碧ちゃんの話
7
粥に溶いた梅干しを口に入れて、酸っぱいと喜ぶ千恵理を見ながら、保温になったままの炊飯器の蓋を開ける。
そこに溶き卵を回し入れ、蓋を戻してそのまま暫し待つ。
「……終わっちゃった」
スプーンを咥えたまま、千恵理が呟いた。
食べて胃を刺激したせいで、食欲が戻ったらしい。
「おかわりは?」
昨日の食事風景を見ていたから、千恵理が食欲旺盛なのはわかっている。粥は多めに炊いてあった。
「お願いします」
千恵理はそう呟きながら、空になった椀をおずおずと差し出した。
まだ三杯目ではないのだから、そっと出さなくても良いのに。
炊飯器の粥を軽く掻き回してから、椀によそって渡す。
「卵のお粥だ……」
千恵理がその匂いを嗅ぎながら、相好を崩した。千恵理の椀の粥の残り具合を見て卵を入れたので、ちょうどいい半熟具合になっている筈だ。
「薬味はどうする?」
「じゃあ……葱と梅干、もうちょっと頂戴」
「ん、わかった」
千恵理が食べている間に、言われた薬味を補充する。
「あー……ほっとする味だ」
幾分かなりと、元気になったようで良かった。
もう心配はいらないだろうと、洗い物を始める。男の一人暮らしの部屋に、食器は最低限しかない。つまみ程度とは言え、二人で使えばもう汚れていない食器はほぼなくなっていた。
このままだと、自分が食事をする分すら残っていない。
「昨日も思ったけど……んー、酔っぱらってたから本当はよくわからなかったけど、料理上手いんだね」
「そんなことはないよ。食べられれば良い、男の料理だから」
実際、この部屋に帰ってくる前に食べていた定食屋の料理に比べれば粗末なものだ。味などわからなくなった酔っ払いの酒の肴になる程度の、塩を舐めて酒を飲むのと何ら変わりないようなもの。
「逆にそれが良いのかな。飾ったり身構えたりしない感じで、優しい味」
少し前までは言葉を出すのもつらそうだったのに、よく喋るようになった。
回復してきて退屈になったのか、それとも回復し切れない体の芯に残るつらさを誤魔化したいのか。
「そういえば……」
どちらにしても付き合ってやるべきだろう。話の邪魔になる洗い物の水を止め、タオルで手を拭いた。
「さっき、買い物に行った時にメイドさんに会ったよ」
「メイドさん?」
千恵理が首を捻る。
「昨日の……」
あの少女の、と言い掛けて言葉を切る。
昨日のあの少女、という呼び方は自分の中でしか通用しない。それを千恵理に言っても通じるわけがない。
そもそも、千恵理はあの少女の姉なのだ。それをあの少女呼びするのは不自然過ぎる。
そうなると、なんと呼べば良いのだろうか。
千恵理との会話の中でならば千恵理の妹、という呼び方が無難だろうとは思うが、そうはしたくない。
あの少女は千恵理の付属物ではないし、何よりも千恵理よりもあの少女の方を先に知ったのだ。であれば逆に、千恵理の方をあの少女の姉と呼ぶべきだという話になってしまう。
となれば個人を差す氏名で呼ぶべきなのだが、氏は千恵理と同じ小岩井の筈だ。それで呼んだのではわからなくなってしまう。
だから名で呼ぶしかない。名乗られすらしていない相手を名前で呼ぶのはどうかと思うが、この場合は仕方ない。
とりあえず呼び捨てはない。有り得ない。親しくもない相手に、というのを置いておいても有り得ない。
敬称を付けるのは大前提だ。
普通ならば、然して親しくない相手を呼ぶのならばさん付けするべきだろう。だが心の中で『碧さん』と呼んでみても、違和感が酷い。
いや、あの少女を名前で呼ぶという時点で違和感しかないのだが、やはり大人びているとはいえ、幼女と呼ばれてしかるべき姿の彼女をそう呼ぶことを、おかしいと感じているのだろうか。
君、は師弟などのある程度近しい目下の相手に対する呼び方だろうし、様は流石に大仰すぎる。
氏、殿、嬢、卿……他にも敬称は様々あるが、一般的な物ではない。ある程度悪ふざけ出来る親しい相手にするべきものだ。
少なくとも、出会っているとすら言えない相手にすることではない。
「……碧ちゃん」
有り得ない、と思う。孤高のあの少女を碧ちゃん、等と幼い子供にするように呼ぶという事は。
年齢的にはおかしくない。千恵理の妹、という関係性的にも妥当と言える。
それでも、あの少女を碧ちゃん、などと呼ぶことは到底この胸に抱いた印象にそぐう物ではない。
それなのに、実際に口に出してみると何故かそれがしっくりと来る。
それはどうしようもないくらいに自然で、これしかない、とすら思えた。
そこに溶き卵を回し入れ、蓋を戻してそのまま暫し待つ。
「……終わっちゃった」
スプーンを咥えたまま、千恵理が呟いた。
食べて胃を刺激したせいで、食欲が戻ったらしい。
「おかわりは?」
昨日の食事風景を見ていたから、千恵理が食欲旺盛なのはわかっている。粥は多めに炊いてあった。
「お願いします」
千恵理はそう呟きながら、空になった椀をおずおずと差し出した。
まだ三杯目ではないのだから、そっと出さなくても良いのに。
炊飯器の粥を軽く掻き回してから、椀によそって渡す。
「卵のお粥だ……」
千恵理がその匂いを嗅ぎながら、相好を崩した。千恵理の椀の粥の残り具合を見て卵を入れたので、ちょうどいい半熟具合になっている筈だ。
「薬味はどうする?」
「じゃあ……葱と梅干、もうちょっと頂戴」
「ん、わかった」
千恵理が食べている間に、言われた薬味を補充する。
「あー……ほっとする味だ」
幾分かなりと、元気になったようで良かった。
もう心配はいらないだろうと、洗い物を始める。男の一人暮らしの部屋に、食器は最低限しかない。つまみ程度とは言え、二人で使えばもう汚れていない食器はほぼなくなっていた。
このままだと、自分が食事をする分すら残っていない。
「昨日も思ったけど……んー、酔っぱらってたから本当はよくわからなかったけど、料理上手いんだね」
「そんなことはないよ。食べられれば良い、男の料理だから」
実際、この部屋に帰ってくる前に食べていた定食屋の料理に比べれば粗末なものだ。味などわからなくなった酔っ払いの酒の肴になる程度の、塩を舐めて酒を飲むのと何ら変わりないようなもの。
「逆にそれが良いのかな。飾ったり身構えたりしない感じで、優しい味」
少し前までは言葉を出すのもつらそうだったのに、よく喋るようになった。
回復してきて退屈になったのか、それとも回復し切れない体の芯に残るつらさを誤魔化したいのか。
「そういえば……」
どちらにしても付き合ってやるべきだろう。話の邪魔になる洗い物の水を止め、タオルで手を拭いた。
「さっき、買い物に行った時にメイドさんに会ったよ」
「メイドさん?」
千恵理が首を捻る。
「昨日の……」
あの少女の、と言い掛けて言葉を切る。
昨日のあの少女、という呼び方は自分の中でしか通用しない。それを千恵理に言っても通じるわけがない。
そもそも、千恵理はあの少女の姉なのだ。それをあの少女呼びするのは不自然過ぎる。
そうなると、なんと呼べば良いのだろうか。
千恵理との会話の中でならば千恵理の妹、という呼び方が無難だろうとは思うが、そうはしたくない。
あの少女は千恵理の付属物ではないし、何よりも千恵理よりもあの少女の方を先に知ったのだ。であれば逆に、千恵理の方をあの少女の姉と呼ぶべきだという話になってしまう。
となれば個人を差す氏名で呼ぶべきなのだが、氏は千恵理と同じ小岩井の筈だ。それで呼んだのではわからなくなってしまう。
だから名で呼ぶしかない。名乗られすらしていない相手を名前で呼ぶのはどうかと思うが、この場合は仕方ない。
とりあえず呼び捨てはない。有り得ない。親しくもない相手に、というのを置いておいても有り得ない。
敬称を付けるのは大前提だ。
普通ならば、然して親しくない相手を呼ぶのならばさん付けするべきだろう。だが心の中で『碧さん』と呼んでみても、違和感が酷い。
いや、あの少女を名前で呼ぶという時点で違和感しかないのだが、やはり大人びているとはいえ、幼女と呼ばれてしかるべき姿の彼女をそう呼ぶことを、おかしいと感じているのだろうか。
君、は師弟などのある程度近しい目下の相手に対する呼び方だろうし、様は流石に大仰すぎる。
氏、殿、嬢、卿……他にも敬称は様々あるが、一般的な物ではない。ある程度悪ふざけ出来る親しい相手にするべきものだ。
少なくとも、出会っているとすら言えない相手にすることではない。
「……碧ちゃん」
有り得ない、と思う。孤高のあの少女を碧ちゃん、等と幼い子供にするように呼ぶという事は。
年齢的にはおかしくない。千恵理の妹、という関係性的にも妥当と言える。
それでも、あの少女を碧ちゃん、などと呼ぶことは到底この胸に抱いた印象にそぐう物ではない。
それなのに、実際に口に出してみると何故かそれがしっくりと来る。
それはどうしようもないくらいに自然で、これしかない、とすら思えた。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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