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いじめという概念研究

『教育と福祉:学びを憩いに』
 
「第2回:いじめという概念研究」
序章 「いじめと社会的背景」
 近年、メディアで取り上げられる、教育における問題のなかで「いじめの変容(変質)」という言葉をよく聞くようになった。
 “いじめ”という現象、行為そのものは、昔から存在していたが、近年のそれは過去における「身体的な接触(相手の身体に直接的に外傷などの作用を及ぼすもの)」を伴うものが主流ではなく、より陰湿で解かりづらい「非身体的接触(言葉や態度などを用いて、間接的に相手の内面、心理・精神に苦痛を感じさせ、悪い作用を及ぼすもの)」を用いたものに変化して来ており、この変化を「いじめの変容」として表している。
 背景として、子どもを取り巻く「ケータイなどに代表される電子モバイルツールの発達」に伴う「環境の変化」、あるいは「対人関係の不得手、表面的な友人関係、欲求不満耐性の欠如、思いやりの欠如、将来の目標の喪失など」、「児童の心理的・情緒的変化」、「QOL」や「コミュニケーション能力の低下」、「AD/HDやLDなど」医療分野では軽度発達障害との関連について研究を進めている。
 問題改善の取り組みについても、学級担任や相談室の配備、平成7年度よりスクールカウンセラー(以下SC)などを配置するなどして一定の成果があげられた。
 しかし、現実には学校教育だけでの改善は難しく、文部科学省は平成15年のモデル事業以降、新たに平成20年よりスクールソーシャルワーカー(以下SSW)制度を設けるなどして、福祉的アプローチの考察がはじまっている。
 いじめという概念について、その構成と問題改善の考察を当研究では論争していきます。
※当研究の研究概要と流れについては、当サイトの「第1回:ADHDとLD、その定義と意義を問う」掲載ページ、HP紹介・挨拶にて紹介しているので省略いたします。

第1章「いじめの定義」
1.「定義」
・文部科学省では、いじめについての定義を以下のように定めています。
(文部科学省 1994年)
(1)自分より弱いものに対して一方的に
(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え
(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。
※なお、起こった場所は学校の内外を問わないものとする。
 ・都立教育研究所では、(以下省略
(都立教育研究所)
 集団内で単独または複数の成員が、人間関係のなかで弱い立場にいる成員に対して身体的暴力や危害を加えたり、心理的な苦痛や圧力を感じさせたりすること。
 ・警視庁保安部少年課では、(以下省略
(警視庁保安部少年課 1994年)
 単独、または複数の特定人に対し、身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、嫌がらせ、無視などの心理的圧迫を反復継続して加えることにより苦痛を与えること。

第2章「いじめの変容、背景と原因について」
 ・現在の子どもたちはかわってしまった。
 前回でも少しふれた言葉である、しかし本当にそのようなことが起こりうるのだろうか?
起こりうるとして、それは生物学的、病理的変化に該当するのか?
 まず、それだけで変化したとは言えないはずである、遺伝的な脆弱性や軽度発達障害などが起因するとしても、いじめという問題が児童生徒の生活に影響している以上、環境因子が働きかける作用は少なくないはずである。
 これは、より大きな課題として犯罪行為の動機や所在と同義であるといっても良いはずだ、殺人などの重大犯罪を個人の遺伝的な特性や病理だけで特定することはない。
 個人を取り巻く、様々な環境因子と照らし合わせ、彼(彼女)らの行為は表面化するのである。
 ・当研究では、児童生徒を取り巻く様々な環境変化を、いじめという問題の背景に置き、12月中旬より研究グループの後輩・知人(10代後半~20代前半)などを対象としたいじめの背景問題に関したアンケートを実施、研究グループ討論会にて選出した。
1.児童生徒の背景問題
 人間関係の構築難、欲求不満への耐性減、達成感・満足意識を得る機会の減少、将来的目標の不透明性、思いやり意識の低下など。
コミュニケーション能力の低下
2.家庭環境と親権者の意識変容
 核家族化、親権者による過保護・放任、虐待などの社会問題、親どうしの繋がりと強要など。
3.学校教育への意識変容
 教員への意識変容(体罰などの直接指導の問題視、不祥事などの社会的問題、お客様意識、友人の延長線上的存在など)、学校教育に必要性を感じない、学校外まで校則や指導で縛られたくないなどがあげられた。
 ・このような環境と意識の変化のなか、特に心理的・情緒的な課題について次の章でまとめる。

第3章「いじめの行動と心理」
1.いじめを構成する要素
・いじめという行為は、どのような心理状態・特性から行動として表面化するのだろうか?
 それには、いじめを構成する4つの要素が深く関わっていると我々は考える。
「いじめを構成する4要素」
1、 いじめっこ(=いじめを主体的・主導的に行うもの)
2、 観衆(はやしたてる、面白がるなどの、間接的にいじめに参加するもの)
3、 傍観者(観衆と異なり、はやしたてたり、面白がりはしないが、恐怖心などから見てみない振りをするもの)
4、 いじめられっこ(いじめの標的となるもの)
 ・これら基本的4要素を見ると、一見、いじめという行為の関係は、”いじめっこ”と、”いじめられっこ”の両者間でのみ起こっていると思える。
 しかし、実際には観衆と傍観者こそがいじめという行為の継続に欠かせない要素であり、もっとも注意するべき存在なのだ。
2.いじめの行動と心理
 ・いじめの観衆と傍観者の役割こそが、集団心理と罪悪感・道徳的配慮を軽減するキーパーソンなのである。
 これらを解りやすく言えば、ボクシングやプロレスの会場、あるいは路上での喧嘩などを思い浮かべてほしい、特に観客(観衆)となるものが多ければ多いほど、集団心理はより強固に形成される。
 仮に対象aと対象bが争うとしよう、彼らは舞台となる観衆の中央で互いの身体を傷つけあっている、常識ではそのような状態になることは、まず望まないだろう。
 しかし、周囲を観衆に囲まれ退路をふさがれ、また声援によって自己を鼓舞されているうちに、自己の意識のみによって対象を傷つけていた状態から、観衆という集団の心理状態を維持する方向へと、意識が動いてしまうのである。
 これが集団心理状態であり、なにより危険なのは互いに制止しようとする意識が働きにくくなってしまうことである。
 これが、いじめのなかにも存在してしまうのだ。
 更に、直接的に身体に外傷などを負わせる身体接触行為と異なり、間接的に心や精神に影響する、悪口や無視などの行為は道徳的配慮を鈍らせ、エスカレートしていってしまうのである。
 では、いじめにおける加害者と被害者をどう定義すればよいのか、次の章で考察した。

第4章「加害者と被害者の存在」
1.いじめのタイプ
 かつていじめられやすいタイプは、「抵抗しない、訴えないなど」比較的おとなしく、引っ込み思案な子どもだといわれていた。
 しかし、最近のいじめに関する話題を集めていると、かならずしもそうと言えなくなって来ている。
 部活動などへの取り組みも積極的で、活発な子どもたちや、塾などに通い、学習に真摯な子どもたちなどが、いじめの対象となり。
また、いじめに加担するなどと変化して来ており、いじめの行いそのものも陰湿的で発覚しにくいもの、加害者と被害者が混在するようなものがタイプとして出てきている。
2.加害者と被害者の定義
 いじめにおける加害者と被害者という存在は、いかにして区分されるのだろうか。
1)加害者の定義
 第一に、いじめは学内における他害的な犯罪行為の総称であると認識する。
1、威圧的な言葉を用いての脅しなど=恐喝罪
2、冷やかし、侮辱すれば=侮辱罪
3、持ち物を隠す・破壊すると=窃盗罪・器物破損
4、対象に身体的暴力を振う・傷をつければ=暴行罪・暴行傷害罪
これらは程度にもよるが、いずれも法律によって定義されている立派な犯罪行為である。
 いじめ=犯罪行為と考えれば、いじめにおける加害者とは、これら犯罪行為を直接的に行ったもの(実行犯=いじめを主体的に行ったもの)、それを犯罪行為だと認識して間接的に加担したもの(共犯者=観衆)、これらの犯罪行為の対象となる被害者となる。
・しかし、そうすると傍観者はどちらに分類されるのだろうか?
2)被害者の定義
 これこそが、いじめの不透明性を助長する要因ともいえる。
 第3章でも触れたが、いじめにおいて傍観者という立場が最も危うい存在であり、いじめという行為への忌避感・罪悪感などを軽減するという役割を持つ、重要なキーパーソンなのである。
 結論すれば、傍観者は加害者と断定するほどの行為には加担していない。
あるいは、いじめを主体的に行うものなどによって、脅されるなどして強制的に共犯者にされた、第2の被害者的存在とも言える。
 しかし、いじめの被害者側からしてみれば、いじめという行為そのものに、明確な違いがあると言えるだろうかという疑問が残る。
 これは、被害者側でも同様にいじめという行為を強制され、それに加担した場合、自分とは別の被害者を生んでしまえば、加害者となりうることを示唆している。
 このように、いじめの加害者と被害者の定義は流動的で、その時の当事者の立場や背後関係、状況などによって変化するのである。
・いじめの加害者と被害者の立場は状況により変化する。
 これを踏まえ、いじめという問題を改善していくためには、当事者たちの事実関係を調査し、それがどの程度の問題であるか、どのように措置すべきかを考察する必要がある。

第5章「いじめという社会問題と改善への取り組み」
 社会的規範に照らし合わせれば、いじめは犯罪行為であり、被害者は諸々の権利を行使し、法によって護られ、加害者は行為が明らかとなった時点で、即時罰せられるべき存在である。
 しかし、自身・他人の及ぼす行為における判断基準が明確であり、必要最低限の社会的スキルを持つ大人と異なり、子どもという存在は未熟であり、これら諸行為に対する認識不足や、自身に襲い来る問題改善にための対処が出来ていない。
 よって、これらの問題に対して必要最低限の支援を行う存在が必要となる。
1.環境改善への取り組み
1、 家庭環境の充実
被害者側・加害者側、両者の保護者によるいじめについての理解と、子どもたちへの対応を呼びかける。
 これらの問題によって生じた、保護者自身のストレスなどの軽減措置を行う。
 また、虐待などいじめの背景となる問題が存在する場合、それらの問題改善を働きかける。
2、 指導担任・学級指導員との連携
 問題の早期発見と予防、背後関係の調査などを担当。
3、 スクールカウンセラー(SC)との連携
 カウンセリングによる当事者の心的問題の軽減、指導担任などでは把握できない当事者の内面的問題を担当する。
4、スクールソーシャルワーカー(SSW)との連携
 基本的にはscと同様に働きかけるが、環境づくりが主な役割となる。

※SC、SSWについては「第1回:ADHDとLD、その定義と意義を問う」でも取りあげているので、詳しくはそちらを参照してください。
2.いじめへの対処について
・12月中旬より研究グループの後輩・知人(10代後半~20代前半)などを対象としたいじめの背景問題に関したアンケートでの、いじめへの対処では、以下の結果があげられた。
 1、外部機関(保護者、指導担任、学内の友人以外)との相談を行う。
 2、話し合いなどで直接的な解決を行う。
 3、クラス替え、転校などを行うなど。
 また、これらの問題改善の課題として、以下があげられた。
 1、保護者や友人などにいじめの事実を知られたくない。あるいは、教えても何もしてくれない・出来ない。
 2、いじめについて意見しても変わらない。
 3、指導担任などがいじめに加担している。
 4、転校などで保護者に経済的な迷惑をかけたくない、友人(いじめの主体者以外)と別れたくないなど。
 これら、いじめの対処については当事者のみでの解決が困難であり、必要に応じて専門家による支援が不可欠である。
 いじめに様々な形態があるように、対処についても個々の状況に合わせた対応が必要となる。
 次章では、サイト運営者が体験・遭遇した、わずかながらの体験談と、いじめという概念についての総括を記載する。

終章 「いじめという概念」
1、グループを中心に募集した、体験談・遭遇談について
※なお、前回の対談形式は研究グループ内外で不評でしたので、今回からは同サイト内ブログへと移行していきます。
 ブログについての運営・リンクなどについては、1月の調整期間を利用して、ただいま新設中です、しばらくお待ちください。
1) 体験談
「前述」
 わたしは、中学1年の夏~3年の夏まで、“健康上の問題”から不登校になりました。
 “いじめ”という問題についてはそれ以前、“小学校高学年あたりからあった”と友人から聞かされ、“はじめて自覚”したほどその“生活は充実”していました。
 この不登校の理由が、“いじめ”と教育環境の不適切などであり、特に悩み、対応に困ったのが“いじめ”(=人間関係について)であり、その理由が“悪意のなさ”と“いじめの透明性”でした。
「自己評価」
 私自身の問題として、多少の人見知り、運動の不得意、頑固な性格などがありましたが、友人もわずかながらいましたし、周囲との特別な差異なども感じませんでした。
 いじめという問題が表面化したのは、わたしの心的要因による体調不良などが起こり、同時期に発生したある教科担任とのトラブルから学校を休みだした後、つまり不登校になってからなのです。
 心療内科での診断とカウンセリングから“そのような(いじめなどの)背景(事実)はありませんか?”という言葉を聞き。
 いじめという程ではないが、このような”悪ふざけ”があるという内容を話し、親と診断医が目をむいたのを覚えています。
 当時、過激なふざけ合いや遊びに疲れていたという事実、客観的な視点からその内容を振り返ると、ふざけ合いなどの範疇を大きく越えていたこと、実際に心的要因から身体的な症状が発生したことから、はじめてそれを”いじめと認識”しました。
※不登校の要因は”いじめ”と関連していますが、直接の動機ではありません、詳しくは『第3回:不登校は逃避ではない、サインを見逃すな』で紹介します。
「学校側の対応」
 中学にあがり、同時期に発生・発覚した不登校・いじめという問題に対して、学校の対応は、書類上の処置に身体虚弱・病欠と記入して“欠席を埋め”、必要に応じて面談を行うことでした。
 当時の母校では、相談室的なものはありましたが、あまり利用する気はありませんでした。
 理由として、相談室にSCは在中しておらず、無資格の引退した教職関係者であったということ。
 相談室の性質上、“遊び”に来る生徒を閉め出すことが難しかったからです。
 前者については、有資格者の配置は努力義務であり、“当校に非はない”という回答。
 3年生にあがるころに、大学から研修生が来ましたが、その頃には通常教育に復帰しつつあり、相談する機会もあまりありませんでした。
 後者については、「いま、〇〇くんがいるから入らないで」と教員が口頭で通達するという措置。
 2年生あたりからは、受験のためなどから教員が在中するなどの措置がとられました。
 細々としたものを省略すると、”傍観”を学校側は選んだのです。
「当ケースでのいじめの3要素」
 1.加害者と被害者の両方がいじめという行為に無自覚だったこと。
 あるいは、行為がもたらす結果について自覚していても、それが“いじめ”と呼ばれる行為だと思い至ず、あくまで“悪ふざけ”として認識していた。
 2.問題が発覚し、話し合いが設けられた後も、症状・問題に改善がみられなかったこと。
 自身の症状に改善がみられず、不登校という問題は継続されたままだった。
 心因性の病状のため、断言はしかねるが、不登校は少なくとも“いじめ”を主因としたものでないこと、いじめの問題とは“個別に対応”していくことが判明した。
 3.この後もいじめの行為が続いたこと。
 “いじめ”として認識されたあとも、行為が継続された。
 この時点で“いじめの透明性”はなくなり、明確な悪意を持つ色に特定され、自身を弱者として周囲に認識された。
 これが、“いじめ”と”いじめが作用する問題”を明確化し、この後の問題改善の課題を定義した3要素でした。
「問題改善の3要素」
 第1に、いじめという行為そのものをどう理解するか、自身がこの行為を不快に思っていることを伝えるか。
 第2に、どのように症状を軽減・改善し、通常登校に復帰するか(通学そのものに嫌悪はなく、学習意欲はあった)。
 第3に、どのようにいじめという行為を終わらせるか。
 このように、わたしの場合はいじめと不登校という問題が隣接しており、いずれかの解決でなく、両方に向けたアプローチが必要でした。
「具合的な問題改善と失敗」
 1.道徳の授業、あるいは朝礼前のSTなどで教員を通じ、自身の問題理解についてと、悪ふざけをやめるように訴えた。
 ありえないことに、まとめた感想文?を教員に握りつぶされた。(=実話である、当時のクラスの友人から聞いたところ、そのような授業・話しは一切なく、そもそも”いじめ”の事実についてはクラスの大多数が、教員からでなくクラスメイトから聞いたもので、教員に確認をとり、はじめて知った…らしい)
 2.症状の軽減などは薬物療法を試みたが、学童児ということもあり、あまり強い薬物は使用せず、本人に多少の薬学知識があったためか(=いわゆるプラシーボ効果、思い込み療法が通じない)、後半は漢方薬を中心に使用した。
 3.いじめについては、一度も中断されなかった。
 高校受験ということもあり、3年生になると数は減ったがイヤな思いは中学3年間続き、泣き寝入りとなった。
 わずかながらいた友人とも、違う高校に入ってから気まずくなり、あまりあっていない。
 しかし高校にあがれば、当時のいじめグループとも会わなくなり、“いじめ”は自然消滅した。
「改善での取り組みで困難だった点」
 1.いじめの理解(受け止め)、事実をどう伝えるかなど。
 2.持ち物を隠される・捨てられるなど、犯人が特定出来ず、指導担任も事実は認めるが対策をとらないなど(物理的な損害と対応)。
 3.同様に、持ち物を傷つけられるなどの場合。
 4.話し合いを設けても、当事者がいじめについて無自覚である、何をもってこの事態を収拾すべきか(賠償など)という課題があった。
「まとめ」
 結論としては、加害者に対して迷惑・不快という感情はあっても、“復讐してやろう”という考えには発展しておらず、むしろ学校の不適切とすら思える対応に憤りを感じていた。
 むろん、加害者に対しては相応の賠償を求めたが、わたしにとって“いじめの克服”という課題は、あくまでも「いじめという状況の終結(いじめを主体的に行うものが、複数のグループに分かれており、話し合いで解決しない者もいた)」と「自身の心の折り合いをつけること」だったためだ。
 前者の「いじめという状況の終結」については、多くが高校受験へと移行するうちに自然消滅し、それ以外については教員の黙殺と志望校推薦を条件に訴えを取り下げられている。
 つまり、こちらも相手も強く出ることが出来ず。
 逆に“その程度の行為”と受け止めるだけの余裕があった。
 このことから、進学に執着はなかったが、学校に復帰することが馬鹿らしくなり、それ以降は学校教員との連携も止め、必要に応じて外部機関(心療内科、電話相談、家庭教師など)を利用するのみとなった。
 この頃になると、体調不良は継続していても、薬物療法、カウンセリング療法は行なっておらず、自身の障害も生活習慣の一部として受け入れており、いじめについては結局無視するしかなかったのが現状である。
 以上から、いじめの問題解決と環境調整の重要性を、1章~4章を使い、いじめの概念でとりあげた。
2)遭遇談
 わたしは、直接的にいじめには関係していませんが、周囲では何度か目撃していました、当研究では傍観者の立場に分類されます。
 わたしが傍観者でいたのは、直接関係していなければ、自分から関わる必要はないという身勝手な考えからでした。
 いじめの多くは、集団での無視やふざけ合いが悪化したようなものが主でした。
 暴行や傷害に発展する深刻なものはなかったと思うが、不登校や転校した子たちもいました。
 わたしの結論としては、わたしのような傍観者が声をあげていけば、いじめの抑制になるかもしれないということ。
 はじめに傍観者からの脱却、次に2次的被害者を生まない環境作りの必要性と重要性を広め、将来的には、専門家・体験者からのいじめの実態、対策などを支援していく体制作りを課題に考察を続けていきます。
2.いじめという概念
 いじめは犯罪行為である。
 しかし、子どもたちの将来性、自身の行為が及ぼす影響について、判断基準の未熟などを考慮し、適切な指導による予防・問題改善が望ましい。
 また、被害者と加害者の立場は流動的で、状況によって変化する。
 加害者と被害者だけでなく、傍観者に働きかける、傍観者が働きかける環境づくりが重要となる。
2、“いじめの本質”について
 “いじめ”とは、単に害意を向けられる、悪意ある触法行為に繋がるもので括られるものではない。
 一方に“悪意がなく”とも、あるいは“その行為が深刻なものである”という自覚がなくとも、被害を受けた側からすれば、“自己の権利の侵害”や“否定”という意識に繋がるのである。
 何気ない日常会話、遊びのなかのふざけ合いにも、“いじめの芽”は存在する。
 人を“傷つけずにいる人間”など存在しない、“傷つけられたことのない人間”など存在しない。
 大事なのは、他者を思いやり、共に生きる明日を築いていくことなのである。
 よく、「被害者側にも問題はなかったのか?」、「社会に出れば、もっと多くの弊害に会う」、あるいは「学校では、教師の言うことだけ聞いていればいい」、「おまえは考えが足りない」という、“無責任な言葉”を耳にする。
 それは、実際に“起きている問題”に働きかけるものではない。
 被害者側を“弱者”、加害者側を“問題児”だと決めつけ、問題の改善へと“働きかける意識”を奈落へと閉ざす、“傍観者としての意見”でしかない。
 問おう、痛みを感じるのは罪か?悩みを抱えるのは罪か?
 答えは否だ。
 子は、人はみな、過ちを犯す。だからこそ現状から考察を深め、“より良い未来を作り出していく力”がある。
 加害者は“人の痛み”から“自分の痛み”を知ることができるはずだ。
 被害者は“自分の痛み”から“人を労わる”ことができるはずだ。
 傍観者は“傍観”から“行動”へと移ることができるはずだ。

 いじめには、加害者と傍観者、被害者がいる一方で、彼(彼女)らの境界線は非常に“あやふや”で、誰しも互いの立場が入れ替わる可能性を秘めており、ともに“いじめに遭遇した被害者”であるといえる。
 いじめに加害者はいない。加害者を生む環境こそが、加害者なのであり、変えていくべき問題なのだ。

 ~怪物を知る者が、すべからく怪物になるわけではない。怪物を知ってなお、自身を振り返ることができぬ者こそが、真に怪物と呼ばれる者なのである~

プロフィール

ニックネーム
 「メガネくんと愉快な仲間たち」
 メガネくん=岐阜経済大学 新家ゼミ4年生 板倉 正和
 チコ☆タン=岐阜経済大学 新家ゼミ4年生 脇 功次
 ドラえもん=非公開
 石さん=非公開
 タモさん=非公開

 ~定期的に参加して下さる方、現在募集中~
性別
 男女混合
血液型
 A型少なめ?
生年月日
 昭和60年代12月24日~
 平成20年12月24日の深夜=サイト誕生日~
 平成21年2月18日=サイト新規公開誕生日!!
現住所
 みんな、東海三県をまたがって点々としている。
 基本的に運営者へ仲間たちからメールでやり取りを行います。
所在地
 同上。
 夢は、2LDKでいいから引っ越したいかなぁ~?
職業
 21年3月までは大学生、同年4月には介護職として福祉の現場に!!
 片方は永遠に少年の心で、我らが学び舎に残ります(=確定しました)。
 その他、二人ほど学生から社会人に!!
 一人は社会人としての先輩ですね。
自己紹介
 当HPご覧の皆さま、引き続きよろしくお願いいたします。
 大学にてコミュニティ福祉学科、精神保健福祉士課程を専攻しておりました、メガネくんとチコ☆タン、および新規参加者の仲間たちです。
 基本的に、仲間たちは仕事が忙しいらしく、ほぼ運営者代表者のみでの活動になりそうです。
 大学在籍時の所属名、研究員の本名についてはフリーページに記載しておりますので、そちらをご参照下さい。
 至らない点も多々ございますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
新規メンバー募集について
 現在、新規メンバーおよび、一般参加での研究論文などの投稿をお待ちしています。
 所属・資格などに規定はございません。

 基本的に、当サイトで、ご自身の研究について内容を公開したり、HPをご覧の皆さまから、感想やアンケートを募集。
 あるいは、すでに公開されている数値統計のデータを提示、新たに共同で研究のための数値統計を行うなどが、活動内容となります。

 現在のところ、活動手段はメールやFAXでのやり取りが中心となります。
 必要に応じて掲示板などを新設したり、集会などを開くこともあります。
 新規メンバーに参加希望の方、あるいは一般投稿形式での研究公開を望まれる方は、お問い合わせフォームへ投稿時に、最初の行に「お名前、ご自身のPC専用メールアドレス(運営者がyahooメールを利用しているので、つながらない方はyahooに変更して、再度送信してみて下さい。)、ご自身の研究PR、HP感想」などを添えてご連絡ください。
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