碧ちゃんの話
8
ブルーシートに囲まれたその場所の空気は、外よりもひんやりと感じられた。
いや、ひんやりしていると言っても勿論それは相対的な物で、実際の温度は30℃近く……いや、多分30℃を超えているだろうと思う。
それでも真夏の日差しがそのまま降り注ぐ炎天下よりも涼しい事は間違いない。
その姿を探すまでもなく、少女は骨組みだけのビルを背に、目の前に立っていた。
その姿はブルーシート越しの、そしてブルーシートに反射した光に照らされて、青く染まっている。
「こんにちわ。良い陽気ですね」
そう言って、少女は目を微かに細めた。
「うん、夏はやっぱり暑くないとね」
暑いからこそ夏なのだ。その夏の良い陽気と言えば、この暑さに決まっている。
「初めまして、でよろしいでしょうか」
そう言って、少女は精錬された仕草で頭を下げた。
いいところのお嬢様だと言われて納得出来る優雅な仕草だった。
「うん、前は通りすがりで会ったのと、後はちょっと話したくらいだったし」
会ったこと自体はあるけれど、挨拶はしていなかった気がする。だとしたら、改めての挨拶は初めましてで間違いないだろう。
「それよりこんなところに入ったら危ないよ」
工事現場に入っては危険だ、というそれが理由で追いかけて来たのだ。先ずはそのことを伝えないといけない。
施工主は小岩井の名前ではなかったけれど、だからと言って関係者ではないとは限らないから、それは言わなかった。
「誰もいないところで少し、お話したいことがありまして」
少女の瞳は、何かを訴えるかのように真っ直ぐにこちらを見詰めて来ていた。
「それならあのまま待っててくれれば良かったのに」
夏の暑さもそれに茹った頭がくらくらするのも嫌いではないが、落ち着いて話をするのに相応しいとは言えない。
そこに自分がいるのは良いけれど、避ける事が出来るのに他人をそこにいさせるのは好きではない。
尤も、本人は毎日この陽射しの中を駆け回っているのだから、気にはしないだろうけれど。
「えっと……」
少女は戸惑う様に口籠った。
「いえ、話したいと思う様になったのはあの後なので……」
なんだろう、何か会話が咬み合っていない気がする。
「だったら、さっきまで待合室にいたんだから、戻って来てくれれば良かったのに」
献血後の休憩で、待合室で三十分程待っていたのだ。外に出てしまってから話を続けたいと思ったのであっても、戻って来てくれればそのままあそこで話が出来た。
冷房は好きではないけれど、献血ルームの冷房は控えめで、冷房嫌いにも優しい温度になっている。
少なくともブルーシートで陽射しが遮られているだけのここよりは、話をするのには向いていると思う。
「……まぁ、あそこは看護師さんもいるから、誰もいないところではないかもしれないけど」
それを聞いた少女は何か言おうと口を開いてそのまま動きを止め、空を見上げた後に溜息をついて、
「あー、もうやめやめ」
ぶんぶん、と首を振って急に口調を変えた。
いや。変えたというか、戻した。
「なんだよ、カツラまで被って女装してんのに、最初からバレバレかよ」
口調だけではなく立ち方まで変わり、少女、と呼ぶしかない嫋やかな雰囲気から普段の緑、の雰囲気へと戻る。
「で、どうしてわかったんだ?」
「どうして……?」
首を捻る。どうして、と言われても何もわかっていないし、というか何を聞かれているのかもわかっていない。
「こうやって女のふりしてお淑やかにしとけば、千恵理や婆ぁだってしばらくは騙せんのに」
「ああ」
合点がいって、ぽんと手を打つ。
「それは碧ちゃんの真似だったのか」
「真似じゃなくて、フリな」
緑がそう溜息を吐いた。
「ったくよ、こんな恥ずかしいカッコまでして、あの碧が普段男とどんな風にしてるのか探ってやろうと思ってたのに」
それはご苦労様だ。
「だから前に言った通り付き合ってたりはしてないし、そもそも一度だけ、それも会ったとも言えない関係でしかないって」
そう説明してある筈なのだけれど。実際に碧ちゃんの前に立った時にどういう態度になるのか、自分ですらわからない。
「だとしてもさ、やっぱり興味あるじゃん? あの碧が、どんな風に女の子扱いされるのか、ってさ」
そう言って、緑はにやりと笑った。
「うん、碧ちゃんのことが心配なんだね」
全くの見当違いではあるけれど、碧ちゃんに男が出来たと思い込んで、相手の主観からの言葉だけではなく、実際に見てみなければ安心出来ない、となったのだろう。
自分には孤高にしか見えなかった碧ちゃんでも、家族からすればこうして心配する対象なのだと、何故かとても嬉しかった。
「ちげーって。からかってやろうとしただけだよ」
緑はそう言うと、それから急にそっぽを向いて、
「……まぁ、あんなのでも妹だしな」
仏頂面で、そう吐き捨てるように言った。
やはり、素直じゃなかった。
いや、ひんやりしていると言っても勿論それは相対的な物で、実際の温度は30℃近く……いや、多分30℃を超えているだろうと思う。
それでも真夏の日差しがそのまま降り注ぐ炎天下よりも涼しい事は間違いない。
その姿を探すまでもなく、少女は骨組みだけのビルを背に、目の前に立っていた。
その姿はブルーシート越しの、そしてブルーシートに反射した光に照らされて、青く染まっている。
「こんにちわ。良い陽気ですね」
そう言って、少女は目を微かに細めた。
「うん、夏はやっぱり暑くないとね」
暑いからこそ夏なのだ。その夏の良い陽気と言えば、この暑さに決まっている。
「初めまして、でよろしいでしょうか」
そう言って、少女は精錬された仕草で頭を下げた。
いいところのお嬢様だと言われて納得出来る優雅な仕草だった。
「うん、前は通りすがりで会ったのと、後はちょっと話したくらいだったし」
会ったこと自体はあるけれど、挨拶はしていなかった気がする。だとしたら、改めての挨拶は初めましてで間違いないだろう。
「それよりこんなところに入ったら危ないよ」
工事現場に入っては危険だ、というそれが理由で追いかけて来たのだ。先ずはそのことを伝えないといけない。
施工主は小岩井の名前ではなかったけれど、だからと言って関係者ではないとは限らないから、それは言わなかった。
「誰もいないところで少し、お話したいことがありまして」
少女の瞳は、何かを訴えるかのように真っ直ぐにこちらを見詰めて来ていた。
「それならあのまま待っててくれれば良かったのに」
夏の暑さもそれに茹った頭がくらくらするのも嫌いではないが、落ち着いて話をするのに相応しいとは言えない。
そこに自分がいるのは良いけれど、避ける事が出来るのに他人をそこにいさせるのは好きではない。
尤も、本人は毎日この陽射しの中を駆け回っているのだから、気にはしないだろうけれど。
「えっと……」
少女は戸惑う様に口籠った。
「いえ、話したいと思う様になったのはあの後なので……」
なんだろう、何か会話が咬み合っていない気がする。
「だったら、さっきまで待合室にいたんだから、戻って来てくれれば良かったのに」
献血後の休憩で、待合室で三十分程待っていたのだ。外に出てしまってから話を続けたいと思ったのであっても、戻って来てくれればそのままあそこで話が出来た。
冷房は好きではないけれど、献血ルームの冷房は控えめで、冷房嫌いにも優しい温度になっている。
少なくともブルーシートで陽射しが遮られているだけのここよりは、話をするのには向いていると思う。
「……まぁ、あそこは看護師さんもいるから、誰もいないところではないかもしれないけど」
それを聞いた少女は何か言おうと口を開いてそのまま動きを止め、空を見上げた後に溜息をついて、
「あー、もうやめやめ」
ぶんぶん、と首を振って急に口調を変えた。
いや。変えたというか、戻した。
「なんだよ、カツラまで被って女装してんのに、最初からバレバレかよ」
口調だけではなく立ち方まで変わり、少女、と呼ぶしかない嫋やかな雰囲気から普段の緑、の雰囲気へと戻る。
「で、どうしてわかったんだ?」
「どうして……?」
首を捻る。どうして、と言われても何もわかっていないし、というか何を聞かれているのかもわかっていない。
「こうやって女のふりしてお淑やかにしとけば、千恵理や婆ぁだってしばらくは騙せんのに」
「ああ」
合点がいって、ぽんと手を打つ。
「それは碧ちゃんの真似だったのか」
「真似じゃなくて、フリな」
緑がそう溜息を吐いた。
「ったくよ、こんな恥ずかしいカッコまでして、あの碧が普段男とどんな風にしてるのか探ってやろうと思ってたのに」
それはご苦労様だ。
「だから前に言った通り付き合ってたりはしてないし、そもそも一度だけ、それも会ったとも言えない関係でしかないって」
そう説明してある筈なのだけれど。実際に碧ちゃんの前に立った時にどういう態度になるのか、自分ですらわからない。
「だとしてもさ、やっぱり興味あるじゃん? あの碧が、どんな風に女の子扱いされるのか、ってさ」
そう言って、緑はにやりと笑った。
「うん、碧ちゃんのことが心配なんだね」
全くの見当違いではあるけれど、碧ちゃんに男が出来たと思い込んで、相手の主観からの言葉だけではなく、実際に見てみなければ安心出来ない、となったのだろう。
自分には孤高にしか見えなかった碧ちゃんでも、家族からすればこうして心配する対象なのだと、何故かとても嬉しかった。
「ちげーって。からかってやろうとしただけだよ」
緑はそう言うと、それから急にそっぽを向いて、
「……まぁ、あんなのでも妹だしな」
仏頂面で、そう吐き捨てるように言った。
やはり、素直じゃなかった。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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