楽天市場
[無料でホームページを作成] [通報・削除依頼]

碧ちゃんの話


5

 この様子を見ると、何か食べられるようになるにはもう少し時間がかかるだろう。こうなると、無駄になったと思っていた米が炊けるまでの時間が逆にありがたい。
「あぁぁもう……お酒なんて絶対……」
 喋るのもつらいだろうに、千恵理が絞り出すように声を上げた。
 逆に、そうしないではいられないくらいつらいのだろう。
「もっと飲めるようになってやる」
 絶対飲まない、ではないらしい。初めて飲んだ酒は、それだけ美味しかったらしい。
 千恵理がこんな状態だというのに、少しだけほっとする。昨日はあれほど楽しそうに飲んでいたのに、自分が良く見ていなかったせいで酒を嫌いになられては、申し訳ない。
 何よりも、昨日は自分も楽しかったのだ。
 酒を飲むのは好きだ。ふわふわと地に足が付かない感じが、酒のせいなのかそれ以外が理由なのか、わからなくなるから。
 だから飲む時はいつも、酔う為だけに、安いのが取り柄の酒を部屋で質より量で、が常だった。一番多いのは、25度の焼酎を割らずにストレートで、だ。
 飲む、という行為自体を楽しいと思ったのは、覚えている限り初めてだった。
 千恵理にとっても、昨日の事が楽しい思い出になってくれれば、それはとても嬉しい事だと思う。
「でも、同じくらい飲んでたはずなのにお酒強いんだね」
 休んでいればいいのに、千恵理がそう話を続けた。喋っていた方が気が紛れてつらさを忘れられる、ということだろう。
 呼気にもアルコールが含まれるから、出来るだけ息として吐き出した方が楽になる気がするというのは自分にも経験がある。
「今千恵理が言った通り、ただ慣れているっていうだけの問題だよ」
 自分も初めての時に昨日の千恵理と同じだけ飲んだら同じ事になっていただろう。
 それを思い出せていれば、こんなに飲ませずにいられたのだろうが。本当に、当たり前の細かい事に気が付かない自分の迂闊さは救いようがない。
「じゃあ、もっと飲んで飲んで飲みまくらないとー」
 苦しい息の下でそう言う。この状態になってまでそう言えるという事は、それだけ初めての酒が美味しかったのだろう。
「そうだな。慣れればもっと強くなると思う」
 初めてであれだけ飲んだのだ。強いのは間違いない。後は体が酒に慣れて、ペースを覚えられさえすればもっと楽しんで飲めるようになる筈だ。
「その為にも、しばらくは控えめにして自分がどれだけ飲めるのか把握しないと」
「はぁーい……」
 そう返事する声は不満気ではあるが、流石にまたこんな目には遭いたくないという気持ちが込められていた。
 さて。千恵理も休むことにしたようだし、米が炊けるか千恵理がそれを食べられるくらいに回復するか、どちらにしても後は待つことしか出来ない。
 そのままただ待っていても仕方がないと、窓に向けて置かれた座卓の上のパソコンを立ち上げる。
 カタカタ、とキーボードを叩く。
 悩んで少し手を止め、またカタカタと音を立てる。その後を追う様に、窓の外からチイチイと蝉の声が響いていた。
「……卒論?」
 その音が気になったのだろう。千恵理がそう声を出した。眠くなったのだろうか。その声は少しうつらうつらとした響きになっている。
 今年卒業だという話は、昨日酒の肴代わりに言ってある。
「ああ、悪い。うるさかったか」
 出来るだけ音を立てないように気を付けていたつもりだが、無機質な固く尖った音が二日酔いの頭に刺さってもおかしくはない。
 眠れそうなのであれば、邪魔しないように控えるべきだろう。
「ううん、心地いいリズムで気持ちが落ち着く」
 そうか。それなら良かった。
 嫌がっていないのならば、とキーボードを叩く作業を続ける。
「卒論はもう終わった。意味のない事を意味ありげに長々書き殴るのは得意だから」
 カタカタ、とキーボードが鳴る。
 一流大学ならばそれでは通用しないだろう。だが、わざと提出さえすれば内容などどうでもいいような三流大学を選んだのだ。後は再提出を求められない様なギリギリになるまで待って提出すれば、問題なく通る。
「じゃあ、何書いてるの?」
「字だよ」
 別にはぐらかしているわけではない。
 こんなものはただの字だ。
 小説でもなければ文章でもない。単語ですらない。なんの意味もない、ただの、文字の羅列。
「へー、そっかぁ……」
 そう呟いて、千恵理は微かに寝息を立て始めた。
 寝て、意識を失ってしまえば、自分がつらいということもわからなくなる。
 それは、とてもしあわせなことだと、そう思った。
23/84
アクセス数
ページビュー数

プロフィール

名前
未田 尚(まだ なお)
通称
にゃー
お仕事募集ちう。
文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
QRコード
携帯用QRコード