碧ちゃんの話
7
まぁ、うん。それはわかる。
大切な人などいない自分でも、大切な人にしあわせになって欲しいという気持ちは理解出来る気がした。
想像してみる。あの少女が僅か、見てもわからない程度の本当に僅かに目を細める。そのしあわせそうにしている姿を見られるならば、自分もどんなにしあわせな気持ちになれるだろうか。
それを見た千恵理もきっとしあわせそうにしている。それも多分、しあわせな光景だ。
「はいよ。焼き飯と餃子、お待ち」
そう声を掛けられて、我に返る。見れば、ちょうど女将が盆を持って来たところだった。
「注文はこれで全部かい?」
女将が皿をテーブルに置きながら、そう聞いた。
「えーと……」
これで揃ったはず、なのに千恵理はそう呟いて、ちらとこちらを見た。
どうやらまだ食べ足りないらしい。もう少しこのまま居たいけれど、付き合って貰えるのか、それとももう帰りたがっているのか心配になったのだろう。
帰る、と言えば千恵理はそれ以上引き留めないだろう。こちらに申し訳ない思いをさせない為に、じゃあ仕方ない、という態度をとるに違いない。
自分は決して懐の広い人間ではない。というよりも、単純に誰かと一緒にいるよりは一人でいる方が好きだ。
それでも、折角の誕生日に付き合ってやれない程狭量ではない。
まして、こうして自分に気を使ってくれる相手ならば。
千恵理が自分にそうしたように、ちらと女将の様子を窺う。
普段ならば、もうラストオーダーの時間だ。にも関わらず、女将は何も言わずににこにこと微笑んでいる。
きっと、女将も千恵理の誕生日を祝ってあげたがっているのだろう。
だから、同じ様に千恵理に向かって笑ってやった。苦笑交じりだったのは仕方がないと思う。
心なしか心配そうだった千恵理の顔が、ぱあっと明るくなった。
「えっと、じゃあ唐揚げと生姜焼きのタルタルとマヨ多め、と焼き魚は……ホッケ!」
相当慣れているのか、千恵理はメニューも見ずに注文した。
というか、ここまで来てつまみ程度ならともかく、ガッツリとした料理を注文するのは予想外だった。
まぁいいか。普段、あまり食べないのは単純に食べたいと思わないからで、食べようと思えば普通の成人男性程度には食べる。このくらいであれば何という事はない。
「あとビールを……いや、他のも飲んでみたいし……」
そうぶつぶつ言うと、千恵理は薄紅色の縁の眼鏡を取り出して、テーブルの上のメニューを手に取った。
どうやら飲む方もガッツリらしい。
まぁ、それでもまだ一人につきビール一本半ずつでしかないし、見る限り千恵理の様子にも変わったところはない。言動が変わるどころか、顔色すら変わってはいない。
もし飲んでいる途中で様子が変わる様なら、取り上げて自分が飲めばいい。
「料理は全部食べたことあるけど、お酒のところ見るの初めてなんだよね……」
どれにしようか決めかねているのだろう。千恵理はうーんと唸り始めた。
どうやら時間が掛かりそうだ、と焼き飯の皿を手に取る。取り皿に半分程移し、残りを千恵理の方へと押しやった。
「どうぞ」
譲り合って残ってしまっても面倒だ。それよりは最初から自分の分と分けてしまった方が良い。
まぁ、今の注文を見るに余計な心配かもしれないが。
「っと、ありがとう」
そう言って千恵理はその時だけメニューから目を離して、その皿を受け取った。
「よく食べるだろ? 今日は男の子と一緒だから今まで猫被ってたみたいだけど」
男の子、と呼ばれる年齢ではないのだが、このくらいしっかり生きている人から見れば、自分などはまだまだ子供に過ぎないのだろう。
「もうおばちゃんったら。猫被ってたんじゃなくて、誕生会で食べて来たから控え目にしてただけだから」
逆に、それでまだ食べるのか。
「えっと……この冷酒 で!」
「じゃあ、こっちはこれを、冷 やで」
千恵理に続いて、渡されたメニューを指差して注文する。
「あ、お猪口は二つずつね」
はいはい、と呆れたように女将は注文を伝票に記入していく。
「これで聖蘭出のお嬢様なんだからねぇ」
女将はそう笑いながら去って行った。
聖蘭の名前くらいは聞いたことがある。この町にある学園だ。良くは知らないが、話の流れと名前の響きからしてそれなりのお嬢様学校なのだろう。
「もうおばちゃんったら、私はお嬢様なんかじゃないってば」
確かにラーメンの残ったスープに焼き飯を放り込むその姿は、明らかにお嬢様ではない。
ここの焼き飯は料理名としての炒飯ではなく、調理方法としての焼き飯だ。
単品として完成された料理ではなく、具材と馴染ませる為に火を通した、いわばおかずと一緒に食べる事を前提とした豪華な御飯という方が近い。
そして炒飯のように脂でコーティングされていないので、スープを良く吸う。
白米でもそうだが、辛いスープに入れるとそれを良く吸って自身も辛くなる。辛さを和らげる為ではなく、辛さを愉しむ為の御飯。
当然、それは他のスープでも同じ。残ったスープを一番味わえるのがこれだ。
ただし白米よりも値が張るので、値段と美味しいの費用対効果的に普段は白米にしているのだが。
だから、千恵理のそれ自体は正しい行為だと思う。ラーメンを最大に味わう方法としては。
お嬢様らしいか、と言われればアレだが。
「はい、まず冷酒 と冷 やね」
「やったー!」
楽しみにしていた酒を受け取ってはしゃぐその姿もそうだが、千恵理は自分で言う通り、見ている限りでは行儀など気にしている様子はない。普通の女性なら来ないような店に来て、普通の女性なら食べない様なメニューを注文するし、ラーメンだって啜って食べるし残ったスープに御飯も入れる。
そう言った極端な事でなくても、普通にしている時のその態度も、お嬢様らしくなく気さくで、下品とまではいかないがどちらかといえば庶民的だ。
が、所作のひとつひとつが綺麗でそれを感じさせない。態度は庶民的なのに、間違いなく品と言う物を感じさせる。
「まま、まずは一杯」
人懐こくそう言う姿にしても、千恵理とあの少女とでは印象も真逆であるし性格も言動も似てはいない。なのに、背筋をぴんと伸ばしてお嬢様然としたあの少女と、血の繋がった姉妹で同じ環境で育ったのだな、とそんなことを感じさせた。
千恵理に酒を注がれ、注ぎ返す。
「はぁー美味しー」
本当にしあわせそうに酒を飲む千恵理を見ながら、自分は醤油皿を取る。酢をたっぷりでラー油を多め、醤油は香り付け程度。
そこに餃子を浸して、一口齧る。酢の酸味が辛さで染まった口の中をさっぱりとさせて、また味覚が回復する。
酢を直接舐めたのでは、こうはならない。酸味が強すぎて、逆に味覚が鈍くなってしまうのだ。間接的に口にする、このくらいがちょうどいい。
酢を直接飲むのも味覚に対する刺激にはなる。喉から胃に掛けて焼けていく感触は嫌いではない。
が、それは結局は胃を悪くしただけで、つまりは辛い物の方がまだマシだという結論になっただけだった。
「冷 やだとまた味が違う……甲乙付け難し」
楽しんで貰えているのならば良かった。この姿を見るに、千恵理にとっては良い誕生日になったのだろう。
麺を少し残したところで千恵理と同じように焼き飯を入れようとして、一旦手を止める。
焼き飯は辛さを味わう為の物だが、それでもやはりそのままよりは辛さは薄れる。だから、その前にスープを掬って、一口味わう。
辛い。普段通り……いや、女将の言う通りなら普段よりも更に。
いつもはそれで刺激された痛覚がほんの僅か、現実感に近いだろう物を感じさせてくれる。
ただ今日だけは、辛さであの時の事を上書きしてしまうのは勿体ないと思っていた。
だがそんな事は知るかとばかりに、あの鮮烈な碧は今も鮮やかに残っている。
何をどうしようと決して薄れようがない。そのことを自分に刻み込んでくれる。
そのことに、何故かひどく安堵していた。
9/84
- アクセス数

- ページビュー数

プロフィール
- 名前
- 未田 尚(まだ なお)
- 通称
- にゃー
- お仕事募集ちう。
- 文章を書く関係ならなんでも。
連絡は「お問合せ」まで。
携帯用QRコード