碧ちゃんの話
2
することもなく呆と窓の外を眺める。いつもと変わりないと言えばそうだけれど。
高い建物の多いこの辺りでも一層高いここからは、他のビルを見下ろす形で街の景色が一望出来た。
山と山とに切り取られた狭い土地。むしろ人間が切り開くようになる前の古い時代には、ここも山の一部だったのだろうことは想像に難くない。
このような山間にあるとは思えない、発展した街並み。
確かに狭くはあっても平地が広がるとはいえ、来ないで済ませようと思えば済ませられるこの地に、村落ではなくこの規模の街を築いたのにはどんな理由があるのだろうか。
歴史を調べれば納得のいく説明が付くのだろうけれど、三年以上住んでこの地にも愛着が出来てきたとはいえ、そこまでして知りたいわけでもなかった。
それにしても落ち着かない。
入院には慣れているが、検査入院というのは初めてなので勝手がわからない。
精密検査が必要だというのはわかる。腕以外怪我はしていないのだから大袈裟だとは思うが、あの一瞬で起きた事の全てを把握など出来ているわけがないし、アドレナリンの分泌が収まっていないせいで痛みに気付いていないだけだという可能性も否定できない。
何よりも、後で何かあった時に困るのは自分ではなく相手だ。自分は死ぬだけで済むしそれは自分で起こした行動の結果でしかないが、その責任を取らなければいけないのは相手……庇われた緑や建設会社だ。万が一が無いように万全を期すというのは当然の用心だろう。その為の精密検査の費用など、間違いがあった時の損失に比べれば微々たるものだ。
だが、検査入院の時の病室の使用は、結果待ちの間の休憩室という意味合いでしかないはずだ。しかも早々に問題なしという結果が出れば、入院すらせずに日帰り出来ると言われているのに。
何故、自分は個室に入れられているのだろう。それも検査室から一番遠い、検査入院という名目からすれば一番ふさわしくない最上階のこの部屋に。
最上階の、恐らく一番良い部屋であろうここは、無駄に広く清潔で設備が整っていて、自分のような小市民には場違い感が酷すぎた。
汚職で身を隠した政治家のような居心地の悪さしか感じない。いや、汚職をするような、しかもその上で身を隠すような政治家なら、この状況はむしろ高鼾なのだろうけれど。
精密検査自体は終わったものの、結果が出るまではこの居心地の悪い部屋で待たなければいけない。
緑でもいてくれれば、あの遠慮のない性格でこの居心地の悪さを吹き飛ばしてくれるくらい、好き勝手やってくれるだろうに、と思った。
緑も自分と同じ様に精密検査を受けている筈だけれど、腕の骨折の治療の分だけ時間のかかっている自分よりも早く終わっている筈だ。
緑に怪我はない筈だけれど、あの一瞬の全てを把握など出来ていないのは同じだ。無事に助けられた、と安心しているところに精密検査をすると聞かされて、急に不安になってしまったのは仕方のない事だと思う。
こんなところで寝ていないで、早くあの元気な姿を確認したい……というのが居心地の悪さの理由のひとつだというのは、自分でもわかっていた。
そっと右腕に視線を落とす。ギプスに固められて吊り下げられたそれは、治療時の麻酔が効いていて、痛みどころか感覚すらない。骨折したのだから痛くて当然だと思うのだけれど、どうせ麻酔が切れた後はしばらく痛みと付き合うことになるのだ。焦る事もない。
こんこん、と扉がノックされて我に返る。
「どうぞ」
このままこの部屋に置いておかれるのは落ち着かなくて、外からの接触があったことにほっとした。
恐らく、精密検査の結果が出たのだろう。これでこの居心地の悪い豪華な部屋から出る事が出来る。
「失礼いたします」
病室のドアを開けて姿を見せたのは看護師さんでも医師でもなく、メイド服姿の妙さんだった。
一瞬何故妙さんが? と思ったが、考えて見れば別におかしくはない。妙さん個人とは見舞いに来て貰えるような関係ではないけれど、妙さんは小岩井家の……緑の家のメイドさんだ。緑を迎えに来て、そのついでにそれを助けた自分に挨拶に来るというのは自然な事だった。
という事は、どうやらまだしばらくは帰れないらしい。
だが、妙さんは病室に入ろうとはせず、そのまま脇へと退いた。
なんだろう、と疑問に思う間もなく、妙さんの陰に隠れて見えていなかった、その背後の誰かの姿が現れた。
決して大柄ではない、妙さんの背後に隠れてしまう程の姿。
だというのに、その姿が見えた瞬間、部屋の空気が変わった。
まだ入り口の敷居を隔てた向こう側にいるというのに、見ただけでわかる一分の隙もない立ち居姿。
見た目では恐らく七十は超えているだろう。
だが、腰の曲がった様子などは全くなく、まるで天から釣り上げられているのではないかという程に、背筋は真っ直ぐと伸ばされている。
一見柔らかく見える眼差しは真っ直ぐと鋭く前を見据えていて、顔を覆う皴が弛んで出来た物ではなく、無駄な物を削ぎ落して刻まれた物だと示していた。
一瞬ベッドから起き上がりそうになったが……向こうから訪ねて来た以上、それは逆に気を遣わせるものだろうと思い留まる。
だが、ベッドの中で居住いを正してしまう事は避けられなかった。
見ただけで背筋が伸びる、そういう人だった。
高い建物の多いこの辺りでも一層高いここからは、他のビルを見下ろす形で街の景色が一望出来た。
山と山とに切り取られた狭い土地。むしろ人間が切り開くようになる前の古い時代には、ここも山の一部だったのだろうことは想像に難くない。
このような山間にあるとは思えない、発展した街並み。
確かに狭くはあっても平地が広がるとはいえ、来ないで済ませようと思えば済ませられるこの地に、村落ではなくこの規模の街を築いたのにはどんな理由があるのだろうか。
歴史を調べれば納得のいく説明が付くのだろうけれど、三年以上住んでこの地にも愛着が出来てきたとはいえ、そこまでして知りたいわけでもなかった。
それにしても落ち着かない。
入院には慣れているが、検査入院というのは初めてなので勝手がわからない。
精密検査が必要だというのはわかる。腕以外怪我はしていないのだから大袈裟だとは思うが、あの一瞬で起きた事の全てを把握など出来ているわけがないし、アドレナリンの分泌が収まっていないせいで痛みに気付いていないだけだという可能性も否定できない。
何よりも、後で何かあった時に困るのは自分ではなく相手だ。自分は死ぬだけで済むしそれは自分で起こした行動の結果でしかないが、その責任を取らなければいけないのは相手……庇われた緑や建設会社だ。万が一が無いように万全を期すというのは当然の用心だろう。その為の精密検査の費用など、間違いがあった時の損失に比べれば微々たるものだ。
だが、検査入院の時の病室の使用は、結果待ちの間の休憩室という意味合いでしかないはずだ。しかも早々に問題なしという結果が出れば、入院すらせずに日帰り出来ると言われているのに。
何故、自分は個室に入れられているのだろう。それも検査室から一番遠い、検査入院という名目からすれば一番ふさわしくない最上階のこの部屋に。
最上階の、恐らく一番良い部屋であろうここは、無駄に広く清潔で設備が整っていて、自分のような小市民には場違い感が酷すぎた。
汚職で身を隠した政治家のような居心地の悪さしか感じない。いや、汚職をするような、しかもその上で身を隠すような政治家なら、この状況はむしろ高鼾なのだろうけれど。
精密検査自体は終わったものの、結果が出るまではこの居心地の悪い部屋で待たなければいけない。
緑でもいてくれれば、あの遠慮のない性格でこの居心地の悪さを吹き飛ばしてくれるくらい、好き勝手やってくれるだろうに、と思った。
緑も自分と同じ様に精密検査を受けている筈だけれど、腕の骨折の治療の分だけ時間のかかっている自分よりも早く終わっている筈だ。
緑に怪我はない筈だけれど、あの一瞬の全てを把握など出来ていないのは同じだ。無事に助けられた、と安心しているところに精密検査をすると聞かされて、急に不安になってしまったのは仕方のない事だと思う。
こんなところで寝ていないで、早くあの元気な姿を確認したい……というのが居心地の悪さの理由のひとつだというのは、自分でもわかっていた。
そっと右腕に視線を落とす。ギプスに固められて吊り下げられたそれは、治療時の麻酔が効いていて、痛みどころか感覚すらない。骨折したのだから痛くて当然だと思うのだけれど、どうせ麻酔が切れた後はしばらく痛みと付き合うことになるのだ。焦る事もない。
こんこん、と扉がノックされて我に返る。
「どうぞ」
このままこの部屋に置いておかれるのは落ち着かなくて、外からの接触があったことにほっとした。
恐らく、精密検査の結果が出たのだろう。これでこの居心地の悪い豪華な部屋から出る事が出来る。
「失礼いたします」
病室のドアを開けて姿を見せたのは看護師さんでも医師でもなく、メイド服姿の妙さんだった。
一瞬何故妙さんが? と思ったが、考えて見れば別におかしくはない。妙さん個人とは見舞いに来て貰えるような関係ではないけれど、妙さんは小岩井家の……緑の家のメイドさんだ。緑を迎えに来て、そのついでにそれを助けた自分に挨拶に来るというのは自然な事だった。
という事は、どうやらまだしばらくは帰れないらしい。
だが、妙さんは病室に入ろうとはせず、そのまま脇へと退いた。
なんだろう、と疑問に思う間もなく、妙さんの陰に隠れて見えていなかった、その背後の誰かの姿が現れた。
決して大柄ではない、妙さんの背後に隠れてしまう程の姿。
だというのに、その姿が見えた瞬間、部屋の空気が変わった。
まだ入り口の敷居を隔てた向こう側にいるというのに、見ただけでわかる一分の隙もない立ち居姿。
見た目では恐らく七十は超えているだろう。
だが、腰の曲がった様子などは全くなく、まるで天から釣り上げられているのではないかという程に、背筋は真っ直ぐと伸ばされている。
一見柔らかく見える眼差しは真っ直ぐと鋭く前を見据えていて、顔を覆う皴が弛んで出来た物ではなく、無駄な物を削ぎ落して刻まれた物だと示していた。
一瞬ベッドから起き上がりそうになったが……向こうから訪ねて来た以上、それは逆に気を遣わせるものだろうと思い留まる。
だが、ベッドの中で居住いを正してしまう事は避けられなかった。
見ただけで背筋が伸びる、そういう人だった。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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