碧ちゃんの話
12
結局やることは変わらない。ここから変える事も出来ない。そんな器用な事が出来るような生き方は出来ていない。
最後の一歩、右足を踏み出す。鉄パイプの確認はしない。出来ない。確認しても調整など出来ない。
走る速度を上げるには軸足を伸ばすが、それはまだだ。代わりに内側に向けた親指を逸らせて体を前傾させ、同じく軸に滑らせて体を左回りに回す。
まだ早い。頭で考えているわけではない。体の感覚がそう言っている。そのまま体の反発する発条を貯めたまま堪える。
堪えて、堪えて……踏み出した右足が、足首の高さまで降りたところで左足の親指を伸ばして地面を掴む。
親指を回す。
足の甲を回す。
足首を伸ばす。
脹脛を回す。
膝を回す。
太股を回す。
股関節を回す。
腰を捻る。
右足を踏み込む。
右の肩を引き込み反動を付ける。
肩の関節を押し込む。
肘を押し込む。
全身を伸ばすことによって持ち上げられるように体が加速し、ぐんと視界が前へとブレる。
落下してくる鉄パイプのような細い物に拳を当てる技量など持ち合わせていないので、位置さえ合えば当たる様に、肘を曲げて腕を水平……鉄パイプと十字になるように、腓骨と尺骨が水平に当たる様に手の甲を前にして伸ばす。
右足を踏み込んでも勢いは殺さない。目測を誤って鉄パイプの方が遅かった場合、そのまま緑の上に覆い被れるように体を前へと投げ出す。
一瞬、踏み込んだ右足と翳した右手に衝撃を感じる直前の一瞬に、緑が前のめりにならなければ頭があった筈の位置に鉄パイプの先端が見え、次の瞬間には視界から消えた。
覆いかぶさる勢いを殺せずに倒れ込みそうになる体を、胸の辺りに感じた衝撃が受け止める。そう言えば緑が前に倒れ込もうとしていたなと思い出した。
一瞬遅れて鉄パイプが向こう側の足場に当たってガンッ、と音を立てるのが聞こえ、それに続いて周囲をそれまで聞こえていなかった蝉の声が満たし、ああ今は夏だったな、と何故か見当違いの事が頭を満たしていた。
頭をぶつけてバランスを崩した体を支えようとしたのだろう。緑が縋りつくように腕を背中へと回して来た。緊張でか恐怖でか、心臓が割れんばかりの鼓動しているのが伝わって来る。多分、それは自分も同じだろうけれど。
緑が恐る恐るといったふうに顔を上げた。こちらの顔を……多分無事かどうかを確認してから、鉄パイプがぶつかる音のした背後を窺う。
足場の骨組みに絡み取られたそれは、足場の内側に落ちて地面に斜めに突き立っていた。
「あ……ありが、とう……」
その突き刺さった場所が自分の体だった時のことを考えたのだろう。腰が抜けたのか縋りつく手はそのままに、緑が震える声でそう言った。
「やっぱり工事現場は危ないから、入っちゃ駄目だね」
あの鉄パイプが狙いすましたように緑の上に落ちて来たのは偶然だけれど、工事現場は危険だから立ち入り禁止なのだ。だから、こういう事態になったこと自体は必然でしかない。
「う……うん、ごめんなさい……」
まだ落ち着けていないようだった。当たり前だ。たった今、死にかけたのだから。
「って、おにぃさん、その手!」
言われて腕を持ち上げてみる。前腕の半ばあたりで不自然に曲がっていた。
「ああ、そうか」
宙に浮いていたのを横から、とはいえ鉄パイプに思い切り打ち付けたのだ。解放骨折にはなっていないようだし、折れるだけだったのはむしろ軽く済んだくらいだろう。
「この辺り、病院ってどこにあったっけ」
流石に骨折は放って置いても治らない。というか、曲がったまま治ってしまった方が不味い。
「待って、今救急車呼ぶから」
慌てて体を離した緑が、自分の服をまさぐる。携帯電話を探しているのだろうけれど、どこにあるのかも忘れるくらい慌てているのだろう。
「いや、救急車は大袈裟だから」
距離にもよるけれど、歩けない程重症というわけでもない。流石に献血ルームでは応急手当くらいならともかく、骨折の治療は出来ないだろう。
「いや、そんなわけないから。おにぃさん、冷や汗凄いからな?」
やっと見つけた携帯電話を操作しながら緑がそう言う。その指は震えていたけれど、冷静にはなったらしい。
そう言われてみると、さっきまで汗が止まらない程に感じていた暑さを全く感じなくなっていた。いや、汗は逆に凄くなっているらしいけれど。
暑さ対策に骨折冷法、なんて馬鹿な考えが頭を過った。
「おにぃさん、冷静だね。俺なんてこんななのに」
漸く操作を終えたらしい携帯電話を耳に当てる手が震えているのを示しながら、緑が言った。
いや、別に冷静でいるのではないと思う。どうしようもなく混乱して、耐えがたい程の激痛に襲われているからこそ、こんな意味のない馬鹿な事を考えているのだろう。
馬鹿な事を考えられるくらいの余裕が出来た事は、良い事だけれど。
骨折した右腕の痛みは、意識を失いかねない程のものだと思う。妙さんが痛いのは生きている証拠、と言っていたが確かにその通りだと実感出来る。
でも、折角傷が治りかけていたのに、今度は骨折か。
この右腕も随分酷い扱いをしてしまっているな、と、どうしようもないとは言え少しだけ反省していた。
最後の一歩、右足を踏み出す。鉄パイプの確認はしない。出来ない。確認しても調整など出来ない。
走る速度を上げるには軸足を伸ばすが、それはまだだ。代わりに内側に向けた親指を逸らせて体を前傾させ、同じく軸に滑らせて体を左回りに回す。
まだ早い。頭で考えているわけではない。体の感覚がそう言っている。そのまま体の反発する発条を貯めたまま堪える。
堪えて、堪えて……踏み出した右足が、足首の高さまで降りたところで左足の親指を伸ばして地面を掴む。
親指を回す。
足の甲を回す。
足首を伸ばす。
脹脛を回す。
膝を回す。
太股を回す。
股関節を回す。
腰を捻る。
右足を踏み込む。
右の肩を引き込み反動を付ける。
肩の関節を押し込む。
肘を押し込む。
全身を伸ばすことによって持ち上げられるように体が加速し、ぐんと視界が前へとブレる。
落下してくる鉄パイプのような細い物に拳を当てる技量など持ち合わせていないので、位置さえ合えば当たる様に、肘を曲げて腕を水平……鉄パイプと十字になるように、腓骨と尺骨が水平に当たる様に手の甲を前にして伸ばす。
右足を踏み込んでも勢いは殺さない。目測を誤って鉄パイプの方が遅かった場合、そのまま緑の上に覆い被れるように体を前へと投げ出す。
一瞬、踏み込んだ右足と翳した右手に衝撃を感じる直前の一瞬に、緑が前のめりにならなければ頭があった筈の位置に鉄パイプの先端が見え、次の瞬間には視界から消えた。
覆いかぶさる勢いを殺せずに倒れ込みそうになる体を、胸の辺りに感じた衝撃が受け止める。そう言えば緑が前に倒れ込もうとしていたなと思い出した。
一瞬遅れて鉄パイプが向こう側の足場に当たってガンッ、と音を立てるのが聞こえ、それに続いて周囲をそれまで聞こえていなかった蝉の声が満たし、ああ今は夏だったな、と何故か見当違いの事が頭を満たしていた。
頭をぶつけてバランスを崩した体を支えようとしたのだろう。緑が縋りつくように腕を背中へと回して来た。緊張でか恐怖でか、心臓が割れんばかりの鼓動しているのが伝わって来る。多分、それは自分も同じだろうけれど。
緑が恐る恐るといったふうに顔を上げた。こちらの顔を……多分無事かどうかを確認してから、鉄パイプがぶつかる音のした背後を窺う。
足場の骨組みに絡み取られたそれは、足場の内側に落ちて地面に斜めに突き立っていた。
「あ……ありが、とう……」
その突き刺さった場所が自分の体だった時のことを考えたのだろう。腰が抜けたのか縋りつく手はそのままに、緑が震える声でそう言った。
「やっぱり工事現場は危ないから、入っちゃ駄目だね」
あの鉄パイプが狙いすましたように緑の上に落ちて来たのは偶然だけれど、工事現場は危険だから立ち入り禁止なのだ。だから、こういう事態になったこと自体は必然でしかない。
「う……うん、ごめんなさい……」
まだ落ち着けていないようだった。当たり前だ。たった今、死にかけたのだから。
「って、おにぃさん、その手!」
言われて腕を持ち上げてみる。前腕の半ばあたりで不自然に曲がっていた。
「ああ、そうか」
宙に浮いていたのを横から、とはいえ鉄パイプに思い切り打ち付けたのだ。解放骨折にはなっていないようだし、折れるだけだったのはむしろ軽く済んだくらいだろう。
「この辺り、病院ってどこにあったっけ」
流石に骨折は放って置いても治らない。というか、曲がったまま治ってしまった方が不味い。
「待って、今救急車呼ぶから」
慌てて体を離した緑が、自分の服をまさぐる。携帯電話を探しているのだろうけれど、どこにあるのかも忘れるくらい慌てているのだろう。
「いや、救急車は大袈裟だから」
距離にもよるけれど、歩けない程重症というわけでもない。流石に献血ルームでは応急手当くらいならともかく、骨折の治療は出来ないだろう。
「いや、そんなわけないから。おにぃさん、冷や汗凄いからな?」
やっと見つけた携帯電話を操作しながら緑がそう言う。その指は震えていたけれど、冷静にはなったらしい。
そう言われてみると、さっきまで汗が止まらない程に感じていた暑さを全く感じなくなっていた。いや、汗は逆に凄くなっているらしいけれど。
暑さ対策に骨折冷法、なんて馬鹿な考えが頭を過った。
「おにぃさん、冷静だね。俺なんてこんななのに」
漸く操作を終えたらしい携帯電話を耳に当てる手が震えているのを示しながら、緑が言った。
いや、別に冷静でいるのではないと思う。どうしようもなく混乱して、耐えがたい程の激痛に襲われているからこそ、こんな意味のない馬鹿な事を考えているのだろう。
馬鹿な事を考えられるくらいの余裕が出来た事は、良い事だけれど。
骨折した右腕の痛みは、意識を失いかねない程のものだと思う。妙さんが痛いのは生きている証拠、と言っていたが確かにその通りだと実感出来る。
でも、折角傷が治りかけていたのに、今度は骨折か。
この右腕も随分酷い扱いをしてしまっているな、と、どうしようもないとは言え少しだけ反省していた。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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