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碧ちゃんな話


相植 聖歌

「小岩井さんちょっといいかな?」
 終業のチャイムが鳴ると同時に、相植聖歌は小岩井碧に声を掛けた。
 夏休みの最中の登校日の生徒達は気もそぞろの様で、お嬢様と言っても普通の女の子なんだな、と自分は庶民側だと思っている聖歌は、何となくほっとしていた。
「急いでおりますので。それでは」
 そんな浮ついた空気に乗せられる事もなく、碧はいつもと変わらぬ平常運転だった。
 聖歌の方を向く事すらせず、そう言って立ち上がる。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
「わたくしにはありません。それでは」
 取り付く島もないとはこのことだろう。
 聖歌は心が折れそうになったけれど、 だからと言ってそのまま行かせるわけにもいかない。
 この手は使いたくなかったのだけれど、と聖歌は心の中でつぶやいた。でもこうなってしまっては仕方がない。
「クラスの運営についてなんだけど」
 それを聞いた、碧の動きが一瞬止まった。
 一見冷徹に見える──いや実際他人を寄せ付けない雰囲気を隠そうともしない──碧だけれど、自分の果たすべき責任という物を放棄はしない律儀さも持ち合わせている。
 必要以上の事はしないけれど、必要な事はする。
 例えば、クラスの一員として、クラス委員である聖歌に協力することくらいは。
 碧と話をする時はいつも緊張するけれど、何かと理由を付けて協力を断られる聖歌にとっては、他のクラスメイト達よりも碧の方に余程好感を持っていた。
「話を聞くだけ、ということでよろしいのですわね?」
 どうやら取り付く島くらいは用意してくれる気になったらしい。その気が変わらない内に、と聖歌は慌てて頷いた。
「分りました。少しお待ちいただけますか?」
 お願いしている立場の聖歌に否も応もある筈がない。聖歌がもう一度頷くのを確認してから碧は携帯電話を取り出した。
 このお嬢様学校では、行き帰りに使用人に送り迎えさせているものは少なくない。その連絡を取り合う為の携帯電話は言わば必需品で、当然禁止などはされていなかった。
「先方に10分ほど遅れると連絡をお願いしますわ」
 恐らくワンコール分も待たなかっただろう。碧が携帯を操作し、それを耳に当てたその動作のままで話し始めた。
 このタイミングで名乗りもしなかったところを見ると、専用回線でもあるのかもしれない。
「それから、お詫びと言うほどのものは必要ないでしょうが、代わりの手土産を用意しておいてください。そうですわね、最近、社長は娘さんに冷たくされていると言っておりましたから、機嫌を取れるように娘さんの好物の辛い物がよろしいでしょう」
 それから、ちらりと聖歌の方に視線を向けて、
「相植製菓さんの贈答用の激辛が良いですわね」
 それだけ言うと、碧は電話を切った。
 碧の事だから忙しいと言うのは口実ではないだろうとは思っていた。けれど、せいぜい家族との約束とか習い事位だと思っていたのだ。それが約束の相手というのは何処かの社長で、つまり仕事の話だったらしい。
 そう言えば、聖歌が声を掛けた時には、碧はもう帰り支度を済ませていた。今思えば、本当に急いでいたということだったのだろう。
「…お買い上げありがとうございます」
 呼び止めたことで詫びの品を用意しなければいけなくさせたことと、自社の製品を買わせてしまったことに二重に申し訳なくなって、聖歌は視線を逸らした。
 聖歌の家は製菓メーカーだった。ほぼ県内限定のローカル企業ではあるが、シェアで言えば大手メーカーを押さえて一位になる程の、言わば地方の雄と言って良い規模の企業だと思う。
 一店舗しかない街の煎餅屋から一代でそこまで育て上げた父親の事は尊敬しているけれど──娘に社名と同じ名前を付けてしまうネーミングセンスは、看板商品の名前が相植おかき、の時点で諦めている──それは逆に言えば成り上がりの成金だとも言える。
 本来であれば、聖歌は聖蘭学園に通えるような家柄ではない。経営に長けた父親の次代に向けた投資と、何よりも地元企業である、という付加価値によるものだ。
 その為に名前もそれっぽくした…というのはこじつけの言い訳だろうと思っているけれど。
 だからこそ、聖歌はこの学園に相応しいお嬢様になるべく努力をしている。半ば押し付けられたクラス委員を頑張っているのも、お手本として碧の様子を観察しているのもその一環だ。
「良い物だと思いましたから購入することにしただけです。礼を言われる理由はありませんわ」
 こういう突き放した物言いが、碧を近づき難い存在にしてしまっているのだと思う。
 尤も、だからこそ聖歌などにはお嬢様らしいお嬢様として、憧れの対象になっているのだけれど。
「でも私のせいでお詫びの品なんて用意しなければいけなくなってしまって…」
 聖歌としてはそんなつもりではなかったのだ。ちょっとだけ時間を取って貰って、話をして、気になっていることを聞いたついでにほんの少しでも仲良くなれればいいな、とその程度のつもりだった。
「学生が学園でのことを優先するのは当然ですわ。勿論、それで自分や相手に損失が発生するようであればまた別ですけれど」
 そういうところも、本物のお嬢様なんだな、と思う。まだ子供でしかない聖歌が会社の事に携わる事はほとんどないけれど、だからこそそれは外す事が出来ない時だ。会社での都合があれば、学園の事は後回しにする事が当然だった。
「それに、約束を遅らせても問題ない相手と場合だと思ったからそうしただけです。なにより、遅れることを許した、それに対して手土産を貰った…と言った事務的ではない血肉の通ったやり取りが、信頼関係に繋がるのです。決して単純に損をしたということではありませんわ」
 これは私にも言ってるんだろうなと聖歌は苦笑いをした。
 聖歌は庶民ではあるけれど、この学園で碧を始めとしたお嬢様達の中で揉まれている間に、お嬢様的な言い回しも少しはわかるようになっている。
 碧が聖歌に向けたこの言葉には、事務的な対応ではないことをしたのだから、いずれそれを返せ、という意味が含まれているのだろう。
「それはそうと、とれた時間は10分だけです。それ以上遅らせることは出来ませんわよ?」
 そうだった。
 10分と言うのはいかにも短いけれど、今の電話の内容を聞く限り、本当にギリギリで開けてくれた時間なのだろう。
 聞きにくい事ではあるけれど、だからと言って前置きなどするのは逆に碧に失礼だ、と聖歌はいきなり本題を切り出した。
「小岩井さんは大学生の方とお付き合いしているの?」
 その聖歌の質問を聞いて、碧は微かに首を傾けた。
 質問の内容に対する疑問ではなく、その質問をされたことに対する疑問の表情。
「そのお話は、クラスの運営とどのような関係がありますの?」
 来た、と聖歌は構えた。どうしようもなく取り付く島がないから最終手段を使ったが、本当はクラスの運営に関わるような話ではない。
 だがここで正直に言ってしまえば、話が聞けないだけならばまだしも、今後本当にクラスのことで話しかけたとしてもすげない態度を取られるようになってしまうだろう。何とか納得して貰えるだけの理由をこじつけなくてはいけない。
「ほら、お付き合いを始めるとなったらそっちに時間を取られることもあるだろうから、そういう事も考えなきゃいけないし、同じクラスの人が男の人とお付き合いをしたとか言うことになると、どうしてもそれが他の人に影響するだろうし。しかもそれが大学生なんて言う年の離れた人だったら、みんな色々気になっちゃうだろうし…」
 自分でもわかるくらいにしどろもどろになりながら、聖歌はなんとかそう言い訳を言い終えた。
 碧の視線が痛くてまた目を逸らす。
「年齢の離れた方とお付き合いしている、というだけならば、この学園には生まれた時から親ほど歳の離れた婚約者がいる方もいらっしゃいますわ」
「いやそうなんだけど…」
 二の句が継げずに聖歌はもごもごと黙り込んだ。
 この学園はお嬢様学園だ。
 庶民に毛が生えた程度の聖歌から見れば雲の上のような存在も多く在籍しており、当然窺い知れないような事情を抱えた生徒も沢山いる。
 今更それくらいで動揺したりはしない…と言われれば確かにその通りだった。
 何と言い繕おうかと困り果てる聖歌を見て、碧は唇の端を少しだけ上げた。
「まぁ、クラスの運営と全く関係がないということもありませんでしたし、よろしいでしょう」
 聖歌はほっと胸を撫でおろした。
 どうやら許して貰えたらしい。納得した、ではなく許してくれた、ではあるけれど。
「わたくしは、どなたともお付き合いはしておりませんわ」
 そう言う態度は堂々としていて、嘘をついている様子は微塵もない。
「でも、昨日大学生くらいの男の人に告白されてたよね?」
 昨日見たあの光景を思い出す。
 人通りは多くなかったとはいえ、公衆の面前での大胆な告白は…それも大学生が初等部生相手に、更にはその相手が碧だなどとくれば、もう現実というよりは物語の中の出来事だとしか思えない。
 だから、自分の立場を危うくしかねない無茶をしてまで、こうして話をしに来たのだ。
 碧は一瞬だけ視線を上に向けて、何かを思い出すような仕草をしてから、
「確かに、貴女は昨日、あの場にいらっしゃいましたわね」
 そう微笑んだ。
 碧の背後で、物陰に隠れて様子を窺っていたのだけれど、どうやら気付かれていたらしい。
 いや、今の碧の様子を見る限り、そうではないのだろう。その場では気付いていなかったけれど、たった今、記憶の中のその光景を思い返して聖歌の姿を見つけた。そういう表情だった。
「ごめんなさい。盗み聞きするつもりじゃなくて、えっと」
 聖歌があの場にいたのは偶然だ。いや、必然だろうか。
 碧と同じ校外学習に参加して、その帰りに家の方向が同じだったから同じ道を通っていたというだけ。
 いや、碧を見かけたからその後について歩いていたというのは事実だけれど。
「別に構いませんわ。公共の道で誰がどう歩こうと自由ですもの。それに他の方がいらっしゃる場で、聞かれて困るような話は、私はいたしませんから」
 好きだとか付き合うとかは聞かれて困る様な話じゃないのかな、と聖歌は少しだけ首を傾げた。
「ですけれど、なぜ付き合うなどと言う話になったのですか?」
 心底不思議だという表情で、碧がそう聞いた。
 それに少し戸惑う。その返事も意外だったけれど、それよりも碧にこんな表情があったのか、と驚いたのだ。
 今の碧は、普段よりも少し気が抜けているように見えた。
「でも、告白されたよね」
「はい」
 なんでもない事のように、碧がそう答える。
「それで、ありがとうございます、って答えたよね?」
「はい」
 表情も変えず、碧が答える。
「それから、一緒に歩いて行ったよね?」
「はい」
 答える。
「…それって、付き合い始めたってことじゃないの?」
 少なくとも、聖歌が同じ立場になったら、その相手と付き合い始めたと思うだろう。
「それが迷惑であるのならばともかく、単純に好意を持っていただいたというのは、それはありがたいことですわ。ですからそれに対してお礼を言っただけです。一緒に歩いたのも道が同じだっただけで、次の角で別れました。…貴女があの場所にいたのと同じ理由ですわ」
 そう言って、碧は聖歌に笑って見せた。
「そう…なのかな?」
 聖歌は首を傾げた。もしかして、自分がおかしいのだろうか。
 そう思ったけれど、思い返してみてもおかしなことを言った気はしない。
「それに、聞いていらしたのであればおわかりだと思いますが、交際を申し込まれたりはしておりませんもの」
 そう言われて、思い返してみる。全ての会話が聞こえる程近くにいたわけではないけれど、確かに付き合って欲しいとか、その類の言葉があったという記憶はなかった。けれど。
 やっぱり、普通ならあの状況はもうつき合っているってことなんじゃないかな、と聖歌は思った。
「…じゃあ、つきあって欲しいって言われたら、付き合うの?」
 碧の言い分を聞く限り、付き合っていないと言い張るのは交際を申し込まれていないからというだけの理由の様だった。
 だったら、その部分だけ解決すれば交際しているという事になるのだろうか。
「交際を申し込まれることはないと思いますわ」
 もう何度目になるかわからないけれど、思いがけない返事に聖歌は首を傾げた。
「え、なんで?」
「あの好きです、は恋愛感情ではないでしょうから」
 碧は当たり前のような表情でそう言ったけれど、聖歌にはよくわからなかった。
 あの公衆の面前で告白しておいて、恋愛感情じゃないと言うのがわからない。
「えっと、それで…どんな人なの?」
 とりあえず、よくわからない人だということはわかった。
 勿論、碧もそうだけれど。
 だからこそどんな人なのかと気になって、聖歌はそう聞いた。
「知りませんわ」
 けれどその返事が余りにも意外過ぎて、聖歌の頭は真っ白になった。
「うん?」
「会ったのは二度目で、一度目は昨日よりももっと短い会話しかしておりませんもの。お姉様や緑の方が詳しいと思いますわ」
 ますますよくわからない。
 その程度の、全くと言って良い程知らない相手に、いきなり公衆の面前で好きだなんて言われるのは迷惑ではないのだろうか。
 実際、そのせいでこうして聖歌に呼び止められて、約束の時間を遅らせる羽目になっているというのに。
 いや。
 考えて見れば、碧相手に恋人が出来たのか、なんてプライベートな事を聞けば、普通ならばその場で一刀両断に拒絶されて、話は終わっていたと思う。
 それが、ここまで会話が続いているというのは、もしかしたらその人の自慢がしたいからなのかもしれない。
 そう考えてみれば、今日の碧の雰囲気は、普段よりも気が抜けている…柔らかい気もする。
「えっと、もうちょっと何かないかな」
 これでは余りにもわからな過ぎる。というよりも、聞けば聞く程わけがわからなくなる。
 約束の10分ももうすぐだ。このままでは結局何もわからないまま終わってしまう、と聖歌は焦ってそう聞いた。
 その聖歌の混乱した様子が面白かったのだろうか。碧は微かに目を細めた。
「…ご存知ですか?月は空よりも遠くにありますのよ」
「え、うん?」
 急に関係のない当然の話をされて、戸惑う。
 それは何かの前振りで、それを受けた話が続くのだろう、と聖歌は話の続きを待ったのだけれど。
「…約束の10分が過ぎましたので。それでは」
 それだけ言い残して、碧は教室の外へと去って行った。
 これ以上時間を取らせるわけにはいかない、と聖歌は呼び止めることも出来ずにその背中を見送った。
 煙に巻くようなことを言ってごまかされたのだと言うことはわかった。
 結局聞きたいことは聞けなかったと、残念に思う気持ちもある。
 けれど、最後に見せた微かに首を傾けて目を細めた碧のその表情は──お嬢様の手本にしようと、普段からチラチラと様子を伺って、碧のことをそれなりに知っているつもりの聖歌でも、初めて見る位に──綺麗だった。
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プロフィール

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未田 尚(まだ なお)
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にゃー
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