碧ちゃんの話
7
行きは電車で来た道を帰りは歩く。
天頂付近に達した太陽の日差しは強烈で、それが熱した地面からの放射熱が最大になるにはもう少しかかるだろうに、既にアスファルトには逃げ水が見えていた。
空気をゆらゆらと揺らして陽炎を見せる程の熱気のせいなのか血が足りないせいなのか、それとも他の理由なのか。足元が覚束なくなるこの体がふらふらとする感じは嫌いではない。というよりも、この感覚を味わう為に献血をしていると言っても良い。
だから、一駅分の道を歩いて帰る。これも、献血の度のいつもの事。
採血を終えて、十分程で待合室に戻ると、もうそこには緑の姿はなかった。看護師さんにご執心の様だったから、このくらいの時間ならまだ眺めているのではないかとも思ったのだけれど、どうやら今日の目的はあくまで自分と話す事で、その目的は終わったという事らしい。
献血後の十分な休憩を取ってから外に出たのだけれど、その程度で失った血が戻るわけではない。
体の表面はじりじりと焼かれ、その輻射熱で体の中はゆらゆらするのに、その芯には血が足りないせいか氷を詰めたような冷たい部分が穴を空けている。
その感覚が楽しくて、軽くなった足取りが更に足元をふわふわとさせた。
そのままゆらゆらと歩く。というのは多分自分がそう感じるだけだろうけれど、そうして進んで行くと……その視線の先に、工事現場を見つけた。
前回ここを通った時にはまだなかったから、その間に工事が始まったのだろう。
とはいえ、ここを通ったのは前回の献血の時で、その時から三か月経っている。工事が始まる、どころか知らないビルが建っていても不思議はない時間だ。 見上げると、眩い太陽を掲げて聳える鉄骨の塊は五階ほどの高さだろうか。
まだ鉄筋のみのそのビルは、周囲を取り囲むように添えられた足場のせいでよりビルの骨という感を増していた。
土地の少ないこの町では建物が縦に伸びる傾向がある。その形から考えると、マンション……いや学生などの一時的な住人が多い土地柄からして、多分アパートだろう。完成するにはまだ時間が掛かりそうだが、部屋を探している千恵理に教えてもいいかもしれない。
視線を少し降ろすと、自分の身長よりも少し上……二階くらいの高さまでブルーシートが張られている。
安全対策はしっかりとしているのだろう。本当ならばビルの屋上までしっかりと覆うべきなのだろうけれど、そこまでやるのはコスト的に難しいのだろう。
そのシートの中からは物音ひとつ聞こえては来ず、見上げる鉄筋の骨組みに取りついて作業する人の姿もない。
どうやら今日は休工日らしい。
五階程度とはいえ、自分よりもずっと高いビルを見上げながら歩いていると、頭がくらくらとしてくる。そうでなくとも公道をよそ見しながら歩くというのは、暑さのせいで人通りはほとんどないとはいえやはり危険だ。
ちゃんと歩こうと、視線を前へと向けた。
その視線の先に、少女がいた。
年の頃は十くらいたろう。頭の位置は自分の視線よりもずっと低く、まだ距離があるのに既に見下ろす程に差がある。なのに、そうとは感じさせない鋭い視線がこちらを見据えている。
身に纏っているのは空を映したような青いジャケットと、青いスカート。真夏の日差しを跳ね返す艶やかな黒髪に、視線を柔らかくする真ん丸いトンボ眼鏡。
数日前に初めて見た、碧ちゃんのあの姿と全く同じ服装だった。
ただ、太股にまで届くその長すぎる髪を、背中の真ん中あたりで結わえている事だけが違う。
こちらを見据えていた視線と、目が合う。
見詰めあっていた時間はほんのわずかだっただろう。多分、一呼吸するかどうかくらいの間。
少女は視線が合うのを確認だけしたかのように、何も言わずに工事現場の方へと向きを変えて歩き出し……一瞬だけ、こちらへとちらりと横目で視線を向けて僅かに目を細めた。
そのまま工事現場の入り口のシートの、僅かに開いた隙間へと姿を消した。
どういうことなのかと暫し戸惑う。
戸惑うが、あの視線はついて来いという意味なのだろうという事だけはわかる。
一瞬悩む。
工事現場、という事はここは私有地なのだろう。私有地に勝手に入り込んでいい筈がない。いや、ここが小岩井家の土地だというのならば話は違うけれど。
ただその場合でも、工事現場は作業関係者以外は立ち入り禁止で、危険だということに変わりはない。
どちらにしてもそのことは注意しなくてはいけない。
逡巡していた時間は短かったと思う。意を決して、姿を消した少女の後を追って工事現場へと足を向けた。
自分よりもはるかに背の小さい少女が真っ直ぐ歩いて入った入り口の、視線を遮る辺りに垂れ下がったブルーシートを手で捲る。
その時にちらりと横目で入り口脇の看板の施工主の名前を確認した。
どうやら小岩井の名前ではないようだった。
天頂付近に達した太陽の日差しは強烈で、それが熱した地面からの放射熱が最大になるにはもう少しかかるだろうに、既にアスファルトには逃げ水が見えていた。
空気をゆらゆらと揺らして陽炎を見せる程の熱気のせいなのか血が足りないせいなのか、それとも他の理由なのか。足元が覚束なくなるこの体がふらふらとする感じは嫌いではない。というよりも、この感覚を味わう為に献血をしていると言っても良い。
だから、一駅分の道を歩いて帰る。これも、献血の度のいつもの事。
採血を終えて、十分程で待合室に戻ると、もうそこには緑の姿はなかった。看護師さんにご執心の様だったから、このくらいの時間ならまだ眺めているのではないかとも思ったのだけれど、どうやら今日の目的はあくまで自分と話す事で、その目的は終わったという事らしい。
献血後の十分な休憩を取ってから外に出たのだけれど、その程度で失った血が戻るわけではない。
体の表面はじりじりと焼かれ、その輻射熱で体の中はゆらゆらするのに、その芯には血が足りないせいか氷を詰めたような冷たい部分が穴を空けている。
その感覚が楽しくて、軽くなった足取りが更に足元をふわふわとさせた。
そのままゆらゆらと歩く。というのは多分自分がそう感じるだけだろうけれど、そうして進んで行くと……その視線の先に、工事現場を見つけた。
前回ここを通った時にはまだなかったから、その間に工事が始まったのだろう。
とはいえ、ここを通ったのは前回の献血の時で、その時から三か月経っている。工事が始まる、どころか知らないビルが建っていても不思議はない時間だ。 見上げると、眩い太陽を掲げて聳える鉄骨の塊は五階ほどの高さだろうか。
まだ鉄筋のみのそのビルは、周囲を取り囲むように添えられた足場のせいでよりビルの骨という感を増していた。
土地の少ないこの町では建物が縦に伸びる傾向がある。その形から考えると、マンション……いや学生などの一時的な住人が多い土地柄からして、多分アパートだろう。完成するにはまだ時間が掛かりそうだが、部屋を探している千恵理に教えてもいいかもしれない。
視線を少し降ろすと、自分の身長よりも少し上……二階くらいの高さまでブルーシートが張られている。
安全対策はしっかりとしているのだろう。本当ならばビルの屋上までしっかりと覆うべきなのだろうけれど、そこまでやるのはコスト的に難しいのだろう。
そのシートの中からは物音ひとつ聞こえては来ず、見上げる鉄筋の骨組みに取りついて作業する人の姿もない。
どうやら今日は休工日らしい。
五階程度とはいえ、自分よりもずっと高いビルを見上げながら歩いていると、頭がくらくらとしてくる。そうでなくとも公道をよそ見しながら歩くというのは、暑さのせいで人通りはほとんどないとはいえやはり危険だ。
ちゃんと歩こうと、視線を前へと向けた。
その視線の先に、少女がいた。
年の頃は十くらいたろう。頭の位置は自分の視線よりもずっと低く、まだ距離があるのに既に見下ろす程に差がある。なのに、そうとは感じさせない鋭い視線がこちらを見据えている。
身に纏っているのは空を映したような青いジャケットと、青いスカート。真夏の日差しを跳ね返す艶やかな黒髪に、視線を柔らかくする真ん丸いトンボ眼鏡。
数日前に初めて見た、碧ちゃんのあの姿と全く同じ服装だった。
ただ、太股にまで届くその長すぎる髪を、背中の真ん中あたりで結わえている事だけが違う。
こちらを見据えていた視線と、目が合う。
見詰めあっていた時間はほんのわずかだっただろう。多分、一呼吸するかどうかくらいの間。
少女は視線が合うのを確認だけしたかのように、何も言わずに工事現場の方へと向きを変えて歩き出し……一瞬だけ、こちらへとちらりと横目で視線を向けて僅かに目を細めた。
そのまま工事現場の入り口のシートの、僅かに開いた隙間へと姿を消した。
どういうことなのかと暫し戸惑う。
戸惑うが、あの視線はついて来いという意味なのだろうという事だけはわかる。
一瞬悩む。
工事現場、という事はここは私有地なのだろう。私有地に勝手に入り込んでいい筈がない。いや、ここが小岩井家の土地だというのならば話は違うけれど。
ただその場合でも、工事現場は作業関係者以外は立ち入り禁止で、危険だということに変わりはない。
どちらにしてもそのことは注意しなくてはいけない。
逡巡していた時間は短かったと思う。意を決して、姿を消した少女の後を追って工事現場へと足を向けた。
自分よりもはるかに背の小さい少女が真っ直ぐ歩いて入った入り口の、視線を遮る辺りに垂れ下がったブルーシートを手で捲る。
その時にちらりと横目で入り口脇の看板の施工主の名前を確認した。
どうやら小岩井の名前ではないようだった。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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