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碧ちゃんの話


8

「碧ちゃん、と一緒にいたメイドさんだよ」
 しっくり来るとは言っても、それを他人に向かって口にするのはやはり気恥しい物があった。まして、相手はその本人の姉なのだ。
「あー、妙さんか」
 千恵理が納得したように頷く。
 そう言えば、緑と呼ばれた子もそう呼んでいた。
 成程、あのメイドさんの名前は妙さんと言うのか。
 碧ちゃん、妙さん、緑……考えてみると、名乗り合ってもいないのに一方的に名前だけ知っている相手が増えたものだ。 
「それで、千恵理の事、話しておこうかと思ったんだけど……不味いかと思ってやめといた」
 昨日帰らなかった御宅のお嬢さんはうちに泊まったんですよ、などと言えるわけがない。
「うん、それは助かった。ありがとう」
 千恵理が口をむぐむぐと動かしながら答える。この分では三杯目もすぐだろう。
「でも、家に連絡はしたのか?」
 年頃の娘が一晩家に帰らなかったのだ。家族はさぞ心配しているだろう。連れて来たのは仕方ないにしても、家に連絡したかどうかの確認くらいは事前にしておくべきだった。
 そんな当たり前のことに気付かなかったのは、一人暮らしの、しかも他人に興味ない生き方をしてきた弊害だろう。
「えっと、……私、学校を卒業した時に、なりたいものがあって。入団試験も受かってたんだけど、反対されて……でも反対されたくらいで諦める気はなかったから……今、家出中なの」
 入団試験に受かって諦めなかった、という事は当然就職しているという事だ。
 そして昨日二十歳になったという事は、社会人になって二年目ということになる。成程、社会人が板についてくる頃だ。
 あくまで勝手な印象からの推測でしかなかったが、やはり千恵理は自分で働いて収入のある、社会人だったらしい。
「なりたかった物って?」
 言いたい、けれど自分から言い出すのは……という雰囲気を感じてこちらから聞いた。
「……プロレスラー」
 千恵理がてへへと笑う。
 ああ、と納得した。千恵理の見た目に反したがっしりとした体つきと、体幹のしっかりとした動き。プロレスで鍛えたのだとすればそうもあろう。
 そして成程、お嬢様学校を出てプロレスラーになるなどと言えば、それは反対されて仕方がない。
 それでも、反対されても自分の生き方を貫く。願いも望みもなく、流されるままに楽な方へと生きて来た自分には出来ない生き方だ。
 が、そこで疑問が生じた。例え家を飛び出したのだとしても、自分の収入で一人暮らしをしているのであれば、自立とか自活とか言うのではないか。
「私、昨日が二十歳の誕生日だったでしょう?」
 多分、その疑問が顔に出ていたのだろう。千恵理が説明するように続けた。
「未成年だと、部屋を借りるのに保護者の同意とか必要で。今のところ、住所不定だから……」
 確かに、それは家出だ。
「会社の……団体の場合は代表っていうのか、保証人になってくれなかったのか?」
「あー、うん。それも言われたんだけど。でも、家出して、家の保護を捨てて来たわけでしょう? それなのに他の人の保護を受けるのって、なんだかずるい気がして」
 そんなことにまで固執する必要はない、と思う。でもそれは自分の様ないい加減な人間だからそう思えるのであって、あの少女……碧ちゃんの姉であるのならば、そうなるのが当然なのかもしれない。
 それを許す団体側も随分と適当……いや、大らかというか。
「じゃあ、どうやって暮らしてるの?」
「友達の家に泊めて貰ったり、……あ、女の子だよ、勿論」
 それは当たり前だ。年頃の娘が男の部屋になんて……いや、昨日はあれだが。
「うん、でも大体はジムの仮眠室に住んでるかな」
 仮眠室はあくまで仮眠する為だけの部屋で、住めるようにはなっていない筈だ。
 何よりも個室などという贅沢もないだろうし、他人も利用するだろう。充分に休めるわけがない。
「それは……大変だろう」
「うん、まぁ少し。でも一年とちょっとの我慢だし、実際にこうやってやりきれたし」
 まったく無茶をする……と思ったが、終わったことを言っても仕方がない。
「じゃあ、もう借りる部屋に目星は付いてるのか?」
「それが、いくつか候補はあったんだけど……全部次に行った時にはもうなくなっちゃってて」
 まぁ、それはそうだ。
 山が間近に迫るこの町は土地が狭く、賃貸物件の供給が需要に追い付いていない。ましてそんなところに大学があるのだ。学生が住むような一人暮らしの物件は奪い合いになる。
 それに敗れた者は、町外か条件の良くないとりあえず入れる物件に住んで、条件のいい部屋が空くのを虎視眈々と狙う、というのが常だ。
 大学の学生課には、その為の借り換え物件専用の掲示板まである。そこすら、朝に貼ってあった物件が帰りまで残っている事はまずない。
 ましてそういった情報源もなく個人で探すとなれば、簡単な話ではないだろう。
「だからその場で契約できる、二十歳を過ぎてから探すしかないなって」
 妥当、かつ止むを得ない選択だと思う。
「じゃあ、今日一日無駄にしちゃったな」
 住む部屋が一日ない、というのは大きな問題だ。まして、その一日で良い物件が無くなる可能性も考えれば。
「ん、大丈夫。住めば都って言うし、慣れちゃったらこの生活も結構楽しいし。ゆっくり探すから」
 なのに、千恵理はのんびりと笑う。
 その笑顔は、間違いなく楽しそうだった。
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未田 尚(まだ なお)
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