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碧ちゃんの話


3

「乗らなくてももうわかりました。暑いし埃臭いし、何よりも下々の者がいる中に混ざって待たされるなんて、わたくしには我慢なりませんわ。こんなものを利用しているなんて小岩井碧も大したことはありませんわね。わたくしの勝ちですわ」
 お金があるのならば自分にとって快適な環境を整えるべきだと自分も思う。それによって利用者がばらけて混雑が減り、お嬢様の言うところの下々の者も少しでも快適になる。 
 お金は貯め込んでも意味がない。自分の為に使い、更に稼ぐ為に使い、それで経済を回す為の物だ。お嬢様の言う事は間違っていない。
 とはいえ、どう使うべきなのかは個人の判断によるものだから、電車に乗らない為に使ったからといって勝ちではないのだけれど。
「それに、小岩井家の車よりも弁財家の車の方が価値が高いと査定されましたからわたくしの二勝、これで勝ち越しですわね」
 何と戦っているのだろう、と他人事ながら首を傾げる。まぁ本人が嬉しそうだから良いのだろう。
「と言いましても、こちらの車は骨董的価値ですから。性能や利便性で言えば明らかに負けているんです……が……」
 そう突っ込みを入れる声がだんだん小さくなっていくのは、お嬢様の様子に気が付いたからだろう。
「皐月。今日は随分と饒舌ですわね」
 そのお嬢様の冷たい声に、皐月と呼ばれた方の子の言葉が途切れた。それから少し間を置いて、
「申し訳ありません……」
 そうだけ答えて、そのまま会話が途切れる。
 だが、会話が途切れはしても、口を開いて声を出そうと息を吐くが言葉にならずにそのまま口を閉じる気配がした。
 それがしばらく繰り返された後、意を決したように
「……ですがお嬢様。礼一朗様の遺してくださったお車を大事になさる気持ちはわかりますし僕も同じですが、もう乗用ではなく保存用として大事になさった方が良いかと思います。走っている時に故障して事故でも起こして廃車なんて事になれば元も子もありませんし」
 そうなんとか言葉にしたその口調からすると、相当な勇気を振り絞ったのだろう。
「……何よりもそれでお嬢様がお怪我でもなされば礼一朗様も悲しまれることになると」
 それもお嬢様の事を思っての勇気だったらしい。
「饒舌、というのがどういう意味か、わからなかったのかしら?」
「……申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
 そうなるとわかった上での諫言なのだろうが、叱責を受けて答える声が落ち込んだ。
 だが、その叱責する側のお嬢様の声に、何処とはなく喜色を感じて首を捻る。
 口答えされたのが嬉しいという事もないだろうし、或いはそれをねじ伏せるのが楽しいのだろうか、と思ったが、それにしてもどうにも違和感がある。
 まぁ、考えても仕方がない。この二人のことなど何も知らないのだから、考えさえすれば何もかもわかるなどという事はないのだし、そもそもわかったからと言って何かあるわけでもない。
 背後の二人の間に再び沈黙が落ちた。今度は言いたいことがあるが言えないというものではない、完璧なそれが。
 が、それも長くは続かなかった。
『まもなく電車が参ります。白線の内側に……』
 響いたアナウンスに目を凝らしてみてもまだその姿は見えないが、もう近くにまで来ているのだろう。意図していたわけではないとはいえ、背後の声を盗み聞きすることになってしまっていたのがようやく解消されると、ほっとする。
「えっと、もう電車来ちゃいますね。皆さん間に合わない……あ、いらっしゃいました」
 その声と同時に、急いで駆け付けて来ただろう慌ただしい複数の足音が迫って来た。
「なん……とか、間に合いました」
 前の二人とは違う、息も切れ切れな声が聞こえて来る。
「あなたたち二人だけですか」
「いやー私ももう間に合わないし、そしたらお嬢のワガママに付き合わなくていいんだからゆっくり行こうって言ったんですけどねぇ。相良が真面目だから」
 前とは違う声がそう答える。来た二人、というのがさっきと今の、この声の主なのだろう。
「双海。貴方が不真面目過ぎるだけです。相良を見習いなさい」
 どうやら後から来た二人は双海と相良と言うらしい。
 会話を聞く限り、お嬢様の所謂取り巻きというやつなのだろう。
「そうは言いましてもですねぇ。暑い中歩いて、もう少し我慢すればお屋敷に付くから楽で快適な車で移動出来るーって思ってるところに、急にまた歩いて駅まで行って、今の時間だと多分混んでる電車に乗れとか言われたら、ちょっとくらいサボっても良いんじゃないですかねぇ、って思っても仕方ないですよ」
「双海」
「はいな」
 がん
「あいたぁ!」
 体罰はどうかと思うけれど、今のは彼女……多分双海と呼ばれた子が悪いと思う。
「すみません、電車でとなると皆様がいらっしゃるまで待っていては間に合わないものでしたから……」
 最初からいた、皐月という子がそう謝罪する。悪いのはお嬢様のワガママだろうに。
 会話を聞いていて思っていたのだけれど、本当に良い子のようだった。
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未田 尚(まだ なお)
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