碧ちゃんの話
6
レンゲで掬い、スープを一口含む。
確かに辛い。が一口目は然程ではない。
そしてただ辛いだけでもない。きちんと美味しい。
激辛が売りの料理は、そればかりを気にして辛い以外の味のしない物や、辛さを出す為に苦味が強くなってしまっているものも多くある。
だが、これは違う。
辛くなくても充分に美味しい、否、辛いからこそ美味しさが増す様に作られている。
定食屋は様々な料理を出すものだからひとつの料理に拘るわけにはいかない。実際、他の料理もラーメンのスープをベースにして使いまわしているのだろうと思わせる物は多い。
その中で、辛さと言う特徴ひとつに寄りかかるのではなくこれだけの物を作る。
女将はこんなのを食べたら死んでしまう、などと言っていたが、これがきちんと考えて作られた料理なのは間違いない。
続けて麺を啜ろうとして、一旦やめた。先程の千恵理の反応を見ると、スープを跳ねさせでもしたら申し訳ない。レンゲの上に一口分の麺を乗せて、それを口に入れる。
「……辛くないの?」
千恵理が信じられない物を見ているという目でこちらを窺っていた。
「辛いよ? でなければわざわざ注文しないし」
「いや、そうだけど」
二口目、三口目と食べ進め、口内に辛みが沁み込んでいくに従って辛さを増してくる。このくらいはまだ序の口。
「本当に辛い物が好きなんだねぇ……それに好きなだけじゃなくて、相当我慢強くないと無理だよこれ」
呆れた様な感心したような微妙な口調で千恵理が呟いた。
確かに我慢しなければ食べられない物ではあるが、我慢している、というのとはちょっと違う。
好きだというのとも違う。
自分はよく辛い物を食べている。だがそれは辛い物が好きだからではない。
辛い物によって僅かなりと現実感を感じたいという、辛さというそれ自体はただの手段……言わば邪な理由に因るものでしかない。
辛い物を食べる為に我慢をしているのではなく、現実感を感じる為に我慢をしなければならなくするという、そのこと自体が目的なのだ。
自分の様な奇特な理由ではなく、この辛さを現実の物として感じた上で食べている者こそ、本当に辛い物が好きだということなのだと思う。
それに、これはあくまで普通の定食屋の普通のメニューでしかない。こういう物が好きな人にとっては普通に食べられる普通の物なのだろう。
実際、さっき女将も他の人もこれを食べていると言っていた。つまりそのくらいの、然程変わった物ではないということ。
本当の辛い物好きな人というのは、激辛専門店の常連しか食べられない裏メニューなどを食べている人のことだ。
そういう物がどれ程の物なのか……興味がないでもないが、これ以上辛さを増したからと言って、余計に現実感を感じられるとは思えない。自分と現実とを遮る物は、これで超えられるようなものではないということは、長年味わい続けて来た感覚で理解しているのだから。
「うん。まぁ、そういうわけで。辛い物とはちょっと違うけど、碧もあの通りの子だから、どうしても他人から嫌われるんだよね」
どうすれば他人から好かれるか嫌われるか、なんてことは人付き合いなんてものには縁のない自分にはわからない。
だから千恵理の話を聞きながら、黙ってスープを啜る。
ここからが本番だ。麺の三分の一程を食べた辺りが一番辛さを感じられる。
そして同時に、辛さに慣れ、辛さに痺れた口が、感覚を鈍くし始めるあたり。
「だからね、私応援するよ。姉としての勘だけど、きっと相性良いと思うの。まぁちょっと年が離れ過ぎてるけど、あの子大人びてる……というか性格がきっついから、このくらい年上じゃないとあの子には合わないと思うもん。それに、それが食べられるならきっと碧相手でも大丈夫」
余程印象的だったのだろう。千恵理は麺を入れるこちらの口元に視線を向けたまま言った。
友達のいなさそうな妹を心配するのはわかる。
でも、だからこそこんな通りすがりのよくわからない奴は駄目なのではないだろうか。
「ということで、碧の事、色々教えてあげる。それで頑張って攻略してくれると、お姉ちゃん嬉しい」
本当に妹思いなのだろう。
その千恵理の顔は、優しい姉の表情をしていた。
「いや、遠慮しとく」
口の中の麺を飲み込んでから、そう首を振った。
「え、どうして? あの子の事、興味くらいはあるよね?」
確かに、興味はある。調べて回る程の積極的な感情ではないが、知る事が出来る機会があるのならば、程度には。
でも。
「だって、知らない奴が自分の事詳しく知っていたら嫌だろう? だからそういうことは本人から聞くべきだし、そうでないとしても本人がいるところでか、許可を取ってからでなければ」
結果的に友達になるというのであれば、千恵理のその申し出も最終的には正当化されるのかもしれない。
だが、やはりあの少女と友達として付き合っているところは想像できない。
ただ相手のことを詳しく知っているだけの他人。そんなのはただのストーカーではないか。
「まぁ、嫌いな人とかどうでもいい人ならそうかもしれないけど……」
千恵理がどうしようかというように、もごもごと呟いた。
何か考え込んでいる様子。
それを他所に、麺を口に入れスープを啜る。
「でも、本人の居ないところで他人から聞くのは良くないっていうのはそうだよね」
うん、と頷きながら千恵理が呟いた。
丼をかき回しているのは、麺が無くなったのを確認しているのだろう。
かわりに三本目のビール瓶を手酌で空にする。コップの三分の一程しかなかったそれを、一息で飲み干した。
その様子を見ながら、麺の半分程を食べたところで、同じ様にビールを口に含む。舌を軽く洗い、普段の水よりも冷えたビールで火照った口内の温度を下げることで、鈍くなった感覚を回復させる。
ビールの発泡が焼かれた口の中を刺激して、より辛さが増した。
「でも、私が自分の話をする時に碧の話題が出ちゃうのは仕方ないよね?」
自分の話をする時に妹の……家族の話になってしまうのは普通の事だろう。
まして、今までの様子からみて千恵理は妹想いの姉だ。
普通に話している中で妹の事に触れることすら駄目だ、話をする時には常に気を使え……などという身勝手を言うつもりはない。
「あの子にはしあわせになって欲しいの。だってお姉ちゃんだもん」
千恵理は、そう言って笑った。
確かに辛い。が一口目は然程ではない。
そしてただ辛いだけでもない。きちんと美味しい。
激辛が売りの料理は、そればかりを気にして辛い以外の味のしない物や、辛さを出す為に苦味が強くなってしまっているものも多くある。
だが、これは違う。
辛くなくても充分に美味しい、否、辛いからこそ美味しさが増す様に作られている。
定食屋は様々な料理を出すものだからひとつの料理に拘るわけにはいかない。実際、他の料理もラーメンのスープをベースにして使いまわしているのだろうと思わせる物は多い。
その中で、辛さと言う特徴ひとつに寄りかかるのではなくこれだけの物を作る。
女将はこんなのを食べたら死んでしまう、などと言っていたが、これがきちんと考えて作られた料理なのは間違いない。
続けて麺を啜ろうとして、一旦やめた。先程の千恵理の反応を見ると、スープを跳ねさせでもしたら申し訳ない。レンゲの上に一口分の麺を乗せて、それを口に入れる。
「……辛くないの?」
千恵理が信じられない物を見ているという目でこちらを窺っていた。
「辛いよ? でなければわざわざ注文しないし」
「いや、そうだけど」
二口目、三口目と食べ進め、口内に辛みが沁み込んでいくに従って辛さを増してくる。このくらいはまだ序の口。
「本当に辛い物が好きなんだねぇ……それに好きなだけじゃなくて、相当我慢強くないと無理だよこれ」
呆れた様な感心したような微妙な口調で千恵理が呟いた。
確かに我慢しなければ食べられない物ではあるが、我慢している、というのとはちょっと違う。
好きだというのとも違う。
自分はよく辛い物を食べている。だがそれは辛い物が好きだからではない。
辛い物によって僅かなりと現実感を感じたいという、辛さというそれ自体はただの手段……言わば邪な理由に因るものでしかない。
辛い物を食べる為に我慢をしているのではなく、現実感を感じる為に我慢をしなければならなくするという、そのこと自体が目的なのだ。
自分の様な奇特な理由ではなく、この辛さを現実の物として感じた上で食べている者こそ、本当に辛い物が好きだということなのだと思う。
それに、これはあくまで普通の定食屋の普通のメニューでしかない。こういう物が好きな人にとっては普通に食べられる普通の物なのだろう。
実際、さっき女将も他の人もこれを食べていると言っていた。つまりそのくらいの、然程変わった物ではないということ。
本当の辛い物好きな人というのは、激辛専門店の常連しか食べられない裏メニューなどを食べている人のことだ。
そういう物がどれ程の物なのか……興味がないでもないが、これ以上辛さを増したからと言って、余計に現実感を感じられるとは思えない。自分と現実とを遮る物は、これで超えられるようなものではないということは、長年味わい続けて来た感覚で理解しているのだから。
「うん。まぁ、そういうわけで。辛い物とはちょっと違うけど、碧もあの通りの子だから、どうしても他人から嫌われるんだよね」
どうすれば他人から好かれるか嫌われるか、なんてことは人付き合いなんてものには縁のない自分にはわからない。
だから千恵理の話を聞きながら、黙ってスープを啜る。
ここからが本番だ。麺の三分の一程を食べた辺りが一番辛さを感じられる。
そして同時に、辛さに慣れ、辛さに痺れた口が、感覚を鈍くし始めるあたり。
「だからね、私応援するよ。姉としての勘だけど、きっと相性良いと思うの。まぁちょっと年が離れ過ぎてるけど、あの子大人びてる……というか性格がきっついから、このくらい年上じゃないとあの子には合わないと思うもん。それに、それが食べられるならきっと碧相手でも大丈夫」
余程印象的だったのだろう。千恵理は麺を入れるこちらの口元に視線を向けたまま言った。
友達のいなさそうな妹を心配するのはわかる。
でも、だからこそこんな通りすがりのよくわからない奴は駄目なのではないだろうか。
「ということで、碧の事、色々教えてあげる。それで頑張って攻略してくれると、お姉ちゃん嬉しい」
本当に妹思いなのだろう。
その千恵理の顔は、優しい姉の表情をしていた。
「いや、遠慮しとく」
口の中の麺を飲み込んでから、そう首を振った。
「え、どうして? あの子の事、興味くらいはあるよね?」
確かに、興味はある。調べて回る程の積極的な感情ではないが、知る事が出来る機会があるのならば、程度には。
でも。
「だって、知らない奴が自分の事詳しく知っていたら嫌だろう? だからそういうことは本人から聞くべきだし、そうでないとしても本人がいるところでか、許可を取ってからでなければ」
結果的に友達になるというのであれば、千恵理のその申し出も最終的には正当化されるのかもしれない。
だが、やはりあの少女と友達として付き合っているところは想像できない。
ただ相手のことを詳しく知っているだけの他人。そんなのはただのストーカーではないか。
「まぁ、嫌いな人とかどうでもいい人ならそうかもしれないけど……」
千恵理がどうしようかというように、もごもごと呟いた。
何か考え込んでいる様子。
それを他所に、麺を口に入れスープを啜る。
「でも、本人の居ないところで他人から聞くのは良くないっていうのはそうだよね」
うん、と頷きながら千恵理が呟いた。
丼をかき回しているのは、麺が無くなったのを確認しているのだろう。
かわりに三本目のビール瓶を手酌で空にする。コップの三分の一程しかなかったそれを、一息で飲み干した。
その様子を見ながら、麺の半分程を食べたところで、同じ様にビールを口に含む。舌を軽く洗い、普段の水よりも冷えたビールで火照った口内の温度を下げることで、鈍くなった感覚を回復させる。
ビールの発泡が焼かれた口の中を刺激して、より辛さが増した。
「でも、私が自分の話をする時に碧の話題が出ちゃうのは仕方ないよね?」
自分の話をする時に妹の……家族の話になってしまうのは普通の事だろう。
まして、今までの様子からみて千恵理は妹想いの姉だ。
普通に話している中で妹の事に触れることすら駄目だ、話をする時には常に気を使え……などという身勝手を言うつもりはない。
「あの子にはしあわせになって欲しいの。だってお姉ちゃんだもん」
千恵理は、そう言って笑った。
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プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
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