碧ちゃんの話
3
さて、どうしよう。
さっきの店で見て回らなかった分、他の店に行ってみようか。だが同じ店でならまだしも、わざわざ他の店に入り直してまで時間をかけられるほど、余裕があるわけでもない。
なによりも、予定の物は全て揃っている。他に必要な物はないかもう一度思い返してみて、何もなければそのまま帰ろう。
そう考えて、周囲の店をキョロキョロと見回し──
「そのまま、動かないように」
背後から冷たい声を突きつけられて、動きを止めた。
押し殺したような、低い女性の声。
殺されこそはしないだろうが、半殺しにするくらいは躊躇しない。そう感じさせる調子の声。
「そのまま前に進んで、左の路地に入りなさい」
わざわざ人気のないところまで行かせようというのだ。目立ちたくはないのだろう。
大声でも出して注目を集めれば逃げられるかもしれない。
だが、敢えて言われた通り、黙って指定された路地裏に入る。
この声の主に逆らうのは危険だと思ったからでもあるが、なによりもその声に聞き覚えが──遠間での囁き声だけで確証はないが、覚えがあったから。
なによりも、さっきの今だ。恐らく、この声は。
「ゆっくりと、こちらを向いてください。おかしな真似を見せたら容赦しません」
言われるがまま、ゆっくりと、相手に警戒心を抱かせないように殊更ゆっくりと振り返る。
やはりと言うべきか。そこに立っていたのはさっきのあのメイドさんだった。
間違いようのない、昨日あの少女の背後に控えていたメイド服姿。
年齢は自分と同じくらいだろう。
こうして近くで見てみると、白黒のメイド服というのは季節にそぐう姿ではないと思う。
ノースリーブなのは夏服だからなのだろうが、足首が見える程度のロングスカートのせいで、そのくらいでは涼し気には全く見えない。
見るからに暑そうに見えるのに額に汗ひとつかかず、足を揃えてすらりと立つその姿は、隙だらけに見えてこちらに合わせてどうとでも動けるように身構えられている。
容赦しない、という言葉はそっくりそのまま文字通りの意味だろう。
昨日は主を押しのけて出しゃばりません、とばかりにこちらを向きもせずに澄ましていたその目が、今はまるで刺すようにこちらを捕えていた。
恐らく、幾度も修羅場を潜って来た眼差し。
「なぜ後をつけてきますか。ストーカーですか? ……それとも」
そう言うと、その目つきが更に鋭くなった。
それとも、の後になにを言おうとしたのか何となく予想が付く。
自分が目的ならばまだしも、自分の主人……昨日のあの少女が目的ならば、後悔させてやる。
大した忠誠心だと思う。
そうは言われても、こちらには後をつけた覚えはない……のだが、この短時間で三度も会ってしまっているのは間違いのない事実だ。
しかも目立つ格好をしている見目麗しい妙齢の女性にとって、如何わしい視線を向けられることは珍しくないのだろう。
このような時に、意図的な物を……邪なそれを感じてしまうのも無理はない。
尤もそれを言うのならば、この短い間に何度も遭遇していることに、不審を覚えているのはこちらも同じなのだが。
つまり、見方が変われば正解も変わるという事。
「失礼ですけど、この辺りの人ではないですよね」
相手の表情を窺い、反応を確認しながら話を続ける。いきなり逆上して襲い掛かってこられでもしたら面倒だ。
ここに住むようになってから三年と少し。その間、この人のことを見かけた事は一度もない。
自分は他人になど興味はないが、それでもこんなメイド姿を一度でも見かけていれば、いくら何でも記憶に残っている筈だ。
まして、昨日のあの少女と一緒にいるのならば。
「うち、あそこなんですが」
そう言って、ここからでも見える建物を指差した。
文字通り目と鼻の先の、学生や独身向けの安アパートだ。
メイドさんは、その質問に暫し考えるようなそぶりで視線を巡らせてから、あ、という表情になった。
「どうやら私の考え違いだったようです。済みませんでした」
素直に謝れるのは良い事だ。
つまり、何度も会ってしまったのは意図したことではない。が、偶然ではなく、必然。
このメイドさんの方がこちらの行動範囲内に入って来たのだから、そこで生活する人間に頻繁に会うのは当たり前の事。
その当たり前のことを、意識してしまったからそうとしか見えなくなってしまったという、よくある話。
「だからと言って私の後を付けて来たのではないという証拠にはなりません。ですが、貴方の生活圏に私の方が入り込んでいたことは間違いないようです。疑って申し訳ありませんでした」
「いえ、わかって貰えればそれで」
この人がこちらのことを意識するきっかけになったのは、自分がこの人を見かけて思わず声を上げてしまった事だ。
それがなければ、この人が自分などを思い出すことも、意識することすらなかったに違いない。
こちらが誤解を与えるようなことをしておいて、自分は一方的な被害者だと言い張るのも筋が違うだろう。
「それに、疑うのがSPの仕事ですから。当然です」
さっきの店で見て回らなかった分、他の店に行ってみようか。だが同じ店でならまだしも、わざわざ他の店に入り直してまで時間をかけられるほど、余裕があるわけでもない。
なによりも、予定の物は全て揃っている。他に必要な物はないかもう一度思い返してみて、何もなければそのまま帰ろう。
そう考えて、周囲の店をキョロキョロと見回し──
「そのまま、動かないように」
背後から冷たい声を突きつけられて、動きを止めた。
押し殺したような、低い女性の声。
殺されこそはしないだろうが、半殺しにするくらいは躊躇しない。そう感じさせる調子の声。
「そのまま前に進んで、左の路地に入りなさい」
わざわざ人気のないところまで行かせようというのだ。目立ちたくはないのだろう。
大声でも出して注目を集めれば逃げられるかもしれない。
だが、敢えて言われた通り、黙って指定された路地裏に入る。
この声の主に逆らうのは危険だと思ったからでもあるが、なによりもその声に聞き覚えが──遠間での囁き声だけで確証はないが、覚えがあったから。
なによりも、さっきの今だ。恐らく、この声は。
「ゆっくりと、こちらを向いてください。おかしな真似を見せたら容赦しません」
言われるがまま、ゆっくりと、相手に警戒心を抱かせないように殊更ゆっくりと振り返る。
やはりと言うべきか。そこに立っていたのはさっきのあのメイドさんだった。
間違いようのない、昨日あの少女の背後に控えていたメイド服姿。
年齢は自分と同じくらいだろう。
こうして近くで見てみると、白黒のメイド服というのは季節にそぐう姿ではないと思う。
ノースリーブなのは夏服だからなのだろうが、足首が見える程度のロングスカートのせいで、そのくらいでは涼し気には全く見えない。
見るからに暑そうに見えるのに額に汗ひとつかかず、足を揃えてすらりと立つその姿は、隙だらけに見えてこちらに合わせてどうとでも動けるように身構えられている。
容赦しない、という言葉はそっくりそのまま文字通りの意味だろう。
昨日は主を押しのけて出しゃばりません、とばかりにこちらを向きもせずに澄ましていたその目が、今はまるで刺すようにこちらを捕えていた。
恐らく、幾度も修羅場を潜って来た眼差し。
「なぜ後をつけてきますか。ストーカーですか? ……それとも」
そう言うと、その目つきが更に鋭くなった。
それとも、の後になにを言おうとしたのか何となく予想が付く。
自分が目的ならばまだしも、自分の主人……昨日のあの少女が目的ならば、後悔させてやる。
大した忠誠心だと思う。
そうは言われても、こちらには後をつけた覚えはない……のだが、この短時間で三度も会ってしまっているのは間違いのない事実だ。
しかも目立つ格好をしている見目麗しい妙齢の女性にとって、如何わしい視線を向けられることは珍しくないのだろう。
このような時に、意図的な物を……邪なそれを感じてしまうのも無理はない。
尤もそれを言うのならば、この短い間に何度も遭遇していることに、不審を覚えているのはこちらも同じなのだが。
つまり、見方が変われば正解も変わるという事。
「失礼ですけど、この辺りの人ではないですよね」
相手の表情を窺い、反応を確認しながら話を続ける。いきなり逆上して襲い掛かってこられでもしたら面倒だ。
ここに住むようになってから三年と少し。その間、この人のことを見かけた事は一度もない。
自分は他人になど興味はないが、それでもこんなメイド姿を一度でも見かけていれば、いくら何でも記憶に残っている筈だ。
まして、昨日のあの少女と一緒にいるのならば。
「うち、あそこなんですが」
そう言って、ここからでも見える建物を指差した。
文字通り目と鼻の先の、学生や独身向けの安アパートだ。
メイドさんは、その質問に暫し考えるようなそぶりで視線を巡らせてから、あ、という表情になった。
「どうやら私の考え違いだったようです。済みませんでした」
素直に謝れるのは良い事だ。
つまり、何度も会ってしまったのは意図したことではない。が、偶然ではなく、必然。
このメイドさんの方がこちらの行動範囲内に入って来たのだから、そこで生活する人間に頻繁に会うのは当たり前の事。
その当たり前のことを、意識してしまったからそうとしか見えなくなってしまったという、よくある話。
「だからと言って私の後を付けて来たのではないという証拠にはなりません。ですが、貴方の生活圏に私の方が入り込んでいたことは間違いないようです。疑って申し訳ありませんでした」
「いえ、わかって貰えればそれで」
この人がこちらのことを意識するきっかけになったのは、自分がこの人を見かけて思わず声を上げてしまった事だ。
それがなければ、この人が自分などを思い出すことも、意識することすらなかったに違いない。
こちらが誤解を与えるようなことをしておいて、自分は一方的な被害者だと言い張るのも筋が違うだろう。
「それに、疑うのがSPの仕事ですから。当然です」
12/84
- アクセス数

- ページビュー数

プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
携帯用QRコード