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碧ちゃんの話


5

『ドア、閉まりまぁす』
 アナウンスから一瞬遅れて、電車のドアが閉まる。確認はしていないが、どうやら並んでいた乗客は全員乗り終えたらしい。
 それから間を置かずに電車が動き始める。
「あー手袋ですか。急だったので持って来てないんですよねぇ」
 揺れ始めた電車の中で、こちら……というか皐月君の方を覗き込むようにしているツインテールの子は、その声からして恐らく双海さんだと思う。
 そのやる気のなさそうなだらけた表情の中で、隠れるようにして瞳にだけ悪戯気な聡明さが覗いている。
 恐らく、状況に応じた機転の利くタイプなのだろう。その機転がお嬢様を揶揄うことに費やされているらしいことはどうかと思うが。
 その双海さん、というか向こう側にいる二人に向かって、皐月君がお二人の分もありますよ、と手袋を差し出した。
 流石メイドさんだけあって、気が利くようだ。
「済みません、お借りします」
 そう言って、一番向こう側から身を乗り出して来たのが相良さんだろう。
 ここからではお嬢様達三人の陰になってよくわからないが、肩下あたりまでの長さの髪は首の辺りで束ねられて、飾り気はないけれど清潔そうに整えられている。
 その髪が流れる背筋はしっかりと伸ばされ、彼女の真面目さを強調していて、見るからに思慮深く慎重なタイプなのだろうと思わせた。
 がその反面、考え過ぎてとっさの判断が出来ないタイプにも見える。
 きっと、タイプが逆の双海さんとはいいコンビなのだろうと思えた。
 こうして並んでいるところを見てみると、メイド服姿の皐月君以外の三人が着ているのは、どうやら同じ制服のように見える。恐らく、同じ学校の生徒なのだろう。その見覚えのない制服からでは、どこの学校なのかまではわからないが。
「で、何の話をしてたんですか?」
 電車が出たことで一段落ついたという事なのだろう。双海さんがそう聞いた。
「小岩井碧がこんな電車なんかを利用しているのと、自家用車の値段でわたくしの二勝だという話です」
 こんな、に心持ち力が入っているが、初めて乗った電車がこの状態で、それに対するお嬢様の今までの反応からすれば当然だろう。
 まぁ確かに、自家用車に慣れた体には電車は厳しい物があると思う。
 時間が悪ければ……いや、自分が乗りたい時間はつまり他の人も乗りたい時間であるので、狙ってずらしでもしなければ混んでいて座る事も出来ず、例え座れても座席は自家用車程座り心地がいいわけもない。
 こんな、としか言えないのは仕方ないと思う。
「そうすると、えーっと……」
 と双海さんが相良さんの方を見る。
「これでお嬢様の273勝272敗で、勝ち越しになりますね」
 その視線を受けて、思い返すような素振りも見せずに相良さんが答えた。
 数えているらしい。この様子だと、普段からそうなのだろう。無関係な自分にとってはどうでもいい事としか思えないのだが、生真面目というかなんというか。
「そーなんですかー。おめでとうございます」
 視線でだけとはいえ自分から聞いたのに、双海さんの返事はやはりやる気がなかった。
「ちゃんとした勝負の時は全敗なのに、どうでもいい不戦勝だけは積みあがって行きますねぇ」
 そう言ってにこにこと笑う。
「皐月」
 それに対する反応もなく、視線を動かしもせずにお嬢様がそう言う。
「え、でも……」
「皐月」
 それ以外には何も言わず、戸惑う皐月君の名前をお嬢様が繰り返した。
「えっと……ごめんなさい!」
 ぺし、と皐月君が双海さんの額を指で弾く。
「あいたぁ!」
 多分、そんなには力が入っていなかっただろうに、双海さんが大袈裟に悲鳴を上げた。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
 大して痛くもなかった事は自分でもわかっているだろうに、皐月君が慌てた様に謝罪する。
 痛みを与えた事よりも、それをした行為自体を謝っているのだろう。
 その皐月君は、吊革を一応持ってはいるがそれに体重をかけてはいない。
 既に走り始めて加速し揺れる電車の中、吊革の手はただ添えているだけで、それに依らずに自分の足だけで立っている。 
 その安定した立ち姿は空手だろうか。
 その体格と足の置き位置から見て、恐らく身軽に跳び回るタイプなのだろうと思うが、それもしっかりと安定した足腰が無ければできない事だ。
 電車の揺れに影響されずに立つその姿は、多分、かなり強い。自分のようなドの付く素人など、十度試合をすれば十度負けるだろう。
 妙さんと言い、今時のメイドさんは強くなければいけないのだろうか。
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