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碧ちゃんの話


6

 子供は夢を見て育つべきだと思う。
 高い空を見上げて育つべきだと思う。
 その為に必要な物は、しっかりとした足場だ。しっかりした足場がなければ、見る夢はふらふらと覚束ない物になるだろう。見上げる空は、ゆらゆらと揺れてよくわからないものになるだろう。
 子供にとっての足場とは、愛されているという事だと思う。
 愛されているという実感、愛されているという自信。それが自分の寄って立つ場所をしっかりとさせるのだと思う。
 夢を見るということに限らず、子供にとっての全ての基本はそれなのだと思う。
「私は良いよ。お父さんとお母さんに愛して貰ったことも、緑と碧が産まれるのを楽しみにしていたのも、その為の覚悟も全部知ってるから。でも、あの子たちはそれを知っているわけじゃない。どれだけ話して聞かせても、実際に見えているのはこの光景だから」
 碧ちゃんも緑も、子供が当たり前に受け取る筈の両親の愛という物を知らないのだ。
「二人とも賢い子だからね。わかってるんだよ。お母さんは緑と碧を愛していたからこうなった。それは仕方ない事。お父さんは、そのお母さんの側を離れる事が出来ないからこうしてる。それも仕方ない事。わかってる。でも、わかっているという事と実際にこうだって言う事は、別だから」
 そう言って、千恵理は窓の向こうの光景を見詰めた。
 本当は、千恵理だって良いと思っている筈がない。千恵理だって、こうなった時にはまだ親が恋しい十歳かそのくらいの子供だった筈だから。
「でも、あの二人があんなに真っ直ぐな良い子に育ったのは、千恵理が十分に愛してあげたからだと思うよ」
 知ってしまえば、千恵理が何故あれだけ妹達を愛しているのかわかった。
 多分千恵理は、年の離れた姉と言うより、年の近い母親として妹達に向き合っているのだろう。
 妹達が得る事の出来ない母親という存在の、代わりに自分がなろうとしているのだ。
 姉妹の中で、唯一母親の愛を知っている者として。
「そうなら、いいんだけどね」
 千恵理は、漸く視線をこちらに向けて照れくさそうに笑った。
「ここにはよく来るの?」
 窓の向こうの光景を真剣に見詰める眼差しは、もしかしたら親というものを妹達に伝えようとしての物なのかもしれないと思いながら、そう尋ねた。
「時々かな。月に一回くらい」
 それは普通、毎月と言うのだと思う。
「いつもは月末くらいだから、まだしばらく来る予定はなかったんだけど……昨日、思い出しちゃったから」
 昨日、というのは当然自分の見舞いに来てくれた時のことだろう。
 あの時にはそんな様子は見えなかった。むしろ、緑と二人で普段よりもはしゃいでいたくらいで……いや、あの時は姉妹仲が良いのだなとしか思っていなかったけれど、今考えればそれ自体が無理をしていた結果なのかもしれない。
 ならば、昨日うちに来た千恵理が飲まなかったのも、自分の気を使ってのことだと思っていたのだけれど、もしかしたらこの光景を思い出して、飲む気に慣れなかったということなのかもしれない。
 そう、考えて見れば千恵理だけではない。緑もそうだった。
 ここに来るのを嫌がっていた理由、にも拘らず昨日はその素振りを見せなかった理由も、何となく想像がつく。
 この光景を思い出さないようにしていたのか、それともこちらに気を使ってその素振りを見せないようにしてくれていたのか。
 どちらだったとしても、やはり優しい子なんだな、と感謝するのと同時に、そうさせてしまった事を申し訳なくも思った。
「そう言えば昨日、緑と会ったのが献血ルームだったんだけど……」
 本人は看護師さんの制服が目当てだと言っていたし、それも多分本当なのだろうけれど。
「ああ、あの子、差し入れしてるでしょ? 自分は献血出来ないからって」
 それで、何となく納得がいった。
 初めて路地裏で会った時、緑にとって自分は妙さんのついででしかなかった。なのに、次に献血ルームで会った時には、長年の友達ででもあるかのような気安さだった。
 本人は千恵理と妙さんから碧ちゃんのことを聞いていたから、と言っていたけれど、それに加えて、輸血というものに特別な思いがあるから、献血ルームにいる相手に対してより好感を持ったということなのだろう。
「……そういえば、同じ血液型がもう一人いるって言ってたよな」
 そう聞いたけれど、聞くまでもなく何となくわかっていた。
 血液型というのは親から受け継がれる物だ。となれば当然もう一人というのも母親の肉親……千恵理の親類の誰かという可能性が高い。そして千恵理の性格からすれば、自分の知り合いがそうだというのならば、こんなに平然としていられるとは思えない。まして、それが大切な妹達のどちらかだったのならば。
 つまり、もう一人というのは……
「私」
 なんでもない事のように、千恵理はそう答えた。
「……それでも、プロレスラーになったんだな」
 プロレスラーに怪我は付き物だ。流血騒ぎなんてよくある事だし、あの映像のように人ひとりの体重が身長程の高い場所から落ちて来るのを受け止めるなんて事になれば、当たり所によっては内臓破裂なんてことになってもおかしくない。
 大手術になる様な怪我を負う可能性は、普通に生きている人間よりはずっと多いだろう。
 実際、ついさっき、それについて心配にかられたばかりではないか。
「うん」
 何故か、千恵理は嬉しそうにそう頷いた。その声の調子から、もうどうしようもないくらいに考え抜いた結果なのだということが伝わって来て、それ以上何も言えなかった。
 いや、そもそも自分などは他人でしかなく、何を言ってもそれは所詮他人事だ。
 自分自身のことであり、この母親の姿を何年も見続けて来た千恵理が、それでもと決めた事なのだ。
 当人ではない誰かが口を出す事など出来る訳がない。
「命が惜しくてやりたいことを我慢して生きるなんて、死んでいるのと変わらないんじゃないかと思うんだ。お母さんもそう思ったから私たちを産んでくれたんだと思うし。……まぁ、お母さんは命より大事な物の為だから、ちょっと違うかもしれないけど」
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未田 尚(まだ なお)
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