碧ちゃんの話
6
緑はそれまで肘をついていたソファの背もたれに手をつくと、それをひょいと飛び越えてそのままソファに腰を下ろした。
この身の軽さは、本人の運動神経もあるのだろうが、どちらかといえば年齢故の体重によるものだろう。
毎日走り回る事で絞り上げられたのだろう、その余計な肉の無さそうなしなやかな体は、片手……は流石に無理だろうが、片腕で抱え上げて肩に乗せるくらいは、非力な自分にも出来そうだ。
「まぁ、人間は全ての相手と友達になれるわけじゃない、って言ったけど……緑は誰とでも友達になれそうだしね。そういうのも、他人を受け入れられてるってことなんじゃないかな」
自分は基本的に誰かと一緒というのは好きではない。なのに、こうして緑が隣に座っていても、不快は感じなかった。
そういえば、千恵理にもそんなところがあった。そういうところは、やはり家族だからなのだろうか。
ただ、千恵理の人付き合いは技術だが、緑はそんなに深く考えているようには見えない。
千恵理は相手に気を使い、お互いが一番気持ちのいい距離を探してくれる。だから負担にならない。
桜の花びらが肩に乗って、それを疎んじる者がいるだろうか。少なくとも、手を上げる労力を使ってまでそれを払う事はないだろう。
それどころか、再び気まぐれに風に乗って何処かへ舞って行くまでの間、落としてしまわないように姿勢を変えるのを控えようとくらいはするのではないだろうか。
それに比べて、緑はどちらかと言えば遠慮がない。遠慮はないが、馴れ馴れしいまではいかない。今も断りもなく隣に座りはしたが、話をするにはそのくらいの距離がちょうどいいだろう、というくらいの間を十分に開けている。
それが、自然と相手に受け入れさせてしまうのだろう。自分のやりたいことをやって、それでも相手に不快を感じさせないというのは、恐らく生まれついての才能のようなものなのだろうと思う。
少なくとも、千恵理のような相手の事を考えている内に身に付いた技術、という感じはしない。
そう言われたのが嬉しかったのだろうか。緑は照れくさそうに笑った。
「でも、俺にだって友達になれそうにない奴はいるぜ」
そう言って、室内なのに被ったままの帽子をくいと直す。
それはそうだろう。誰とでも友達になれそう、というのはあくまでそんな感じがする、というだけであって、そのままの意味ではない。
「例えば?」
それでも、この緑が友達になれそうにないというのは相当特徴のある相手くらいだろう。
そう思って聞いてみた。
「碧とか」
「ああ……」
それは仕方ないと思う。
多分、こちらが友達だと思う関係になれたとしても、碧ちゃんの方はそうは思わないだろうから。
「お待たせしました、次の方ー」
そんな物思いに耽っていると、思っていたよりも早く名前を呼ばれた。
と言っても、待つ時間が10分というのは、前の人達全員が示し合わせたように自分の直前に入った場合には、という計算だ。
普通に考えて、そんなことはそうそうない。
立ち上がりつつ、空になった紙コップを捨てる為に拾い上げて、ふと気付いた。
「緑は何か飲まないの?」
自分がここに入って来た時に、室内には看護師さんの他には誰もいなかった事は確認してある。
トイレにいたとかでなければ、緑は自分が受付をしている間に外から来たのだろう。あの茹る様な暑さの中にいたのであれば、当然喉が渇いている筈だ。
「だって俺、献血できないし。あ、おにぃさんの一口貰っちゃったけど、味見だからノーカンってことで」
言われてみれば、確かにそうだ。この飲み物やお菓子は無料ではあるが、それは献血する人のために用意された物だ。誰でも自由に、という物ではない。
勿論、だからと言って飲んでも咎められたりはしないと思う。
それでもそういう事を守るというきちんとしたところは、あの碧ちゃんの家族なんだなと納得した。
と、言うところでふと気付いて、
「……じゃあ、なんでこんなものを?」
手に持ったままの、空になったジュースの紙コップを指差した。
献血しないのだから飲まない、と言うところはしっかりとしているのに、本人は飲めないだろうと思う様な、捨てられてもおかしくない不味いジュースを作るのは矛盾していると思う。
そう言われても、緑は悪びれもせずににっこりと笑った。
「だってさ、おにぃさんだったら飲めないくらい不味くても我慢して飲んでくれただろ? なんてったって、あの碧と付き合えるくらいなんだからさ」
いや、美味しく飲めないという時点で勿体ない、と思ったが、まぁ無駄にはならなかったのだからいいのだろうか。
というか、どうやら緑と千恵理の中では、不味いジュースと辛いラーメンと碧ちゃんは同列らしい。
「あ、おねーさん、これいつもの。感謝してくれていいんだぜ?」
そう悩むこちらのことなど放っておいて、緑は受付の看護師さんに箱を差し出した。
駅前のドーナツ屋の、五つくらい入るタイプの箱だ。
看護師さんは恐縮はしても遠慮する様子はなく、丁寧に礼を言ってその箱を受け取った。
いつもの、と緑が言った通り何度も繰り返されたことなのだろう。
「ほら、こんなにお菓子があんのに食べられないのってつらいじゃん? 看護師さんはドーナツを堪能して、俺は看護師さんの制服姿を堪能する。ほら、win-winじゃん」
何も聞いていないのに、緑はそう説明してきた。
そう言えばさっき、制服がスカートなのはここだけだ、と緑が言っていた気がする。
成程。
うん、まぁ看護師さんも年齢的には子供でしかない緑に見られるのを気にしている様子はないし、誰も損をしていないのならいいのだろう。
とはいえ、この大きさの箱のドーナツは、子供には高価なものだと思うのだけれど。
「ああ、ほら、うちってまぁまぁ金持ちじゃん? 小遣いは充分貰ってるからさ」
そういえばそうだった。碧ちゃんがお嬢様ということは、その家族である緑もそうの筈だ。
ドーナツが食べ放題出来る、というのは羨ましい。
「っと、待ってるぜ?」
言われて我に返る。
自分を呼んだ看護師さんが、採血室の前でこちらを見ながら待っていた。
「じゃ、行って来るよ」
そう、緑に手を上げる。
「ああ、いってらっしゃい。……また近いうちに、な」
そう言って、緑は意味ありげに笑った。
この身の軽さは、本人の運動神経もあるのだろうが、どちらかといえば年齢故の体重によるものだろう。
毎日走り回る事で絞り上げられたのだろう、その余計な肉の無さそうなしなやかな体は、片手……は流石に無理だろうが、片腕で抱え上げて肩に乗せるくらいは、非力な自分にも出来そうだ。
「まぁ、人間は全ての相手と友達になれるわけじゃない、って言ったけど……緑は誰とでも友達になれそうだしね。そういうのも、他人を受け入れられてるってことなんじゃないかな」
自分は基本的に誰かと一緒というのは好きではない。なのに、こうして緑が隣に座っていても、不快は感じなかった。
そういえば、千恵理にもそんなところがあった。そういうところは、やはり家族だからなのだろうか。
ただ、千恵理の人付き合いは技術だが、緑はそんなに深く考えているようには見えない。
千恵理は相手に気を使い、お互いが一番気持ちのいい距離を探してくれる。だから負担にならない。
桜の花びらが肩に乗って、それを疎んじる者がいるだろうか。少なくとも、手を上げる労力を使ってまでそれを払う事はないだろう。
それどころか、再び気まぐれに風に乗って何処かへ舞って行くまでの間、落としてしまわないように姿勢を変えるのを控えようとくらいはするのではないだろうか。
それに比べて、緑はどちらかと言えば遠慮がない。遠慮はないが、馴れ馴れしいまではいかない。今も断りもなく隣に座りはしたが、話をするにはそのくらいの距離がちょうどいいだろう、というくらいの間を十分に開けている。
それが、自然と相手に受け入れさせてしまうのだろう。自分のやりたいことをやって、それでも相手に不快を感じさせないというのは、恐らく生まれついての才能のようなものなのだろうと思う。
少なくとも、千恵理のような相手の事を考えている内に身に付いた技術、という感じはしない。
そう言われたのが嬉しかったのだろうか。緑は照れくさそうに笑った。
「でも、俺にだって友達になれそうにない奴はいるぜ」
そう言って、室内なのに被ったままの帽子をくいと直す。
それはそうだろう。誰とでも友達になれそう、というのはあくまでそんな感じがする、というだけであって、そのままの意味ではない。
「例えば?」
それでも、この緑が友達になれそうにないというのは相当特徴のある相手くらいだろう。
そう思って聞いてみた。
「碧とか」
「ああ……」
それは仕方ないと思う。
多分、こちらが友達だと思う関係になれたとしても、碧ちゃんの方はそうは思わないだろうから。
「お待たせしました、次の方ー」
そんな物思いに耽っていると、思っていたよりも早く名前を呼ばれた。
と言っても、待つ時間が10分というのは、前の人達全員が示し合わせたように自分の直前に入った場合には、という計算だ。
普通に考えて、そんなことはそうそうない。
立ち上がりつつ、空になった紙コップを捨てる為に拾い上げて、ふと気付いた。
「緑は何か飲まないの?」
自分がここに入って来た時に、室内には看護師さんの他には誰もいなかった事は確認してある。
トイレにいたとかでなければ、緑は自分が受付をしている間に外から来たのだろう。あの茹る様な暑さの中にいたのであれば、当然喉が渇いている筈だ。
「だって俺、献血できないし。あ、おにぃさんの一口貰っちゃったけど、味見だからノーカンってことで」
言われてみれば、確かにそうだ。この飲み物やお菓子は無料ではあるが、それは献血する人のために用意された物だ。誰でも自由に、という物ではない。
勿論、だからと言って飲んでも咎められたりはしないと思う。
それでもそういう事を守るというきちんとしたところは、あの碧ちゃんの家族なんだなと納得した。
と、言うところでふと気付いて、
「……じゃあ、なんでこんなものを?」
手に持ったままの、空になったジュースの紙コップを指差した。
献血しないのだから飲まない、と言うところはしっかりとしているのに、本人は飲めないだろうと思う様な、捨てられてもおかしくない不味いジュースを作るのは矛盾していると思う。
そう言われても、緑は悪びれもせずににっこりと笑った。
「だってさ、おにぃさんだったら飲めないくらい不味くても我慢して飲んでくれただろ? なんてったって、あの碧と付き合えるくらいなんだからさ」
いや、美味しく飲めないという時点で勿体ない、と思ったが、まぁ無駄にはならなかったのだからいいのだろうか。
というか、どうやら緑と千恵理の中では、不味いジュースと辛いラーメンと碧ちゃんは同列らしい。
「あ、おねーさん、これいつもの。感謝してくれていいんだぜ?」
そう悩むこちらのことなど放っておいて、緑は受付の看護師さんに箱を差し出した。
駅前のドーナツ屋の、五つくらい入るタイプの箱だ。
看護師さんは恐縮はしても遠慮する様子はなく、丁寧に礼を言ってその箱を受け取った。
いつもの、と緑が言った通り何度も繰り返されたことなのだろう。
「ほら、こんなにお菓子があんのに食べられないのってつらいじゃん? 看護師さんはドーナツを堪能して、俺は看護師さんの制服姿を堪能する。ほら、win-winじゃん」
何も聞いていないのに、緑はそう説明してきた。
そう言えばさっき、制服がスカートなのはここだけだ、と緑が言っていた気がする。
成程。
うん、まぁ看護師さんも年齢的には子供でしかない緑に見られるのを気にしている様子はないし、誰も損をしていないのならいいのだろう。
とはいえ、この大きさの箱のドーナツは、子供には高価なものだと思うのだけれど。
「ああ、ほら、うちってまぁまぁ金持ちじゃん? 小遣いは充分貰ってるからさ」
そういえばそうだった。碧ちゃんがお嬢様ということは、その家族である緑もそうの筈だ。
ドーナツが食べ放題出来る、というのは羨ましい。
「っと、待ってるぜ?」
言われて我に返る。
自分を呼んだ看護師さんが、採血室の前でこちらを見ながら待っていた。
「じゃ、行って来るよ」
そう、緑に手を上げる。
「ああ、いってらっしゃい。……また近いうちに、な」
そう言って、緑は意味ありげに笑った。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
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- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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