風になんとかなるものではない。仕方がない。夢なんて、そんなもん。
現実は酷い。夢さえ見られないなんて、馬鹿な。
香苗は小さく嗤った。
『私に、もっと、勇気があればよかったんだな』
麗亜なんかに負けない。
自分の夢を穢されない。
飛田と、少しでも話せる。そんな勇気。
少しでも彼女達から遠ざかるべく、家までのルートを考えながら、足を一歩動かした。麗亜達にひるまず、三駅分、ちゃんと家まで帰れる、そんな勇気も。
「……欲しかったなァ……」
気付かれないよう俯いたまま、右足を前に出してそのまま―――――腰に、看板が当たった。
「いたっ!」
全く認識していなかった看板の存在に驚いた。さっきまで半径2mには、自転車置き場の自転車と、緑化運動ののぼりくらいしかなかったのに。
だが、確かに香苗の腰辺りに、その看板はあった。目に入ったその看板の文字に、少しだけ自分の危機的な状態を忘れた。
『夢喰い屋』
少し浪漫の匂いがする字体で書かれたその看板の文字は、雑貨屋の名前にしても胡散臭かった。看板の元凶を探してみると、看板と同じくらい唐突に存在を見つけた。なんと、さっきまで自分が背を持たれていた所が、ドアである。
「……いやいやいや、そんなはずは……」
たくさんの小説を読んできたが、最後に読んだファンタジー物は確か中学三年の頃だったと思う。その本にだって、こんな唐突さはなかった。ついさっきまでなかったものがあるなんて。近づかないに限る。その得体のしれない『夢喰い屋』から数歩後ずさって、香苗は麗亜達とこの奇妙な現象から全力で逃げるよう心構えた。
しかし、窓や入口のドアに貼られたうたい文句が目に入った途端、足だけが金縛りにあったように止まる。
『あなたの夢、叶います』
夢――――――身近にある言葉だというのに、実際には叶わない夢ばかりだ。手が届きそうで、届かない、そんなものを、こんなに簡単に叶う、だなんていう。ますます胡散臭い。だが、香苗の足は、止まったままだった。
ごくり、と唾を飲んだとき、自分の夢を思い出した。
(……別に、そう、ちょっと入って中覗いて……麗亜達が行っちゃうのを待つだけだし……)
誰を説得するわけでもなく、そう言い訳をして、数歩戻った。真鍮のドアノブに手をかけると、それらしい音を立てずに、滑らかに回る。
中に一歩入ると、窓から差し込んできていた日の光に一瞬目が眩む。目が慣れるとそこは、香苗の趣味を昔からわかっていた、などと言いだしそうな、小さな部屋だった。高校生の女の子が好きそうな、アンティークな時計は正確な時間をブツブツと刻み、本の中以外では見たことがないような蓄音機は、なぜかラジオのニュースを流していた。窓辺のカーテンは少し色あせているが、そこがまたいい味を出していた。カウンターの奥の本棚にはいくつもの本がずらりと並んでいる。そのタイトルも、いつか生物の勉強をしたいと思っている香苗の心をそのまま映し出したようなものばかりだった。
(アジアの哺乳類、マナティの生態、よくわかる海の仲間…………)
カウンターの前に立って、ぼんやりとタイトルを眺めていくうちに、全部手に取って読みたいような衝動に駆られてくる――――が、ようやくそこで奇妙に思った。なぜここまで自分好みの部屋なのか。
さっと真鍮のドアノブに手をかけたが、いつの間にか鍵がかかっている。
「え……ちょっと……!」
迂闊だった。もう後ろ手などというまどろっこしい真似も出来ず、香苗は躍起になってドアノブを回した。どうあがいても扉は開かない。こちらが内側であるのに、何故か内鍵も見当たらなかった。
首筋に嫌な汗を感じながら、香苗はあたりを見回した。憧れの部屋は、まるで獲物を捕える蜘蛛の巣のように思えてくる。閉まった窓にも、なぜか鍵は見つからなかった。カウンターの隣にある階段を上がる勇気もない。しかし、さっきまで気づかなかったものが目に入る。
でかい男だった。
いつからそこにいたのか。いや、視界に入っていた気はする。だが、日本人らしからぬ真っ白な髪も、少し痩せた大きな体躯も、ずっと部屋の調度品の一部であるような気がしていた。が、気付いてしまった途端、香苗は思わず一歩引いた。ドアが背中にあたり、ガン、と鳴る。だが、窓辺の安楽椅子で座るその男は、よく眠っているらしく、少し呼吸が止まっただけで、まだ起きる気配はない。
(なん……なの……)
この部屋も。この男も。
でかいとはいえ、眠る顔つきは穏やかなその男に、一歩一歩、少し近づいてみた。どうせドアも空かないならば、店主でありそうな彼を起こすしかない。
「あ、あの……」
小さく声をかけると、彼の長いまつげが少し動く。低い声が、たおやかな吐息に混じる。
「ふ、ぁあ……ん……」
ひく、と彼は鼻を震わせた。とろんとした瞼が上がり、眠そうな表情が香苗の目と合った。目覚めると、ますますその顔は日本人離れしている。しかも、目は真っ赤だ。昔、本で読んだアルビノ、という人なのだろうか。珍しがりながら、ぎこちなく香苗は笑ってみせる。
「あ、あのぉ……えっと、えくすきゅーずみー……?」
「……」
最初はうっとりしていたような男の赤い目が、すぅっと真顔になっていき、突然それが見開かれた。
「ぁ……あああああああああああああああああああ!!!」
「ひっ!?」
あろうことか、叫びだし、安楽椅子から転げ落ちる。気付くと香苗は、背中が再びドアにあたるまでバックしていた。
「なんで! そんな……ああぁあ、夢? いや、現実だ! 落ち着くんだ、私! そんな……なんで、君は……君はッ!」
「ご、ごごごご、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
今にも過呼吸になりそうな程、男は地べたに這いつくばり、ひたすら大声で混乱している。香苗も同じくらい混乱していた。思わずドアに手をかけて、やはり開かない扉を開こうとする。自分を守る呪文であるかの如く『ごめんなさい』を言い続けても、ドアは頑なに空いてくれない。
「なんで……私のじゃなくって……そんな……!」
「おいおいおい、どーしたってんだ……げ」
別の声がやってきた。はっとして振り返ると、カウンターの隣の階段から、細い脚が見え隠れしていた。骨ばった細い骨格に、徐々に老人の男性の顔が見えてくる。だいたい六十代後半くらいだろうか。だが、老人のくせに床でまだ叫んでいる男のような真っ白な髪は一切なく、潤いがなくカサカサではあるが真っ黒な髪が頭を覆っていた。
老人は部屋を見回して顔をしかめ、『ガキか?』と小さくぼやく。白い髪の男がなんとか安楽椅子にすがって立ち上がり、老人の元に駆けつける。
「ドリー! 私のエンジェル! どうしたって、なんで……!」
「なんでって、お前……ああ?」
老人の視線が、ようやく香苗を捕えた。白い髪の男は、必死になって、縋りつくように老人に叫ぶ。
「私の、私のようなものの夢じゃない!」
夢、という単語に、老人の目が訝しげに細まった。
「……ほー」
下がっていろ、と言わんばかりに、老人は男を押しのけ、香苗に近づいた。ぽかん、としている香苗の前に立ち、すぅ、と息を吸う。
「……悪いな、メア、俺の鼻はもうボケてる」
「君という……ユメクイは……本当、」
「ま、いいわ。お前も、まあ、ちょっと座れ」
「え……」
「内容はなんであれ、夢、叶えに来たんだろ?」
当初の目的を思い出し、香苗はぼんやり頷きかけ、我に返って首をぶんぶんと横に振った。
「や! いいんです! もういいんです! 用事思い出しました、帰るんで!」
「だぁあ、うっさい声出すな。ったく」
さっきから歳としわがれた声に似合わない口調で話す老人は、カウンターの片隅で膝を抱えている男を押しのけ、適当な椅子に座った。
「わかってねえ奴だな、お前。こっから出たいなら俺の言う事くらい聞けって言ってんだよ」
ポケットから鍵を取り出し、彼は言った。後ろのドアをちら、と見て、香苗はやや身構えながら、カウンターの前に進む。
「ん。じゃあ、お前の夢は?」
「や……あの、ここの説明からまずお願いしますよ……」
「はあ?」
「だって……夢を叶えるとか、そもそも怪しすぎるじゃないですか!」
「怪しい所に、お前から入ってんだろ」
「そ、そりゃあそうですけど……でも、少しくらい聞いていいじゃないですか。おじいちゃんと、そこの人はその、なんですか? 夢を叶えるって、ここはどういう店なんですか? 私の夢は……叶うって……どうなるんですか……?」
香苗の必死の訴えにも、老人は面倒くさそうなため息をひとつ吐いた。が、答える。
「俺達は何かってコトからだな。名前から行くか。俺の名はドリー。そっちの幸薄そうなツラのデカブツは、メア。ユメクイだ」
「ユメ……」
頭のどこかを使って反芻しようとして、失敗した。うまく飲み込めない。
「……なんですって?」
「ユメクイだ。記憶力悪いな、お前。読んで字のままその如く、ユメクイだ。ヒトとか、イヌとか、そういう分け方で、ユメクイって種類の生き物がいんだよ。それが、俺達だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。聞いたことないんですけど!」
「世界中にお前が名前も聞いたことない生き物なんてどんだけいんだよ」
「や、そりゃあたくさんいそうですけど、でも……ユメクイ?」
「そうだ。ユメクイ。何回言えばわかるんだ。オウムの方が優秀だぞ」
先程からちょいちょいと毒を飛ばしてくるドリーというこの老人に、香苗は眉をひそめつつあった。ただでさえ話は胡散臭いのに。
「まあ、俺達ユメクイは、人間がエネルギーとして飯を食う如く、植物がそれとして日光を吸収する如く、俺達は夢を食う」
「……仮に、そうとして、夢って……」
「言っておくが、お前が眠っている間に見る夢じゃねえぞ」
そう言って、ドリーは心臓がヒヤリ、とするような笑みを見せた。ギザギザに並んだ歯が、一瞬香苗に彼は本物の人外なのでは、と思わせる。
「俺達ユメクイは、お前ら人間が描く未来を、望む将来の願望を食う。お前らがいつか叶えたいって思っている夢を食うのさ」
「…………それって…………!」
まさか、自分の夢を食べるという事は―――――ちょっとでも思い描いた、飛田陽平と手を繋ぐ自分の肖像と麗亜に立ち向かう自分の像にひびが入り、香苗は青ざめた。ドリーは面倒くさそうに、指を向ける。
「ちゃんと聞け」
「え」
「お前の想像。それがフツーのユメクイだ。けどな、厄介な事に俺は違う。そこにいるメアは白っぽいだろ。フツーのユメクイは色素が薄い。俺は同じユメクイに見えないだろ」
「ま、まあ……」
老人なのに黒い髪。目はやや黄色がかっていて、その全身像は香苗を否が応でも信じさせようと全力でいるみたいだった。つゆ知らず、ドリーは吐き捨てるように言う。
「亜種なんだよ、俺は」
「……亜種?」
「フツーのユメクイみたいに、夢そのものや夢が消えたエネルギーを食えないんだ」
忌々しそうに、ドリーは言う。
「俺が食えるのは、夢が叶った瞬間のエネルギーだ」
「……は」
「さて、俺は腹が減ってんだ。限界だ」
ニコォ、とさっきの笑みの上位互換を見せて、ドリーは椅子の上でふんぞり返った。さながら戦隊ヒーローの悪役が、悪だくみを命令する姿だ。
「さっさとお前の夢を言え。俺がバッチリ、叶えてやる」
むちゃくちゃな上から目線が香苗に集中する。うっと呻き、香苗はなんとか小さく反論した。
「そ、そそそそそ、そんな、話、信じられると……?」
「は? どこに無理があった?」
「っ、無理だらけですよ……! そんな、突然ユメクイなんて言われても信じられません! エネルギーっていったって、人間の食べ物も、植物の日光も存在しますけど、夢なんて存在しないでしょう!? 不確かなものじゃないですか!」
思わず声を荒げて、ドリーの不機嫌そうな顔に気付き、口元を抑える。
「不確かだと思ってんのは、お前だ」
「な……っ」
「夢は、ある。そこらじゅうに。お前にだって、あんだろ。不確かってなんだ、馬鹿か」
「もういいですって、私……帰ります。やっぱり。お願いです、帰してくださいって! 警察呼びますよ!」
「……お前から来たくせに」
「謝りますから!」
「謝る態度じゃねえだろ、それ」
「ごーめーんーなーさいッ!」
「何怒ってんだ、お前」
「~~~~~~~ッ!」
「別に俺はお前の夢を叶えるだけだ。損な話じゃないだろうが」
「こんな怪しい話に乗るような子どもだと思いますか」
「見えるな」
「ぁああもう!」
最早苛立ち交じりの願望が独り歩きしている。
「帰してください、お願いです!」
「……おら、」
「へ」
ピン、と何かが放られ、思わず反射的にキャッチしようとして、床に落ちた。その形に気付き、慌てて香苗は床から拾い上げる。
「鍵!」
す、とわずかな安心感が全身に伝わる―――――と、にゅっとドリーの節ばった手が香苗に伸びた。
「へ、ぁ、きゃっ!?」
「黙れって」
「な……ひっ……!?」
すっ、と立てられた彼の人差し指に向かって、香苗の手から、本当に小さく、細い光の筋が現れる。光、といっても白や黄色ではなく、なんとも形容しがたい、薄い赤に近かった。それを指でからめとり、ドリーはギザギザの嫌な臭いがしそうな黄ばんだ歯で、一気に齧った。齧れるものなのか、とびっくりしたのもつかの間で、それを飲み込んだドリーの顔が、ふっ、と生気を帯びる。皺も一本減った気がした。
「ぁ……あ……!」
「……即物的すぎて、質も悪いし、量もポテチのカス程度だな」
「だって……ぇえ……」
「お前の『ここから出たい』って夢が叶った。ちょっとその端っこを貰っただけだ。簡単じゃねえかよ。他に夢があんだろ」
動かすと軋み、悲鳴を上げそうな体を持ち上げ、ドリーは椅子から降りた。
「その夢、早く叶えて、食わせろよ」
老人のニタリ、という笑みからは冷たさは消えていない。厄介なことに、胡散臭さだけが根こそぎ消えてしまったのは事実だった。
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