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碧ちゃんの話


7

「うん、そうだね」
 そう言って同意するけれど、今度は謝らなかった。思った本当のことを、素直にそう言っただけだから。
 それに、緑も本当に怒っているわけではない事は見ればわかる。
 緑は本当にわかってんのかよ、と言いたげな表情でこちらを見ていたけれど、すぐに振り返って作業に戻った。
 しかし、その手も足も殆ど露出した服装で台所に立つのは危なくないのだろうか、と少し心配になる。勿論油跳ねなどの心配はないけれど、煮立ったお湯をかき回した時などに跳ぶこともあるだろう。
 とはいえ、さっきまでのワンピースよりはまだ良いのかもしれない。肌の露出という点で言えば、危険の多そうな上半身部分はそう変わりはないし、あの高級そうな服を汚す心配がないのだから。
 尤も、お湯しか使っていないのだから汚れる心配はレトルトの袋を開ける時の跳ねくらいだし、汚れにしても火傷にしても、この部屋にエプロンなどないからどうにもならないのだけれど。
「ああ、そうだ。千恵理の食器ってこれだよね?」
 そう言って緑が振り向き、食器を掲げて見せた。
 同じキャラクター物の、ひとそろいの食器。
 千恵理が二日酔いになったあの日、スポーツドリンクを飲ませたコップに描かれていた、あの犬のキャラクターだ。
 千恵理のような大人……と言って良いのかはわからないが、余り似つかわしくない子供向けの可愛らしいキャラクターではあるけれど、好きな物に似合うも似合わないもないし、好きな物が増えるという、それ自体がとても素晴らしい事だと思う。
 元々は、この部屋に食器など自分一人の分しかなかった。それが千恵理が来るようになってそれでは足りなくなり、自分の分だと言って千恵理が持って来たのだ。
 狭いとはいえ最低限の食器と道具しか置いていない台所には、もう一人分の食器が増えても大差はない。邪魔になる程に増えるのならばともかく、千恵理は限度を超えて好き勝手して、他人に迷惑をかけて平気でいられるような性質でもないから、問題はないだろうと好きにさせていた。
「じゃ、これ借りんね。ああ、大丈夫。千恵理にはちゃんと言ってあるから」
 どうやら、緑も一緒に食事を済ませていくつもりらしい。ちょうどお昼前なのだし、緑が食べずにいる前で自分だけ食べるというのも居心地が悪いだろうからむしろ助かるけれど。
 一方で、千恵理の食器を他人に使わせるのはどうかと思いもするけれど、断ってあるのならば問題ない。それに、昨日の二人の様子から見ても、緑に食器を使われるのは嫌だなんてこともないだろう。
 そういえば、自分を騙す為に、昨日千恵理と二人でワンピースを選んだと言っていた。その時に、今日ここに来るという話もしたのだろう。
「それと、味噌汁もインスタントの奴なんだけどさ、赤白合わせのどれが好き?」
 そう緑に聞かれて、少し考える。
「じゃあ、赤で」
 白も好きだけれど、やはり選ぶのであれば、味のはっきりした赤の方がわかりやすい。
 料理というのは基本的に全員の分を一度に作る物で、どうしても一緒に食事をする全員分の個人の好みに合わせた味にすることは出来ない。
 もちろんそれは良い事だ。同じ釜の飯というように、皆で同じ料理を食べるというのはとても素晴らしい事だと思う。
 でもそれはそれとして、自分の好みに合った物を食べたいというのも当然の事だ。辛いカレーが好きなのに、子供がいるから甘口しか作れない、などと言う話はよく聞く。
 カレーといい、こうして個人の好みでわけられるのが、レトルトやインスタントの良いところだろう。
「おっけ。じゃあもうちょっとだから待ってて」
 また背中を向けた緑を暫し眺めてから、立ち上げたままになっていたパソコンの前へと戻る。食事の支度が終わるのは直ぐだろうけれど、それまでの間だけでも作業を進めておくことにした。
 左手だけでもキーボードを叩くのに支障はないけれど、両手と比べればどうしても同じ速度というわけにはいかない。
 締め切りなどない様なものだけれど、だからと言ってわざと破っても良いということにはならないのだから。
 しばらくの間、部屋の中にキーボードを叩くカタカタという音と、緑が皿を並べるカチャカチャという音や蛇口から流れる水音が部屋に響く。
「おにぃさん、終わったぜー」
 そう声をかけられて、はっと我に返った。
 ほんの数分だけだったけれど、思ったよりも集中してしまっていたらしい。
 一度、パソコンの電源を落とす。
 出来た、ではなく終わった、と言うのは、既にできている物を温めただけで、自分が作ったわけではないから、なのだろう。
 やはり律儀な子だった。
 緑が皿を乗せて来た盆を机に置く。机と言っても、本当は布団を片付けただけの炬燵なのだけれど。
 この部屋に越してくることが決まった三年前の三月に、冬物在庫処分で大幅値引きになっていた型落ち品を買った物で、当然大きさなどは二の次だった。そのせいで一人で使っていた時には大き過ぎると感じていたのだけれど、こうしてふたりで使うにはちょうど良い大きさだった。
 そのこたつの上に、皿を並べていく。
 カレーライスにカット野菜を盛り付けたサラダと、インスタントだと言っていた味噌汁。
 スプーンとフォーク、そして椀を直接持つことで全て片手で食べられる料理だ。
 左手でも箸くらいは問題なく持てるけれど、茶碗が持てないとなるとやはり食事は大変だ。それを気遣ってこの組み合わせにしてくれたのだろう。
 緑は皿を全てこちらの前に並べると、台所へと戻り、同じ物を自分の前へと並べた。
「おにぃさん、ドレッシングどれにする?」
 続けてドレッシングの小瓶を五本程並べる。選べるようにと思ってくれたのだろうけれど、流石にちょっと気を使い過ぎではないかと思う。
 ただ、気持ちはわかる。お世話をする、と言っても本人が言ったように毎日付きっ切りでとはいかないし、そうしても不便の全てがなくなるわけでもない。その分、出来るだけのことを、と考えてしまったのだろう。
 それだけ責任を感じているのだと思う。
「和風にしようかな」
 だから、その気持ちに純粋に感謝をしてそう答えた。
 味が濃いというだけならフレンチやシーザーの方が良いのかもしれない。けれど結局和風になってしまうのは、自分が日本人だからだろう。
 あるいは、洋食でも中華でも、全て和風出汁を使ってしまうからなのかも知れないけれど。
 今ある粉末出汁が終わったら、次は鶏ガラかコンソメにしようか、と少しだけ考えた。
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未田 尚(まだ なお)
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