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碧ちゃんの話


8

「おっけー」
 緑はそう答えると、和風のドレッシングを手に取ってしゃかしゃかと振り混ぜてからサラダの上に掛け、フォークを付けてこちらへと差し出してくれた。
「ん。ありがとう」
 左手で受け取る。
「たっぷり目にしといたけど、足りなかったら言ってな。それと、他の味のが欲しくなった時も」
 そう言って、緑は自分の分のサラダにフレンチドレッシングをだばだばと振りかけた。どうやら緑も濃い味の方が好みらしい。そう言えば、千恵理もこってりのラーメンを食べていた。姉妹だけに味の好みも似ているのかもしれない。
「じゃあ、おにぃさん。食べてみてよ。あっためて盛り付けたただけだから、不味いってことはないと思うけど」
 緑はそう言いながら、紐を取り出して長い髪を肩の辺りで適当に縛り上げた。それから頭をふるふると振って、偏った髪を整える。
 味の方は心配していない。例え不味かったとしても食べるだけだ。どうせ味などわからないのだし。
「いただきまーす」
「いただきます」
 緑に続いて手を合わせる。
 いただきますとは言ったものの、緑は食べようとはせずにこちらの様子を窺っていた。多分、世話をする相手より先に食べるわけにはいかないということなのだろう。
 こちらも待ってしまっては緑がいつまで経っても食べられないと、スプーンを手に取る。普段は味噌汁から食べ始めるのだけれど、ただ待つだけではなくこちらの様子を窺っているということは、味の感想が知りたいのだろう。だから、まずメインのカレーライスに手を出した。
 ご飯にカレーが掛かっている境目の辺り、半々になるようにスプーンで掬う。
 一見すると、具のないカレーのように思える。けれど、口に入れると具がないのではなく、全て溶け切ってしまう程時間をかけて煮込まれた物だという事がわかった。
 カレーに限らず、レトルトは具材が小さくなってしまい物足りなさを感じてしまうものだけれど、これならばその心配はない。具材の旨味を全てカレーに溶け込ませ、それをじっくり煮込むことによって味を凝縮させたカレー。自分のような濃い味しかわからない貧乏舌でもわかる濃厚なカレーだ。
「うん、美味しい」
 毎日食べるなら市販のカレー粉で作った普通のカレーの方が良いけれど、こうして特別な時に誰かに作って貰った、という物ならばこの方が特別感があって良い。
「ホント? そりゃ良かった。じゃあ俺も」
 自分が食べるのを確認してから、緑もカレーライスを掬い、口に放り込んだ。
「うん、レトルトってどうなんだろって思ってたけど、ホテルで食うのとそんな変わらないじゃん。最近の技術ってスゲーな」
 レトルトは最近の技術ではないけれど。
 でも、そんなに変わらない、という事は、僅かな違いがわかっているという事なのだろう。
 そんなに鋭い味覚を持っていれば、色々な物をもっと味わう事が出来るのだろうな、と少し羨ましく思った。
 続けて味噌汁とサラダにも手を伸ばす。普通のインスタントと、市販のドレッシング。
 普通に美味しい。普通というと褒めていないように聞こえるかもしれないけれど、決してそんなことはない。特筆するような美味しさというわけではないけれど、いつでも充分に美味しくて、失敗がないという事。
 それは、実際に凄い事だと思う。
 確かに、最近の技術は凄かった。
 暫し、二人とも無言で食べ進める。普段の食事から美味しいと思うものだけ食べているけれど、やはりこのカレーは、それとは違って値段に相応しいだけの美味しさがある。そして偶の贅沢の時も、特にこだわりがないせいでいつも同じ物ばかりになってしまっている。
 こうして普段とは違う美味しい物を食べるというのは、いつもの一人だけの時にはなかなか無い、新鮮な気分だった。
「あ、そうだ。これ食ったら午後からは部屋の掃除をするからさ、ちょっとうるさくなるかもしれないけど、ごめんな」
 口の中の物をきちんと飲み込んでから、緑がそう言った。
「うん、ありがとう。でも午後からは病院に行かなくちゃいけないんだ」
 病院に行かなくてはいけないこともそうだけれど、掃除をしなくてはいけない程汚れてはいない。捨てられない、けれど使わない大切な物は、全て押し入れに乱雑に放り込んであるから。
 埃は……まぁ、溜まっているかもしれない。元々そう言った事は気にしないいい加減な性格であるし、しかし千恵理が来るようになってからは少しは綺麗にするようにはしている。
 自分だけならばどうでも良くても、他人に嫌な気分をさせても気にもしない、というのは好きではない。
「え、病院って昨日の花輪病院?」
 何故か緑が露骨に嫌そうにした。
 自分が行くわけではない緑にとっては、どの病院だろうと関係ない筈なのだけれど。
「名前は知らないけど、昨日の病院だね」
 診察券に病院名くらいは書いてある筈だけれど、よく見てはいない。
 場所と行き方がわかっていれば、それが何という病院だろうと困る事はないから。
「でも、昨日の今日だぜ? 毎日行く必要なくない? 何度も動いて悪化させるより、ある程度くっつくまで安静にしてた方がいいんじゃね?」
 緑はそう言うし、自分でもそう思うのだけれど。
「一日経ってギプスがどうなったか見たいんだって」
 一日くらいで早々変わりはしないだろうけれど、何か変化があったのならば早めに対処した方が良いというのはその通りだろう。多分、これも桜子さんの言うところの最高の治療の一環なのだろう。
 出来るだけ多く通院させて医療費を余分に取ろうとしているのではないと思う。多分。その筈だ。
 いずれにしても、治療の通院にかかる損失の補填は、千恵理に預かって貰うという形で既に貰ってある。ならば、治療を受けるのはむしろ義務だ。何か行けない理由がない限り、勝手に行かなくていいやと思った、等という理由で行かないわけにはいかない。
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