碧ちゃんの話
2
年の頃は十かそれを少し超えたくらいか。自分よりも十は年下……半分程の年齢だろう。
定義としてはともかく、人に拠っては幼女と呼ぶだろう外見。
だが、その幼い見た目に反してぴんと伸びた背筋が、真っ直ぐと空に向けられている。
その幼い見た目に反して鋭い眼差しが、凛と研ぎ澄まされて真っ直ぐと前だけに向けられている。
碧いと感じたのは、身に着けた仕立ての良さそうなジャケットとスカートが碧いからではない。
太股にまで届かんとする柔らかくしなやかな黒髪が、風を孕んで背後の空色を透けさせているからでもない。
いや勿論それもあるが、それが一番の理由ではない。
手の届かない孤空の紺碧。
窺い知れない深淵の深碧。
色褪せた、半ば壊れた画面越しでさえも心に突き刺さる程に鮮やかな碧。
何よりも目を引くのは、そこに見えているのに遥かな彼方遠く、触れる事も窺い知る事も出来ない物だという現実感。
しかし間違いなくそこに存在しているのだという現実感。
すぐ目の前に見えていて、触れる事も出来るのに曖昧な物たちよりも、余程現実感を持ってそこにいた。
その凛と立つ背後に付き従って、メイドがいる。
連れて、でも伴って、でもない。
少女はただ一人、他の何者をも必要とせず孤高にそこに存在している。
メイドは必要ではなくとも、そこが自ら望んだ場所としてそれに就き従う。
そんな関係がその立ち位置から見て取れる。
その少女の視線が、ふっとこちらに向いた。
前だけを見据えていた視線が、孤高を感じさせていたその眼差しが、こちらへと向けられる。
その視線がこちらに気付き、こちらの存在に気付き──少女が立ち止まり、その体を自分の方へと向けた。
見事な黒髪が、体の動きに合わせてふわりと広がった。
美人だと、思う。
幼いながらも整った顔立ち。
普通ならば間が抜けて見えるだろう真ん丸いトンボ眼鏡越しですら隠しきれない、強い意志を宿した眼差し。
年相応の可愛い、を押し殺し、年不相応の美しさが先に来る。
だがそれよりも更に先に来たのは、その髪の美しさだった。
烏の濡羽色とはこのことを言うのだろう。
どこまでも限りなく黒い。黒いがそれだけでは無く、滑らかな艶がただの黒というだけでは居させない。
空の碧を含み、空の碧を映して碧く輝いている。
ただ只管に黒いのに、それのみに留まらずに碧く輝いている。
少女が不意に立ち止まったというのに、その背後でまるで当たり前のような自然な仕草でメイドが控えた。
一瞬だけ……少女に動きは全く無いけれど、こちらを向いてふと小首を傾げるような雰囲気がした。
「手助けが必要かと思いましたが──」
表情に相応しい、幼さの感じられない美しくも凛とした声。
その視線がこちらの右腕を向いている。何を見ているのだろう、とそれを追って、漸くそこに傷が付いている事を思い出した。
「その必要は無さそうですわね」
その傷を放っておくことに決めたことが分かったのだろう。多分、自分の表情と行動から。
だからそれを尊重して、自分もそうする。
相手を気遣いつつも、押しつけがましくはしない。
恐らく、自分がそうして欲しいからと、それと同じにそうする。
聡い少女だった。
「うん。ありがとう」
そう答えると、少女の視線が不思議そうに揺れた。
「それは、何に対してのお礼ですか?」
と問われても、自分でも考えての発言ではない。
相手が何かをしてくれたら、気に掛けてくれたというだけでも何かして貰ったのならば礼を言う。常識以上でも以下でもない行為。
恐らく自分も少女と同じ表情で少し考えてから、答えた。
「気に掛けてくれた事と、気に掛けないでくれた事に対して、かな」
自分でもよくわからないその返事を聞くと、少女は微かに目を細めた。
「でしたらその謝意、受け取らせていただきますわ」
よくわからないが、その答えは少女のお眼鏡に適ったらしい。
だから、自分もそれに笑い返した。
相手が喜んでくれたのなら、自分も嬉しい。当たり前の話。
その時、少女の背後に控えたメイドが体の横で、ぴくりと右手を動かした。
続けて視線を微かに左下へ向けて数秒動きを止める。
自分の視線に気付いたのだろう、少女も視線だけで背後のメイドを窺った。
「碧お嬢様……」
そう呟いて、メイドが少女の耳元に口を寄せて何か囁く。
少女はこくりと頷いて、
「では」
こちらに向けて、僅かに頭を下げた。
たったそれだけだというのに、それはひどく堂に入っていて、とても優雅に見えた。
それに合わせて、こちらも軽く会釈を返す。
少女は失礼にならない程度の間、視線をこちらに残してから踵を返した。
その時にはもう、こちらへの興味は微塵も感じられない。
初めて横顔を見た時の孤高へと、その存在を戻していた。
良い物を見た。
メイドを付き従えて遠ざかるその背を眺めながら、頷いた。
物心ついてから一番……いや、初めて。
ほんの少しだけ、この世界と自分とは、思っていたよりも距離は近かったのではないかと、そんな気がした。
定義としてはともかく、人に拠っては幼女と呼ぶだろう外見。
だが、その幼い見た目に反してぴんと伸びた背筋が、真っ直ぐと空に向けられている。
その幼い見た目に反して鋭い眼差しが、凛と研ぎ澄まされて真っ直ぐと前だけに向けられている。
碧いと感じたのは、身に着けた仕立ての良さそうなジャケットとスカートが碧いからではない。
太股にまで届かんとする柔らかくしなやかな黒髪が、風を孕んで背後の空色を透けさせているからでもない。
いや勿論それもあるが、それが一番の理由ではない。
手の届かない孤空の紺碧。
窺い知れない深淵の深碧。
色褪せた、半ば壊れた画面越しでさえも心に突き刺さる程に鮮やかな碧。
何よりも目を引くのは、そこに見えているのに遥かな彼方遠く、触れる事も窺い知る事も出来ない物だという現実感。
しかし間違いなくそこに存在しているのだという現実感。
すぐ目の前に見えていて、触れる事も出来るのに曖昧な物たちよりも、余程現実感を持ってそこにいた。
その凛と立つ背後に付き従って、メイドがいる。
連れて、でも伴って、でもない。
少女はただ一人、他の何者をも必要とせず孤高にそこに存在している。
メイドは必要ではなくとも、そこが自ら望んだ場所としてそれに就き従う。
そんな関係がその立ち位置から見て取れる。
その少女の視線が、ふっとこちらに向いた。
前だけを見据えていた視線が、孤高を感じさせていたその眼差しが、こちらへと向けられる。
その視線がこちらに気付き、こちらの存在に気付き──少女が立ち止まり、その体を自分の方へと向けた。
見事な黒髪が、体の動きに合わせてふわりと広がった。
美人だと、思う。
幼いながらも整った顔立ち。
普通ならば間が抜けて見えるだろう真ん丸いトンボ眼鏡越しですら隠しきれない、強い意志を宿した眼差し。
年相応の可愛い、を押し殺し、年不相応の美しさが先に来る。
だがそれよりも更に先に来たのは、その髪の美しさだった。
烏の濡羽色とはこのことを言うのだろう。
どこまでも限りなく黒い。黒いがそれだけでは無く、滑らかな艶がただの黒というだけでは居させない。
空の碧を含み、空の碧を映して碧く輝いている。
ただ只管に黒いのに、それのみに留まらずに碧く輝いている。
少女が不意に立ち止まったというのに、その背後でまるで当たり前のような自然な仕草でメイドが控えた。
一瞬だけ……少女に動きは全く無いけれど、こちらを向いてふと小首を傾げるような雰囲気がした。
「手助けが必要かと思いましたが──」
表情に相応しい、幼さの感じられない美しくも凛とした声。
その視線がこちらの右腕を向いている。何を見ているのだろう、とそれを追って、漸くそこに傷が付いている事を思い出した。
「その必要は無さそうですわね」
その傷を放っておくことに決めたことが分かったのだろう。多分、自分の表情と行動から。
だからそれを尊重して、自分もそうする。
相手を気遣いつつも、押しつけがましくはしない。
恐らく、自分がそうして欲しいからと、それと同じにそうする。
聡い少女だった。
「うん。ありがとう」
そう答えると、少女の視線が不思議そうに揺れた。
「それは、何に対してのお礼ですか?」
と問われても、自分でも考えての発言ではない。
相手が何かをしてくれたら、気に掛けてくれたというだけでも何かして貰ったのならば礼を言う。常識以上でも以下でもない行為。
恐らく自分も少女と同じ表情で少し考えてから、答えた。
「気に掛けてくれた事と、気に掛けないでくれた事に対して、かな」
自分でもよくわからないその返事を聞くと、少女は微かに目を細めた。
「でしたらその謝意、受け取らせていただきますわ」
よくわからないが、その答えは少女のお眼鏡に適ったらしい。
だから、自分もそれに笑い返した。
相手が喜んでくれたのなら、自分も嬉しい。当たり前の話。
その時、少女の背後に控えたメイドが体の横で、ぴくりと右手を動かした。
続けて視線を微かに左下へ向けて数秒動きを止める。
自分の視線に気付いたのだろう、少女も視線だけで背後のメイドを窺った。
「碧お嬢様……」
そう呟いて、メイドが少女の耳元に口を寄せて何か囁く。
少女はこくりと頷いて、
「では」
こちらに向けて、僅かに頭を下げた。
たったそれだけだというのに、それはひどく堂に入っていて、とても優雅に見えた。
それに合わせて、こちらも軽く会釈を返す。
少女は失礼にならない程度の間、視線をこちらに残してから踵を返した。
その時にはもう、こちらへの興味は微塵も感じられない。
初めて横顔を見た時の孤高へと、その存在を戻していた。
良い物を見た。
メイドを付き従えて遠ざかるその背を眺めながら、頷いた。
物心ついてから一番……いや、初めて。
ほんの少しだけ、この世界と自分とは、思っていたよりも距離は近かったのではないかと、そんな気がした。
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プロフィール
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- 未田 尚(まだ なお)
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- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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