碧ちゃんの話
5
「いえ、普通なら気付かないと思います」
命の危機に瀕すれば現実感という物を感じられるかもしれないと、悪漢に襲われる妄想に耽っているような社会不適合者でもなければ。
ただ問題なのは、その妄想を実際に、それも自分が犯人側として実行してしまう奴はそれ以上の社会不適合者だという事だが。
「タメ口でいいよ。見ての通りこれがアタシの素だし、多分あんたの方が年上だろうしな」
確かにこの……さっきまでのきっちりと澄ました態度から大人の女性という印象があったが、外見から見れば自分と然程変わった年齢には見えない。
「どうして……?」
気付かれてしまったことで、SPであることを隠さなくなったというのはわかる。が、何故それとは関係のない素を、暴かれたわけでもないのに自分から曝け出したのかがわからない。
「だって、色々とバレてんだろ? 昔の仲間にお前みたいな目敏い奴がいたからわかるんだよ。だったら今更取り繕ってもめんどくさいだけだ」
まぁ、確かに。その動きから予測できるこの人の戦い方からしても、最初の外見通りのお上品な良家のメイドではない事くらいはわかる。
「バレたついでに言っとくけどよ」
不意にメイドさんがぐいと顔を寄せて来た。
所謂不良がメンチを切る距離で、別の言い方をすれば、お笑い芸人がそのままキスをする距離。
女声の顔をこれだけ近くで見たことがなくて、少しだけドキッとする。
「お嬢様に気に入られたからって、いい気になるなよ」
気に入られた……と言われて首を捻る。
このメイドさんの『お嬢様』と会ったのはほんの数分の間だけ。気に入られたという様なことがあったという記憶もない。
いや千恵理の話からすると、『謝意を受け取る』というだけで相当なことだったらしい。
成程、最初の苦虫をかみ潰したようなあの表情はそういうことか。大切な『お嬢様』に、悪い虫が近寄って来たのだと、それも自分を介して近寄ろうとしているのだと、そう思ったのだろう。
その虫を払う為にこうしているのだ。
だが、見る限り今にも胸倉を掴みそうな勢いだが、実際にはこちらの体に触れてすらいない。
しなくてはいけないことと、してはいけないことの一線をきちんと理解し、守っているのだろう。
それは、こんなことをしていても、こんなに怒っている様に見せかけていても、あくまで冷静な判断の元にしているのだということ。
きっと、今までもこうして、自分を悪者にしてまで自分の主人を守って来たのだ。
間違いなく、いい娘だった。
「いや、いい気になんてなるわけないよ」
あれは、たまたまその時ちょっとだけ気分が良かったとか、その程度の事だろう。そもそもメイドさんのいう様に気に入られたということですらない。
「……まぁ、いいわ」
納得した様子ではなかったが、メイドさんはそう言って顔を離して、距離を遠ざけた。
少しだけ、残念に思う。
「一応言っとくが、お嬢様に不用意に近づいたりするんじゃねぇぞ」
指を突きつけられて、逆らわずに頷く。
あの少女に──あの孤高に近付こうなんて思うわけがないし、そもそももう会う事もあるまい。
そのくらい、あの少女は自分にとって遠い存在だった。
「ああそうだ、忘れてた。右手出せよ」
そう言ってこちらに向かって手を差し出す。
武器を持っていないかのボディチェックだろうか。だとしたら、それこそ振り向かせる前にやるべきことのはず。
そう思いながらも、言われた通り右手の平を上に向けて差し出した。
「ちげぇよ。逆だ」
逆と言われても右手はこっち……と言われた意味に気が付いて、腕を返して手の甲側を向けて見せた。
そのメイドさんの前に、昨日いつの間にか付いていた傷が曝け出される。
「ほら見ろ、ひっでぇ傷じゃねぇか」
そうぶつぶつ言いながら、メイドさんは布の様な何かを取り出す。包帯かと思ったが、どうやら細く畳んだガーゼの様だった。
「一日経ってるから乾いて瘡蓋になってんな。これならラップとか使わないで直接ガーゼ当てる方がいいだろ」
同じ様にチューブの傷薬を取り出して、傷ではなくガーゼの方に塗っていく。
「いや、手当ては──」
そう言って止めようとするが、
「うるせぇ。お前の意思は聞いてねぇ。アタシが気になんだよ」
問答無用だった。
「それに、次にお嬢様と会った時にこの傷が残ってたら、お嬢様が気にすんだろうが」
その呟きは小さくて、傷に顔を寄せて近付いた口元からでも微かにしか聞こえなかった。
でもそれだけで、『お嬢様』が本当に大事なのだという気持ちが伝わって来て、何となく自分の口元も緩んでいた。
そうしている間に、メイドさんは手にしたガーゼを傷に当てて、手早く医療用テープで留めていく。テープはよくある不織布ではなく絆創膏に使われているような肌に負担なく伸び縮みする物で、それその物は些細ではあるが、細やかな気遣いが感じられた。
「お前はさっき、アタシが武道やってるって言ってたけどさ、アタシがやってたのはそんな上等なもんじゃねぇんだ。アタシのやってたのはただの喧嘩でさ。学生の頃は、鉄パイプをぶら下げて殴り合いに明け暮れたもんさ。そん時の仲間たちが怪我が絶えねぇのに大したことねぇって意地張ってやがってよ。そんな下らねぇ意地張って何の意味があんだよ。さっさと手当させろっての」
まぁこれは怪我ではなく、然程痛みも感じない様などうでもいい傷なのだが。
その手当てをする動きに合わせて、自分の目の前でヘッドドレスがふるふると揺れていた
命の危機に瀕すれば現実感という物を感じられるかもしれないと、悪漢に襲われる妄想に耽っているような社会不適合者でもなければ。
ただ問題なのは、その妄想を実際に、それも自分が犯人側として実行してしまう奴はそれ以上の社会不適合者だという事だが。
「タメ口でいいよ。見ての通りこれがアタシの素だし、多分あんたの方が年上だろうしな」
確かにこの……さっきまでのきっちりと澄ました態度から大人の女性という印象があったが、外見から見れば自分と然程変わった年齢には見えない。
「どうして……?」
気付かれてしまったことで、SPであることを隠さなくなったというのはわかる。が、何故それとは関係のない素を、暴かれたわけでもないのに自分から曝け出したのかがわからない。
「だって、色々とバレてんだろ? 昔の仲間にお前みたいな目敏い奴がいたからわかるんだよ。だったら今更取り繕ってもめんどくさいだけだ」
まぁ、確かに。その動きから予測できるこの人の戦い方からしても、最初の外見通りのお上品な良家のメイドではない事くらいはわかる。
「バレたついでに言っとくけどよ」
不意にメイドさんがぐいと顔を寄せて来た。
所謂不良がメンチを切る距離で、別の言い方をすれば、お笑い芸人がそのままキスをする距離。
女声の顔をこれだけ近くで見たことがなくて、少しだけドキッとする。
「お嬢様に気に入られたからって、いい気になるなよ」
気に入られた……と言われて首を捻る。
このメイドさんの『お嬢様』と会ったのはほんの数分の間だけ。気に入られたという様なことがあったという記憶もない。
いや千恵理の話からすると、『謝意を受け取る』というだけで相当なことだったらしい。
成程、最初の苦虫をかみ潰したようなあの表情はそういうことか。大切な『お嬢様』に、悪い虫が近寄って来たのだと、それも自分を介して近寄ろうとしているのだと、そう思ったのだろう。
その虫を払う為にこうしているのだ。
だが、見る限り今にも胸倉を掴みそうな勢いだが、実際にはこちらの体に触れてすらいない。
しなくてはいけないことと、してはいけないことの一線をきちんと理解し、守っているのだろう。
それは、こんなことをしていても、こんなに怒っている様に見せかけていても、あくまで冷静な判断の元にしているのだということ。
きっと、今までもこうして、自分を悪者にしてまで自分の主人を守って来たのだ。
間違いなく、いい娘だった。
「いや、いい気になんてなるわけないよ」
あれは、たまたまその時ちょっとだけ気分が良かったとか、その程度の事だろう。そもそもメイドさんのいう様に気に入られたということですらない。
「……まぁ、いいわ」
納得した様子ではなかったが、メイドさんはそう言って顔を離して、距離を遠ざけた。
少しだけ、残念に思う。
「一応言っとくが、お嬢様に不用意に近づいたりするんじゃねぇぞ」
指を突きつけられて、逆らわずに頷く。
あの少女に──あの孤高に近付こうなんて思うわけがないし、そもそももう会う事もあるまい。
そのくらい、あの少女は自分にとって遠い存在だった。
「ああそうだ、忘れてた。右手出せよ」
そう言ってこちらに向かって手を差し出す。
武器を持っていないかのボディチェックだろうか。だとしたら、それこそ振り向かせる前にやるべきことのはず。
そう思いながらも、言われた通り右手の平を上に向けて差し出した。
「ちげぇよ。逆だ」
逆と言われても右手はこっち……と言われた意味に気が付いて、腕を返して手の甲側を向けて見せた。
そのメイドさんの前に、昨日いつの間にか付いていた傷が曝け出される。
「ほら見ろ、ひっでぇ傷じゃねぇか」
そうぶつぶつ言いながら、メイドさんは布の様な何かを取り出す。包帯かと思ったが、どうやら細く畳んだガーゼの様だった。
「一日経ってるから乾いて瘡蓋になってんな。これならラップとか使わないで直接ガーゼ当てる方がいいだろ」
同じ様にチューブの傷薬を取り出して、傷ではなくガーゼの方に塗っていく。
「いや、手当ては──」
そう言って止めようとするが、
「うるせぇ。お前の意思は聞いてねぇ。アタシが気になんだよ」
問答無用だった。
「それに、次にお嬢様と会った時にこの傷が残ってたら、お嬢様が気にすんだろうが」
その呟きは小さくて、傷に顔を寄せて近付いた口元からでも微かにしか聞こえなかった。
でもそれだけで、『お嬢様』が本当に大事なのだという気持ちが伝わって来て、何となく自分の口元も緩んでいた。
そうしている間に、メイドさんは手にしたガーゼを傷に当てて、手早く医療用テープで留めていく。テープはよくある不織布ではなく絆創膏に使われているような肌に負担なく伸び縮みする物で、それその物は些細ではあるが、細やかな気遣いが感じられた。
「お前はさっき、アタシが武道やってるって言ってたけどさ、アタシがやってたのはそんな上等なもんじゃねぇんだ。アタシのやってたのはただの喧嘩でさ。学生の頃は、鉄パイプをぶら下げて殴り合いに明け暮れたもんさ。そん時の仲間たちが怪我が絶えねぇのに大したことねぇって意地張ってやがってよ。そんな下らねぇ意地張って何の意味があんだよ。さっさと手当させろっての」
まぁこれは怪我ではなく、然程痛みも感じない様などうでもいい傷なのだが。
その手当てをする動きに合わせて、自分の目の前でヘッドドレスがふるふると揺れていた
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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