碧ちゃんの話
5
何と言って良いのかわからず、黙ったまま千恵理へと視線を向ける。
「あれ、私」
見なくてもこちらの視線の向いている物がわかったのか、それともその『親子』の光景の中で、唯一異質で視線を奪うのはそこだとわかっているのからなのか。
千恵理はこちらを向く事無くそう答えた。
「あれ、妊娠したってわかった時に、生まれる赤ちゃんを抱く練習するために買ったそうなんだけど、私が産まれた後は私が貰ってね。家にいる時はずっと持ち歩いてた。私としては妹のつもりだったんだけど、私がいるところにはあの子がいる、だからあの子、イコール私、になっちゃったんだろうね」
千恵理はそう言うけれど、それだけでああはならない。
「……ここは精神病棟、なのか?」
そう考えれば色々と辻褄が合う。
関係者以外立ち入り禁止の札に、ナースステーションから見張られているような入口と、そこから以外は入れない作り。
「そう。お母さん、お父さん以外の人を見ると怖がっちゃって。看護婦さんもダメで、次に会うときは忘れちゃってるみたいだし。それにお父さんがいなくなっても不安がっちゃうから、だからああして、ずっと付き添ってる」
この窓も、恐らく向こうからは見えないマジックミラーなのだろう。不安定な患者に、不安を与えないように。
この部屋が暗いのはその為で、廊下が薄暗くされているのも、万が一にもこの部屋に光が入って向こうから見えてしまわないようにする為なのだと思う。
ここは、そうして向こうの二人には気付かれずに、一方的に面会をするための部屋なのだ。
「だけど、お母さんのは精神病とはちょっと違うの。お母さん、珍しい血液型でね。日本には二人しかいないんだって。それで、緑と碧を生む時に出血しちゃって、でも輸血を受けられなくて。それで脳に血が足りなくなって、……ああなっちゃった」
精神病ではなく、脳の障害ということなのだろう。
何がどうなればあんなことになるのかなんて、素人の自分にはわからないけれど、目の前には実際にそうなっているのだという現実がある。
「あれが千恵理……ってことは、千恵理を産んだ後のことは、……碧ちゃんと緑のことは覚えてない……?」
親に覚えられていないというのはどんな気持ちなのだろうか。
わかるわけがない。
そんな経験はないのだから。
欲しい物が手に入らない、と気持ちならばわかる。いや、わからないのかもしれない。そんな気持ちは、もうずっと前に無くしてしまったから。
どちらにしても、そんな生易しいものではない。
子供は、親を求めるものだ。そういうものであり、生物としてそう出来ている。それを、生まれた瞬間から奪われている。
それがどんな気持ちかなど、本人以外にわかるわけがない。
「お医者さんが言うには、緑と碧を産んだ時の分娩室の様子を覚えてるから、私を産んだ時と緑と碧を産んだ時の記憶が繋がっちゃって、その間の記憶を引き出せなくなっちゃってるんじゃないかって。そのせいで、緑と碧を妊娠してる時の事を覚えてないから、私を産んで、そのまま入院してるんだと思ってるみたい。……と言ってもその後も記憶があやふやで覚えられなくなってて、もう十年も経ってるのに、まだ何日かしか経ってないと思ってるみたいだけど」
「そう、か……」
少しだけ、ほっとした。例え、それを千恵理の事だと思ってしまっているのだとしても、碧ちゃんと緑を産んだ時のことを覚えているのならばよかった。
それすらも忘れてしまっているのでは、いくら何でも悲し過ぎる。
勿論、だからと言って何かが変わるわけではないのだけれど。
「そのせいか、記憶と食い違う事があると錯乱しちゃってね。生まれたばかりで、しかもここにいるはずの娘が大きくなって現れたりとか、産んだ覚えのない娘が現れたりとか」
「覚えてない筈なのに……?」
覚えてないのであれば、それは知らない人の筈だ。
知らない人を見ても、普通に怖がるだけではないのだろうか。
「そうだよね。緑と碧を産んだことは覚えてない筈だし、それどころか生まれた後そのまま意識を失っちゃったから、二人を見たこともない筈なの。それなのに、何故かわかっちゃうみたいで。……母親としての本能、みたいなものなのかなぁ」
それは、どちらが良いのだろうか。
覚えていてもわかってしまうから会えないのと、他人として会う事くらいは出来るのと。
いや、知らない人が相手では怖がってしまうと言っていた。
どちらにしてもまともに会えないのであれば、わかって貰える方がいい、のだろうか。
自分にはわからない。
「こんなの見せられても困ると思うけど、いつかは教えなきゃいけないことだし、後から教えたんじゃ騙したみたいだし……全部、わかった上で付き合っていってほしいの。勿論、お母さんのことは長女でお母さんとの想い出のある私が責任持つから、碧には迷惑はかけない。でも、それとは別にこういう家庭環境だってことはどうしてもついて回るから、その覚悟だけはしておいて欲しい」
「あれ、私」
見なくてもこちらの視線の向いている物がわかったのか、それともその『親子』の光景の中で、唯一異質で視線を奪うのはそこだとわかっているのからなのか。
千恵理はこちらを向く事無くそう答えた。
「あれ、妊娠したってわかった時に、生まれる赤ちゃんを抱く練習するために買ったそうなんだけど、私が産まれた後は私が貰ってね。家にいる時はずっと持ち歩いてた。私としては妹のつもりだったんだけど、私がいるところにはあの子がいる、だからあの子、イコール私、になっちゃったんだろうね」
千恵理はそう言うけれど、それだけでああはならない。
「……ここは精神病棟、なのか?」
そう考えれば色々と辻褄が合う。
関係者以外立ち入り禁止の札に、ナースステーションから見張られているような入口と、そこから以外は入れない作り。
「そう。お母さん、お父さん以外の人を見ると怖がっちゃって。看護婦さんもダメで、次に会うときは忘れちゃってるみたいだし。それにお父さんがいなくなっても不安がっちゃうから、だからああして、ずっと付き添ってる」
この窓も、恐らく向こうからは見えないマジックミラーなのだろう。不安定な患者に、不安を与えないように。
この部屋が暗いのはその為で、廊下が薄暗くされているのも、万が一にもこの部屋に光が入って向こうから見えてしまわないようにする為なのだと思う。
ここは、そうして向こうの二人には気付かれずに、一方的に面会をするための部屋なのだ。
「だけど、お母さんのは精神病とはちょっと違うの。お母さん、珍しい血液型でね。日本には二人しかいないんだって。それで、緑と碧を生む時に出血しちゃって、でも輸血を受けられなくて。それで脳に血が足りなくなって、……ああなっちゃった」
精神病ではなく、脳の障害ということなのだろう。
何がどうなればあんなことになるのかなんて、素人の自分にはわからないけれど、目の前には実際にそうなっているのだという現実がある。
「あれが千恵理……ってことは、千恵理を産んだ後のことは、……碧ちゃんと緑のことは覚えてない……?」
親に覚えられていないというのはどんな気持ちなのだろうか。
わかるわけがない。
そんな経験はないのだから。
欲しい物が手に入らない、と気持ちならばわかる。いや、わからないのかもしれない。そんな気持ちは、もうずっと前に無くしてしまったから。
どちらにしても、そんな生易しいものではない。
子供は、親を求めるものだ。そういうものであり、生物としてそう出来ている。それを、生まれた瞬間から奪われている。
それがどんな気持ちかなど、本人以外にわかるわけがない。
「お医者さんが言うには、緑と碧を産んだ時の分娩室の様子を覚えてるから、私を産んだ時と緑と碧を産んだ時の記憶が繋がっちゃって、その間の記憶を引き出せなくなっちゃってるんじゃないかって。そのせいで、緑と碧を妊娠してる時の事を覚えてないから、私を産んで、そのまま入院してるんだと思ってるみたい。……と言ってもその後も記憶があやふやで覚えられなくなってて、もう十年も経ってるのに、まだ何日かしか経ってないと思ってるみたいだけど」
「そう、か……」
少しだけ、ほっとした。例え、それを千恵理の事だと思ってしまっているのだとしても、碧ちゃんと緑を産んだ時のことを覚えているのならばよかった。
それすらも忘れてしまっているのでは、いくら何でも悲し過ぎる。
勿論、だからと言って何かが変わるわけではないのだけれど。
「そのせいか、記憶と食い違う事があると錯乱しちゃってね。生まれたばかりで、しかもここにいるはずの娘が大きくなって現れたりとか、産んだ覚えのない娘が現れたりとか」
「覚えてない筈なのに……?」
覚えてないのであれば、それは知らない人の筈だ。
知らない人を見ても、普通に怖がるだけではないのだろうか。
「そうだよね。緑と碧を産んだことは覚えてない筈だし、それどころか生まれた後そのまま意識を失っちゃったから、二人を見たこともない筈なの。それなのに、何故かわかっちゃうみたいで。……母親としての本能、みたいなものなのかなぁ」
それは、どちらが良いのだろうか。
覚えていてもわかってしまうから会えないのと、他人として会う事くらいは出来るのと。
いや、知らない人が相手では怖がってしまうと言っていた。
どちらにしてもまともに会えないのであれば、わかって貰える方がいい、のだろうか。
自分にはわからない。
「こんなの見せられても困ると思うけど、いつかは教えなきゃいけないことだし、後から教えたんじゃ騙したみたいだし……全部、わかった上で付き合っていってほしいの。勿論、お母さんのことは長女でお母さんとの想い出のある私が責任持つから、碧には迷惑はかけない。でも、それとは別にこういう家庭環境だってことはどうしてもついて回るから、その覚悟だけはしておいて欲しい」
79/84
- アクセス数

- ページビュー数

プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
携帯用QRコード