碧ちゃんの話
6 小岩井 緑
1
遥か昔……昔過ぎて十数年前か、数年前か、数か月前か、数日前かわからないけれど。強くなりたいと思ったことがある。
男の子特有のあこがれでも誰かに勝ちたいと思ったわけでも、三人相手にやられたことが悔しかったわけでもない。
ただ、それで最後がどうなったのかわからなかった事が、すっきりしなかっただけだ。
そんな目的もない曖昧な気持ちで強くなれるわけもない。
だからといって何かをしたわけでもない。
本や映像の真似をした、独学とすら言えない、何もしなかったわけではないという言い訳程度の物。
結局、正式に習った剣道以外は手足をじたばたさせるだけの、幼稚園のお遊戯程度にしかならなかった。
当然だ。強さとは相対的な物……相手あっての物だ。
素手で岩を割る腕力があったとしても、それは威力があるという証明だけであって、強くなる手段やその構成要素ではあっても強さそのものではない。
相手から倒れるだけのダメージを与えられる前に、相手に倒れるだけのダメージを与える。それが出来るということが強さという物だ。ルールのある試合ではその限りではないけれど。
だから、相手に勝ちたいという闘争心こそが強さだ。誰かを守る為、だったとしてもその為に相手を倒すという手段を欲するのが、強さだ。
相手を見る。相手を知ろうとする。
それが強さにとって欠く事の出来ない、最低限必要な物だ。
だから、ひとりで強くなろうとしても──どれだけ力を鍛え、技を鍛えても、それは強くなるための手段や過程であって、それで強くなるわけではない。相対する相手がいなければ、それはただの力や技であって、強さではない。
勝ちたいと思わなければ、いやそもそも『誰かと戦っているのだ』と思いすらしないのでは、強くなどなれるはずがない。
他人に──いや自分にすら興味のない自分には、相手が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかなど想像出来るわけもなく……駆け引きだのフェイントだのをすることも対処することも、出来る訳もないと思う。
だから自分は弱いし、どうやっても強くなどなれない。
それでも何とかしたいなら……なんとかしようとしたのだとそのために努力したのだと思いたいのなら。
攻撃を当てる事も出来ず、当てられるようにすることも出来ないのだから、必ず当てられるという状況になったら必ず当てる、それしかない。
必ず当てられる状況……わかりやすいのは、既に相手に触れているという状況。
そこまでくればもう駆け引きも何もない。
相手、すらない。ただそこにあるだけの壁と同じ。
必要なのは、相手が何かをする前に動く。それ以外は何もしなくても、何も考えなくても済む。
わかっている。そんな状況にはそうそうならないだろう。近付かずに倒せる相手に意味もない危険を冒して近付こうとする奴などいない。
だとしても、どうせ自分は弱いのだ。その状況にならなかったとすれば、それは元々と同じ結果になるだけのこと。だったら、その可能性があるというだけで全く違う。
その為にやる事も単純なこと。
大きめの段ボール箱に紙を詰めて、自分の身長より少し上程度に積み上げる。ひと箱20㎏くらいだろうか。
その正面に立ち、腕を脇に揃えて掌を上にして肘を垂直に曲げて前に突き出す。その指の第ニ間接のみを折って段ボールの自分の鳩尾当たりの高さに押し当て、体重をかける。
第三間接を折ることで指を段ボールの表面に滑らせて、拳を作りながら押し当てる。
何度も繰り返し、感覚がつかめるようになったら、拳が当たる前に手首を返して手の甲が上になる様に捻りを入れる。
それも普通に出来るようになったら、肘を押し込む動きを入れる。
次に肩の関節を押し込む動作を入れる。
逆の肩を引き込む反動を入れる。
腰を捻る。
軸足の股関節を回す。
逆足を踏み込む。
軸足の太股を回す。
膝を回す。
脹脛を回す。
足首を伸ばす。
足の甲を回す。
親指を伸ばす。
親指を回す。
出来るようになる毎に、一段階ずつ加えて行く。
これを、拳を握るまでの間にする。それだけ。
それも、別に必死にやったわけでもない。気が向いた時に数十分、飽きるまで同じことを繰り返すだけ。
それでも、拳の当たっている段ボール箱のみを、上下の段ボール箱を動かさずに20㎝程押し込める様になった時は、少しだけ嬉しかった気がする、
ただ──それは、ただそれが出来るようになったというだけ。
それが本当に当たるのなんてわからないし、当たったとしてもその程度のことで相手を倒せるのかもわからない。
だから、それが出来るからといって、強くなったということではないのだけれど。
男の子特有のあこがれでも誰かに勝ちたいと思ったわけでも、三人相手にやられたことが悔しかったわけでもない。
ただ、それで最後がどうなったのかわからなかった事が、すっきりしなかっただけだ。
そんな目的もない曖昧な気持ちで強くなれるわけもない。
だからといって何かをしたわけでもない。
本や映像の真似をした、独学とすら言えない、何もしなかったわけではないという言い訳程度の物。
結局、正式に習った剣道以外は手足をじたばたさせるだけの、幼稚園のお遊戯程度にしかならなかった。
当然だ。強さとは相対的な物……相手あっての物だ。
素手で岩を割る腕力があったとしても、それは威力があるという証明だけであって、強くなる手段やその構成要素ではあっても強さそのものではない。
相手から倒れるだけのダメージを与えられる前に、相手に倒れるだけのダメージを与える。それが出来るということが強さという物だ。ルールのある試合ではその限りではないけれど。
だから、相手に勝ちたいという闘争心こそが強さだ。誰かを守る為、だったとしてもその為に相手を倒すという手段を欲するのが、強さだ。
相手を見る。相手を知ろうとする。
それが強さにとって欠く事の出来ない、最低限必要な物だ。
だから、ひとりで強くなろうとしても──どれだけ力を鍛え、技を鍛えても、それは強くなるための手段や過程であって、それで強くなるわけではない。相対する相手がいなければ、それはただの力や技であって、強さではない。
勝ちたいと思わなければ、いやそもそも『誰かと戦っているのだ』と思いすらしないのでは、強くなどなれるはずがない。
他人に──いや自分にすら興味のない自分には、相手が何を考えているのか、どんな気持ちでいるのかなど想像出来るわけもなく……駆け引きだのフェイントだのをすることも対処することも、出来る訳もないと思う。
だから自分は弱いし、どうやっても強くなどなれない。
それでも何とかしたいなら……なんとかしようとしたのだとそのために努力したのだと思いたいのなら。
攻撃を当てる事も出来ず、当てられるようにすることも出来ないのだから、必ず当てられるという状況になったら必ず当てる、それしかない。
必ず当てられる状況……わかりやすいのは、既に相手に触れているという状況。
そこまでくればもう駆け引きも何もない。
相手、すらない。ただそこにあるだけの壁と同じ。
必要なのは、相手が何かをする前に動く。それ以外は何もしなくても、何も考えなくても済む。
わかっている。そんな状況にはそうそうならないだろう。近付かずに倒せる相手に意味もない危険を冒して近付こうとする奴などいない。
だとしても、どうせ自分は弱いのだ。その状況にならなかったとすれば、それは元々と同じ結果になるだけのこと。だったら、その可能性があるというだけで全く違う。
その為にやる事も単純なこと。
大きめの段ボール箱に紙を詰めて、自分の身長より少し上程度に積み上げる。ひと箱20㎏くらいだろうか。
その正面に立ち、腕を脇に揃えて掌を上にして肘を垂直に曲げて前に突き出す。その指の第ニ間接のみを折って段ボールの自分の鳩尾当たりの高さに押し当て、体重をかける。
第三間接を折ることで指を段ボールの表面に滑らせて、拳を作りながら押し当てる。
何度も繰り返し、感覚がつかめるようになったら、拳が当たる前に手首を返して手の甲が上になる様に捻りを入れる。
それも普通に出来るようになったら、肘を押し込む動きを入れる。
次に肩の関節を押し込む動作を入れる。
逆の肩を引き込む反動を入れる。
腰を捻る。
軸足の股関節を回す。
逆足を踏み込む。
軸足の太股を回す。
膝を回す。
脹脛を回す。
足首を伸ばす。
足の甲を回す。
親指を伸ばす。
親指を回す。
出来るようになる毎に、一段階ずつ加えて行く。
これを、拳を握るまでの間にする。それだけ。
それも、別に必死にやったわけでもない。気が向いた時に数十分、飽きるまで同じことを繰り返すだけ。
それでも、拳の当たっている段ボール箱のみを、上下の段ボール箱を動かさずに20㎝程押し込める様になった時は、少しだけ嬉しかった気がする、
ただ──それは、ただそれが出来るようになったというだけ。
それが本当に当たるのなんてわからないし、当たったとしてもその程度のことで相手を倒せるのかもわからない。
だから、それが出来るからといって、強くなったということではないのだけれど。
37/84
- アクセス数

- ページビュー数

プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
携帯用QRコード