碧ちゃんの話
4
「緑」
桜子さんに促されて、緑が頭を下げて、それから自分の胸に手を当てた。
「助けてくださってありがとうございました。それから、私のせいで怪我をさせてしまって申し訳ありません」
そう言ってから静かに頭を下げる。
その仕草は桜子さんの隣に在って違和感が無い程に精練された動きだった。多分、今回のこれも、以前緑が言っていた行事のひとつという扱いなのだろう。
千恵理もそうだけれど、一見奔放に見えて地に育ちの良さが見えているのは、こうしてきちんとした躾を受けているからなのだと思う。
「丁寧にありがとうございます。どうぞ、お掛けください」
これだけ丁寧な礼をしに来た人が、ありがとうございましたはいさようなら、で終わりというわけがない。
ここまでは最低限必要な礼儀という事で、本題はこれからだろう。
桜子さんは失礼します、と頭を下げて妙さんが位置を合わせた椅子に腰を下ろし、緑は脇に置いてあった物を自分で持って来て座った。
緑がスカートの裾が邪魔にならないように捌く仕草は手馴れていて、普段のあの姿を感じさせない。そう言えば、碧ちゃんの真似をしていた時もその辺りに違和感を感じなかったのは、こういうことがしっかりと身についていたからなのだろう。
「ここからは長くなりますので、改まらずに行かせて貰いますよ」
桜子さんが砕けた口調でそう言った。
それを聞いた緑が早速足を崩す。崩すというか、足を大きく広げて右足を左足の上で組んだ。清楚と言えるドレスがだらしなく垂れさがり、膝小僧が露になっているのは、なんというか目の毒だ。
「当主としての正式な礼儀とは別に、孫を助けてくれてありがとう」
それを気にしていないのか儀式的な事は終わったのだからと諦めているのか、桜子さんが緑を無視して続けた。
その桜子さんに礼を返しながら、立場のある人は大変だなとぼんやり思う。本気で感謝しているのに、それとは別で立場としての礼を言わなければいけないなどという事は、自分には面倒臭くて無理だろう。
「全く、いつも危ない事はするな、ましてや人様を巻き込むなど言語道断だと言い聞かせているんですけれどね」
隣、よりは少し後ろでそっぽを向いて舌を出した緑の頭を、桜子さんは位置的に見えていない筈なのに後ろ手に手を伸ばして小突いた。
「それで……」
と続けようとした桜子さんの言葉を遮るように、バタバタと廊下を走る音がこの部屋へと向かって来た。
「思ったよりも早かったね」
それに気付いた桜子さんがそう呟く。その言葉が終わるかくらいの間に病室のドアがバンと開き、
「失礼します、怪我したって……」
廊下は走っても失礼します、はきちんと言う変な礼儀正しさを発揮しながら、千恵理が部屋へと飛び込んで来た。
その言葉を言い切る前に多分自分を探す為だろう、慌てる様子で視線をこちらのベッドに巡らせる途中にいる桜子さんのところで留まって……
そっ、とドアを閉めようとした。
「見舞いに来て挨拶も無しで帰るような礼儀知らずに育てた覚えはないよ」
ぽつりと言った桜子さんの言葉に、千恵理が動きを止める。
悩むようにしばらくそのままでいた後、千恵理は静かにドアを開けた。
「うん、元気そうで……いや元気じゃないだろうけど、命に別状はないみたいで良かった」
極力桜子さんの方へ視線を向けないようにしながら、千恵理はそっと病室へと入って来てそう言った。
その視線は痛々し気に、吊られたこちらの右腕へと向けられている。
「それから、緑を守ってくれたそうで。ありがとう」
そう言って、頭を下げた。
「うん、見ての通り問題ないから。ありがとう」
気遣って貰ったら礼を言う。当たり前の事。
それから千恵理は意を決したように桜子さんの方へと向き直り、
「……お久しぶりです、お婆様」
また、頭を下げた。
千恵理は、プロレスラーになる事を反対されて家出していると言っていた。それは当然、この桜子さんにだろう。
顔を合わせづらいというのは当然のことだ。
「貴方も元気そうですね」
桜子さんはそう言うが、その声に安心したという様子は見受けられない。どちらかといえば冷たい……気にもしていなかったというように感じられた。
それを特に気にした様子もなく、千恵理は緑へと向き直った。
「緑ぃ……」
「いや俺のせいだから立場弱くってさ。それに、婆ぁがいるって言わなかっただけで、別に千恵理に嘘ついたわけじゃないからな? 骨折は大怪我だし、検査でも入院は入院だし、二人とも検査があって会えなかったのも本当だし」
「お婆様」
「お姉様」
婆ぁ呼びと呼び捨てにされた二人から即座に訂正が入る。成程、許されているわけではないらしい。
「はいはい、お婆様と、千恵理姉ぇ」
言われた通りの呼び方ではないが、どうやら千恵理はそれで妥協したらしい。
ふぅと息を吐いた。
話を聞くに、どうやら千恵理は緑に呼びだされて来たらしい。それも、恐らく桜子さんの言いつけで、騙される様にして。
「まぁ確かに嘘は言ってないし、病室にいるって聞いてそこまで酷くないのはわかったけど……でもあんな言い方されたら面会謝絶で一刻を争う、みたいなことになってると思うでしょ。全く、碧みたいなこと覚えちゃって」
「あいつと一緒にしないでくれよ」
千恵理に言われて、緑は心底嫌そうな仏頂面でそう言った。
成程、碧ちゃんはそういう……嘘は言わずに誤解させるような言い方が得意なのだろう。
そう言えば、お嬢様達も搦め手が得意だと言っていた。それもそういう事の一環なのかもしれない。
「だったらそう言われない様な事をしなさい」
ぺしっ、と千恵理が緑の頭に平手を乗せた。
桜子さんに促されて、緑が頭を下げて、それから自分の胸に手を当てた。
「助けてくださってありがとうございました。それから、私のせいで怪我をさせてしまって申し訳ありません」
そう言ってから静かに頭を下げる。
その仕草は桜子さんの隣に在って違和感が無い程に精練された動きだった。多分、今回のこれも、以前緑が言っていた行事のひとつという扱いなのだろう。
千恵理もそうだけれど、一見奔放に見えて地に育ちの良さが見えているのは、こうしてきちんとした躾を受けているからなのだと思う。
「丁寧にありがとうございます。どうぞ、お掛けください」
これだけ丁寧な礼をしに来た人が、ありがとうございましたはいさようなら、で終わりというわけがない。
ここまでは最低限必要な礼儀という事で、本題はこれからだろう。
桜子さんは失礼します、と頭を下げて妙さんが位置を合わせた椅子に腰を下ろし、緑は脇に置いてあった物を自分で持って来て座った。
緑がスカートの裾が邪魔にならないように捌く仕草は手馴れていて、普段のあの姿を感じさせない。そう言えば、碧ちゃんの真似をしていた時もその辺りに違和感を感じなかったのは、こういうことがしっかりと身についていたからなのだろう。
「ここからは長くなりますので、改まらずに行かせて貰いますよ」
桜子さんが砕けた口調でそう言った。
それを聞いた緑が早速足を崩す。崩すというか、足を大きく広げて右足を左足の上で組んだ。清楚と言えるドレスがだらしなく垂れさがり、膝小僧が露になっているのは、なんというか目の毒だ。
「当主としての正式な礼儀とは別に、孫を助けてくれてありがとう」
それを気にしていないのか儀式的な事は終わったのだからと諦めているのか、桜子さんが緑を無視して続けた。
その桜子さんに礼を返しながら、立場のある人は大変だなとぼんやり思う。本気で感謝しているのに、それとは別で立場としての礼を言わなければいけないなどという事は、自分には面倒臭くて無理だろう。
「全く、いつも危ない事はするな、ましてや人様を巻き込むなど言語道断だと言い聞かせているんですけれどね」
隣、よりは少し後ろでそっぽを向いて舌を出した緑の頭を、桜子さんは位置的に見えていない筈なのに後ろ手に手を伸ばして小突いた。
「それで……」
と続けようとした桜子さんの言葉を遮るように、バタバタと廊下を走る音がこの部屋へと向かって来た。
「思ったよりも早かったね」
それに気付いた桜子さんがそう呟く。その言葉が終わるかくらいの間に病室のドアがバンと開き、
「失礼します、怪我したって……」
廊下は走っても失礼します、はきちんと言う変な礼儀正しさを発揮しながら、千恵理が部屋へと飛び込んで来た。
その言葉を言い切る前に多分自分を探す為だろう、慌てる様子で視線をこちらのベッドに巡らせる途中にいる桜子さんのところで留まって……
そっ、とドアを閉めようとした。
「見舞いに来て挨拶も無しで帰るような礼儀知らずに育てた覚えはないよ」
ぽつりと言った桜子さんの言葉に、千恵理が動きを止める。
悩むようにしばらくそのままでいた後、千恵理は静かにドアを開けた。
「うん、元気そうで……いや元気じゃないだろうけど、命に別状はないみたいで良かった」
極力桜子さんの方へ視線を向けないようにしながら、千恵理はそっと病室へと入って来てそう言った。
その視線は痛々し気に、吊られたこちらの右腕へと向けられている。
「それから、緑を守ってくれたそうで。ありがとう」
そう言って、頭を下げた。
「うん、見ての通り問題ないから。ありがとう」
気遣って貰ったら礼を言う。当たり前の事。
それから千恵理は意を決したように桜子さんの方へと向き直り、
「……お久しぶりです、お婆様」
また、頭を下げた。
千恵理は、プロレスラーになる事を反対されて家出していると言っていた。それは当然、この桜子さんにだろう。
顔を合わせづらいというのは当然のことだ。
「貴方も元気そうですね」
桜子さんはそう言うが、その声に安心したという様子は見受けられない。どちらかといえば冷たい……気にもしていなかったというように感じられた。
それを特に気にした様子もなく、千恵理は緑へと向き直った。
「緑ぃ……」
「いや俺のせいだから立場弱くってさ。それに、婆ぁがいるって言わなかっただけで、別に千恵理に嘘ついたわけじゃないからな? 骨折は大怪我だし、検査でも入院は入院だし、二人とも検査があって会えなかったのも本当だし」
「お婆様」
「お姉様」
婆ぁ呼びと呼び捨てにされた二人から即座に訂正が入る。成程、許されているわけではないらしい。
「はいはい、お婆様と、千恵理姉ぇ」
言われた通りの呼び方ではないが、どうやら千恵理はそれで妥協したらしい。
ふぅと息を吐いた。
話を聞くに、どうやら千恵理は緑に呼びだされて来たらしい。それも、恐らく桜子さんの言いつけで、騙される様にして。
「まぁ確かに嘘は言ってないし、病室にいるって聞いてそこまで酷くないのはわかったけど……でもあんな言い方されたら面会謝絶で一刻を争う、みたいなことになってると思うでしょ。全く、碧みたいなこと覚えちゃって」
「あいつと一緒にしないでくれよ」
千恵理に言われて、緑は心底嫌そうな仏頂面でそう言った。
成程、碧ちゃんはそういう……嘘は言わずに誤解させるような言い方が得意なのだろう。
そう言えば、お嬢様達も搦め手が得意だと言っていた。それもそういう事の一環なのかもしれない。
「だったらそう言われない様な事をしなさい」
ぺしっ、と千恵理が緑の頭に平手を乗せた。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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