碧ちゃんの話
9
「おかわりは?」
千恵理の椀が空になっているのを確認してから聞く。
「お願い」
そう答えると、千恵理は元気よく椀を差し出して来た。
三杯目こそそっと出すべきだろう、と苦笑いする。勿論、そんなことを気にする必要はないのだが。
お椀を受け取って炊飯器へと向かい、蓋を開けて塩を少しと粉末出汁を入れ、かき混ぜる。
それを椀によそって千恵理に渡した。
「ありがとう。……あ、その手、手当てしたんだね。良かった」
多分、人心地が付いて観察する余裕が出来たのだろう。
千恵理にそう言われて、なんとなく右手を返して傷に目をやる。
「……って、血!」
言われて気が付いたが、傷を覆うガーゼに、丁度昨日付けた傷の形に血が沁みていた。
「え、昨日は止まってたのに……あ、もしかして、私を運んでくれたから……」
「いや、関係ないと思うよ」
確かに、妙さんに手当てをされてから今まで、他に傷が開くような心当たりはない。
が、千恵理を抱え上げた時に特別痛みを感じたりはしなかった。だから関係ないだろう。多分。
「手当てしないと……」
「だからほら、手当てならしてあるよ」
実際には、手当てをしてから傷が開いたのだが、大した違いはないだろう。
「あーうん、まぁそうだけど……」
もごもご言いながら千恵理はおかゆを口に運ぶ。
「あ、しっかりした味……美味し」
二杯目の時に入れてから時間が経っているので、卵が完全に固まり、しっかりとしたお粥になっている。
それに加えて食欲も回復しているのだから、しっかりした味にした方が良いだろうと思ったのだ。
どうやらそれは正解だったらしい。
それでも普通よりは薄味だし、そもそも味の濃い梅干しを食べているのだから今更かもしれないが。
「ご馳走様」
千恵理が三杯目を食べ終わるのは早かった。そもそもかき込んでしまえば一口で済んでしまう様な粥なのだ。食欲が回復しさえすれば食べ終わるのなんてすぐだ。
「食べ終わったなら、もう少し横になっていた方がいい」
食欲が戻っても、体調が完全になったわけではない。凭れて座っているだけで体力を使い続けているのだ。
「うん、ありがとう」
一度自分の力だけで座らせて背中の布団を外し、支えてやりながら布団に横たわらせる。
自分では意識していなかったろうが、横になったことで少なからず楽になったのだろう。千恵理がほうっと息を吐いた。
「ありがとうね、色々と」
「気にしなくていいよ」
どちらかといえば、自分の不始末の埋め合わせなのだ。礼を言われる理由はない。
「でも……ありがと」
本当に、気を使い過ぎだ。
体調が悪い時くらい、自分のことを最優先に考えてもいいのに。
「手……本当に大丈夫……?」
「ああ。痛くもかゆくもない」
気にしてみるとじんじんするし引き攣れる感じはするが、逆に言えばそれしかない。痛いわけではないし、痒くなるのはあと何日か先だろう。
なんの問題もない。
「そっか……良かった」
その声がうつらうつらとしている。
お腹が満たされて眠くなったのだろう。
「あのね……うちって、結構おっきい会社で……」
寝ぼけてなのか眠気を押さえようとしてなのか。たどたどしく千恵理が話し出した。
「私、緑と碧が産まれるまでは一人娘だったから、跡取りとして育てられてたの」
外見からの推測だが、千恵理とあの二人とは恐らく十歳くらい離れている。周囲としても本人としても、それが当然、という意識になるには十分な時間だろう。
「でも私、プロレスラーになりたくて家を飛び出して……」
成程。言いたいことはわかった。
つまり。
「碧ちゃん、は、きっとそういうの向いていると思うけど」
あの少女の名前を口に出すのはやはりまだ違和感があったが、それを押して口にする。
千恵理は、跡取りである自分が家を飛び出す事で、妹にそれを押し付ける結果になったことを悔いているのだろう。
だが、見る限り社長という立場に向いているように見えるのは、千恵理よりも碧ちゃんの方だ。
あの真っ直ぐと前だけを見据えた瞳と、何よりも背後にメイドを従えることを当然とした堂々とした姿。
そして千恵理は多分、相手に気を使い相手との距離を測る、個人の人間関係を大切にする性質だ。
社員との距離が近い中小企業ならばともかく、大きい会社の長として向いているとは思えない。
「うん。私、そういうのはあんまり向いてないし、はっきりと言ってはいなかったけど、お婆様もそのつもりだったみたいだし、碧自身も嫌がってなかったし。……あのままでもそうなったと思う」
やはり、実情など知らない部外者でも見ればわかる事だ。言われるまでもなく、本人もわかっているのだろう。
「でもね、例えそうだとしても、私は家を飛び出して、それを碧に押し付けたの。そのままで結果的に同じだったとしても、私はあの子から選択肢を……自分で選んでそうしたんだっていう、結果を、納得を奪ってしまったの」
そんなことは、気にする事は無いと思う。
多分、碧ちゃんは姉から奪ってまで後継者の地位を手に入れたいとは思っていなかっただろう。
だから、それは千恵理と碧ちゃんと、二人それぞれがなりたい物になる為の、一番いい行動だった筈だ。
だからといって、それで納得できるものではないのだろう。
あの瞳をした碧ちゃんの、姉なのだから。
「だから、埋め合わせじゃないけど、その分くらいはあの子にはしあわせになって欲しいの。しあわせにしてあげたいの。だって私……」 千恵理は今にも眠ってしまいそうな、というよりも半分寝ている、寝惚けた声でそう続ける。
うん、わかっている。その後は。
一度しか聞いていないが、なんとなくわかる。多分、それは千恵理の口癖。
「お姉ちゃんだもん」
千恵理の椀が空になっているのを確認してから聞く。
「お願い」
そう答えると、千恵理は元気よく椀を差し出して来た。
三杯目こそそっと出すべきだろう、と苦笑いする。勿論、そんなことを気にする必要はないのだが。
お椀を受け取って炊飯器へと向かい、蓋を開けて塩を少しと粉末出汁を入れ、かき混ぜる。
それを椀によそって千恵理に渡した。
「ありがとう。……あ、その手、手当てしたんだね。良かった」
多分、人心地が付いて観察する余裕が出来たのだろう。
千恵理にそう言われて、なんとなく右手を返して傷に目をやる。
「……って、血!」
言われて気が付いたが、傷を覆うガーゼに、丁度昨日付けた傷の形に血が沁みていた。
「え、昨日は止まってたのに……あ、もしかして、私を運んでくれたから……」
「いや、関係ないと思うよ」
確かに、妙さんに手当てをされてから今まで、他に傷が開くような心当たりはない。
が、千恵理を抱え上げた時に特別痛みを感じたりはしなかった。だから関係ないだろう。多分。
「手当てしないと……」
「だからほら、手当てならしてあるよ」
実際には、手当てをしてから傷が開いたのだが、大した違いはないだろう。
「あーうん、まぁそうだけど……」
もごもご言いながら千恵理はおかゆを口に運ぶ。
「あ、しっかりした味……美味し」
二杯目の時に入れてから時間が経っているので、卵が完全に固まり、しっかりとしたお粥になっている。
それに加えて食欲も回復しているのだから、しっかりした味にした方が良いだろうと思ったのだ。
どうやらそれは正解だったらしい。
それでも普通よりは薄味だし、そもそも味の濃い梅干しを食べているのだから今更かもしれないが。
「ご馳走様」
千恵理が三杯目を食べ終わるのは早かった。そもそもかき込んでしまえば一口で済んでしまう様な粥なのだ。食欲が回復しさえすれば食べ終わるのなんてすぐだ。
「食べ終わったなら、もう少し横になっていた方がいい」
食欲が戻っても、体調が完全になったわけではない。凭れて座っているだけで体力を使い続けているのだ。
「うん、ありがとう」
一度自分の力だけで座らせて背中の布団を外し、支えてやりながら布団に横たわらせる。
自分では意識していなかったろうが、横になったことで少なからず楽になったのだろう。千恵理がほうっと息を吐いた。
「ありがとうね、色々と」
「気にしなくていいよ」
どちらかといえば、自分の不始末の埋め合わせなのだ。礼を言われる理由はない。
「でも……ありがと」
本当に、気を使い過ぎだ。
体調が悪い時くらい、自分のことを最優先に考えてもいいのに。
「手……本当に大丈夫……?」
「ああ。痛くもかゆくもない」
気にしてみるとじんじんするし引き攣れる感じはするが、逆に言えばそれしかない。痛いわけではないし、痒くなるのはあと何日か先だろう。
なんの問題もない。
「そっか……良かった」
その声がうつらうつらとしている。
お腹が満たされて眠くなったのだろう。
「あのね……うちって、結構おっきい会社で……」
寝ぼけてなのか眠気を押さえようとしてなのか。たどたどしく千恵理が話し出した。
「私、緑と碧が産まれるまでは一人娘だったから、跡取りとして育てられてたの」
外見からの推測だが、千恵理とあの二人とは恐らく十歳くらい離れている。周囲としても本人としても、それが当然、という意識になるには十分な時間だろう。
「でも私、プロレスラーになりたくて家を飛び出して……」
成程。言いたいことはわかった。
つまり。
「碧ちゃん、は、きっとそういうの向いていると思うけど」
あの少女の名前を口に出すのはやはりまだ違和感があったが、それを押して口にする。
千恵理は、跡取りである自分が家を飛び出す事で、妹にそれを押し付ける結果になったことを悔いているのだろう。
だが、見る限り社長という立場に向いているように見えるのは、千恵理よりも碧ちゃんの方だ。
あの真っ直ぐと前だけを見据えた瞳と、何よりも背後にメイドを従えることを当然とした堂々とした姿。
そして千恵理は多分、相手に気を使い相手との距離を測る、個人の人間関係を大切にする性質だ。
社員との距離が近い中小企業ならばともかく、大きい会社の長として向いているとは思えない。
「うん。私、そういうのはあんまり向いてないし、はっきりと言ってはいなかったけど、お婆様もそのつもりだったみたいだし、碧自身も嫌がってなかったし。……あのままでもそうなったと思う」
やはり、実情など知らない部外者でも見ればわかる事だ。言われるまでもなく、本人もわかっているのだろう。
「でもね、例えそうだとしても、私は家を飛び出して、それを碧に押し付けたの。そのままで結果的に同じだったとしても、私はあの子から選択肢を……自分で選んでそうしたんだっていう、結果を、納得を奪ってしまったの」
そんなことは、気にする事は無いと思う。
多分、碧ちゃんは姉から奪ってまで後継者の地位を手に入れたいとは思っていなかっただろう。
だから、それは千恵理と碧ちゃんと、二人それぞれがなりたい物になる為の、一番いい行動だった筈だ。
だからといって、それで納得できるものではないのだろう。
あの瞳をした碧ちゃんの、姉なのだから。
「だから、埋め合わせじゃないけど、その分くらいはあの子にはしあわせになって欲しいの。しあわせにしてあげたいの。だって私……」 千恵理は今にも眠ってしまいそうな、というよりも半分寝ている、寝惚けた声でそう続ける。
うん、わかっている。その後は。
一度しか聞いていないが、なんとなくわかる。多分、それは千恵理の口癖。
「お姉ちゃんだもん」
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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